清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実 (Sports Graphic Number Books)

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163905785

作品紹介・あらすじ

PL学園時代の清原和博が甲子園で放った通算13本塁打は、今後破られることがないであろう不滅の記録だろう。この13本は、ただの記録として残っているわけではない。甲子園の怪物に出会い、打たれた球児たちは、あの瞬間の”記憶”とともに、その後の歳月を歩んできた――。 今年6月、清原和博は覚せい剤取締り法違反で有罪が確定した。甲子園歴史館からは清原和博の痕跡が消え、踏み入れてはいけない領域に手を染めてしまったヒーローの名前は世間の表舞台から消えていった。そんな中、甲子園で13本塁打を浴びたライバル全員が、30年以上の時を経て、あえて今、静かに口を開いた。これは、18歳の清原と49歳の清原への、打たれた者たちからの”30年越しの告白”である。13本のホームランが生んだ真実が、ここに蘇る。【甲子園の怪物に敗れた男たちの”30年越しの告白”】「あの決勝戦までフォークが落ちなかったことはなかった。今、思えば、打たれる運命だったとしか思えない」(横浜商 投手 三浦将明)「ケタが違いましたよね。打球の速さも、飛距離も。あれだけのものを見せられたら……」(砂川北 投手 辰橋英男)「ピッチャーライナーだと思ったんですよ。でも、その打球がバックスクリーンを直撃しえいた。後にも先にも、あんなの初めてです」(京都西 投手 真鍋知尚)「甲子園にいい打者が出てくるたびに見にいきました。でも、清原以上の打者はいなかった。最初は打たれたことの恥ずかしさもあった。でも、今は私の人生の中の大事なものです」(京都西 投手 関貴博)「錯覚なのかもわからないのですが、打った瞬間、バットの上にボールが乗っている感じがしたんです。すごく、ゆっくりというか。そういう感覚になったのは初めてでした」(享栄 投手 稲葉太)「右中間にホームランを打つ姿を見ると『これが清原だよな』って思えました。それがうれしかった」(享栄 投手 村田忍)「なんでですかね。打たれた場面なのに、清原のホームランだけは見たいと思ったむしろ、一番見たくなかったのは歩かせたシーンなんです」(浜松商 投手 浜崎淳)「あいつ、笑っていたんですよ。『あそこまで飛ばすんか?』って言っているようでした。あの顔を見て、あいつも悔いはないということがわかりました。相手が清原で、すべてをぶつけることができましたから」(高知商 投手 岡村英人)「甲子園で清原に会っていなかったら、高校を卒業して野球を辞めていました。事故の後も野球を続けていなかったと思います。ホント、感謝しとるんです」(甲西 投手 金岡康宏)「清原と対戦できたというのは、僕のような投手にとって宝なんですよ頭の先からつま先まで震える体験というのは、人生であの時だけですから」(宇部商 投手 古谷友宏)「あの決勝は一生、引きずっていく。悔いが消えることはないです。振り返ると、僕はずっと清原を見てきたんだなあ、と思います。30年経っても、そういう気持ちにさせてくれるのは、あいつしかいない」(宇部商 投手 田上昌徳)

感想・レビュー・書評

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  • 「多くの人が、電波と画面上の文字を駆使して他者と繋がろうとする現代において、彼らは18.44mの記憶だけで今も繋がっている」
    ー鈴木忠平氏によるあとがきの一節ー

    清原和博は高校生時代、甲子園で13本のホームランを放っている。これがどれだけ現実離れした記録であることか。まず、甲子園に足を踏み入れることそのものが大半の高校球児には夢なのだから。この本は、清原が放った13本のホームランを打たれたピッチャーに、清原が犯罪に手を染めたその後にインタビューをしているもの。もはや清原を語る者はいなくなってしまったかに思われた。しかし、彼が野球界の中心で生きている時に、彼に夢を抱いた者たちは、そんないまでも彼に夢を見続けている。彼にホームランを打たれたピッチャーたちは、まさにその夢を、一番現実に近いところで見ているのだ。ホームランを打たれたピッチャーたちは、今はそれぞれの人生を送っている。清原に夢を壊された者もいる。人生が大きく傾いてしまった者もいる。清原との野球を通じた出会いというのは、それほどまでに大きい。しかし、その誰一人として、清原に打たれたホームランが悪いものとなっていないことが驚きであり、また同時に当然のこととも思える。清原和博というのは、打席に立ち、投手と対峙するたびに、「作られて」いった幻想なのだ。高校で怪物になり、プロになってもなお、その幻想は作られ続けた。野茂との対決。伊良部との対決。プロの一流であればあるほど、清原和博という幻想に真正面から立ち向かった。勝負を避けたピッチャーに対して、清原は本気で怒りを見せた。それは清原自身が野球という勝負のときを心底愛しているが故であった。清原は犯罪に手を染めるような人間ではない、と信じる。恐らく、バッターボックスに立つ彼に魅せられた者は誰しもそう信じるだろう。しかし彼は確かに犯罪に手を染めてしまった。いや、これすらも実は幻想なのだ。清原和博は今こそ、その幻想から現実に立ち戻るときだ。現実に立ち戻ったとき、いよいよ彼にホームランを打たれたピッチャーたちが、本当の意味で清原和博に対峙できるのではないか。ぼくが野球を知ったときに、野球界の中心にいたのは清原和博だった。今もなお、ぼくの拙い野球人生は清原とともにある。ぼくもまた、清原和博という幻想に浸りきり、清原和博という現実を待ち焦がれているひとりの野球小僧なのだ。

  • スポーツグラフィック「Number」による
    清原救済策第2段(だと勝手に思ってます)
    甲子園で清原にホームランを打たれた13人の
    対戦相手にインタビュー。
    この本の帯の「清原よ、戻ってこい。」
    これが掲載された当時のNumberの表紙コピー
    「清原和博に捧ぐ」、編集後記のコメント。
    Numberから清原への愛である。

  • 犯した罪は消えないけど、残してきた功績も色あせることはない。そんな「罪と功」というコントラストを清原さんの人生から感じた。清原さんは覚醒剤を使ってしまたけれど、野球ファンを虜にしてくれるような数々のドラマを創ってきた。そのドラマに隠された秘話が本書では明かされており、何度もあつい思いが溢れてきた。

  • 清原は僕より一つ下だ。KKコンビが甲子園を沸かしていたのはほぼ同世代のこととしてリアルタイムに感じていた。ここで紹介されている清原に打たれたピッチャーたちも、今ではほぼ僕と同世代のオッサンになっている。みなそれぞれに重みを持って人生を歩んでいる。高校時代に同じ経験をした男たちの、それぞれの生き方。

    清原という存在はやっぱり特別な何かだったんだなぁと思う。そして少しエピソード的に見えてくる桑田の存在も面白い。当時のPL学園のすごさも見えてくる。ああ、野球ってやっぱりいいなぁ、とも改めて感じる。

  • 昨年夏「甲子園最強打者伝説」のサブタイトルで特集を組んだNumberに、高校3年間に清原選手が放った13本のホームランを打たれたピッチャー達へのインタビュー記事が掲載されていました。それに大幅加筆して1冊の本として出版されました。
    打たれたピッチャー達もいろんなものを背負ってマウンドに立っていたわけで、その彼らの思いをさらに受け止めて飛躍したのが清原選手だったのだと再認識。
    私が中学1年の夏、当時最強と思われたいた水野氏、江上氏を擁する池田高校が高校1年生だった清原氏、桑田氏のPL学園に完敗した事をニュースで知った時の衝撃は今でも思いだせます。あのころ高校野球中継に夢中になっていた人なら、故植草アナウンサーの「甲子園は清原のためにあるのか!」の一節を覚えておられる方も多いのでは。それらの試合に当事者として関わったピッチャー達の証言は改めて清原氏がいかに桁外れの選手であったのかを雄弁に語ります。

  • 何があったとしても、甲子園史上最強の打者は清原和博であることは間違いない。そのことを改めて確認したとともに確信した。読んで良かった。

  • 本書『清原和博への告白』は、2016年夏のNumberでの特集に加筆されて出版されたものである。13本ものホームランを甲子園で放った清原だが、そのホームランを打たれた投手たちに、当時の気もちやその後の人生に与えた影響についてインタビューをしたものだ。高校三年生、優勝した最後の夏の甲子園決勝で2度の同点ホームランを放ち「甲子園は清原のためにあるのか!」と叫ばせた清原。当時、圧倒的な存在感を放っていた清原が放ったホームランを語るかつての球児たちの言葉には熱がこもる。

    清原が薬物で逮捕された直後に、「甲子園最強伝説」として甲子園のヒーローを特集したNumberの表紙にPL学園時代の清原の写真を使われた。Number編集長がその号の編集後記に綴った言葉が泣かせる。その言葉はこうだ。

    「今回、PL時代にあなたが甲子園で打った13本のホームラン、その対戦相手すべてに話を聞きました。みな、あなたと真剣勝負をした記憶と、あなたと同時代に生きたことを誇りにしておられました。あなたが野球に帰ってくるためにできることはないか考えておられました。
     この特集記事は、あなたに励まされつづけた私たちからのプレゼントです。
     あなたが、再び小誌の誌面に登場する日が来ることを私は信じています」

    Numberは、清原の逮捕の報を受けてこの特集を没にすることもできたはずだし、少なくとも問題を起こして世間的に非難されている清原を表紙に使わないこともできたはずだ。それをあえて表紙に使った編集部の気持ちと熱に世間も応えた。余計な非難は聞かれなかった。少なくとも少数派であった。

    KKコンビが甲子園を席巻した時代、大阪の中学生だった自分は、大阪代表であるPL学園のことをとても誇らしく思っていた。一方で、PL学園の方が阪神より強いと自虐気味に突っ込みを入れながら、巨人への入団を希望する桑田・清原のことを裏切られたと感じ、少し恨めしく思ってもいた。1年生のときから甲子園で主力として活躍して5回連続で出場したKKコンビ、清原のホームラン記録13本と、桑田の20勝という大会記録は、今後抜かれることはないだろう不滅の大記録だ。

    本書の著者である鈴木記者に記事に対するお礼の電話をかけてきた清原。いつの日か復活してほしいと思う。

    日本のスポーツ界にはNumberがある。そういえば版元は文藝春秋だった。文春砲だけではないのだ。文春恐るべし。


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    NumberWeb特集ページ
    http://number.bunshun.jp/articles/-/827042
    戦友たちの30年越しの告白に感謝を。清原和博からの1本の電話
    http://number.bunshun.jp/articles/-/827112
    清原和博への告白。~甲子園で敗れた男たちの物語~
    http://number.bunshun.jp/articles/-/826255
    清原逮捕後に発刊されたNumber「甲子園 最強打者伝説」の編集後記
    https://pbs.twimg.com/media/Cpn_tOFVMAE58ly.jpg

  • 2019/07/15

  • あの時、確かに、
    「甲子園は清原のために」あったんだよ。
    間違いない。

    (・・・涙)

  • 清原に打たれた男たちの物語。投手として名を残したわけではない選手たちにも、それぞれに背負うものがある。
    清原という光り輝く稀代のバッターの陰にあるストーリー。読み応えがあった

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著者プロフィール

1977年、千葉県生まれ。愛知県立熱田高校から名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験。2016年に独立し、2019年までNumber編集部に所属。現在はフリーで活動している。

『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』より

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