うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163908939

作品紹介・あらすじ

空前の藤井フィーバーに沸く将棋界、突然の休場を余儀なくされた羽生世代の棋士。うつ病回復末期の〝患者〟がリハビリを兼ねて綴った世にも珍しい手記

〈このたび、先崎学九段(47歳)が一身上の都合により2017年9月1日~2018年3月31日まで休場することになりました。〉
2017年8月10日、日本将棋連盟のホームページにこんな告知が掲載されました。折しも藤井聡太四段がデビュー29連勝を成し遂げたばかり。空前の将棋ブームが到来していた最中に、羽生世代のひとりとして将棋界を牽引してきた先崎学九段が突然の休場を発表したのです。

詳しい理由が説明されなかったため様々な憶測がかわされましたが、先崎九段は実はうつ病とたたかっていたのです。本書は、エッセイの書き手としても知られる著者が自らの病の発症から回復までを綴る、心揺さぶられる手記です。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    本書『うつ病九段』は、将棋のプロ棋士である先崎九段がうつ病回復末期のときに、リハビリも兼ねて書いた本である。まだ完治してないのに、過去の辛い記憶を掘り起こしつつ筆を執った一冊なのだ。

    先崎九段がうつ病を発症したのは2017年。当時の将棋界は、三浦九段の将棋ソフト不正使用疑惑騒動で混乱が起こっていた。かつ、先崎九段自身は「三月のライオン」の映画の監修に追われており、公私ともに多忙だったという。そんな中で急に体調が悪化しうつ病の診断が下ったのだが、忙しさがうつに直結していたかは、本人いわく「わからない」とのこと。うつ病は心の病気だと思われているが、実際は脳(身体)の病気であり、ストレス以外にも発症する要因はある。直接的なきっかけは結局不明のままだった。

    棋士は頭を使う仕事なのだから、当然、脳の病気にかかってしまえば対局などできるわけがない。それどころか、簡単な本(漫画)すら内容が理解できず、四コマ漫画やポルノで精いっぱいだったらしい。回復期には七手詰の詰将棋の本でリハビリを試みようとしたのだが、それでも全く解けず、泣きながら五手詰の本を手に取ったという。プロ棋士が七手詰すら解けなくなってしまっては、もはや復帰なんて絶望的だと思ってしまいそうだ。

    先崎九段が幸運だったのは、周囲の人々に恵まれたことだろう。将棋連盟会長の佐藤康光、理事の鈴木大介、研究会仲間であり後輩の中村太地など、数々の人が先崎九段を思いやり、お見舞いに来たりリハビリ対局をしてくれたりした。うつ病を完治するだけではなく、実力を損なわないまま復帰できたのも、こうした周りの人の支えが一因であったに違いない。

    先崎九段いわく、「良くなってくると、退屈を感じる」らしい。悪いときは常に最悪の方向に考えが向いてしまう。どのように死のうかをずっと考え続け、退屈を感じる余裕もない。頭には終始もやがかかっており、自分の体調を冷静に見つめることができない。とにかく「疲れた」という感覚がまとわりつき、嬉しい、悲しい、腹立たしいといった感情すら感じなくなるらしい。

    うつ病というのは、先崎九段の兄に言わせれば「当事者以外には理解できない病気」である。身体を動かしたくても動かすことができなかったり、簡単な決断も下せなかったり、感情そのものが消失したりと、かかったことがない者からしてみれば理解が及ばない病気である。だが、先崎九段はさすがプロ棋士というべきか、うつ病のときの様子や感情をかなり鮮明に描き、読者に「こういう体験をした」とわかりやすく伝えてくれている。うつの間は普通、思考が回らないのだから、エッセイ形式で言語化してくれているのはかなり貴重である。うつ病への理解を深める意味でも、非常に優れた一冊だと思った。
    ―――――――――――――――――――――――――

    【メモ】
    ・頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、死のイメージが駆け巡る。私の場合、高い所から飛び降りるとか、電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。まさにその通りであった。

    ・健康な人間は生きるために最善を選ぶが、うつ病の人間は時として、死ぬために瞬間的に最善を選ぶ。苦しみから逃げるためではない(少しあるかもしれない)。脳からの信号のようなもので発作的に実行に移すのではないだろうか。

    ・考えがどんどん弱気になるのだ。もう自分なんか駄目だ、終わりだ、といううつ状態ならではの弱気な考えと、自分には将棋しかないんだ、必ずまたあの世界に戻るんだ、というわずかに残った気力での考えが頭の中でぶつかって、そのたびに疲れて暗黒の世界に沈んでゆくという思考パターンの繰り返しだった。と書くと忙しく考えているように思われるかもしれないが、一時間のうち、五十分くらいは闇の中にいた。うつの深くて白黒の世界の中に。一日中頭が重く体全体がだるい。しかも思考力が極限まで落ちている。自分で休場する期間を決めるというのは、どだい無理なのである。前にも書いたが決断ができなくなる(それも極度に)こと自体がうつの症状なのだ。

    ・九手詰から十三手詰の詰将棋が百問入った問題集だった。どんなレベルかというと、以前の私なら三十分で全問解く本である。ところが。全然詰まなかった。はじめの一問がまず解けないのだ。十分も考えると頭が痛くなってしまう。私は私自身が信じられなかった。数学の教授が小学校の算数も分からないようなものである。
    私が解こうとしたのは、アマチュア向けの本であり、実に類型的な七手詰だった。口惜しかった。自分をこんな目にあわせたうつ病が憎かった。うつ病患者としてあるまじきことをあえて書けば、死ぬより辛かった。入院中ですら食欲が衰えることがなかった私が、その夜だけはまったく食事が喉を通らなかった。もう駄目だと思ったが、同時にある事実に気がついた。うつ病になって以来、ひとつの物事にこれほどまでに集中したのははじめてだということに......。私は泣きながら五手詰の本をナップザックに入れた。

    ・パソコンを開かずとも、同じような気持ちになることがたまにあった。家にいると(だいたい夕方が多かった)突然になぜ自分は休場なんかしているんだと頭にきだして、わめき出すのである。ふざけんな、ふざけんな、みんないい思いしやがって。畜生、畜生。だいたい五分くらいそんな感じが続き、妻は台所へ逃げ、子供は二階に上がった。心の底からの感情なので、こらえることができない。たぶん意欲や元気がすこしだけ戻ってきて、かえって現実が見えだしたのだ。

    ・本物のうつ病の症状を当事者としてひと言でいうと無反応だ。喜びにも悲しみにも反応がなくなってしまう。はじめは悲しいとか辛いとかで単なる「うつ状態」なだけかもしれないが、病気となり一線を超えるとあらゆる感受性が消えてしまう。それは人間の生理学的反応なのだろうが、もっと動物的なものだと思う。人間の進化した脳といえども、所詮は類人猿の一器官に過ぎないのである。

    ・「人間というのは自分の理性でわからない物事に直面すると、自然と遠ざかるようになっているんだ。うつ病というのはまさにそれだ。何が苦しいのか、まわりはまったくわからない。いくら病気についての知識が普及したところで、どこまでいっても当事者以外には理解できない病気なんだよ。学はよくわかるだろう」

  • なるほどそういう状況だったのかー!

    将棋のプロ棋士である先崎学九段が一昨年、一身上の都合で約半年間の休場が掲示された時は意外な感じがあったものでしたが、まさかうつ病のためだったとは!
    先崎学九段といえば米長永世棋聖門下で、いわゆる羽生世代の一員としてかなり若いころから活躍しており、以前は週刊文春でエッセイを長らく連載していたほど文才もある多芸な方です。
    棋士ということで(!)まあ個性は強い方だと思いますので(笑)好き嫌いは分かれるところかもしれないですが、将棋解説の語り口も面白くどちらかというと私は好きな方だったかな。
    多才な方だけにひょっとすると半年間、別の仕事にと割り切ったのかなとも思いましたが、まあうつ病になられたのなら仕方がないことですね。

    本書はそのうつ病を発症してから棋戦に復帰するまでの苦悶の毎日を赤裸々に綴ったものになっています。
    著者はエッセイに長けた人だけに、病気の様相と日々の苦悩が分かりやすく伝わってきて、読み物としてはまあ面白かったです。
    うつ病の入院は自殺防止のためだとか、うつ病の回復期は散歩を奨励されるとか、うつ病は脳の回復機能によって治るとか、一日の中で気分の上がり下がりが激しいとか、病気については知らないことだらけでしたのでいろいろと勉強にもなりました。
    社会復帰をするだけでも大変だと思うのに、長時間脳みそを酷使する棋戦に復帰するのは並大抵な努力ではなかったと思います。
    今期は順位戦C級1組ということですが、羽生世代の時代が一区切りしそうな感じがある現在、少しでも長く重鎮として踏みとどまってもらいたいですね。

  • プロ棋士「先崎学」が、羽海野チカの『3月のライオン』の将棋監修で多忙を極める中、突然鬱になる。

    そこから1年あまりの鬱から回復するまでを赤裸々に描きだしたもの。
    書かれたのは、ほぼ回復し、将棋界に復帰しようとしている寸前。

    まだ、不完全な状態だったと思うけれど、だからこそ、鬱の姿を良く感じられた状態で、「鬱の気分」ではなく、「リアルな鬱」が描きだされる。

    名エッセイストだけあって、文章がリズムよく、さらさら読める。
    だけど、深いことがさりげなくちらちらと書いてある。

    本人が、何もない1年間だったという。
    確かにそうかもしれないが、ここには生きることの意味、人生の意味など、裏返しかもしれないが色々な要素が含まれている。

    お兄さんが精神科医、コンディションの良い慶応病院に入院し、周りも慕ってサポートしてくれている。
    それでも、先崎さん本人は孤独感しか感じていなかった。
    皆が自分のことを重要視していないのでは、自分に自信がなくなる。

    お兄さんの言う「鬱は脳の病気、心の病気だはない」というフレーズが印象に残った。
    身体的な病気だからこそ、精神論では治らない。

    誰でも鬱になり得る、
    そして、本人はコントロールができない。

    とにかく自殺しない事。これが最優先。
    寝て、「必ず治る」と信じる。
    周りがどこまでこの状況を保てるか。
    サポートできるか。

    当事者だからこそ書けるリアリティ満載の書。

  • ブクログが私にお勧めしてくれた本。

    うつ病が珍しい病気でなくなっているが、この本で初めて知る事ばかりだった。
    心の病気ではなく脳の病気。身体が鉛のように重く動かない。何か行動するのに決められない、勇気が出ない。などなど…
    私は声が大きいし、大きな声で笑ってしまうから…接する事があったら気をつけようと思った。

    うつ病は治る。

  • パート仲間から借り読了。
    うつ病ってこんなにも苦しい病気だったんだ。
    心の病気じゃなく脳の病気。
    何もする気がなくなるとか、そんな生易しいもんじゃない。死がすぐ近くにあって、それが近づいてくるような…

    著者のお兄さんの
    うつ病は死ななければ必ず治る
    という言葉は響いた。自分や近しい人がうつ病になった時の心構えができた気がした。

    将棋界の事にも少し触れられた。

  • 目次も無いので最初から、そのまま読んだ。
    棋士である先崎学氏の2017年7月末から翌年6月の復帰までの闘病記。
    うつ病は身内にはいないけど会社の同僚や元部下にいた。
    自分も、もしかしたら掛かりそうなとば口に居たんじゃないかという段階にいたことがある。
    後から考えれば自分でそう思っているだけだが、当時は出口の無いタスクに悩み、それが一日中頭から離れなかった。
    グルグル悩んで気分は落ち込み、道行く人一人一人が自分より幸せなんだろうなあと思いながら過ごしていた。
    救いは格闘技の稽古と、その後の飲み会。全てを忘れることが出来た。
    月曜日から金曜日まで精神的に水の底に居てアップアップしている状態が土曜日だけは息が出来る、そんな感じ。
    幸いにも会社の健康管理センターに行きカウンセリングを受けて徐々に持ち直した。
    そんな体験が本当のうつ病に比べれば、なんと甘いモノかと認識できた本。
    まあでも先崎学だから復帰できたのかもしれない。
    家族は大変だっただろうな。

    本文中に、本物のうつ病のことをきちんと書いた本は実は少ない。
    そういう意味でも珍しい本。
    締めくくりは中学の頃のいじめの話。
    将棋との関わりの中で生きてきた自分の誇りを取り戻す話には思わず泣けてしまった。

  • うつ病を患った棋士の発症から回復までを自ら綴った手記。
    途中の経過よりも、エンディングで語られた学童期以降のいじめや社会の厳しさを感じさせられた環境のエピソードが心に残った。
    同い年なので、同じ時間を、こういう時間の過ごし方をされた方がいたということを知れてよかった。
    与えられた命という時間を、大切に、味わって生きたい。

  • 追記:2021年1月3日
    NHKのドラマを見る。安田さんの演技、よし。まだ、私の病状は一進一退だが、こみあげるものあり。

    ****
    私はうつ病です。ここまで自分のことを的確に書いてくれている本に初めて出会いました。泣けて泣けて仕方ありません。将棋も好きです。著者と同世代です。『3月のライオン』の主人公は著者そのものなんですね。

    ・究極的にいえば、精神科医というのは患者を自殺させないというためだけにいるんだ
    ・将棋は、弱者、マイノリティーのためにあるゲームだと信じて生きてきた。

  • 「つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。まさにその通りであった」

    プロ将棋棋士の先崎学が、うつ病にかかり、そこから復帰して、再度プロとしての将棋が打てるようになるまでを自ら綴ったものである。
    先崎学は西原理恵が麻雀に明け暮れていたいたころに、彼女の漫画の中に麻雀を打つプロ棋士として登場していたので、妙な親近感があるのだが、こんなことになっていたとはまったく知らなかった。

    うつ病は脳の病気だというが、その苦しみが伝わってくる本である。

    プロ棋士であるということが、ほとんど将棋が打てなくなったころには彼の絶望の種にもなったが、同時に回復への希望でもあった。実兄が精神科医であったことも幸運なことではあった。うつ病が回復可能な病気であることがわかるのはよいことである。

    誰もが、うつ病にかかる可能性はあるのだ。自分も例外ではないはずだ。そして、そこからの回復も周りのサポートによってまた多くの人が可能であることを知ることは、身近な人がそうなったとき、そして自分がそうなったときにとても重要な鍵になるはずだ。

  • 回復期の辛さ、感情の揺れ、将棋を取り戻していく過程など、シンプルな言葉で綴られる。読めて本当に良かった。必ず安定する、というお兄さん医師の言葉が響く。七手詰と格闘し、五手詰を池のほとりで解く様子に涙した。

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著者プロフィール

先崎 学(せんざき まなぶ)
1970年、青森県生まれの将棋棋士。九段。
エッセイストの側面もあり、多くの雑誌でエッセイ・コラムを持つ。羽海野チカの将棋マンガ『3月のライオン』の監修を務め、単行本にコラムを寄せている。
著書多数。代表作に『フフフの歩』、『先崎学の浮いたり沈んだり』、『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』など。

先崎学の作品

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