白熱光 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5012)
- 早川書房 (2013年12月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784153350120
作品紹介・あらすじ
〈白熱光〉からの風が吹く世界〈スプリンター〉で暮らすロイは、重さの地図を見せられたが……はるかな未来を舞台に人類の子孫と異様な世界に住む生物を描く、現代SF界最高の作家の待望の長篇
感想・レビュー・書評
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年明けからこれ一冊にかかりきり。荒っぽい速読派の自分にはまったくの例外だが、いやあ、それだけのことはあった。やっぱりイーガンはすごい!想像力というものの深さと広さを思い知らされる。いや、もちろん、作者のビジョンを共有できたわけでは(全然)ないけれど、その一端を垣間見ただけで、スケールが桁外れであることはわかる。
奇数章と偶数章で別の話が語られていくが、奇数章はじまりの舞台は「ディアスポラ」と同様の遙かな未来社会。「ディアスポラ」ではその設定自体に度肝を抜かれたが、ここでは人類の末裔がとっている形は既定のものとして背景に退いている。数百万年後の人類は他の幾多の種族とともに「融合世界」という文明圏を築いていて、それは物質世界と電脳世界にまたがっており…といった設定はさらっと流されていて、うーん、これは「ディアスポラ」とはまた違った地平に連れて行かれるのだと予感する。
一方、偶数章には「奇妙な世界の異星人」たちが登場し、この昆虫型の生命体が自分たちの運命を知り、破滅を回避するために、その世界を統べる法則を見つけ出していこうとする姿が描かれていく。ここがねえ、とてつもなく「ハード」なのだ。すっかりわかろうなどと思ってはいけないのが、イーガンのハード作のお約束、「ディアスポラ」を読んだ時みたいにわからないところは飛ばしちゃえ!と思ってバシバシ斜め読みしてたんだけど、半ば過ぎまで来てふと気づいた。あら?もしかして偶数章の方がメインじゃないの?ここを読まなかったらあんまり意味ないんじゃないの?
(以下、どれだけ正しいかにまったく自信はないものの、わかったつもりの「内容」に触れているので、これから読む方はパスしてください)
うーん、仕方がない、腰を据えて読むか、と覚悟して再度読み直す。むむ…、やっぱり難しすぎ。でも何となく、これは特異な世界の物理法則を一から探っていく過程を、現代の用語を使わないで説明していくという力業を見せられているのだということはわかってくる。そしてこの「スプリンター」という岩石状の世界が、大ブラックホールの近くにあるんじゃないかという見当もついてくる。ここら辺、物理学に詳しい人にはすごく刺激的だろうと、文系人間としては推測するしかない。(読後ネットを見たら、イーガン本人によるものやらいろいろ解説があるらしい)
奇数章では、こちらのパートの主人公であるラケシュが、未知の生命体探索の果てに「スプリンター」と同じような世界にアバターを送り込んで、そこの個体と接触することになる。ここが意外や「人間ドラマ」的面白さがあるのだ。「祈りの海」「しあわせの理由」で追求されていたアイデンティティをめぐる考察を思い出す。
最初に読んだイーガンは「祈りの海」、これ一冊で自分にとって最高の作家の一人になった。何に一番心打たれたかというと、合理的思考を突き詰めていって行き着くところが、きわめてヒューマンであることだ。これはイーガンの大きな美点だと思う。ラケシュたち人類の末裔は、不死で(バックアップデータがあるから)、ほぼ全知全能で(ヒョイヒョイとなんでもできちゃう描写が面白い)、そのせいで退屈しきってたりするんだけど、残酷な皮肉屋ではないところがいい。
また、知的であることと幸福の関係というのも、かつての短篇で登場していたモチーフだが、本作ではそれが一つのテーマとなっている。イーガンが、たとえそれが苦しみの元となろうと、人は真実を追い求めることをやめられないと考えているのは明らかだ。ラケシュと接触することで、ただ一人「覚醒」してしまうゼイの絶対的な孤独が切ない。(だから、ラケシュの行動と仲間のパランザムへの信頼感にぐっときた)
正直に告白すると、初読では、「孤高世界」の正体がわからなかった。ということはつまり、奇数章の世界と偶数章の世界のつながりも見えなかった。解説を読んで、ああ!そうだったのか!と、そのつもりで再読。いろいろ腑に落ちるところもあったけれど、わからないこともまだまだある。しばらく楽しめそうだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いやぁ、おもしろかった。読後、いろいろ語りたくなる楽しい本でした。
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定期購読
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グレッグイーガンの小説の中でベスト5に入る。
物理とバイオと宇宙がちょうどよく絡まってうまい。
超物理理論はちゃんと理解できていないけど、迫力はわかる -
ウワーッ久々の本格SFだったから独自世界観用語が…む、難しい…
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異星人が自らの世界の天体力学を発見していく様はこの作品ならではなのですが、残念ながら解説HPを見ても理解できませんでした。もっとも、理解できなくてもストーリを追うのには影響ないです。超進化した人類はなんでもできちゃってすごいです。?
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中盤までは、ほぼ苦行。いや、これは修行なんだと自分に言い聞かせながら読み進める。そこから先はランナーズハイのようなもの。物理学とか幾何学とか理解の次元を超えた先にイーガンの良さがある。と、分かったつもりで読み終わった後に、あとがきの誤解ポイントの解説で撃沈・・・。でも、本作に登場する箱舟居住者たちのように、知識欲を刺激される作品だった。
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遙か未来。人間もその他の知的生命もソフトウェア知性も、すべてがオンラインのプログラム形態で暮らしたり、物理的肉体にダウンロードしたりして過ごしている、融合世界。おおむね銀河の隅々にまでこの世界が広がっている。光速は越えられないから、旅といえば、個体はデータの形で送られ、目的地でプログラム形態なり、物理的形態なりにダウンロードされる。『ディアスポラ』の設定の延長線上にある宇宙。地球人にオリジンを持つラケシュは退屈していた。もう銀河のどこにもフロンティアはないからだ。
いや、ないことはない。銀河中心部は孤高世界といわれ、そこに住む知的生命は融合世界との一切の交渉を拒否していたのだ。ただ、融合世界の住人が孤高世界のネットワークをただ乗りして、銀河中心を横断して旅行するのを孤高世界は黙認していた。
そんな旅行者の一人ラールは銀河中心を横断中、実体化させられ、孤高世界で発見されたメテオを見せられる。そのメテオは内部に多量のDNAを含んでいた。つまり未発見のDNA生命の世界があるかもしれないのだ。ラケシュはソフトウェア知性由来の友人パランザムとともに、未発見のDNA世界探検の旅に、孤高世界に向かう。
これが奇数章。
偶数章はロイという女性の物語。でも人間じゃない。六本足の昆虫のような知的生命である。しかも住んでいる世界がどうも普通に惑星ではない。〈スプリンター〉と呼ばれる、円筒状の岩。その中に洞室やトンネルが張り巡らされている。断面にしてみると、真ん中に無重力地帯があり、そこから離れると重力とその向きが変わっていくという不思議な性状を持つ。〈スプリンター〉はむかしもっと大きな大地から引きちぎられたらしい。それゆえ〈スプリンター〉=破片と呼ばれている。〈スプリンター〉の岩は半透明で、外には白熱光と呼ばれる光が満ちている。
ここの技術水準は産業革命前という感じ。「人々」はそれぞれチームを作って農作業や流通業に従事している。チームは時に他のグループの「人」を「リクルート」してきて、自分のグループにいれたりするが、別のチームに引き抜かれることをとても恐れている。
ロイはあるとき、ザックという老人に声をかけられる。リクルートされるのかと身構えると、ザックは〈スプリンター〉各地を異動した際にそこの重さとその向きを測ってきて欲しいと頼む。ロイはザックの仕事を手伝ううちに、はじめて自分のチームの仕事以外のこと、世界の成り立ちや歴史について関心を持つようになり、遂にはチームを抜けて、ザックの共同研究者となる。
ザックは〈スプリンター〉があるハブの周りを回転しているという仮説を呈示し、その検証のためにさまざまな物理学実験を考案していく。世界の仕組みを探る活動は次第に人員を増やしていくが、〈スプリンター〉がハブへと落ち込むうちに再び引きちぎられるのではないかという懸念が生じてくる。
さて、奇数章と偶数章はどう関わるのか。ラケシュたちが探し出そうとしている世界がロイの世界ではないかとはじめからおよそ推測がつくのだが、もう少しネタをばらす。
ラケシュたちは、銀河中心部で文明の痕跡を発見する。銀河中心部は構成も密集しており、中性子星などの高密度星も多数ある。その文明の惑星は中性子星の接近により崩壊することがわかり、住人は「箱船」を中性子星の周回軌道に乗せて何とか子孫を残そうとしたらしいのだ。ラケシュたちの発見したのは失敗した「箱船」だが、そこから首尾よく中性子星の周回軌道に乗った「箱船」があるのではないかと探し始める。
ザックとロイは〈スプリンター〉の内部から簡単な物理的実験と数学で世界像を解いていく。ただしそれは、著しい重力傾斜下に自由落下する建造物内の物理学であり、文章のみで記述される数学についていくのは私には困難であった。だが、すべてを理解できなくとも、科学的発見の興奮はじゅうぶんに伝わってくる。これはルネサンスの物語なのである。内部からしか観測できないロイたちの視点を補完するのがラケシュの物語ということになる。
個体の生を生きるロイと、テクノロジーによって個体の生を超越してしまったラケシュとの接触がどうなるのかは伏せておくが、詩情に満ちた結末へといたる。開かれすぎた世界のラケシュと、閉じられた世界のロイが同じような探究心を抱くというのが、本書の味わいか。