ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (469ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152095015

作品紹介・あらすじ

脳手術の後遺症で記憶を新たに作れない脳障害患者H・Mが記憶の科学に残した遺産はいかに巨大だったか。長年治療にあたった医師自身が綴る、「医学史上最もよく研究された患者」の記録。映画化決定

感想・レビュー・書評

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  • 望みをかけて臨んだてんかんの治療のための手術で
    脳の一部を切除し、術後からの記憶をとどめることが
    出来なくなったヘンリーの記録。

    現在に閉じ込められた…と聞いても
    中々どんな状況なのかなんて想像もつきません。

    会う人々がみんな知らない人。
    今いる場所もわからない。なぜそこにいるかも。
    お腹がすいているかもや喉の渇きもわからない。
    時間がたつとどこがどういう風に痛いのかも説明できない。
    家族が亡くなったのも覚えていられない。

    こんな状況で、いつも笑みをたやさず
    自分からすすんで脳科学の研究に協力するヘンリー。

    自分らしさを形作るものは、膨大な過去が
    積みあげてきたものによると思っていた私。

    毎日が新しいことの連続なのに、
    会う人には冗談を交えた会話をし、
    家電機器の変化も、引っ越した家も
    医療機器の変化やコンピューターにも
    鏡の中の老けた顔の自分までも丸ごと受け入れるヘンリー。

    読んでいるだけで頭が痛くなりそうな記憶検査。
    質問にはきちんと答え、たまには期待に応えようと
    作り話っぽいことまでしてくれることも。

    不安やふがいないことも沢山あったはずなのに
    誰も恨まず何がヘンリーをそこまで協力的にするのか。

    それは「誰かの役にたつこと」が支えていたんだと思います。
    この検査が、この質問が、自分が発するものが
    みんなの役に立っている。
    そこに自分を誇るものがあったのだと私は思います。

    この著者は長年研究者という立場でヘンリーの傍にいましたが、
    決して研究者だけの関係ではありませんでした。
    温かく家族亡き後のヘンリーを支えてくれています。

    論文などで有名になったヘンリーを
    マスコミなどからも守ってくれました。

    研究対象者としてだけではなく1人の大切な人として
    長年接していたコーキン博士。
    手術後に出会った人が覚えられないはずのヘンリーが…。
    大切なことには奇跡がつきものなのかもしれません。

    とにかく難しい本で、ほとんどわかりませんでした…。
    記憶といってもなんと種類の多いこと!
    そして私たちの脳のなんと複雑怪奇なこと!!

    ちょっと医学的な部分を端折って、
    ヘンリー・モレゾンの記録中心に読みましたが
    それだけでも感動です。

    神経回路とは、まさに神の路。
    分断されたとしても、大切な路は
    紡がれていくものなのです。

  • 脳科学の分野でよく知られた患者がいた。通称「H.M.」。
    彼はてんかん治療のためという名目で、1953年、海馬の一部と扁桃体の大部分、海馬傍回の吸引除去手術を受けた。手術から目覚めた彼の記憶は、30秒しか続かなかった。彼は長期記憶能力を持たない、「健忘症」患者として、永遠に続く、細切れの「現在」を生きていくことになったのである。

    精神外科の歴史は19世紀に遡る。脳の特定の領域が特定の感覚、運動、認知機能を果たすという考え方から、精神疾患に関わる脳領域を特定し、外科的に(手術によって)治療することが可能であると考えられるようになったのである。
    隆盛の発端となったのは、1935年、チンパンジーでの実験で、前頭葉の組織を破壊することで攻撃的な性格が収まったことである。この例から、一部の医師・研究者は、脳のある部分を切除すれば、情動および行動異常を治療できると考えた。その後、40年代に掛けて、ロボトミー(葉切除術(lobotomy):lobe=葉(*肺や脳の臓器を構成する大きな部分)、-tomy(切除))のような精神外科手術が広く行われるようになる。フィクションの世界でこの手術をよく表現しているのが映画にもなった『カッコーの巣の上で』であり、現実の悲劇としてよく知られるのはケネディ一族の1人、ローズマリー・ケネディの例である。
    前頭葉ロボトミーに関しては、現在では禁止している国も多いが、当時は確たる根拠もないままに、多くの手術が行われた。悲劇的な結果ももちろん多かったが、重度の患者であると、他に有効な治療法がない中で、家族が同意するケースも多かったようだ。

    「H.M.」ことヘンリー・グスタフ・モレゾンは、重度のてんかん患者だった。投薬により症状を抑えてきたが、度重なる検査でも原因はわからず、発作も激しくなってきていた。27歳のとき、医師は「生活の質を向上させると思われる」実験的手術を提案する。当時、海馬前端にある海馬鉤に電気刺激を与えると、てんかん発作が起こることが知られていた。これを根拠として、海馬除去術が行われたのである。
    海馬が長期記憶形成に重要な役割を果たすと判明するのは、まだ先のことだったのだ。

    ヘンリーは、手術によって、重い健忘症を患うことになったが、それ以外の認知障害はなかった。また、彼は知能も低くなく、人柄も快活で穏やかであったため、この後、脳研究に長く参加し、多くの知見を与えることになる。
    著者はマサチューセッツ工科大学神経科学科の名誉教授であり、半世紀近くに渡り、ヘンリーの研究を行い、100人を超える他の研究者らがヘンリーを対象とした研究を行う際の窓口となった。なお、ヘンリーの手術を行ったのは別の医師である。
    本書は、ヘンリーが参加した研究の統括責任者として、その脳研究の結果、わかってきたことを一般向けに紹介する本である。認知科学で行われる実験の一端に触れ、脳が記憶を形成するしくみについてあれこれ考えさせられる1冊である。

    ヘンリーが手術によって失ったのは、術後の長期記憶である。術前の記憶に関しては、覚えている部分も多かった。特に、非陳述記憶と呼ばれる、言葉による説明を必要としない、「体が覚えている」事柄に関しては、過去の記憶だけでなく、どうやら手術後に蓄積されている部分もあるようで、海馬を通してではなく形成される記憶というのもあるようだ。
    ヘンリーはクロスワードパズルを愛好していた。長期記憶を失ったとしても、難しいクロスワードパズルを解くことが可能であるというのもなかなか興味深い話である。
    知覚評価を行うと、ヘンリーが失っていたのは嗅覚のみであった。匂いがあるかないかは判断できるが、その匂いが何か、また匂いを相互に区別することはできなかった(匂いと記憶の関連についてはプルーストの『失われた時を求めて』を思い出させるが、健忘症患者なら必ずしも嗅覚を失うものでもなく、ヘンリーの事例に関してもなお詳細な検討が必要なようである)。
    過去の出来事の中で、自伝的記憶と呼ばれる、個人的な思い出に関しては失われている部分が多く、ヘンリーが語ることができたのは、飛行機操縦の体験など、ごくわずかなものだけだった。
    ヘンリーが研究に参加した長い年月の中で、脳科学も診断技術も相当に発達していった。この本はまた、そうした脳科学の歴史を垣間見るようでもある。

    ヘンリーのてんかんは手術後、完治はしなかったが、発作の頻度は減った。82歳まで生きたということは、手術がてんかんを抑えた側面は(結果的には)あったのかもしれない。ただその代償はあまりにも大きく、彼は生涯、母や他の人々の援助なしには生活できなくなってしまった。

    ヘンリーは2008年に死亡した。生前は、生活の平穏を守るため、「H.M.」としてしか知られていなかった彼だが、本人や代理人の意向により、その名が公表されることになった。そして、著者は、長年、ヘンリーの研究に携わった立場から、彼が脳研究に果たした貢献を書き記すことにしたのだ。「他の人の役に立ちたい」というのは、ヘンリーの希望でもあったから。
    彼の脳は、死後直ちに、体内で、詳細に画像撮影された。また、体外に取り出された後も画像が取られ、切片作製もなされた。こうしたデータは今後、詳細な解析がされ、また新たな知見を脳科学にもたらすことになるだろう。

    著者は神経科学者であるので、記述は終始、客観的・論理的である。そこが冷たいと感じられる向きもありそうにも思うが、ヘンリーと著者の間には、友情とまでは言えなくても、通じ合うものがあったように思える。
    研究者と患者の関わりとしては、ある意味、温かい幸せな交流であったのかもしれない。


    *索引がないのがちょっと残念。

    *小川洋子の『博士の愛した数式』も思い出しますが。あちらはきっかけが交通事故で、記憶が80分続き、そもそも数学者ですからまぁいろいろ違いますか。

    *『日経サイエンス2014年9月号』に「自伝的記憶の超記憶」を持つ人々の話題がありましたが、少し関連しそうです。

    *『カッコーの巣の上で』の初版が1962年。黒人女性の子宮頸癌から家族への十分な説明がなされずに細胞株作製されたのが1951年(『不死細胞ヒーラ』)。性決定に関するNature or Nurtureの実験台にされた形になった男性が手術を受けたのが1960年代後半(『ブレンダと呼ばれた少年』)。このあたりの年代のアメリカ現代医学史というのも(いや、アメリカに限らないか・・・、というか、この年代に限らないのか・・・?)いろいろ黒いものがありそうで、追ってみたいような、相当げっそりするような、ちょっとアンビバレントな感じですねぇ・・・。

  • 高3の時から読みたいと思っていた本。 やっと読めた。
    重度のてんかんによって両側頭葉内側を摘出したことで新しい事を覚える事が出来なくなり、永遠の現在に閉じ込められた患者H.Mの生涯を主治医が書き記した学術本。
    医学に携わる者なら知らない人は居ない程有名な患者だけど、どう考えたってヤバそうな手術が行われた歴史背景(読んでわかったことだけど当時はこんな実験的な手術を行う神経外科という謎の科が神経科医の花形だったらしい、怖すぎる)や、H.Mではなくて一人の善良な市民ヘンリー・モレゾンとしての一面も書いてあってよかった。クレソンよりケーキが好きらしい。
    新しい事を覚える事が出来ないってどういう感じなのか、本当に想像がつかない。この本を読んだし勉強もしたから彼の病態もメカニズムも分かるけど、やっぱり自分に落とし込んで考えるのは難しい。
    これを読んで思うことが沢山ありすぎてうまく言葉にできないんだけど、とりあえず、読んでよかった。
    現代神経学の礎となったのは"患者H.M"ではなくて、アメリカに生まれた、甘いものとパズルが大好きなヘンリー・モレゾンというごく普通の人間の人生だということを心に刻みたい。

  • 医学
    ノンフィクション

  • 1950年代、てんかんの治療で脳の一部を除去された患者がそのために一生健忘症で過ごすことになり、脳の研究材料として生活することになった男性ヘンリーの話。
    脳と記憶など、科学的な話などが記述。
    それにしても、何度も何度も同じような記述が繰り返しでてくるので、読むのが非常に厳しい。
    あまり印象に残らない本である。

  • てんかん治療として海馬を手術によって除去され、記憶障害となった有名な患者H.M.。著者は、彼を長年研究した医師である。本書で彼はH.M.=ヘンリー・グスラフ・モレゾンとして再度名前を与えられ、単なる特殊な症状を有する研究対象ではなく、ひとりの人間としての彼の人生に光を当てられる。多くの脳神経科学を紹介する本でも紹介されたH.M.が、つい最近の2008年まで存命だったというのは驚きだ。今後脳の海馬切除手術は行われることもなく、H.M.のような患者は二度と現れないことを鑑みると、PETやfMRIなど脳内の活動を計測する装置が進化した近年まで存命であり、それらによる検査を受けることができたのは科学にとっても幸運だったのではないだろうか。27歳のときから50年以上も長期記憶を失って生きるということがどういうものだったのか。それは彼にしかわからない領域だ。本書はそのような彼と彼の時間に対してささげられた本である。

    本書の内容は、ヘンリーに対して行われた注意深くデザインされた実験により明らかになった人間の記憶のメカニズムと、海馬を切除されてもそのことを受け入れなお心優しき人間として生きるヘンリーの実像という二つのテーマを絡めて進められる。

    ヘンリーとの実験によって脳神経科学にもたらされた知見は大きい。ヘンリーは、長期記憶に変換する能力を失ったが、短期記憶の能力は失っていなかった。また、陳述記憶は記憶する能力は失ったが、運動スキルなどを覚える能力は失われなかった。こういった事実から、短期記憶と長期記憶の違い、長期記憶として保存するためのメカニズム、陳述記憶と非陳述記憶の違いなどが明確にされた。作動記憶(ワーキングメモリ)に関する研究も進んだ。そして、記憶のメカニズムが、情報の符号化、貯蔵、検索といったことを実現するための異なる過程の集合体であることが解明されてきた。その知見をもとに研究が進んだレム睡眠中での海馬の活動もとても興味深い。ノーベル賞受賞者の利根川進も、海馬による学習と記憶の仕組みについて遺伝子学の知見を持ち込んだ研究で成果を出したことにも触れられている。

    死してなお、その脳をスライスされて保存されたヘンリー。それにしても、比較的広く行われたロボトミー手術の例もあるように半世紀やそこら前には人間の脳を切り刻むことが行われていたのは驚きであるし、また海馬切除されたヘンリーが記憶障害以外では(てんかん治療の薬によって萎縮が見られた小脳以外は)大きな問題がなかったこともまた人の脳の柔軟性という点で驚きなのである。R.I.P.と言いたくなるが、彼にとってそう言われることの意味はまたどこにあるのだろうか。

  • 重いてんかんの治療のため内側側頭葉除去手術を受け、重度の健忘症を発症したH・Mことヘンリー・モレゾン氏の生涯と、50年にわたる精神医学の発展を40年以上寄り添った神経科学者がまとめた実録。

    彼の悲劇はたくさんの新知見をもたらして、医学の発展に寄与し、死してなお現在も寄与し続けている。
    果たして彼は幸せだったろうか?
    それは本当にはわからないことだけれど、これを読めば、彼の人生には、永遠の今現在しかわからない悲劇とともに、ユーモアと人のぬくもりがあったことはわかる。

    cover photo / copyright:Serge Kozak/Corbis
    cover design / 田中 久子
    原題 / "PERMANENT PRESENT TENSE : The man with no memory, and what he taught the world"(2013)

  • 重度のてんかん発作に苦しむ姿を見かねて、当時の最新脳外科手術を受けさせた両親に残されたのは、健忘症のわが子だった。確かに発作は激減したが、今日が何日か、朝食に何を食べたか、数分前に言ったことさえ思い出せない息子を背負うことになる両親。出会う人の顔も、訪れた場所も、日々のどんな経験もすぐに脳裏から消え失せ、亡くなるまで永遠の現在に閉じ込められることになった息子ヘンリー。彼はその後も人生を正常にしてくれる医学の進歩を待ち続けたが、ヒトの脳がもつ記憶のメカニズムを研究するための完璧な患者であり続けた男の物語。

    不遇の生涯をひたすらウェットに追いかける感動ドラマを期待すると肩すかしに合うだろう。著者の視点はあくまでドライで科学者の視点なのだから。 「現在が刻々と過ぎ去っても、まるで足跡を残さないハイカーのようにヘンリーの記憶はなんの痕跡も残さない。そのような状態にある人は、どのようにして自分を自分と認識するのだろうか」。自分が何者であるかを示す豊かな感覚的、情動的な自伝的記憶に障害を持ち、ある出来事から別の出来事へ意識して時をさかのぼる能力に欠ける健忘症患者の自己認識は一体どんなものだろうか?

    研究対象としてのへンリーの価値はますます上がっていった。「自分と同時代になされた科学的発見のなかで、へンリー研究と実は関連していることがわかったり、へンリーの研究によって裏づけが取れたりするものが実に多いことに、私たちは驚かされどおしで、ヘンリーの研究はわが研究室の名声にとってかけがえのない宝物だった」と著者は述べる。著者は、彼に対する研究や取材の窓口となり取捨選択も行なっていたため、「囲い込んでいる」と非難も受けた。

    短期記憶のみで生きていくヘンリーは、意外なほど温厚で愛想が良かった。彼はつねにそのー瞬一瞬を生き、日常の出来事を満喫し、日々の多くのストレスと無縁でいられた。確かに長期記憶は生存に必要なものだが、時にそれがわれわれを苦しめ、重荷となっている。これがあるばっかりに、心の痛みやトラウマ、問題をなかなか忘れさせてくれず、重い鎖で縛られる。ときに私たちは記憶に埋もれて生きるあまり、現在に生きることを忘れてしまっている。

    「日常生活で直面する不安や苦しみの多くが、長期記憶や、未来の心配や予期から生じるものであることを考えると、へンリーが人生の大半をほとんどストレスに煩わされずに生きた理由も見えてくる。彼は過去の思い出にも、未来への思い入れにも邪魔されずに生きた。長期記憶をもたずに生きるのは恐怖以外の何者でもないが、つねにいま現在を見据え、三〇秒という短く単純な世界に生きることがいかに開放感に満ちているか、私たちは心のどこかで知っている」

    しかし記憶を奪われたへンリーは、人生で避けようのない別れを余人のように悲しんだり処理したりすることができなかった。大好きなおじの死を耳にするたび、彼は悲嘆に暮れ、やがて悲しみが薄れると、いつまたおじさんが訪ねてきてくれるかと母に尋ねるのだった。

    「私たちの多くにとって、自分の個人史は自己を定義する根本的なものであり、私たちは過去の経験について思いをめぐらせたり、自分の物語が将来どのように進展するかを想像したりするのにかなりの時間を費やす」。ヘンリーは、過去を覚えられないのと同様に、未来を想像することもできなかった。彼は人生が前に進んでも自分史を構築することはできず、短期、長期の別を問わず心の中で時間を進めることができなかった。

    「記憶を持つことで得られる大きな恩恵に、互いを知る能力、というものがある。私たちは共有された経験と会話をとおして関係を深めていく。そして記憶する能力がなければ、このような関係が紡がれていくのを見届けることはできないのだ。へンリーは生涯で多くの友人を得たものの、これらの関係の真の奥深さを感じ取ることはできなかった。彼は他者をよく知ることができず、悲しいことに、彼を知るすべての人 - そして全世界 - に自分が永遠に変わらない印象を与えたことを知らなかった」。

  • 脳の一部摘出手術を受け記憶する能力を失ったH・Mことヘンリー・モリソンについて50年近く研究を通して歩んできた学者がその間得られた脳の機能について、およびH・Mの人生について記述する。
    H・Mは転換の重い発作のため1900年代半ばに海馬周辺の摘出手術を受ける。その時はわからなかったが、両方の海馬の機能を失うことで30秒程度以上の記憶を保持することがほとんど出来なくなってしまった。一方手術以前の記憶は残っていたり、体を動かすような記憶や意味記憶(エピソード記憶でない)はわずかではあるが出来ていたりする。これは記憶が単に脳のある箇所だけで行われるのではなく、様々な部位で行われることを示した。また意識なるものはもっと複雑な作用で成り立つことが徐々にわかってきている。

  • 2015年3月新着

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