脳の地図を書き換える: 神経科学の冒険

  • 早川書房
4.35
  • (27)
  • (20)
  • (6)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 459
感想 : 25
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152101358

作品紹介・あらすじ

人が視覚や聴覚、または身体の一部を失った時に脳内ではどのようなことが起きているのか。また科学技術を駆使して脳の機能を拡張させ、身体に五感以外の新たな感覚をつくることは可能か。最先端の脳科学と人類の未知なる可能性を著名な神経科学者が語り尽くす

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 脳は暗い頭蓋骨の中で、感覚器から届く情報だけを頼りにしている。視覚、嗅覚、触覚いずれの感覚も脳にとっては情報でしかない。その情報がどういう意味を持っているのかを探って理解するのが脳の役目。情報を読み解いて、最適な状態になるように脳の配線を常に変えているという。

    例えば、目隠しをして60分程度過ごすだけで、耳の感覚が増すらしい。脳は眼からの情報が入ってこなくなったことで、眼に使われていたリソースを別の感覚に割り振った。たった1時間でこの現象が起きていることに驚かされる。

    この他にもたくさんの脳の驚異と可能性について書かれていて、すべての経験は脳に影響していると理解し、いかに脳を育てていくか日々考えて過ごそうと思った。

  • 脳には、可塑性と言って、一生にわたって変化し続けるような性質があることは、知ってはいたけれど、この本を読むまで、そこまでダイナミックなものなのだとは思っていなかった。

    本書に出てくる事例として、例えば、脳が半分だけになったとしても、人間の脳は、半分の領域の中で必要な回路を作り、日常生活にやや不便はあるものの、問題なく生活できるようになった人や、耳の聞こえない人のために、音に反応して皮膚を刺激するベストによって、やがて、脳は、皮膚の刺激によって「聞く」ことができるように変わっていく事例などが上げられている。

    人間の脳は、あらかじめ、生まれながらに機能や回路が決まっているのではなく、
    必要最低限の機能のみインプットされた状態で生まれ、自分の行動や周りからの影響によって、常に回路を書き換え、変化していく(筆者の言葉では「ライブワイヤードな」)ものである。

    本書は、読みながら、とてもワクワクとさせてくれる、脳とテクノロジーの可能性の素晴らしさを見せてくれる本だった。

  • 【はじめに】
    著者のデイビッド・イーグルマンは『意識は傍観者である』や『あなたの脳の話』などすでに邦訳されたベストセラーを書いた脳神経学者だ。特に『意識は傍観者である』では、著者は意識の特権を剥ぎ取って、ほとんどのことは意識がなくてもできるという主張を、科学的なバックグラウンドとともに説明していて面白い本だった。

    そしてそのイーグルマンが書いた本書をひと言でまとめると、「脳の可塑性は想像を超えて大きい」ということになるだろう。著者はその脳神経の性質を「ライブワイヤリング」と呼び、その言葉を原題のタイトル(Livewired)に取った。それでは、まずこの脳の持つライブワイヤリングというものは何かを中心に概要を見ていきたい。

    【概要】
    ■ 脳の可塑性
    身体の一部を失うことにでインプットがなくなり使われなくなった脳神経細胞は、容易に他の用途に再利用されるという。それらの脳神経細胞が、今までは視覚情報処理に使われていたとしても、視覚を失ってインプットがなくなると比較的速やかに他の用途のためにリワイヤリングされる。少し長い間目隠しをしただけでも脳内でその兆候が表れるという。その可塑性の柔軟性は歳を取るに従って小さくなるが、成人に達したあとでも脳の地図が書き換えうることがいくつもの事例で示されている。一番驚いた例は、生まれたとき片方の半球がない人が、成長しほとんど制限なく生活できる(かつ、ほとんどそうだと気が付かれない)例と、成長後に癲癇の発作を抑えるために半球を取り出しても一部動作に支障があるものの普通に生活できる例だろう。脳の一部どころか半分がなくても人間として社会で生活することが可能なのだ。

    ここから言えることは、脳の配線というものは非常に汎用的なもので、脳の地図は遺伝子に書き込まれているわけではない。この本に興味を持つ人なら、脳の場所と身体とを結びつけたペンフィールドの図を見たことがあるだろう。この地図ができるのは生まれたときにそう書き込まれているからではなく、単に神経のインプットが隣合う体の部位は共に発火することが多いことから自然に脳内でもひとりでに隣合うように地図が出来上がっていくからだ。しかし、その地図は身体の一部を失うなどインプットが変わると意外に早く柔軟に組み替えられることもわかっている。
    この脳の柔軟性(可塑性)が生物を環境の変化に合わせて生き伸びて子孫を存続させることができた理由のひとつだ。生物が突然変異などで新しい感覚器官を手に入れたとき、その新しい感覚器官を試すために遺伝子のレベルで脳を設計しなおす必要はなく、ただ単に情報刺激をインプットしてやればよく、その後は脳神経細胞のネットワークが万事うまくやって遂げるのである。指でも、目でも嗅覚でも、それらが新しく獲得されると、脳は刺激を解釈して活用する術を見いだすのである。

    驚くべきことに、この感覚器官は生物学的に一体となったものでなくても構わない。脳の可塑性の仕組みによって、訓練によって思うだけでロボットアームを制御することも可能になる。不思議なことは、何らかの信号であっても脳細胞に入力して適切なフィードバックを与えることで「感覚」が生じることだ。人工内耳や、舌や皮膚感覚が視覚の代わりにすることも可能になるのだ。

    さらに驚くべきことは、このように脳細胞が他の用途に転用される事象は、想像以上に短期間でなされることだ。目隠しをして点字の訓練をした場合、視覚を処理する後頭葉の部分が点字を触ったときの触覚に反応するようになったという。そして、その効果はたった40~60分の訓練で有効になったとされる。このことから若干蛇足気味になるが、睡眠中に夢を見るのは、寝ているときに他の用途に乗っ取られないように視覚情報のインプットがない状態でも後頭葉を活性化するためだという仮説を著者は提案している。夢を見ている間、海馬と前頭前野の活動が少ないのは、こちらはそうする必要がないからだという説明だ。

    果たして本当かどうかは著者も仮説として言っているのでわからないが、脳の領域同士が自分の領土を拡張しようと競争することで脳神経細胞の最適化が行われるという仕組みが本当であり、それがリアルタイムで行われているとするならばとても興味深い。視覚を失った人は、記憶や音楽の能力に秀でることが多いという。それは視覚野を他の用途に流用することができるからだろうと考えられている。もっと普通の例でいうと受験が得意であった学生が必ずしも成功するとは限らないのは、受験の技術によって脳の多くの領域が確保されて他の用途に使われる領域が少ないからかもしれない。また、その受験の技術も、また外国語の技術も常に使い続けておかないと、他の用途に取られてしまうのかもしれない。

    ■ 情報社会における脳の変化
    現代社会における情報機器はほとんど乱暴な速さで進化した。スマホが出てきたのはつい10年ちょっと前のことだが、あっという間に世の中に広がって、長い時間人はスマホの画面を見て操作するようになった。現代の私たちはかつてないほどの入力情報を得ており、このインプットが人間(の脳の配線)を変えないわけがない。この影響について「スマホ脳」という言葉も最近言われているが、情報のインプットが変わることで脳が変わるのは可塑性の能力からすると当たり前のことで、巷間言われるよりもはるかに脳の配線に影響を与えているのかもしれない。脳によって作られる「私」は、これまでも社会から直接的に影響を受けて、そのインプットと行動とフィードバックによって構成されてきた。過去と環境が違うことによって、すでに現代の環境の中で育ち、生活を続けてきた私たちは、過去とはその社会環境が違う分だけ大きく違っているのかもしれない。
    かつて、フロッピーディスクのIBMのロゴが赤味がかって見えた時代があったという。その理由は、その時代に黒背景の緑色の文字を長時間見る人が突然多くなったため、その補色である赤味を感じることになったという話だ。それ自体とても興味深いがある意味で無害な話だ。ただその事例を考えると、現代社会でそれよりも大きなことが進展していてもおかしくはないだろう。「スマホ脳」と面白おかしく言われることがあるが、もしかしたらもっと真剣に脳神経の可塑性と配線の観点からの研究調査も待たれるのかもしれない。

    少し興味深く、人によっては少し失望するかもしれない例が本書で紹介されている。男性の16歳時点の身長と将来の給与の相関性が高いという調査結果だ。面白いのはあくまで16歳の時点の身長であり、その後にいくら背が伸びようと相関性は薄くなるという。集団内の立ち位置を定まるときに身体の大きさがマターになり、特に対人志向の職業でその差が大きくなる。そして、給与が高い職業は主に対人志向である。ここで類推できることは、16歳の頃にリーダーシップを経験したことは脳の配線に刻み込まれて、将来まで影響するのかもしれないということだ。そして、この事例が示唆するかもしれないことは、16歳のころの学校での立ち位置が性別によって決まるのであれば、そのことが生物学的な違いではなく将来の社会的地位に影響するかもしれないということにもなってしまうかもしれない。もちろん、この本の主題でもある脳の可塑性が将来何人にもなることを妨げるものではないことを示しているが、10代の脳の配線も大事だということもまた教えてくれる。学校制度の存在が社会を構成する大人の特性に大きな影響を与えることは間違いないのだ。国民性と言われるものも学校制度の違いから一部説明できるのではないだろうかとも想像した。もちろん相関性が示されただけで、因果性が証明されたわけでもないし、もちろん決定論ではないことは間違いないのだが。

    もうひとつ社会環境と脳の関係の事例として、著者は犯罪抑止と有鉛ガソリンの禁止が影響しているのではと仮定する。データが示すところによると、有鉛ガソリンの利用を禁止した23年後から犯罪率が有意に減るらしい。こちらももちろん仮説にすぎないとも言えるが、環境が脳神経を通して社会構成する人間に影響を与えるかもしれないという例にもなるかもしれず、それを考えると情報化社会における人間(の脳)の変容というものは実体としてそんなに薄いものではないのかもしれない。

    ■ 脳とニューラルネットワーク
    この本を読んで感じたことのひとつは、脳の仕組みがやはりニューラルネットワークの機械学習によるAIに非常に似通っていることだ。内部モデルの構築と予測が脳の機能だと言われる。脳は予測器であり、予測を原動力として自らを再編成している。

    ニューラルネットワーク技術はその当初想定した以上の汎用性によって非常に重要な社会の要素技術となっている。そもそも生物の脳を参考にしたものであるということも含めて、生物の脳が非常にうまくいっていることから、その学習ネットワーク論理が非常にうまくいくものであることもますます納得できるものである。

    「脳は情報を最大化しようとする」。これを「向情報性(infotropism)」と呼ぶ。「脳は汎用的なパターン認識器であり、どんな入力であってもそこから意味のある情報を引き出す術を見つけ出すことができる」と著者は言う。脳は変化することで外界から最大限の情報を引き出そうとするのである。「世界の変化に適応するために、常に自らを再構成し続ける性質」こそが脳の性質であり、その成功の秘訣なのである。

    【所感】
    脳の可塑性に関して、適切な事例を適切に紹介して説得力をもって説明するという点でとても印象に残る本。『意識は傍観者である』もよかったが、この本も読みやすくかつ中身もある本。

    著者は脳の可塑性を活用して皮膚と脳を直接つないで別の感覚器官として利用するための機器を開発するネオセンソリーというベンチャー会社を経営する起業家でもある。この会社はたとえば音を返還して皮膚に刺激を与えるベストを作っているが、このベストによって耳の聞こえない人が皮膚を通して音を「聴く」ことができるのだという。これを拡張して、世界の株価情報を皮膚からの刺激として脳にインプットすることで、市場のパターンや動きを「感じる」ことができるようになるかもしれないという。

    そういった少し飛んだ発想ができることもイーグルマンの魅力かもしれない。とにかく脳の可塑性がもつ可能性をあらためて認識することになった本。お薦め。


    -----
    『意識は傍観者である: 脳の知られざる営み』 (デイヴィッド・イーグルマン)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152092920

  • ◯視覚野が乗っ取られるのを阻むために夢は存在する(68p)

    ◯ さらに一歩進んでまったく新しい感覚を生み出すことはできないだろうか。(131p)

    ◯これからはビッグデータにアクセスするのではなく、それをもっと直接的に経験することへ移行せざるを得なくなるに違いない。(137p)

    ★知的興奮が味わえる面白い本だった。人類の可能性を感じてワクワクした。

    ★なぜ夢を見るのかの疑問に対して、最も腑に落ちる回答が得られた。

  • 脳は決まったプログラムを実行するソフトウェアというよりはどんなソフトもインストールできるOSなんだということがわかる一冊です。
    最近読んだ脳関連の本としてはベストワンですね。非常に面白かった。

  • 哺乳類の脳がどれだけ柔軟でその時に置かれた環境で絶えず適宜変化をおこし順応していくのかを、時には実際に起こった悲劇や、動物実験の結果など科学的根拠をもって私たちに語りかけてくれる。
    脳は人が生まれ落ちる前から元来持っている遺伝子に刷り込まれた事柄よりも環境や刺激において絶えず学習し記憶していく組織なのだ。そのように絶えず作り替えられる事こそが人間が人間らしく生きている証で、その作り替えは五感を通じた体験や経験によってのみ起こる。ということで、人は絶えず身のうちに刺激を入れていくことは人らしく生きていくのにとても大事なのだと私は理解しました。何にでも興味をもって新しいことに果敢にチャレンジして行くことが脳をより健全に保つ秘訣なのだ。
    最後の方の章では近い将来に起こりうる事として作者が想像している世界が書かれているが、ハードワイヤードからライブワイヤードへのテクノロジーの返還はほんとに近い将来に起こりうる可能性を秘めていると感じられました。だって今まさにAIの黎明期ですものね。

    個人的になるほどと思った点は、幼少期に適切な愛情とコミュニケーションをもって育てられなかった場合はいくら後で周囲から適切な処遇を受けても健全な子供にはなれないこと。知識や動作の脳への固定化には反復作業が必要な事。興味があるなどポジティブな(個々人にとっての有益な)傾向がないままに反復作業をしてもその行為(や知識)は脳には固定化されない事。人は経験などによって既に刷り込まれた領域などからさらに情報ネットワークを複雑化出来ること(0からは生まれない)。

    図書館で、たまたま返却されたばかりの棚で見つけたのですが、面白くて当たりの本でした。

  • すこぶるおもしろい!そして、有益と言えるだろう。
    脳の持つ「可能性」についての新しい知見をいくつも紹介されている。AIは人間の脳を模倣するところから開発がなされるが「脳の構造」「脳の働き」「脳に対する捉え方」などがかつて無い新し研究が出てきている。シンギュラリティの実現はある意味遠のくという状況かもしれない。
    本書の中で「感覚追加」という概念が紹介されていた。人間の脳の「潜在的能力」である。今まで考えられていなかった能力が脳には存在するとの説。5感までは理解されおり研究も進んできた。第6感という概念も馴染みだが、感覚追加という夢の話が現実のものとなるという紹介。
    それに関連して身体の一部を失った人がその部分を司る脳の部分を別の機能に譲ることで新しい能力を得ることが紹介されている。視力を失った人が視覚野を聴力に渡すことで目の見える人が得ることのできない聴力を活用する能力を得るという紹介など...
    (この著者の本は次が出たら是非とも読んでみたい)

  • 脳の可能性を開拓し続ける超名著。
    ディキンソンは「僕たちの脳は空よりも広い」なんて言ったわけだけど、まさしくそれを実感できる一冊でした。

    『生物と無生物のあいだ』で福岡氏は、「生命とはなにか?」に対して「それは動的平衡にある流れである」と答えた。つまり、必須と思われている機能ですら無いなら無いなりになんとかするのが生物だってわけだな。
    本書はそれを脳科学的に証明していて、脳はこの能力が特に強いというのが仮説の一つになる。脳が半分になったって、日常生活を変わらず遅れる人がいるのはそれが理由だ。
    特に面白いのが、多くの人が学習しているパターン以外にも、脳は独自のパターン分けが出来るという部分かな。人工内耳やエコーロケーション、触覚系など、脳は勝手に学んで世界を理解できる形で整理してしまう。
    そうした意味を含めて、脳は「ライブワイヤード(絶えず自らを改造する)」装置なのだと筆者は語る。難しい言葉になってるけど、つまり可塑性が高いのが脳ってことだな。

    ああ、あと夢を見る理由に、睡眠を取らなくてはならない生物が、視野の脳領域を確保するため(他の感覚装置に領域を取られたくないため)というのは結構新しい視点だった。真偽はどうであれ、過去の記憶の整理よりは納得できる説だと思うかな。

  • 読んでてワクワクする本

  • 脳は足りない部分を補う箇所や、犬が新しい歩行方法を取り入れるなどわかりやすい。

    スパイダーマンのドクターオクトパスの箇所など
    よりわかりやすい内容でした。

全25件中 1 - 10件を表示

デイヴィッド・イーグルマンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×