- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163907611
作品紹介・あらすじ
作家・藤沢周平が亡くなって二十年。娘・遠藤展子さんの手元には、父の手帳、計4冊が遺されていた。そのなかには、展子さんが生まれた昭和38年から、直木賞を受賞し、作家生活に踏み出した昭和51年までの苦悩と格闘の日々が克明につづられていた。展子さん誕生の8か月後、28歳で先妻悦子さんが病死。当時から小説の情熱やみがたく、執筆、投稿生活を送っていたが、「作家・藤沢周平」は夫婦の夢でもあったのだ。小説を書かねばならないーー。絶望のなかで、藤沢周平は何度も決意を書き記す。幼い娘の育児と仕事を両立させていたギリギリの生活。再婚、新人賞受賞、いよいよ小説家への一筋の光が見えてくる。そこから直木賞受賞までの煩悶、作品、生活に対する厳しい自己批評・・・、愛娘がその苦闘の記録を読みとく。「蟬しぐれ」「たそがれ清兵衛」など、哀感あふれる作風で知られる作家のデビュー前からの変わらぬ姿勢が伝わってくる一冊である。
感想・レビュー・書評
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藤沢周平研究という分野がもしあるとするならば、この本はおそらく最初に挙げるべき第一次資料になると思う。何故ならば、藤沢周平を最も藤沢周平たらしめた「あの」時期に書かれた日記の評論だからである。最初の妻悦子さんの亡くなった後の「鬱屈」の具体的な姿が明らかになっている。没後20年経って、やっと娘の展子さんが発表した。
藤沢周平は、業界新聞の仕事をしながら小説の投稿を繰り返していた。そんな時、0歳の娘を遺して最愛の妻がガンで亡くなる。後にエッセイに「人に言えない鬱屈」が、自分に小説を書かせたのだと告白している。しかし「言えない」中身は何だったのか、ずっと想像するしかなかった。初期作品の『闇の梯子』などで、妻の病のために闇に堕ちていく話を読んでしまうと、私などは何か悪いことに手を染めそうになったのではないかと心配していた。悦子さんが亡くなる2カ月前の日記「5月に手術したばかりなので悦子可哀想だ。夕方何も知らぬ展子と一緒に帰ってきた。空虚な部屋。帰ったら7時で、一本のませ湯につかわせたら間もなく眠った。悦子も可哀想、展子も可哀想。なんとか切り抜けよう。全力をつくして。悦子が脱ぎ捨てていったものをみると涙が出る」(31p)ホントに展子さんが居たから自殺を思い止まったところがある。そして、小説への情熱があったから、その中に「鬱屈」を塗りこめることができたから、生きていけたのかもしれない。カネのためではなかった。
ガンの新薬を買うために危ない橋を渡ったのかとも思っていた。エッセイに「特効薬は高価で心ぼそい思いをした」と書いていたし。しかし、展子さんの解説では、単に最初から効き目の少ない薬を買った絶望感と一筋の希望があったということらしい。
仕事と小説と、何と言っても子育ての両立は、ここで具体的に展開されている。大変だったのだ。ホントに大変だったのだ。どうしてあんな名作を書けたのか、不思議でならない。さすがに、1番手間のかかる展子さんが2ー5歳までの約4年間は、一作も書けていない。再婚をして、「鬱屈」を客観視できるようになって初めて、オール讀物新人賞受賞、2年後直木賞受賞になる。
業界新聞時代の知人・日ハム社長の自伝を書いたはずなのに、どうして出版されないのか、ずっと疑問に思っていたが、どうやら社長の道楽?だったようで、出版もされなければ原稿も紛失しているらしい。やっと諦めることができる。
ここでは、初期の作品群が、どのような経緯で書かれたのか、完成までにどう変化したかが、興味深く書かれていた。その意味でも貴重な資料だ。
キチンと研究するためには、日記の全貌を知りたいところだ。親族としては、ちょっと公にできない部分もあったのかもしれない。藤沢周平全集の追加編集が待たれるところである。
思いもかけない良書だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
読んで良かった!かつて貪るように読んでいた藤沢作品の数々。あの琴線に響くような時代物を量産し得たのは大変なことだろうと思っていたので、この本で著者の人となりが知れて腑に落ちた。69歳で亡くなって20年後に娘さんが残された日記を紹介しながら静かな解説で補足していくスタイルなので とても分かりやすい。とても素直な藤沢周平伝でした♪ それにしても小説家稼業とは大変な仕事ですねぇ! そんな因果な仕事に真摯に取り組む姿勢はやはり流石です。
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「新聞広告で見かけ、気になった書籍を求めて本屋をさまよう。」
これぞ一時帰国中の贅沢のひとつとして敢行、実際には独力で見つけられなくて店員さんに尋ねたわけであるが、またその見つけ方が瞬速で惚れ惚れとしてしまった。あー、最近見かけていなかったタイプの「プロの技に魅せられる」瞬間。
読み進めるうちに自身の「周平度」がかなり低いことが悔やまれてしまった。実の娘によって語られる「父の作品は世に出るまでに頻繁に改題されました」の下りは、やはりその最終作品名を知っていてこそ楽しめる部分。
ということでもう少し周平度を高めてからまた戻ってこようと固く決意。 -
【没後二十年――苦闘の足跡を追う】娘の誕生、伴侶の死――そこからいかに「藤沢周平」となったのか。遺された手帳から、直木賞作家となるまでの苦闘を愛娘が読みとく。