- Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152094308
作品紹介・あらすじ
ピュリッツァー賞を受賞した女性ジャーナリストが三年余にわたり密着したインド最大の都市の実像。貧困と過酷な現実の中で懸命に生きる二家族の姿を描き、全米図書賞ほか各文学賞に輝いた傑作。
感想・レビュー・書評
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キャサリン・ブーは、元ワシントン・ポスト紙記者、ニューヨーカー誌記者で、ピュリッツァー賞受賞歴もあるジャーナリスト。
本書は、2012年に出版され、同年の全米図書賞(ノンフィクション部門)をはじめ多くの文学賞を受賞したほか、ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙、エコノミスト誌など、米英の有力紙誌の年間ベスト・ブックに選ばれるなど高く評価された。日本語訳は、2014年出版。
本書は、インド最大の都市ムンバイの国際空港に隣接する「アンナワディ」という3,000人が暮らすスラムを舞台に、長男の青年アブドゥルがゴミの買い取り、仕分けで11人の家族を養うムスリムのフセイン家と、野心家の母親アシャがアンナワディの権力者となり、中流階級にのし上がろうと画策する、ヒンドゥー教徒のワギカー家の二つの家族を中心に、急激な発展と貧困が隣り合い、せめぎ合う、ある意味「世界の縮図」とも言える街の人びとの日常を、そこに生きる人びとの目線で描いたノンフィクションである。
著者は従来、米国内の貧困問題に取り組んでいたが、インド人の夫と出会い、インドを訪れたときに目にした、急速に豊かさを増す一方で、世界の貧困層の1/3、飢餓状態にある人びとの1/4を抱える、この国の問題を取り上げた本がないことに気付き、3年に亘りアンナワディで密着取材を行い、本書を書き上げたという。
著者はあとがきで、「三年間、私たちは一緒に疑問と格闘した。ネズミの走り回る、ゴミの積まれたアンナワディの小屋に通い、きらびやかな深夜の空港へ盗みに入る少年たちと行動をともにする日々が、はたして不平等なグローバル社会で機会を追い求めて模索するとは何かを理解することにつながるのだろうか。たぶん、そうなのだ。私たちはそう結論を出した。」、「アンナワディの話が広大で多様性に富むインド全体を代表しているとは言えないし、21世紀の世界における貧困と機会の問題を端的に表しているとも言えない。どのコミュニティも一つひとつ事情は異なり、そのすべてに意味がある。それでも、アンナワディの現状は、私がこれまで見てきた他の貧困地域で目にしたことと共通しているという印象を強く受けた。」と語っている。
私はもともと、今日の世界の多くの問題の根底にあるのは「不平等/格差」であると考えており、本書を手に取った理由も、著者の問題意識と同様であったし、本書はそれをある程度明らかにしてくれた。
ただ、本書を読み終えて、それ以上に心に残ったのは、アブドゥルが友人のスニールに、「誰かを見たり、誰かの話を聞いたりしてて、この人にも人生があるんだよなって考えたことはないかい?・・・たとえばさっき首をつろうとした女の人とか、たぶんその前にその人を殴ったりした旦那とか。どんな人生なんだろうって思うんだ・・・そんなことを考えると息が詰まる気持ちになる。でもそれも人生なんだ。犬みたいな生活をしてる人だって、人生を生きているんだよ」と語り掛け、「自分にも人生がある、とスニールは思う。ひどい人生なのは間違いない。カルーの人生みたいにあんなふうに終わりを迎え、やがて忘れられるのかもしれない。スラムの外の人々にはどうでもいいことなのだから。それでも、駐車場の屋上で身を乗り出しながら、もっと身を乗り出したらどうなるだろうと考えたとき、ちっぽけな人生でもやはり自分にとっては大事な人生なのだと、スニールは思ったのだった。」と描いている場面だった。
どのような境遇の中であろうと、そこで生きる一人の人生は掛け替えのないその人の人生である。それは、インドのスラムで生きる人の人生も、米国大統領の人生も、究極的には等しいものなのだ。それが「不平等/格差」の存在を肯定する理由にはならないことは言を俟たないが、私は本書から、忘れかけていた大切なメッセージを得たような気がする。
(2020年5月了)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ノンフィクション
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インドに行く前に読んでいた。まるで小説のように書かれているけれど、ノンフィクション。泥水の中でも澄んだ氷のようでいたい、というようなフレーズが印象的だった。
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ノンフィクションなのかフィクションなのか分からなくなるような、真実の話に引き込まれた。貧しい者が奪い合うだけでなく、富めるものや、警察、ソーシャルワーカーまでも貧しい者を利用して、利益を得ようとする社会で、運命を受け入れ生きる人、受け入れきれない人の生活が、本人の思いに即して、淡々とつづられている。
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世界に生きる人々
それも
かなり厳しい状況の中で
暮らす人たちの
ことを知れば知るほど
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の宮沢賢治さんの言葉を思ってしまう
だから?
と 問われてしまっても…
「知るところ」から
始めるしかないのかな
とも 思う
原文は英語で書かれている
いつか
この本を読んでいる人と
出逢うような気がする -
ムンバイのスラムのお話。
少しでも良い生活のために日々戦う人達。
腐敗に対して他の人がやってることよりましと整理してしまう考えがちょっと恐ろしい。。。
2014/6 -
インドのスラムのお話です。原題は"Behind the Beautiful Forevers"で、ムンバイ空港の脇にある"Beautiful Forevers"と書かれた壁の向こうのアンナワディというスラムが舞台のドキュメンタリーです。
登場人物はすべて実名で、本の中に書かれていることは全て3年半のかけて取材した事実だそうです。
スラムの人たちの目線で毎日の生活や、目標や不安等について書かれているので、インドの本や貧困問題の本を何冊か読んだ後で読むととても面白いです。
ただ、警察や公共サービスの腐敗がひどくて、毎日一生懸命働いてきたスラムの人たちがいかに一瞬で破産したり死んでしまったりするかというのが読んでいてとても辛いです。
インドでは全てが予測不能で不安定だからいろいろな工夫が生まれると言うけど、その一方で努力しても結果がついてくるとは言えないので気力がくじかれてしまう面もあるというのが印象的でした。