エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (568ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152097903

作品紹介・あらすじ

1858年6月、ボローニャのユダヤ人家庭から、教皇の指示により6歳の少年が連れ去られた。この事件は数奇な展開をたどり、国家統一運動が進む近代イタリアでヴァチカンの権威失墜を招いた。知られざる歴史上の事件を丹念な調査で描いた傑作歴史ノンフィクション

感想・レビュー・書評

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  • 誘拐事件といっても、キリスト教の洗礼を受けたというユダヤ人の小児を教会の指令を受けた官憲が強引だが合法的に連れ去った事件だ。

    中世であれば何の問題もなかったこの事件も、フランス革命後の自由主義が広まりつつあった世界では物議を醸し、ユダヤ人ネットワークを中心に、欧米世論はカトリック教会の頑迷さに厳しくなっていく。

    ロー中心とする教皇領も次々とサルデーニヤ王国に併呑されていき、ついにはイタリア王国が成立、教皇領はバチカン周辺だけになってしまう。

    自らの教義に基づいた小児の拉致がキリスト教国の崩壊を招くという、恐らく誰も予想もしない結果に導いたことを考えると、時代の流れとは恐ろしいものだと思わざるを得ない。

    連れ去られた小児は教皇の庇護の元でキリスト教者として頭角を表し、両親のところに戻ることなく生涯を終えたという。

  •  1858年 ボローニャのユダヤ人の少年が洗礼を受けたということでローマに誘拐される。国際世論の同情を集め、列強が乗り出す。おもしろい。

  • 【移行と衝突、その狭間で】イタリア統一に向けた流れが加速化する19世紀末のボローニャ。ある夜、その都市に住むユダヤ人の少年、エドガルド・モルターラが警察により誘拐されるという事態が発生する。息子の身を案じて即座にその居場所を確かめようとした父親のモモロだったが、彼に舞い込んで来たのは、エドガルドがローマ教皇の元に連れて行かれたという一報であった......。著者は、イタリア学の専門家であるデヴィッド・I・カーツァー。訳者は、本書を一読してその余韻にしばらく浸ったという漆原敦子。原題は、『The Kindnapping of Edgardo Mortara』。

    ミステリー的な側面が面白いことはもちろんですが、この話が最終的に私の大好物である「大きな世界の緊張が煮詰まった末に一つの小さな事件として表出する」タイプのものであったと気づき驚愕しました。世俗と宗教、国家と教会、そしてそれを取り巻く価値観の変遷といったテーマが凝縮された名著だと思います。

    〜その夜、二つの世界が衝突した。〜

    今年のトップ10には入ってきそう☆5つ

  • イタリア統一の一時期にかかる歴史を,ユダヤ人の少年エドガルドの連れ去りを発端とする事件を軸に描くことで,庶民の生活から各国間の外交問題までにわ立って浮かび上がらせた骨太の物語.裁判場面も多く法廷物を読んでいる面白さもあった.

  • ニッチかつ暗いテーマ、ずっしりした重さ。相当に読書好きだと自負する私だが、ここ数年とみに体力の衰えを感じており、正直「えらいの選んじゃったなあ…」と思わないでもなかった。
    が。

    540ページ一気読み。
    これはとてつもない本だ。
    いや、事件だ。

    1858年、イタリア。半島北部の古都ボローニャは当時、ローマ教皇・ピウス9世が支配する「教皇領」の一部だった。
    6月23日の夜も更けた頃、そこに住むユダヤ人一家の玄関のドアが激しく叩かれた。開けると、いたのは警察官。
    彼らの用件はといえば——この家の6歳の息子で、すでに就寝していたエドガルドは「これ以上、ここにいてはならない。ただちに親元から引き離す」。

    出だしから言語道断、阿鼻叫喚なのだが、最後までそれは続く。
    そもそも、なぜエドガルドは誘拐されなければならなかったのか。それは彼が1歳の頃、本人も親も知らぬ間に「洗礼」を受けさせられ、「キリスト教徒にさせられていた」からだ。
    キリスト教徒を、野蛮な異教徒のただ中に置き去りにするなどとんでもない! 「適切な保護」を授け、「しかるべき環境」にいられるようにするべきだ。それこそが正義であり、慈悲なのだ…これが、ピウス9世を頂点とする当時の政府(教皇領とはつまり、教皇を「王」とする「国家」である)の、凝り固まって絶対に変わることのない信念だった。

    エドガルドが「洗礼」を受けさせられた経緯だが——当時、モルターラ家には地元民、つまりキリスト教徒のメイドがいた。彼女が(本人の言い分によると)ちょっとした病気で寝込んでいたエドガルドを瀕死と勘違いし、「このまま異教徒として死ねば天国に行けない、それではかわいそう」と考えて洗礼を授けた。本来のカトリックの教義では、洗礼は司祭が厳格な式次第にのっとって授けるものだが、例外として相手に死が迫っている火急の場合は「俗人の適当な手順によっても有効」だというのだ。
    …とは言うが、これには大いなる疑問が残る。そんな適当なものが、はたして「洗礼」として認められるのか? そもそもメイドは、本当に真心からそれをやったのか? このレトリックを用いれば、水を汲んできてちょいと額にひっかけるだけで、いけ好かない雇い主から我が子を永遠に奪ってやることができるのだ。実際、この手の強制洗礼→親子引き離し事案は19世紀のヨーロッパにおいて頻発し、小さからぬ社会問題になっていたのである。

    冒頭いきなりこの誘拐事件が起こり、あとはひたすらこれをめぐるすったもんだなのだが、まあ、すさまじいばかりの差別心とヘイトスピーチの奔流である。
    狂信の恐ろしさと、それをなす者が実のところ珍しくはないことにもおののかされる。世の中、こんなに既知外ばっかりか!!! という感じ。
    下は身持ちの悪い俗人から、「上」はいやしくも聖下・陛下・猊下・閣下などと呼ばれるエリートまで、とにかく人間の弱さ醜さ愚かさがこれでもかと詰め込まれた540ページである。最初から最後までの救いのなさと——とどめに、この大事件が今ではほとんど知られていないという事実に、ひたすらにうちのめされた。
    6歳にして親元から引き離されたことが生涯最大の不幸「ではなかった」エドガルド・モルターラの、残酷な運命に翻弄された人生の顛末は、1人でも多くの人が知っておくべきだ。

    2018/11/2読了

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