自転車泥棒

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163909257

作品紹介・あらすじ

父の失踪とともに消えた自転車は何処へ――。行方を追い、台湾から戦時下の東南アジアをさまよう。壮大なスケールで描かれる大長編。連作短編集『歩道橋の魔術師』で、日本でも一躍注目された、台湾文学の奇手による2018年度国際ブッカー賞候補作。東山彰良氏激賞!「現代からあの戦争へ。永遠に失われてしまったものをめぐる、これは修復の物語だ」

感想・レビュー・書評

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  • 台湾作家の長編小説。原題は『單車失竊記 The Stolen Bycycle』。古いイタリア映画のタイトルから引いている。

    主人公は、小説家であり、古い自転車のコレクターでもある。
    自転車に興味を持ち始めたのは、父の行方不明が遠因だった。父は20年前に失踪し、乗っていた自転車もともに消えていた。
    台湾のメーカー、「幸福」のもの。
    古い自転車が完全な形で残っている可能性は低いが、彼はその車体番号を覚えていた。
    ある日、彼は信じられないことに、その自転車と時を経て再会することになる。
    本作はその自転車を巡る話を軸に、いくつかの自転車と、何人かの人生、そして幾種かの動物たちの生が交錯する物語である。
    現在と過去。現実と虚構。生と死。
    一家族の歴史に、第二次世界大戦前後の台湾史、その自転車史、動物園史、蝶の工芸史が絡み、万華鏡のような世界が広がる。

    台湾は複雑な歴史的・民族的背景を持つ。日本統治時代、第二次大戦の時代を経て、台湾光復があり、国民党の時代がある。先住民、本省人(第二次大戦以前から台湾に住んでいた者)、外省人(光復以後に移り住んだ者)とさまざまな立場の人がいる。
    本書では、自転車を仲介に、時には自転車とはもはや関係なく、語り手が移り変わり、それぞれの視点からのそれぞれの物語が語られる。

    動物たちに関わる物語も印象的だ。
    かつて非常に人気を博した蝶の貼り絵を作っていた女の子の物語。
    小学校で飼われていたオランウータンの「一郎」のエピソード。
    その賢さと力の強さのために、戦争に使役されたゾウたちの悲劇。

    物語は、長い時代を描くがゆえに、否応なく戦争の話を含む。登場人物の1人はこう言う。
    「戦争には、なつかしいことなどなにひとつありません。でも、こんな年になってしまうと、私たちの世代で覚えているもの、残されているものは全部、戦争のなかにある・・・」「だから戦争に触れなければ、話すことがなくなってしまう」

    人は与えられた場、与えられた時代を生きるしかない。

    訳者はあとがきで、邦題は直訳と言っているのだが、漢字の原題を見ていると「盗まれた自転車の話」を指し、英題では「盗まれた自転車、それ自体」を指しているように思える。対して邦題では「自転車を盗んだ泥棒」が主体に感じられる。
    だがそんな風に、自転車や自転車が盗まれたという事件、そして自転車を盗んだ人へと視点が移り、思いが漂うこともまた、この小説には似つかわしいのかもしれない。
    著者の後記、訳者のあとがきも含めて、味わい深く余韻を残す。

    物語は、美しい情景の中に、どこか深い悲しみを秘める。
    それは生きること自体がもたらす哀しみなのかもしれない。
    現実とも虚構ともつかぬその世界を、幾台もの自転車が疾走する。
    息を乱し、リズミカルにペダルを踏み、汗をにじませる幾人もの乗り手を載せて。

  • 作家自身を思わせる男が台湾の中華商場界隈に生きる日常を描くリアリズム部分と、訳者が「三丁目のマジック・リアリズム」と呼んだ非日常的で不思議な出来事が起きる物語部分とが違和感なく融けあって一つの小説世界を作っている点が呉明益という作家の特長だ。たしかに『歩道橋の魔術師』では、その物語は限定なしでマジック・リアリズムといえるほどのものではなかった。

    それが今回はかなりレベル・アップしている。単なる古道具やがらくたを積み上げた倉庫の通路が洞窟となり、廃屋の地下室にたまった水は異世界と通じる地下の通路となる。松代大本営と同じく空襲を恐れ、地下に設けられた空間に殺処分を命じられた象が隠れて飼育される。土の下に隠された自転車がガジュマルの枝に抱かれて中空に上るなど、どれもこれもマジック部分の規模が大きくなっている。

    落語に三題噺というのがある。客からお題を三つ頂戴し、その場で一つの話に纏め上げるという噺家の腕の見せ所を示す芸の一つだが、その伝で行けば『自転車泥棒』は差し詰め「父の失踪」、「自転車」、「象」の三つの題で語られた三題噺といえるかもしれない。あまりにも三つの主題のからまり具合の造作が目について、リアリズム小説の部分がやや後ろに引っ込んで感じられるくらいだ。

    軸となるのは、盗まれた自転車をめぐる「ぼく」の捜索譚である。「ぼく」の父は中華商場が崩壊した翌日、自転車で出かけてそのまま消えた。働き手である父を失った家族は苦労して今に至る。ところが、ある日失踪当時父が乗っていた自転車が「ぼく」の目の前に現れる。部品は変えられていたが車体番号が同じだった。「ぼく」は、時間をかけて関係者に近づき、自転車の来歴を探る。おそらくその果てに父にたどり着けるにちがいないと考えて。

    呉明益自身がかなりの自転車マニアらしい。それも、古い自転車を「レスキュー」し制作当時の姿にする自転車コレクターなのだ。作家は小説における虚と実の割合は七対三くらいがいいと考えているという。その三の一つに今回は自転車が使われている。以前に発表した作品の中で中山堂で自転車を乗り捨てる話を書いたところ、読者から「あの自転車はその後どうなったのか」というメールが届く。

    小説は小説であり、その中で終わっていると答えてもいいのだが、作家は読者と同じ世界に入って考えてみた。その解答が、この盗まれた自転車をめぐる小説である。台湾のエスニック・グループをめぐる小説であり、日本に支配されていた時代と現在の因果を巡る小説である。それは必然的に、日本によって統治されていた時代、日本や台湾その他の民族がどのような目にあわされたかという話に及ぶ。

    「ぼく」は狂言回しの役に徹し、多くの登場人物が過去の物語を伝える。それは直接語られることは稀で、カセット・テープに残された音源のテープ起こしされた原稿であったり、小説であったり、時には象を話者として語られたりもする。手紙やメール、小説という形式の昔語り、と多彩な表現形式が駆使されているのも特徴だ。ある意味で、これは失踪した父の手がかりを求める「ぼく」という探偵の捜査を綴ったミステリとも読める。

    ただし、そこに明らかにされているのは父の個人情報ではない。大量死を遂げた日本兵の成仏できない魂が、傷を負った半ばヒト、半ばは魚となって水の中で群れる姿。その賢さと強さのせいで、荷駄を背負って戦場を行く道具として使役される象と象使いの心のつながり。自転車に乗ってジャングルを疾駆する「銀輪部隊」等々、戦時中の台湾やビルマに生きた人々のあまり知られることのなかった生の記録である。

    過去を語る物語だけがこの小説の主役ではない。「ぼく」が自転車について調べ始めるにつれて芋づる式に巡り会う個性的な人々のことを忘れてはいけない。インターネットを通じて古物商を営むアブーがそもそものはじまりだ。アブーから自転車のダイナモを買った「ぼく」は直接会うことになり「洞窟」のような倉庫に足を踏み入れる。それから交友が始まり「ぼく」の探してる「幸福」印自転車の情報がアブーからもたらされる。

    コレクターのナツさんが喫茶店に貸し出した自転車の持主は別にいた。「ぼく」は喫茶店に何度も出かけアッバスという戦場カメラマンと出会う。自転車はアッバスは昔の恋人アニーが見つけてきたものだという。カセットテープの声はアッバスの父のものだ。この小説は主人公も舞台も異なる十の短篇を自転車という主題でつないだ連作短編集としても読める。それぞれの篇と篇は「ノート」という、自転車に関する歴史や「ぼく」の家族の歴史を語る部分でつながれている。

    単なる短篇集ではなく連作短篇集だというのは、一つ一つの章が巧妙に関係づけられ、過去と現在を自在に往還し、見知らぬ同士を手紙やメールを通じて結びつけ、果てはビルマの森で敵同士であった象を扱う兵士をすれちがいさせ、長い時間をかけて音信のなかった父との出会いを経験させるという、上出来のドラマを見ているような気にさせるからだ。なお、訳者の天野健太郎氏は昨年十一月、四十七歳の若さで病没された。ご冥福をお祈りする。

    • スミソニアンさん
      『歩道橋の魔術師』はかなり前に読んで記憶がおぼろげなのですが
      99階のエレベーターや
      不思議な猫?と話をするテーラー、仕立て屋など
      【中華商...
      『歩道橋の魔術師』はかなり前に読んで記憶がおぼろげなのですが
      99階のエレベーターや
      不思議な猫?と話をするテーラー、仕立て屋など
      【中華商場】では本当に起こりうるんじゃないかと楽しく読んだ記憶があります。

      太台本屋というブログに
      呉明益さんの天野健太郎さんへの想いが
      綴られていますのでもしよろしかったら
      ご覧ください
      (2018/11/24日のエントリーです。)
      題名は 呉明益さんから、天野健太郎さんに贈られた言葉 です。

      2019/01/13
    • abraxasさん
      やはりすでにお読みだったのですね。当然そう考えるべきでした。

      太台本屋のブログ読みました。
      呉明益さんと天野健太郎さんの関係を知るこ...
      やはりすでにお読みだったのですね。当然そう考えるべきでした。

      太台本屋のブログ読みました。
      呉明益さんと天野健太郎さんの関係を知ることができてうれしかった。
      それにしても、翻訳者という仕事の凄さに驚きを感じます。ここまでやるのか、と。
      呉明益氏は、これから誰を新しい翻訳者にされるのでしょう。こうまで深い関係は二度とありえないと思われます。
      あらためて天野氏の冥福をお祈りしたいと思います。
      貴重な情報をありがとうございました。
      2019/01/13
    • スミソニアンさん
      いえいえ。こちらこそありがとうございました。

      『1367』で天野健太郎さんの存在を知ってから華文ミステリーについて読み進めはじめた矢先だ...
      いえいえ。こちらこそありがとうございました。

      『1367』で天野健太郎さんの存在を知ってから華文ミステリーについて読み進めはじめた矢先だったので残念ですが

      まだまだ、優秀な翻訳家さんなどはいらっしゃると思うので
      楽しみに待ちたいと思います。
      2019/01/14
  • 個人的に最近読んだ小説の中で一番のヒットでした。台湾の歴史を骨子としたリアリティある話の上に、魔法のような描写が乗ってくるので、ガルシアマルケスや莫言あたりのマジックレアリズム好きには堪らないのではないかと思います。

    自転車のディティールの描写も良いですね。時代に応じた自転車の仕様の変化も描かれており、世の中がどう変化してきたのかと、それに伴い自転車の役割や位置付けがどう変化してきたのかが分かるのが楽しいです。

  • かなり複雑なので一読しただけでは理解が難しいですが

    台湾の空気感がよく表れてると思います。

    著者の言葉を借りるなら
    10本の柱のうち3本が実で7本が虚

    3本の実の方が少ないじゃないかとか
    割合がおかしいじゃないかとか

    そういうのはどうでもよくて
    何が実で何が虚かの
    割り振りの方が面白い。
    そっちが虚かーいと。


    そういう事が台湾では起こりうる。
    (ラオゾウじいさんにつれてかれてシュノーケリングしたら人魚姫?竜宮城を見た)など

    • abraxasさん
      スミソニアンさん、コメントありがとうございます。
      本当ならそれだけで一篇の小説ができるくらいの、あまりにも多くの細部が詰め込まれていて、収...
      スミソニアンさん、コメントありがとうございます。
      本当ならそれだけで一篇の小説ができるくらいの、あまりにも多くの細部が詰め込まれていて、収集がつかない感じを与えてしまうのでしょうね。
      これだけのネタを一作にしてしまうのは、もったいないような気もします。
      まあ、それが「マジック・リアリズム」という評価を受ける部分でもあるのでしょう。
      『歩道橋の魔術師』はもう読まれましたか?こちらもお勧めです。
      コメントが返ってくるのはうれしいものです。これからもよろしくお願いします。
      2019/01/13
  • 心揺さぶられる素晴らしい作品でした。
    「歩道橋の魔術師」に続く、呉明益さんの作品。
    自転車をめぐる、戦争や家族や東南アジアのジャングルにまで及ぶ壮大なストーリー。
    まさに訳者・天野健太郎さんの言葉、
    「読前の想像をはるかに越えて、ぶ厚く脳天を打ちのめしてくれる。」
    に尽きます。
    「歩道橋の魔術師」とつながるところもあり、ドキドキしました。

    台北の中で私の大好きな癒しスポットである北投が作品の中に出てきたときは、あの穏やかな風景と温泉源泉の熱気と硫黄のにおいを思い出して泣けました。

  • 1台の自転車の記憶から、100年に渡る家族の歴史、台湾における自転車の歴史、第二次大戦史、蝶加工史、動物園史…と時代も場所も遠く広がり、そしてまた1台の自転車の記憶へと収束する…。
    台湾が舞台だが日本の歴史とも関わりが深い。転変する自転車の記憶の中には、自分の祖父も居たという戦時中のビルマの光景もあり…。どこか、身近さも感じた

    「ぼく」の元に戻った自転車は、関わった過去によって彩られるようにパーツが交換され錆がかかっている。「ぼく」は元々の自転車パーツを揃え直し、錆を落としてレストアした自転車を空漕ぎする。
    過去、様々な人の歴史を見てきた自転車のタイヤは運命の糸車のようなものとしての存在であり、レストアされた自転車は「ぼく」達家族の過去を映す幻燈に変わったのでは、と思う

    多数の物語と注釈で読みにくさや混乱もあるが、その分何度も読み返したい


  • 描写が凄く良い。たとえも。
    第二次大戦中の日本軍を、台湾人の記憶を通じて知る、楽しい。

  • 不思議な物語だった。
    一台の盗まれた自転車を巡る壮大な物語。




    オランウータン
    戦争の記憶。
    全てが自転車で繋がる。
    現実と夢の狭間で語られる物語。
    ゆっくりじっくり読んだ。

  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
    http://carin.shotoku.ac.jp/scripts/mgwms32.dll?MGWLPN=CARIN&wlapp=CARIN&WEBOPAC=LINK&ID=BB00611494

    父の失踪とともに消えた自転車は何処へ――。行方を追い、台湾から戦時下の東南アジアをさまよう。壮大なスケールで描かれる大長編。
    連作短編集『歩道橋の魔術師』で、日本でも一躍注目された、台湾文学の奇手による
    2018年度国際ブッカー賞候補作。(出版社HPより)

  • 古いものにはすべて物語がある。
    その物語には、
    消えてしまったものやことやひとが、
    今も生きている。

    蝶翅の貼り絵と自転車
    オラウータンと自転車
    象と自転車
    戦争と自転車
    人の出会い、別れと自転車

    まるで、ものを言わない自転車が、かかわった人の物語を語りだすような、不思議さ。

    理屈で考えてはいけない。
    登場人物の歳を数えてはいけない。
    そもそも、創作話なのか実録なのかすら考えてはいけない。
    もともとこれは「小説」なのだから。

    読み進めると、
    そんな不思議さの中に人の運命に似た郷愁が漂ってくる。

    ゆっくり、じっくり、
    かみしめて、よむ……。

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著者プロフィール

1971年台北生まれ、小説家、エッセイスト。輔仁大学マスメディア学部卒業、国立中央大学中国文学部で博士号取得後、現在、国立東華大学華語文学部教授。90年代初頭から創作を行い、短篇小説集『本日公休』(97年)で作家デビュー。2007年、初の長篇小説『睡眠的航線』(本書)を発表し、『亜州週刊』年間十大小説に選出された。以降、80年代の台北の中華商場を舞台とした短篇小説集『歩道橋の魔術師』(白水社)やSF長篇小説『複眼人』(KADOKAWA)、激動の台湾百年史を一台の自転車をめぐる記憶に凝縮した長篇小説『自転車泥棒』(文藝春秋)など、歴史とファンタジーを融合させたユニークな作品を次々と発表している。国内では全国学生文学賞、聯合報文学小説新人賞、梁実秋文学賞、中央日報文学賞、台北文学賞、台湾文学長篇小説賞、台北国際ブックフェア大賞などを相次いで受賞、海外では『複眼人』がフランスの島嶼文学賞を獲得、『自転車泥棒』が国際ブッカー賞の候補にノミネートされるなど、その作品は世界的に評価され、日本語、英語、フランス語、チェコ語、トルコ語など、数ヶ国語に翻訳されている。

「2021年 『眠りの航路』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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