滅亡へのカウントダウン(上): 人口大爆発とわれわれの未来

制作 : Alan Weisman 
  • 早川書房
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感想 : 18
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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152094254

作品紹介・あらすじ

四日半ごとに一〇〇万人の割合で増加し続ける人口は、地球環境にいかなる影響を及ぼすのか? 少子高齢化のなかで繁栄を保つ日本を始め二〇余カ国で徹底取材。『人類が消えた世界』を超える傑作

感想・レビュー・書評

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  • 新年早々、なかなか刺激的なタイトルだが、陰謀論めいた話でもなければ、悲観論のみに終始した内容でもない。

    新しい年を迎えると、人は「おめでとう」と言う。友人や知人に赤ちゃんが誕生しても「おめでとう」と言うだろう。だが、そんな身の回りの「おめでとう」の集積が、社会や世界全体で見た時にも、本当に「おめでたい」状況になっているのか。そこには、直視しなければならない現実がある。

    ホモ・サピエンスが初めて姿を表してから、人口が10億人に到達するまでにかかった時間は20万年。その後のわずか200年余りで人口は約70億人までに膨らんだ。そしてその勢いは留まるところを知らない。もしも人類がこのまま軌道修正をしなければ、2100年の人口は100億人以上になるのではないかという予測もあるほどだ。

    その数値を目にした時、誰しもが頭に浮かべるのは次の問いかけだろう。はたして地球は、人口の総数を収容できるのだろうか?そして、それは持続可能性のあるものだろうか?

    著者は『人類が消えた世界』でおなじみのアラン・ワイズマン。前著は思考実験の書であったが、今回は中国、ニジェール、インド、ヴァチカンなどの様々な国を実験室さながらに観察し、各国の現状を描き出す。人口が直面している課題は国ごとに様々。そして、その課題を生み出すファクターも、政治、宗教、倫理、科学と千差万別なのである。

    イスラエルの超正統派ユダヤ教徒には、平均して一家族当たり7人弱の子供がいるという。そのせいで、エルサレム最大の街区では人の多さに押しつぶされて街が荒廃し、1/3を超える世帯が貧困ラインを下回る。彼らの目的は、自分たちの宗派の勢力を拡大するということ。要は宗教上のファクターによる人口レースが、人口過剰の大きな要因となっているのだ。

    一方、イギリスの人口増加は歴史的な要因に端を発する。増加する人口の2/3以上が、旧植民地からの外国人移民とその子供たちなのだ。過去200年にはなかった速さでの人口増加は、インフラ面における大きな問題を引き起こしているほか、増加するイスラム教徒に対する警戒心が、新たな人種問題につながる徴候も見え始めている。

    さらに特異なケースとしては、イランの例が紹介されている。女性1人あたり約9人という生物学的には限界寸前であった出生率が、たった10年間で途上国の最低レベルの2.1人にまで下がったというから驚く。彼らがやったことは、あらゆる避妊手段を無償で提供したほか、メディアを通じてのキャンペーン、結婚前の講習など、至極真っ当なことばかりである。また、女性の教育向上や出産の決定権が人口に大きな影響を与えているという因果関係が見られるのも興味深い。

    このような人口の問題が表面化するまでに、歴史的にはいくつかのイノベーションが存在した。その一つが1913年にドイツ人の手によって為された農業技術のイノベーションである。ハーバー・ボッシュ法と呼ばれる手法により、空気中の窒素を捉え、人口肥料をつくることが可能になった。もしこの人工的な窒素肥料の道が拓かれなければ、世界の人口は当時の20億人程度に留まっていたのではないかとも言われている。

    そしてこれらの人口に大きな影響を与えた人物が、光と影の両面を併せ持っているのも特徴的だ。ハーバーとボッシュが果たした農芸化学の発展が、二つの世界大戦を長引かせる要因にも大きく貢献したことは有名な話であるし、人口論の大家とされるマルサスも陰鬱であるという批判を受け、今なお評価の分かれる人物である。

    それだけ人口をめぐる問題というのは、一筋縄ではいかない難解なテーマと言えるだろう。単一の分野や、特定の国に閉じた視点では見えてこない問題が多々あり、読み進めるほどに一個人に出来ることなど何もないという無力感を感じたほどである。だが本書の後半、一章の分量を割いて記述される日本のパートを読むことで、少し考えも変わった。

    先進国において多産多死から少産少死へと転換する、最初の国としての日本。日本が直面する課題は、これから多くの国が後に続く問題だ。それは同時に「人間は成長なしに繁栄出来るだろうか?」という大きなテーマを我々に突きつける。世界の人口問題を、実験室さならがらに見ていると思っていたのだが、実験室はこちらの方であったということだ。

    日本の未来を語る著者の論旨は、居住地としての地方の魅力がこれまでなく増していくというものだ。小規模で地元に根差した市場が新たな魅力を得て、繁栄という語が再定義され、絶え間ない集積ではなく、週あたり労働時間の短縮と生活の質が重視される。描き出されているのは、そんな明るい社会像への兆しだ。

    人口を増やすだけでも減らすだけでもなく、均衡を取り続けていくことの難しさ。適正値がどこにあるのかも分からないし、それが変動することへの難しさもあるだろう。だが、どんなに世界規模の複合的な要因による課題であっても、全てのことを同時に解決する必要などない。何か一つの大きなファクターがきっかけとなり、連鎖的に解決されていくはずなのである。そう考えると、日本におけるマインドセットの転換というのは、世界の人口問題を解決するための重要なインジケーターになるのではないかと思う。

    様々な領域に及ぶテーマであるがゆえに、本書のメタアナリシスに沿って概況を俯瞰していくことは、自分自身との接点を見出しやすくしてくれる。待っていれば誰かが何とかしてくれるという姿勢が思いっきり前のめりに変わる本書を、2014年最初のオススメ本にしたい。

    最後になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします!

  •  タイトルだけ見ると「大予言系トンデモ本」のようだが(原題は“COUNTDOWN”というシンプルなもの)、実際にはごく真面目なノンフィクションである。

     米国の著名な環境ジャーナリストが、丸2年を費やして世界21ヶ国を取材・調査で巡り、書き上げた大作。巻末の参考文献リストだけで80ページ近いという代物で、取材調査の厚みがすごい。

     中身は、一言で言えば「21世紀版『成長の限界』」とも言うべきもの。
     ローマクラブに委嘱された科学者たちによって1972年に発表されたレポート『成長の限界』は、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と結論づけ、世に衝撃を与えた。

     穀物生産量を飛躍的に上昇させた「緑の革命」や、近年のシェールガス革命などによって、「成長の限界」は遠のいたかのように見える。だが、著者は「緑の革命」もシェールガス革命も、一定の「猶予期間」を与えたのみで、人類が存続の危機を迎える日は遠くないという。

     今世紀中には100億人を超えるとも予想される世界人口は、地球環境のキャパシティを大幅に超えるものであり、四重、五重の危機を人類にもたらす。食糧危機と飢餓、水不足、土壌の汚染と劣化、気候変動など……。
     綿密な調査で浮き彫りにされた各国の現状は、読む者を慄然とさせずにはおかない。

     だが、本書はいたずらに不安を煽る内容ではない。著者は21ヶ国を巡る旅のなかで、懸命に希望の光を探そうとしているのだ。
     たとえば、日本を取材した第13章。その中で著者は、日本の少子化と、豊かな自然が残る地方への若者たちの回帰に、一筋の希望を見出している。また、イランやタイのように、さまざまな問題を抱えながらも少子化政策に成功している国も紹介されている。

     環境問題を扱ったノンフィクションではあるのだが、著者の目配りは幅広く、宗教や経済、各国の歴史と文化、女性の社会進出など、さまざまなテーマが付随的に論じられる。
     詰め込まれた知的刺激の豊富さが素晴らしい。ジャレド・ダイアモンドの諸作に近い“文明論的ノンフィクション”の力作といえよう。

  • 地球の人口が増えすぎて、この先大丈夫だろうか。という問題に取り組んでいる。
    それはまるで、ダン・ブラウンの作品「インフェルノ」にでてくるゾブリストの思想のようであるが、本当にこのまま人口を抑制しなければ、未来はどうなるのであろうか。

  • 日本も含む世界20か国以上を丹念に取材した、とてつもない大著。
    巻末に長い謝辞と参考文献一覧がついているが、さもありなん。これだけのものをまとめるのには、筆舌に尽くしがたい労力がかかったはずである。その成果をスラッと読ませてもらっちゃって申し訳ない、そんな気すらしてくる。

    さてその内容はといえば、ご立派な学歴も地位もある男たちの愚行と、そんな男たちに差別・迫害・虐待を受け、自分の名前も読み書きできないにもかかわらずの女性たちの聡明さ、これに尽きる。
    日本では「少子化の危機」が叫ばれて久しいが、実は人類は多すぎる。地球という惑星が養える限界を超えているのだ。1組の夫婦が「最低でも2.2人」生まないと人口は維持できないなどというが、実のところめざすべきは、人類全員我が子は1人、いても2人。2.2人なんて「愚行」をやっていては、行き着く先は飢餓——産児制限のような穏当なものとは真逆の、自然による暴力的で悲劇的な「間引き」だ。
    女たちは、みんなそれをわかっている。赤子の授乳も終わらないうちに次の子を孕まされるような生活では、先に生まれた、まだ無力な子の世話もままならない。少なく、間遠に生んで、その全員に充分な世話と教育をほどこし、大切に育てる。どんな僻地のどんな無学な女性も、みんなそれをわかっている。
    でも…と目を伏せて、女たちは口ごもる。子供の数——もっと言えば女を組み敷き、犯して、孕ませること(「子供を育て上げる」ことではないのだ)を「男の勲章」と捉える夫たちが、それはけっして許さないだろうと。男たちは妻がどんなに懇願しても(そもそも妻に「口出し」など許さない男も多い)コンドームをつけず、ピルを使わせず、好き放題に「中出し」して、あとは野となれ山となれ。
    産めないのはいたしかたないが、育てることすらしようとしない男どもが妊娠出産を支配し、女性の健康を損ない、子供たちを多産多死の劣悪な環境へ追いやり、地球と人類とを滅ぼさんとしているのだ。これが、愚行でなくて何だろう。
    本書を読むと、我らが母なる地球がすでにぼろぼろに傷つき、瀕死の状態であることに衝撃を受ける。それとともに、時と場所がどう変わろうとも、愚かな男どもにぼろぼろに傷つけられ続けている女性たちの悲惨に、胸が詰まった。
    いろいろと悲しく、絶望的な、でもけっして目を逸らしてはならない「真実」の書である。

    2017/4/28〜5/9読了

  • 前作で人類が消滅した世界はどうなるかを解明しようとした筆者による、人類が存続できる世界を維持するにはどうしたらいいか? が主題になった著書。

    最重要に位置付けられているのは人口問題。
    20世紀初頭には15億程度だった世界の人口は、100年と少ししか経過していない現在では70億。このままの増加傾向が続けばあと半世紀で世界の人口は100億を越えると予測されている。

    そうなった場合どうなるかは実際のところわからないんだけど、暗い見通しのほうがまあガチ。
    とはいえ、統計だけを見てああだこうだ言うよりも、実際に世界中の社会の中でどういうことが起こっているかミクロ視点で丹念に洞察しながら疑問の答えを追求していこうというのが本書の基本的なスタンス。
    「法律が守ってくれない以上、頼れるのは家族しかいない」「少しでも子供を多く作ることが、自分達の身を守ることに繋がる」と語る、パレスティナのある女性の姿を皮切りに、先進国も途上国も含めた各地の社会で生きる人々の声を拾い上げていく。

    読んでいて好感を持ったのは、特定の誰かの声に肩入れしようとするのではなく、あくまでも人々の姿を出来る限りありのままに映し出そうと試みている点。それぞれのチャプターはノンフィクション群像劇のようで、点景の記述は(多少論旨の明確さやテンポを犠牲にしつつも)冷徹な姿勢で為されている。
    人口問題といえば基本的には多いか少ないかという話でしかないんだけど、そこに至る導線がどういうものなのかは地域によって様々なのだなあということを思わされる。
    若干疲れるけど、読み応えのある一冊だった。

  • 読了。
    地球の資源、エネルギー、食糧のキャパシティーは平準化すると僅か20億人。
    其れを是迄は一部の人間が情報格差を武器に占有してた訳だが、70億人に増えた人類に情報格差が無くなったら何が起こるか?限られた資源、水、食糧を確保するためのハレーションが起こるのは必然な訳だ。平和を称えるのは正しい事だが、生き残りを賭けて闘うのは、矮小な人間の必然であり、その中で我が身を守る為に何が必要か…。難しい時代である。

  • フリッツ・ハーバーは、1905年に窒素と水素を鉄触媒に通すとアンモニアが生産できることを発見した。BASFはその技法の権利を取得して、エンジニアのカール・ボッシュが産業規模に拡大する溶鉱炉を設計し、1913年からアンモニア合成プラントを稼働させた。アンモニアは窒素肥料である硫酸アンモニウムの原料のほか、合成硝石に転換して火薬や爆薬の生産にも用いられた。

    国際コムギ・トウモロコシ改良センター(CIMMYT)の所長を務めたノーマン・ボーローグは、病気に強く収穫の多い小麦を開発し、収穫量を6倍に増やした。

    途中撤退。

  • 下巻に記載

  • デリケートな問題だから言葉を尽くさなくてはいけないのは理解できるけれど、これではたくさんの人に読まれないのではないかと危惧してしまいます。

    できるだけ簡単に書かれたものが出回れば、あまり本を読まない人にも広まるのかな。広まればいいなと思います。

  • 1992年の地球サミット、国連環境開発会議では「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」やアジェンダ21など持続可能性に関わる5つの重要な合意がなされた。しかし、例えばアジェンダ21では「人口動態と持続可能性」に1章を裂きながらも実施手段としては有効な方法あるいは言葉が協定案から削除されている。それが「家族計画」と「産児制限」だ。

    I=PAT(インパクト=人口x豊かさxテクノロジー)は生態学の規範となる式だが大事な点はこの式は時間とともに足し合わされるということだ。ビル・ゲイツの様な楽観派は持続可能性はイノベーションが解決する、またイノベーションで解決するしかないという。Tの値を小さくすれば人口と豊かさを保ちながら影響を抑えられると。それでもビル&メリンダ・ゲイツ財団は国連人口基金の資金の81%を拠出している。イノベーションとは新しい科学技術とは限らない。

    93年第一回世界適正人口会議である試算が出された。93年を基準にエネルギー使用量を3KW/人(貧困層は3倍使えるがアメリカ人は1/4という水準)に抑えたとすると人口が100億人になったとして総エネルギーは30TWになる。93年の13TWをグリーンテクノロジーの開発で6TWに抑えられれば持続可能かもしれない。ここから計算すると生きて行ける人口は20億人となった。1930年代の人口だ。当時は一人1KWのエネルギーしか使っていなかった。飛躍的なテクノロジーの発展がなくても4.75kW/人であればやっていける。この場合は15億人だ。

    ヨルゲン・ランダースの「成長の限界」は新たな油田の発見やノーマン・ボーローグの緑の革命で一旦は限界を超えたかに見えた。しかしノーベル平和賞の講演でボーローグ自身が言ったように「飢えとの闘い」では時間を稼いだに過ぎない。実際に緑の革命は地下水に頼っており世界中で井戸の深さはどんどん深くなっている。ランダーズ自身は続編の「2052」では世界人口は81億人で飽和すると楽観的な予測を建てている。それでも地球は今よりも住みにくくはなるのだが。

    足りないものは何か?食料、水、天然資源、生物の多様性は低下し、人口密集はパンデミックに弱い世界を作る。単一作物の大量栽培は生産量では優位に立つがこれまた病気に弱い。例えばイスラエルとパレスチナはヨルダン川西側の帯水層の地下水に頼っている。イエスが洗礼を受けたヨルダン川の水は畑や養魚場からの流去水になてしまっている、死海で浮いてみようなんて考えない方が良さそうだ。水が足りないのは人間だけではない。アフリカからの10億羽の渡り鳥がイスラエル上空を通過している。ジブラルタルやシチリア経由の鳥もいるがメインストリートはここだ。すでに多くの鳥が農薬や農地のためにつぶされた湿地のためにいなくなっている。一旦はつぶされたが水源のガリラヤ湖の濾過装置であることがわかり復活させたフラ湖は以前の1/10ではあるがかろうじて筒の宿営地として残されている。渡り鳥がいない世界で生態系の連鎖は何を引き起こすのか?大躍進政策の中国では落ちた稲を食べる害鳥としてスズメが目の敵にされ追い立てられた。結果としてはイナゴが大量発生し飢饉に輪をかけることになり3年間で最大4500万人が餓死している。

    どうみても非人道的な中国の一人っ子政策だがもしかするとその恩恵を受けたのは中国以外の国だったのかも知れない。一人っ子政策のおかげで4億人の中国人が生まれてこなかった計算になる。それでも水不足は深刻で南水北調という世界最大のー三峡ダムを超えるープロジェクトが進められている。それでも食料は輸入に頼り、不足するエネルギーを埋めるには当面石炭を燃やさざるを得ない。4省を覆うスモッグを生み出そうとも。中国の非人道的な社会実験は10年足らずで人口増加の歯止めをかけることができることは示したわけだ。男女比1.18という歪んだ人口比は若い数千万人の独身男性となり社会的緊張を生み、2040年には80歳以上の人口が1億人を超える見込みだ。現在6ポケットの中国の子供達は30年後6人を養うことになる。それでもさらに4億人を抱えるのに比べればまだましなのだろう。

    カウントダウンは下巻へ続く。

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