人間の生き方、ものの考え方 学生たちへの特別講義

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163942094

作品紹介・あらすじ

福田恆存がその真髄を平易に語った未発表講演悪、現実、歴史、西洋と日本……現代日本人にとっての根本テーマをどう考えるか? 学生相手に正確な言葉遣いで平易に語り尽くす。

感想・レビュー・書評

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  • 学生の質問に対して、福田恒存が答えるという形式の一冊だった。道具や言葉に対する考え方は、とても深く、福田恒存は言葉一つひとつを吟味し、その意味の本質を突こうとすることにこだわりを持っている人だなという印象を受けた。
    自由、文化、ヒューマニズム、権利、このような言葉が、日本元来のものではなく、西洋から入ってきたものであって、日本でのそれらの言葉の理解され方、受け取られ方、社会や人々のによる使われ方と、西洋におけるそれらとは違う。私は、それらが、どのような日本の精神文化、精神的伝統の上にあるのかをもっと吟味するべきだと思ったし、曖昧なまま、ノリでなんとなくそのような言葉を使いたくないなと思った。

    恒存の「道具」に対する見方は、私にとって、新しい示唆だった。
    P14「普通「人間を道具に使うのかというとか」という時、それはなんと無く生きていないもの、死物という軽蔑の意味がある。あるいは、精神ではなく、物質というふうに考える。しかし、私は道具というものをそういうようには考えていません。道具というのは、物と心が出会う場所であるというように考えています。」
    彼によると、道具というものは、もっと人間に密着したものである。職人がいかに物を大切にするかということを見ればよくわかる。素人がその職人の道具をこっそり使ったところで、職人がその道具を使えば、微妙な変化に気づき、職人は知らない間に、道具が使われたということがわかる。

    道具は、物体だけではなく、手足も道具と言えると彼は考える。つまり、手足は、その人の生理、あるいは真理というものに、ぴったり密着して機能的に動いている道具である。
    「道具というのは決して単なる物質、物ではない。すなわち物ではあっても必ずわたhしたちの心がそこにしのび込んでいる。」「物というのは、必ずそれを使う人の手癖に馴染んでいる。あらゆるものがその人の生き方を内に含んでいるのです。」
    だから、物を軽視するのは間違いであり、物というのは、心その物である。

    どんな宗教も、思想も悪を含んでいるという考えはとても納得した。

    自分が生まれる前からすでにある歴史の流れ、言葉、社会の中に自分がいるということ、その時点で、まず誰1人、人間は自由ではない。そういう前提に向き合わず、受け入れずに何か物事を変えようとすることは、良いことではない。

  • 「過去について」という章で過去を現在の必要から語ってはいけないということが書かれていてなるほどと思った。過去は現在の必要とは切り離して観察し理解しなかればいけない。たしかに、人は現在に都合のいいように過去を解釈する。過去は過去として、見なければいけない。でもこれってすごく難しいことだと思う。

  • 私たちが普段気軽に口にする、平和とか自由とか理解といい言葉の意味を根本からぐりぐりと容赦なく考え突き詰めてくる一冊だった。曖昧さを許さないというか、いちいちそんなこと言ってたら疲れちゃうよと思う部分もあったけれど、筆者の福田恒存さんは言葉の重みを大事にしてたんだなと読んでいて思った。
    個人的には“言葉による伝達が不可能と痛感するとき始めて言葉に心を込めるような努力ができてくるのだと思います。”という部分が好き。

  • 「悪に耐える思想」…『思想』なるものは皆自ずから、秩序を守るため、また我々に全体感覚を植え付けるものとしての悪を内包しているものである。その悪に耐えてゆくこと、畢竟それこそが『思想』なのだ。政治においても宗教においても、およそ思想たらんとするあらゆるすべての物どもはこの悪を免れ得ぬ。明治以後の日本国家の運用にあたって欠けているその最たるものが、この「悪に耐える思想」である。

  • 言葉というのは…特に政治的な舞台で使われる言葉というのは、あっちで、こっちで、といろんな人がそれぞれの意味で書いて話すせいか、特に言論の世界では同じ捉え方というわけにはいかなくてね。しかも時代を経ていくごとに広がっていくでしょう。それがなんでかってことが、サラッと話している。読んでいて気持ちいいですもんね。これもまた考え抜く力ですね。歴史に学ぶ、歴史への捉え方、これは小林秀雄も同じようなことを話していましたね。

  • 2015/12/6

  • 塾に行ったような感覚が残る。
    袴を着て、正座をして、筆をもって、机に並ぶ数人のひとりひとりと誠実に向き合ってくださったような。
    大切なことを繰り返し、丁寧にゆっくりと。

  •  人間の生き方、ものの考え方 福田恆存

    「その人の生理あるいは心理というものに密着して機能的に動いている道具である。道具というものは決して単なる物質、ものではない。すなわちものではあっても、必ず主体である私たちの精神とか心とかいうものの癖を受けている。いかなる物でも必ず私たちの心がそこに忍び込んでいる」

    「物といっても軽蔑するのは間違いなので、道具にしろ物にしろ、それはすべて心を離れて存在しない。心そのものである。あるいは、心と物とが、物質と精神とが出会う場所である」

    「時代の価値観の違いで言葉の価値観が違うのだから、それを使う人の個人の生きかたによってもその言葉は違ってくる」

    「教育は知識を与えるもの。教養はその人の身についた生き方」

    「目に見えないものでも生きているのだということ」

    「現在の必要があって過去を振り返るのではなく、過去と真面目に付き合うことによってそこから現在の要求がでてくる」

    「言葉というものは個人個人微妙に意味を異なって用いている。仕方がないからある程度切り捨てて使っている。それはやむを得ないことかもしれない。しかし、切り捨てているという自覚を持ち続けることが必要なんだ」

    教養とは心遣いである。

    「現実に自分に理解できないもの、説明できないものが自分の中にもそとにもある。そういうものを合理主義で切り捨てていくということは合理主義ではない。本当の合理主義は、目の前にある現実を十分に見つめて、それでなにか計算をし、割り切ろうとしたときに、そこに必ず残るものがある。それを常に目の前において、合理、理性一本でいかないということを自覚し、一つのかせつとしてものを出していく、それが本当の合理主義的態度であるとおもいます」

    「現在自分たちがどこにたっているのかということを徹底的に考える。過去を顧みて現在の位置を確かめることが大切。それから先にこれからどうしたらいいかとうことがでてくるのだ」

    「他人という自分でないもの、そういうものに謙虚に付き合うことによって、自分の器は大きくなり、伸縮自在になる。」

    「自分がいまやりたいと思っていることも、他人やその時代の風潮に影響されて、自分はこれがやりたいのだというふうに思い込んでいるだけのことでないかというふうに反省することが必要です。本当に自分が何を欲しているのかということを自分で掴んでるいるのか、自分というものを本当に理解しているのかが問題」

    「いままで割り切ったものと世間がきめこんでいるものを、疑っていく。それが本当の意味の懐疑である」

    「歴史を学ぶ、言葉を学ぶ、自然を学ぶということはまちがっている。我々は歴史に学ぶのである。歴史がわれわれを教える。われわれは歴史から教わるのである。歴史を学ぶということが歴史を知識として学ぶことになる。」

    「民主主義は目的ではなく、手段の一つだ」

    「わからないものを相手が持っているからこそ、信ずるに値すると思って付き合っているわけです。分からないからこそ誤解が生じる。誤解というものも一種の理解の方法だ。だから、自分を誤解することもあるし、人を誤解することもある。そういうものの積み重ねで人間社会が成り立っているふうに覚悟したほうがいい。一番いけないのが自分の小さな理解力の中で理解できるように相手を理解してしまうことだ。考えてみるといい。簡単にわかってしまい、説明し、分析できることは、まずつまらないものに決まっているのではありませんか」

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。通常の配架場所は、2階開架 請求記号:914.6//F74

  • 【福田恆存がその真髄を平易に語った未発表講演】悪、現実、歴史、西洋と日本……現代日本人にとっての根本テーマをどう考えるか? 学生相手に正確な言葉遣いで平易に語り尽くす。

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著者プロフィール

評論家,劇作家,演出家。東京大学英文科卒業。 1936年から同人誌『作家精神』に,横光利一,芥川龍之介に関する評論を発表。第2次世界大戦後すぐに文芸評論家として活動を始め,やがて批評対象を文化・社会分野全般へと広げた。劇作は 48年の『最後の切札』に次いで 50年『キティ颱風』を発表,文学座で初演され,以後文芸部に籍をおいた。 52年『竜を撫でた男』で読売文学賞受賞。 63年芥川比呂志らと文学座を脱退,現代演劇協会,劇団雲を結成して指導者となる。 70年『総統いまだ死せず』で日本文学大賞受賞。シェークスピアの翻訳・演出でも知られ,個人全訳『シェイクスピア全集』 (15巻,1959~67,補4巻,71~86) がある。著書はほかに『人間・この劇的なるもの』 (55~56) など。 81年日本芸術院会員。

「2020年 『私の人間論 福田恆存覚書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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