世界はなぜ「ある」のか?: 実存をめぐる科学・哲学的探索

  • 早川書房
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感想 : 15
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  • Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152094148

作品紹介・あらすじ

万能の天才科学者ライプニッツが問うた、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」という古来の難問を、哲学、宗教、科学の広い領域の学者に取材し突き詰める。二一世紀に蘇る知のルネサンス

感想・レビュー・書評

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  • 48ページまで読んだ。ギブアップした。定年後に読もう。

  • 最初は「形而上学の問題に科学で答えを得ようとする感じ」ですが、「ほんとうに世界は善に満ちているのか?」とか「時間とはなにか?」「神の存在」「物体の構成」といった問いに触れてくるあたりからおもしろくなってくる。ヒュームと因果についても最後のほうで読める。

    全体としてとてもおもしろいのだけど、とくに「地球を支える亀が永遠に下まで続いている」という考えを真剣に捉えて考えるあたりがおもしろかった。

  • 一文、いや一節を飲み込むのに時間がかかり、少しずつ読み進めて三年かかって読み終えた。
    ふー!
    でも面白かった!
    なぜ何もないのではなくて何かあるのか。
    世界、そこに繋がる自分。
    それを科学、物理学、哲学、宗教と様々な分野の人々にインタビューして考察する。
    エッセイ風に書かれているのもとっつきやすくて助かった。
    とびきり良くもなく、ものすごく悪くもない平均平凡な世界が生まれる確率が一番高かったのでは、という説が今のところは受け入れやすいのだけど、引用の本を読みながら考えていきたい。

  • 難しすぎた

  • ☆ライプニッツが提唱した存在の謎。
    ☆人間原理を思い起こす。

  • 素晴らしいの一言に尽きた。この世界はなぜあるのか。なぜ何もないのではないのか。そもそも無とは何なのか。それについて宇宙、量子論、存在論的思考、プラトン的世界、観念論など多数の理論から考えている。ハイデガーが「無は無化する」と一見馬鹿げたような言葉を遺したが実はそうでとなかったりする。というのは、この世界はセレクターの無い世界であり、それは極めて平凡な宇宙しか生み出さないことを意味している。つまり、無といったように極端な世界は生み出されないのだ。つまり、この世界にセレクターが存在しない限り、無は存在しないのだ。この論理を読んだ時、私は震えた。例えこの論理が観測されないものだったとしても、それを真だと考えることに不足はないだろう。ただ、一方でそれに満足した途端に哲学が終了してしまうという側面もある。哲学に終わりが見えないとしても、どこかには果てがあるのかそれともないのか。それは人間には最後まで分からない命題のように思える。だがそれでも私たちはそれを追い求めないわけにはいかない。私たちはその呪われた宿命を背負いながら生きていくしかないのだ。

    ああ、それにしてもこの本は長すぎた。

  • 「実存をめぐる科学・哲学的探索」ということで、科学の方は理解できるが、哲学のほうが何を言ってるのかさっぱり分からなかった。頑張って最後まで読んだのに。

  • 科学のカテゴリに入れたが、ある意味哲学書でもある。

    人にとっても最も根源的で最も難解な問いである、「世界は
    なぜあるのか」について、様々な哲学者や科学者、作家に
    インタビューを行い、著者自分なりの答を導き出そうという
    本だ。著者なりの結論は一応書いてあるのだが、その結論
    よりも、そこに至るまでの様々な立場の人間の意見とそれに
    対する著者の反応の過程こそが面白い本だと思う。

    私は世界を創造した「人格神」といったものが存在している
    とは思えないのだが、この宇宙を生み出した何かが存在して
    いるのなら、人間が自分の都合でそれを神と呼んでも差し
    支えないとは思っている。人は信仰がなければ生きていけ
    ないものだとつねづね思っているしね。

    著者が本当に書きたかったのは自分なりの答の後に書いて
    いたことではなかったかと、ちょっと思ったり。

  • 「世界はなぜあるのか」、つまり「なぜまったく何もないのではなく、何かがあるのか」という哲学、物理学、そして神学に関わる問いについて、過去の哲学者や科学者を引き合いにだしながら、その道の専門家と思われる人へのインタビューを重ねた本。変わった印象を与える本だ。

    著者の知識は広い。選んだテーマからして当然、哲学関連の知識もある。古くはタレス、ソクラテス、アリストテレスから始まり、デカルト、カント、スピノザ、ライプニッツ、ヘーゲル、フィヒテ、シェリング、キルケゴール、ショーペンハウアー、ハイデガー、フッサール、ベルクソン、サルトル、ノージック、ネーゲル、ジョン・サール、ダニエル・デネット、チャーマーズ、ウィリアム・ジェームズ、などなじみの顔が揃う。また数学および論理学の偉人でも、アルキメデス、パルメニデスから始まり、ラッセル、ウィトゲンシュタイン、カントール、カルナップ、クワイン、ゲーデル、クリプキの名前が並ぶ。そして、物理学からもアインシュタイン、ボーア、シュレディンガー、ハイゼンベルグ、ワインバーグ、フリードマン、エベレット3世、ファインマン、ホーキング、ペンローズ、ヴィレンキン、サスキンド、ブライアン・グリーン、と錚々たる名前。神学の方面からも問いを巡らし、カール・バルト、トマス・アクィナス、アンセルムス。

    世界の起源についての科学的知識はこの数十年の間に飛躍的に拡がった。インフレーション宇宙や真空のゆらぎ、などはほぼ業界のコンセンサスとしてひとつのパラダイムを構築しているように思える。その結果、多宇宙論といった人間の認知限界を超えているのではと思われる考えについても一定の賛同が得られている。一世紀前と現在の違いは、この物理学で蓄積された知識だろう。存在や生成のメカニズムがかつてないほどの確度で明らかになっており、認知の限界が100年前と比べて格段に深化されている。そして、その結果いくばくかの人間原理にも囚われることになる。

    ウィトゲンシュタインが言う「神秘的なのは、世界における物事のあり方ではなく、世界が存在するというそのことである」とし、「世界は私の世界である」であり「私は私の世界である」と言ったところから、実のところ進めていないようにも思う。また、ハイデガーが「無はあまりにも現実的で、存在の世界を壊滅の脅威にさらす、「無効かする力」みたいなものだった。だからこそ、「なぜまったく何もなにのではなく、何かがあるのか?」という問いは、「最も深く」、「最も遠大」で、「最も根源的な問い」だと明言した」

    本書の多くは、専門家へのインタビューで構成されるが、それはどこか搔痒感がわく。本を読み進めても、核心へ近付いているという感覚が持てない。

    実際に著者がインタビューをしたのは以下の面々である。

    アドルフ・グリュンバウム、哲学者
    リチャード・スウィンバーン、宗教哲学者
    デイビッド・ドイッチュ、多宇宙論
    アンドレイ・リンデ、物理学者
    アレックス・ヴィレンキン、量子宇宙論
    スティーブン・ワインバーグ、量子論
    ロジャー・ペンローズ、宇宙物理学者
    ジョン・レスリー、哲学者
    デレク・バーフィット、哲学者
    ジョン・アップダイク、作家

    彼らと話をするために、ニューヨーク、オックスフォード、パリを巡る。

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」という問いはつかまえどころがない、あるいはまったく支離滅裂だと思う人にはこう申し上げる ― 知の進歩は往々にして、まさにそのような問いを、初めて発した者には予見できないやり方で洗練させることによってなされてきたのだ」というのが著者のモティベーションである。そうであるなら、その道は半ばである。本書にて、その答えを求めるべきではない。まずは、そういった問いに慣れ親しみ、楽しむことだ。そして、人間だけが今のところそうすることができる存在であるのだから。

    面白いかどうか、理解できたのかどうか、と問われると微妙、だけれども、この問いを興味を持って問い続けることは必要なことのように思える。そういう意味で言って面白かったよ。

  • あるということを考える。無ということも考える。西洋哲学的アプローチをいろいろな面から書かれていて、読みやすかった。
    が、やっぱり、むつかしい。
    科学、哲学、宗教、いろいろ考えて見ることは面白い。

    個人的メモ一つだけ

    プラトンの洞窟の比喩。
    人間は、洞窟で鎖に繋がれ、壁に映る影だけを見せられている。背後の本物の世界が動いていてその影を見ていることに気づかない。
    本物の世界を見に行った人がそのことを伝えようとしても、目が明るさに慣れていて、もう壁の影が見えず、他の人からはおかしなことを言う人とされて相手にされない。

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