Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163914077

作品紹介・あらすじ

「人間への見方が新しく変わる」ーーユヴァル・ノア・ハラリ(『サピエンス全史』著者)推薦!

「希望に満ちた性善説の決定版!」ーー斎藤幸平(『人新世の「資本論」』著者)推薦!

「邦訳が待ちきれない!2020年ベスト10洋書」Wird日本版選出

本国オランダでは発売忽ち25万部突破ベストセラーに。24カ国での翻訳が決定。

近現代の社会思想は、”性悪説”で動いてきた。だが、これらは本当か。

×ホッブズいわく「万人の万人に対する闘争」
× アダム・スミスによると、人は損得勘定で動くホモエコノミクス
×ダーウィンが唱えた、自然淘汰説
×ドーキンスは『利己的な遺伝子』を執筆
×少年たちのいじめ本性を描いた『蠅の王』がノーベル文学賞

著者は、この暗い人間観を裏付ける心理学や人類学の定説の真偽を確かめるべく
世界中を飛び回り、関係者に話を聞き、エビデンスを集めたところ意外な結果に。

?スタンフォード大の囚人実験(普通の人間は邪悪になれる)
?ミルグラムの電気ショック実験(アイヒマン実験は)
?イースター島絶滅は人間のエゴ説(ジャレド・ダイアモンド) 

善人が悪人になってしまう理由とは。なぜ人類は生き残れたのか。
これから生き延びるためにどうすればよいかが書かれた「希望の書」。

感想・レビュー・書評

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  • 本著を読んでユヴァルノアハラリが価値観を変えたという位だから、新たな視点が得られるのだろうと期待して読み始めたが、期待通り。乱暴に言うと、人間の「性善説」的な本質を証明しようという試みの本。戦争の歴史を歩む利己的な存在という価値観を一変させる。

    ー 人間は本質的に利己的で攻撃的で、すぐパニックを起こすと言う根強い神話。薄いベニヤのような道徳性ということから、ベニヤ説と呼ばれもするが、真実は逆。災難が降りかかった時、爆弾が落ちてきたり、船が沈みそうになったりしたときに、人は最高の自分になる。

    『蝿の王』という小説があり、私も読んだ。しかしあれはフィクションであり、無人島で人間は憎しみ合い傷つけ合う事はない。実際に、アタ島に漂流した青年たちは、互いに助け合って生き延びた。アタ島の漂流の話はインターネットで検索すれば、当事者の顔写真つきで閲覧する事もできる。これを知っただけでも、本書を読んで良かった。

    画面操作による実験で、人間とチンパンジー、オランウータンを比較した。空間認識、計算、因果性認識を調べたが、チンパンジーやオランウータンと2歳の人間の子供ではテスト結果が変わらない。しかし、社会的学習では、人間の子供が楽勝だった。つまり、人間とは、超社会的な学習生物であり、学び、結びつき、遊ぶように生まれついた。人間だけが赤面するのは、本質的に社会的な感情表現。他人の考えを気にかけていることを示し、信頼をはぐくみ協力を可能にする。また、目を見る行為だが、人間の目には白い部分がある。他者の視線の動きを追える。更に面白かったのは、ネアンデルタール人とホモサピエンスの対決の話だが、「天才族vs模倣族」の例え話で理解ができるというもの。

    …しかし、オキシトシンの影響は、グループ内に限られる。これが人間の負の歴史を生む。下巻は、この負の歴史の真相に挑む。

  • 【感想】
    人間の本性は善良なのか邪悪なのか。

    性善説と性悪説は、数百年にわたり様々な議論を生んできた。今や学術的研究の枠を超え、映画や小説といった娯楽作品にもテーマとして取り入れられるメジャーな概念になっている。
    性善説として有名なのはルソー。人間の本性は善良であり、自然状態は自由と平等が実現されている素晴らしいものであるが、歪んだ社会制度の中では人は邪悪に変わりうると述べている。
    一方、性悪説として有名なのはホッブスだ。人間の本性は邪悪であるため、放っておけば万人が万人に対して闘争状態になる。社会契約に基づく国家だけが、人間を卑しい本能から救えると述べている。

    では筆者の立場はどちらか、というと、「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ」として、ルソーの性善説を支持している。

    筆者も文中で述べているが、この主張はなかなかに過激だ。というのも、現代社会では「人間は本来誰しもいい人なのだ」ということを、実感として受け入れがたいからだ。毎日のように殺人が起き、国同士が戦争している。SNSでは誹謗中傷が日常茶飯事だ。「人はすぐに過ちを犯す罪深い生き物だ」という考えは、キリスト教的価値観を有していない人々の中にも、もはや自明の理として定着していることは疑いようがないだろう。

    筆者も自らの主張と世間のギャップは認識している。それを前提とし、「じゃあ一番最初までさかのぼると、実際はどうだったのか?」というところから、本書はスタートしている。

    議論は一番最初、つまり狩猟採集時代の人間のコミュニティから始まる。
    狩猟採集時代の人間というといかにも野蛮人を想像してしまうが、実は彼らは戦いよりも調和を重んじる民族であった。現代でも原始的な生活を行う部族・民族の間では、一人の子どもを大勢の手で育てることが当たり前になっている。また、部落の中で強権を振るおうとするもの、つまりリーダーではなく専制者としてふるまおうとするものに対しては、コミュニティが一丸となって追放に動いたり、殺したりする例も珍しくない。当時は男性も女性も育児・狩りを行うのが一般的であったため、われわれの想像よりも「平等的な」社会が形成されていたと言えるだろう。
    その証拠に、原生人類の攻撃性を考古学的証拠から調査した結果、家畜化や農業や定住が始まっていなかった時代の遺物において、戦いの証拠になるものはほとんどなかった。文明が始まる前においては戦争が定期的に起きていたとはいえず、人間は本来的に戦いを好まない動物だと考えられる。

    筆者はこれに補足する形で「文明の呪い」という章を設けており、ルソーの性善説と合致する内容、つまり定住化と文明の発展が人々に戦争を始めさせたことを論述している。それによると、1800年までは世界人口の少なくとも4分の3が、裕福な支配者の奴隷として暮らしており、文明がわれわれの生活にいい影響を与えてくれたのは直近のたった2世紀だけであるという。

    では、その2世紀に起こった非人道的な出来事――大戦争とホロコーストについてはどう説明すればいいのか?これこそ、人間の邪悪さが頂点にまで達した究極形ではないのか。

    この論点について、まず戦争をミクロ的な観点から検証している。兵士の個人的な感情を調査し判明したのは、「戦争に参加した人間のほとんどは、誰も戦争なんてしたくないし、殺したくない」という事実であった。

    大佐で歴史家のサミュエル・マーシャルは、太平洋戦線とヨーロッパの戦場で兵士たちとのグループインタビューを行った。そこで判明したのは、戦場で銃を打ったことのある兵士は全体の15~25%しかいないという事実だった。新兵でも射撃の名手でも、この割合は変わっていない。彼らは打つことができなかったのだ。
    「平均的な個人は、人を殺すことに抵抗がある。(略)ほとんどの人は『攻撃することを恐れて』いて、その恐れは、人間の『精神的構造』に本来備わるものだ」とマーシャルは言う。
    そして兵士の行動原理は、「祖国を守ろう」「共産主義やナチスを打倒しよう」といった政治的な要因よりも、むしろ「仲間を守りたい」という思いによるものが圧倒的多数であった。人間は相容れない他人を排斥しようという衝動よりも、仲間を傷つけられたくないという友愛をもとにして戦いを行うのである。

    一方、ホロコーストについては、スタンフォード監獄実験とミルグラムの電気ショック実験を引き合いに出し、興味深い解説を行っている。
    この有名な2つの心理学実験は「やらせ」であることが本書で明らかになるのだが、やらせだとしても見過ごせない事実が一つある。それはミルグラムの実験において、電気ショックが本当だと思い込み、研究者から一度もプレッシャーをかけられなかった人々のうちでも、電圧を最大の450ボルトまで上げた人が「想像以上に」多かったことである。人びとが善良であるならば、これはいったいなぜなのか。
    それは、アウシュビッツで虐殺が起きた理由とも合致する。加害者たちは、「自分たちが正義の側にいる」――電流実験に参加することが科学の発展に寄与し、ユダヤ人を殺すことがドイツの国益につながる――と信じるときに、悪を実行するのだ。つまり、人々は悪意ではなく、善意に基づいて人々を攻撃するのだ。
    ――――――――――――――――――――――――
    以上が上巻の概要である。
    総評としては、内容が非常に面白い。実際に起こった出来事の面白さだけでなく、「実はあの有名な話の裏にはこのような事実があったのだ」という暴露本的要素も合わさって、ページをめくる手が止まらなかった。
    筆者の提唱する「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ」という主張には、個人的には賛成なのだが、筆者の主張に都合のいい事実を中心的に取り上げているため、いささか主語を大きくして語っている感が否めない。そのため、反証を挙げようとすればいくらでも挙げられるだろう。このあたりの判断、つまり「人は生まれながらにして善良だ」という主張が妥当と言えるのか否かは、下巻を読み終えてからしっかりまとめたいと思う。

    下巻の感想↓
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4163914080
    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 人間は善良だ
    本書を貫く考え:ほとんどの人は本質的にかなり善良だ

    人間は本質的に攻撃的で、すぐパニックを起こす、という根強い神話がある。しかしながら、9.11のテロやハリケーンカトリーナといった未曾有の緊急時においても、「観察された行動の圧倒的多数は、社会のためになる行動だった」という研究結果がある。デラウェア大学の災害研究センターは1963年以降、700件近くのフィールドワークを行い、映画でよく描かれるのとは逆に、災害時に大規模な混乱は起きないことを明らかにした。「略奪が起きたとしても、物やサービスをただで大量に配ったり、分かち合ったりという、広範な利他的行動に比べると微々たるものだ」と同センターの研究者は指摘する。

    にもかかわらず、「人間とはあくどい生きものだ」という考えが蔓延しているのは、自分がそう思い込んでしまうから成就してしまう、いわばノセボ効果によるところが大きい。

    では、なぜわたしたちは人間を悪者だと考えるのだろうか。それは、「ニュース」という毒物の影響である。現代のメディアが、平和な世界の中のとびきり例外的な事象を取り上げ、人々に悲観を植え付けているのだ。
    シニカルな物語は、わたしたちの世界観にも大いに影響する。英国で行われた研究によると、リアリティ番組を多く見る少女は、いじわると嘘をつくことは人生で成功するために必要だ、と答えがちであることがわかった。実際のリアリティ番組では、出演者が礼儀正しく何もトラブルが起こらないため、ディレクターがわざと挑発させたりけしかけさせたり多くの小細工を行っているのだが。


    2 性悪説vs性善説
    ホッブスの性悪説…人間はほうっておけば万人が万人に対して闘争状態になる。人間の本性は邪悪であり、社会契約に基づく国家だけが、人間を卑しい本能から救える。
    ルソーの性善説…人間の本性は善良であり、社会制度のせいで邪悪になる

    この2人の哲学者の持論は数百年の間、政治、教育、世界観に重大な影響を及ぼしてきた。では、どちらが正しかったのか?


    3 自然淘汰に生き残ったのは「人懐っこさ」
    わたしたちホモ・サピエンスの外見に変化が起きたのはおよそ5万年前、私達よりも脳が大きく、筋骨隆々で、明らかに強かったネアンデルタール人が姿を消したころだ。
    このときに私たちの外見はどう変わったのかというと、子供っぽくなったのである。オオカミが犬に変化していったのと同じように、人間の顔と体は、より柔和で、若々しく、より女性的に変わっていった。
    そしてもっと決定的な部分――人間が他の動物よりも特徴的な進化を遂げた部分は、社会的学習を身に着けたことにある。目や眉、額が変容し、自分の感情を顔に乗せて発信することができるようになった。
    以上をまとめると、人間は進化の過程で「周りから好まれるように発展を遂げた」ということになる。


    3 身内びいきの罠
    人間はときに最も残酷な種となる。その理由に「オキシトシン」というホルモンのはたらき――自分によく似ている人々には強い親近感を抱くが、見知らぬ人に対しては嫌悪を強める――が関係している。社会性を獲得するように進化したのが人間であったが、実は身内びいきで外国人嫌いの性質が生まれながらに備わっているのだ。

    過去の類人猿の化石には無数の傷が確認できる。おそらく戦闘によるものだろう。原初時代の身内、つまり定住社会が確立したころから暴力は増え始め、社会が発展するにつれ暴力の数は減少している、と数々の書籍や調査研究が物語っている。

    では、やはりホッブスが正しいのかというと、そうとも言い切れない。

    大佐で歴史家のサミュエル・マーシャルは、太平洋戦線とヨーロッパの戦場で兵士たちとのグループインタビューを行った。そこで判明したのは、戦場で銃を打ったことのある兵士は全体の15~25%しかいないという事実だった。新兵でも射撃の名手でも、この割合は変わっていない。彼らは打つことができなかったのだ。
    「平均的な個人は、人を殺すことに抵抗がある。(略)ほとんどの人は『攻撃することを恐れて』いて、その恐れは、人間の『精神的構造』に本来備わるものだ」とマーシャルは言う。

    また、原初人類の攻撃性を考古学的証拠から調査した結果、家畜化や農業や定住が始まっていなかった時代の遺物において、戦いの証拠になるものはほとんどなかった。文明が始まる前においては戦争が定期的に起きていたとはいえない。人間の本来の性質は攻撃的ではないのだ。


    4 文明の呪い
    もし人間が生来、暴力を嫌悪するのであれば、どこで道を間違えたのか。何がわたしたちに戦争を始めさせたのか。

    その答えは農耕による定住と私有財産の出現である。狩猟採集生活が終了しコミュニティの概念が発生し始めた時代においては、1%の人々が99%の人を抑圧していた。口先のうまい人間が指揮官から将軍へ、首長から王へと出世した。不平等が拡大し、自由と友愛の日々が終わりを告げた。

    最初に定住を決めた理由はおそらく、土地があまりにも魅力的だったからだ。チグリス川とユーフラテス川の間に広がる肥沃な氾濫原は、手間をかけなくても作物が育つ。ここで人間は致命的な勘違いを犯し「農業は簡単だ、ではやってみよう」と思うようになる。ただ、祖先たちには人間の数がいかに爆発的に増えるかを予想できなかった。狩猟生活に戻ろうと思っても、増えすぎた家族を養うためには定住生活を続けなければならない。
    雪だるま式に膨れ上がる農耕民族は、やがて国を建設する。初期の国のほとんどは奴隷国家であり、貨幣や法はもともと奴隷制度を維持発展させるための道具であった。こうして、文明という呪いが始まっていったのである。
    この呪いは西暦1800年まで続く。1800年までは世界人口の少なくとも4分の3が、裕福な支配者の奴隷として暮らしていた。もちろん文明はわれわれの生活を改善してもくれたが、そうしたいい影響が起こったのは直近のたった2世紀である。


    5 スタンフォード監獄実験・ミルグラムの電気ショック実験
    人間は本質的に優しいというのが本当なら、そろそろ、避けられない問いに取り組むべき時間だ。アウシュビッツをどう説明するのか。

    スタンフォード監獄実験、ミルグラムの電気ショック実験は、いずれも長く性悪説を裏付けてきた有名な心理学実験だ。しかし数々の追跡調査により、この2つの実験は捏造、やらせだということが判明している。

    スタンフォード監獄実験では研究者のジンバルドが被験者に試験の方向性を示唆しており、被験者は実験の狙いを推測し、それに合った行動を取ろうとしている。ジンバルドは「囚人に課したルール、罰則、屈辱は、すべて看守たちが考え出したのだ」と言い続けているが、「囚人を番号で呼ぶ」「足首に鎖をつける」といったルールは、実際には研究者の発案であった。それだけでなく、研究者は看守たちに囚人をもっと厳しく扱うよう圧力をかけ、厳しさの足りない看守を叱責してもいた。
    2001年にBBCがスタンフォード監獄実験を再現するリアリティ番組を制作・放映したが、特に何も起きなかった。

    ミルグラム監獄実験も同様に「電圧を上げろ」と指示されている。
    ミルグラムの台本の通りに動こうとしない被験者は、強いプレッシャーをかけられた。ジョン・ウィリアムズという名の生物学教師は、被験者により高い電圧のスイッチを押させるために、8回も9回もそうするよう求められた。ミルグラムはある46歳の女性と口論になったことさえあった。彼女が電気ショック発生器のスイッチを切ったからであり、彼は再びスイッチを入れ、実験を続けるよう命じた。
    また、スイッチを押すと本当に電流が流れると信じていた被験者は、全体の半分に過ぎなかったという。多くの人が最初から茶番だと分かっていたのだ。

    だが、ミルグラム実験は一つの重要な点を示唆している。それは、電気ショックが本当だと思い込み、研究者から一度もプレッシャーをかけられなかった人々のうちでも、電圧を最大の450ボルトまで上げた人が「想像以上に」多かった事実である。人びとが性善であるならば、これはなぜなのか。
    それは、アウシュビッツで虐殺が起きた理由とも合致する。加害者たちは、「自分たちが正義の側にいる」――電流実験に参加することが科学の発展に寄与し、ユダヤ人を殺すことがドイツの国益につながる――と信じるときに、悪を実行するのだ。つまり、人々は悪意ではなく、善意に基づいて行動するのだ。

  • 学術書でありながら一気読み。

    この上巻は最高に面白かった。

    自分がこれまで読んできたジャレド・ダイヤモンドの『文明崩壊』やスティーブ・ピンカーの『暴力の人類史』などの本や、人間の狂気をあらわすとされたフィリップ・ジンバルドー教授の「スタンフォード大学・監獄実験」等を真っ向否定する内容。

    いや~。驚かされました。
    この本はすごい。
    目からうろこが落ちるとはこのことだった。

  • この本は、「サピエンス全史」の著者、ハラリさんが「わたしの人間観を一新してくれた本❕」と推薦されていたので読んでみました。
    めちゃくちゃ面白いです。
    「人間は本来、善人です❕」という事実を、様々な研究を紐解き、丁寧に考察しています。
    ぜひぜひ読んでみてください。

  • 問いかけの書 重いです。

    人間の本性を問うもので、過去の様々な狂気の事件に対して、反証をもちいて、実は善良な生物であることを主張しています。

    ネアンデルタール人よりも、劣った人類が、生き残れたのは、より柔和だったから?
    森で穏やかに暮らしていた人類が殺戮を行うようになったのは、定住したから?
    そして、人類にとっての惨事とは国家の誕生であると言い切っています。
    それでもなお、筆者は、人類史を希望の歴史と綴っています。


  • 注目の歴史学者ルトガー・ブレグマンが提唱する、実は「優しい人類」史 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
    https://forbesjapan.com/articles/detail/37337

    『Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章』ルトガー・ブレグマン 野中香方子 | 電子書籍 - 文藝春秋BOOKS
    https://books.bunshun.jp/ud/book/num/1639140700000000000I

  • 【諸悪の根源は穀物か?】
    下巻も読んでから感想を書きます。

    下巻、未入手ですが・・・

  • 上下巻読了。

    現代文明の基調となっているのは「性悪説」である。
    その証左の一つが、約100ヶ国で1980年代から続けられてきた「世界価値観調査」で、「ほぼすべての国で、ほとんどの人は、ほとんどの他人は信用できない」 と答えているという。

    これは、そうした〝常識〟に、大きな「否」を突きつける書である。
    「人間の本質は、善である」との視点に立ち、人類史を「希望の歴史」として描き直そうとする試みなのだ。

    上下巻のボリュームと、「壮大なスケールの思想書」という惹句にひるんでしまうかもしれないが、読んでみればわかりやすくて面白い。

    また、性善説に立つ書ではあるが、けっして「お花畑」な内容ではなく、人類史のダークな側面にもしっかりと目を向けている。

    いまごろ気付いたが、『Humankind 希望の歴史』のカバーに用いられている写真は、以前取材したこともある写真家・高砂淳二さんの有名な一枚だった。
    高砂さんの写真集『PLANET OF WATER』のカバーにもなっている。

  • ルドガー・ブレグマン「希望の歴史(上)」読了。性悪説はホッブスで性善説はルソーとする対比は興味深かった。性善説を支持する著者がミルグラムの実験等に対し矛盾や誤認をつくのは圧巻だった。その二元論は極端だと思うが彼の主張は自他ともに人間不信が蔓延する現代において強く必要とされるだろう。

  • 有名な「スタンフォード監獄実験」や「ミルグラムの電気ショック実験」が提示するセンセーショナルな性悪説は、実は捏造されていたという衝撃。

    人間の本質は善であることを筆者の独自調査で個別テーマを介して明らかにしていく手法で語られる上巻。これはこれで結論ありきで話を自分勝手に色眼鏡通して捉えているし可能性ないか?と疑ってしまうほど通説と真逆の結論を突きつけられる。この爽快感は、なるほど魅力的な。

    題材が有名なものであり、語り口が肩肘張ってないのでスルスルと読み進められる。かといって過不足ない進行で飽きるともなく、文章力の高さも本書の惹きつける魅力の一つだなと。下巻は著者の主張が強調されているようで、期待高まり胸躍る。

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著者プロフィール

1988年生まれ、オランダ出身の歴史家、ジャーナリスト。ユトレヒト大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で歴史学を専攻。これまでに歴史、哲学、経済に関する4冊の著書を出版。その一つ、『進歩の歴史』(History of Progress)は、2013年の最高のノンフィクション作品としてベルギーで表彰されている。

ルトガー・ブレグマンの作品

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