- Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152089762
作品紹介・あらすじ
望まれぬ子として生まれたマリアムは、粗末な小屋で母と暮らしている。父は土産を持って毎週娘を訪れるが、兄弟達に逢わせることも、経営する映画館に連れて行くこともしない。ある日、マリアムは父の屋敷を突然訪れ、その扉を叩いた。それが、悲劇の始まりになるとも知らず…。そして彼女の人生は闇に包まれる。二十年後、聡明な少女ライラとの間に、美しい心の絆が生まれるまで。アフガニスタンの激動の歴史に翻弄されながらも力強く生き抜く女達の姿を感動的に描き、2007年度全米年間ベストセラー1位を記録。『君のためなら千回でも』著者の傑作長篇。
感想・レビュー・書評
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読みやすくドラマチックな小説を低くみなす人もいると思うけれど、それによって多くの人々が世界の重大な問題に気付けるのなら、その力は難解な純文学をはるかに超えると思う。
この作品はソ連侵攻以降のアフガニスタンの庶民の生活、政治状況をリアルに理解させてくれた。ソ連支配下にもいい面があったこと(共産主義では人民は平等なので、女性も学校に行けたし、職にもつけた)、その後のイスラム過激派がなぜ血で血を洗う抗争を続けることになったかなど。
不義の子として生まれ、15歳で30も年上の男と結婚させられるマリアム。恋愛結婚した教養のある両親の元に育ち、恋人もいたライラ。平和な時代なら決してクロスしなかった二人の人生が重なってしまう。そのこと自体は不幸である。しかし彼女たちのつながりによって生まれた、自己を顧みないほどの愛は胸を打たずにはおかない。
これを読むと厳格な(あるいは過激な)イスラム主義が生まれた理由もわかる。しかし、その実態は女性の人権を踏みにじるものであることも。
この本がとてもいいのは、虐げられた女性を主人公にしても、彼女たちの魂の高さ、生き方の美しさを読者にしっかりと理解させること。単に可哀想な女性ではない、逞しさと気高さがきちんと描かれている。もちろん物語の運びもうまい。
個人的には厳しい家長制度のあった時代の日本でも同じような女性はいたと思うし、今でも世界中にこういう暮らしを強いられている女性がいるだろうと思う。「おしん」がアジアやアラブでヒットしたように、こういう本もそういう女性たちに届けばいいと思う。
土屋政雄の訳もよかった。
読みだしたら止まらないリーダビリティのある本。読書をあまりしない人にも薦められる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
4.28/125
内容(「BOOK」データベースより)
『望まれぬ子として生まれたマリアムは、粗末な小屋で母と暮らしている。父は土産を持って毎週娘を訪れるが、兄弟達に逢わせることも、経営する映画館に連れて行くこともしない。ある日、マリアムは父の屋敷を突然訪れ、その扉を叩いた。それが、悲劇の始まりになるとも知らず…。そして彼女の人生は闇に包まれる。二十年後、聡明な少女ライラとの間に、美しい心の絆が生まれるまで。アフガニスタンの激動の歴史に翻弄されながらも力強く生き抜く女達の姿を感動的に描き、2007年度全米年間ベストセラー1位を記録。『君のためなら千回でも』著者の傑作長篇。』
原書名:『A Thousand Splendid Suns』
著者:カーレド・ホッセイニ (Khaled Hosseini)
訳者:土屋政雄
出版社 : 早川書房
ハードカバー : 444ページ -
図書館で。君のためなら千回でもを読んだので他の本も読んでみようと借りてきました。本当に男ってやつは…という感想です。イスラム圏に限らず男女平等というのは表面ではうたわれているもの中々実現はしていない。それにしても女性に暴力をふるう男というものはなんなんだろう。自分を産み、自分の子を産む女性という存在を何故そう差別し虐げられるのだろうか。理解に苦しみます。前作を読んだときも思ったけどとかく知らない人間だとアフガン=タリバンの支援者の国と思いがちですがそんなことは決してなく中には反対する勢力もあり内乱状態の国には必ず苦しんでいる弱者が居る。女性を診察することをタリバンが禁じたとか本当に憤りを感じます。
弱者である女性たちが助け合って何とかできるほど生きやすい世界ではなかったのですがそこには希望がある。最後は泣いてしまいましたよ。戦争は嫌だなあ、教育って必要だよな、と改めて考えさせられる本でした。 -
作者はアフガニスタンからアメリカへ亡命した人物。
共産主義の時代からその後に続く内戦の時代へ。この中で生きる二人の女性を軸に話は進む。
とにかく…なんというか…
読んでいて自然と口許に手が行き、眉間に皺が寄ってしまう。
「なぜ!」と思ってしまう。
アフガニスタンがずっと内戦状態にあること。タリバンって勢力があること。イスラム原理主義じゃ女性は蔑視されていること。
ニュースで何度となく聞いていたけれど、それがどういうことなのか私は全然分かってなかったんだな。
マララさんがノーベル賞を採ったけど、それはこういうことだったんだ…。
物語のラストには希望が見出だされるけど、たぶんほんとの世の中にはそれさえもない場合の方がずっと多くて…どんな感想を言っても偽善になるような気がしてしまう。
ちゃんと伝えたいことがあって書かれる本はなんて強いのか。
日本に住んでいる私はとても恵まれているんだなと、ただただそれは強く感じた。
もっとちゃんと生きないといけない。 -
望まれぬ子として生まれたマリアムは、粗末な小屋で母と暮らしている。父は土産を持って毎週娘を訪れるが、兄弟達に逢わせることも、経営する映画館に連れて行くこともしない。ある日、マリアムは父の屋敷を突然訪れ、その扉を叩いた。それが、悲劇の始まりになるとも知らず…。そして彼女の人生は闇に包まれる。二十年後、聡明な少女ライラとの間に、美しい心の絆が生まれるまで。アフガニスタンの激動の歴史に翻弄されながらも力強く生き抜く女達の姿を感動的に描き、2007年度全米年間ベストセラー1位を記録。『君のためなら千回でも』著者の傑作長篇。(「BOOK」データベースより)
『君のためなら千回でも』の著者が書いた作品と知り、前回感じた感動を再び感じたくて、手に取った一冊です。
前作品では男性が主人公だったので、アフガンで起こった悲劇&それに伴って引き裂かれた彼らの友情に重点を置いてストーリーを追って行ったのですが、今回の主人公は女性たち。
アラブ世界の女性の立場が、今だそう高くはない事は知っていたつもりだったのですが、ここまでひどい扱いを受けているとは・・・。
今回は、「女性である」というだけで望みを奪われた悲しみも加わって、前作品より一層深みのある内容になっていました。
ハラミー(不義の子)と呼ばれ、父からは中途半端な愛情を、母からは罵倒と不器用な愛情を授けられつつ小さな小屋で生活してきたマリアム。父の家に行く、というただそれだけの行為の為に、母を失い、父の庇護も失い、父の家族から遠方の見知らぬ男へ嫁げと言われるマリアム。
単なる契約のように結婚し、妻と息子を失った中年男の為にひっそりと尽くすも、妊娠しても子が流れるばかりの妻に苛立ち、手を挙げる夫に耐えるマリアム。
年降りしのち、孫ほどに年の離れた第2の妻の世話をまかされるマリアム。
彼女の人生は、本当に不遇だと言わざるを得ないものでした・・・。
けれど夫が迎えた第2の妻・ライラとの間に奇妙な友情が育まれたのちは、彼女の考え方がゆっくりと変わっていくのです。
愛されず、愛することも知らず、自分の人生に希望を持つことができなかった彼女が、ライラとライラの子供たちのために、とある勇気ある行動をとるのです。そして
「あたしはここで終わっていいんだ。もうほしいものはないもの。小さい頃に願ってたことは、あんたと子供たちが全部かなえてくれた。あんたたちに大きな幸せをもらった。いいんだよ、ライラジョ。あたしはこれでいい」
何も持たなかった小さなマリアムが、大きなものを得、もうなにもいらない、と満ち足りた想いを感じるのです。
多くを持ちつつ、何も得ることがない人たちと比べて、はたしてどちらが真の幸福と言えるでしょう?
マリアムがとった選択はつらく悲しい。でもそこにあるのは悲しみだけじゃない。
虐げられ、うつむいて生きていく事を強いられた一人のアフガン女性の心が、強い輝きを発した一瞬でもあるのです。
このマリアムの行動のために、ライラたち一行はタリバンらの戦闘集団から無事逃げのび、復興し始めたカブールに戻ることすら可能になります。そこで彼女は愚かで哀しい父親の、愚かで哀しい手紙を読みます。
それはマリアムに届かなかった、彼女の父親からの手紙・・・。
この手紙がマリアムの手に渡っていたら、もう少し彼女の運命は変わっていたのでしょうか・・・。
「もしも」の話をするのはせんない事とわかってはいるのですが、あまりに過酷だったマリアムの人生を想うと、ほんの少し、「来るかもしれなかった違う未来」の想像を、彼女の為にしてあげたいという気持ちになるのです。
それでも彼女は、いつかはライラたちのために命を投げ出したのかしら?
ふとそんな気がしたりもするのですが・・・。
ラスト一行に込められたライラの想いもとても深いです。
さりげなく、美しい未来を約束してくれるような。
そんな希望に満ちた一行です。
自分らしく生きることができない環境で、それでも自分の意思を失わずに生きた一人の女性の生き方を、その未来がしっかりと受け継いでくれるのでしょう。
神ではなく、人だけが灯し得る希望の光。
暗闇に差し込む、そんな一筋の光を感じる一冊でした。 -
タリバンとブッシュ。戦争と法にがんじがらめにされる民の過酷さの中に暴力でしか伝えられない男の滑稽さは堪える女と罪なき子どもへの壮絶な不条理。対話と愛を尊ぶタリークの存在が女性の自由と機能する社会を照らす。和平の平和を。
弱きものはさらに弱きものをおとしめる負の連鎖。母を見つめ赦す子どもは神に近い存在だと思う。もの言えぬ小さな魂こそ未来を救う者なのに。今も戦争が消えない。終わらない戦争は終わらせない戦争となって世界を脅かしている。
本書は手にしたくない本のリストに入るかもしれない。暴力を嫌悪し安らぎを求める手助けになったけれど生々しく果てなく辛かった。
なぜ人は地獄を見なければ平和を考えないのだろうか。平和は守らなければ壊れてしまう。地球も平和と併存して生きている。この星の生物が人とともに絶滅していくような気がする。マクロなことを思い戦争をするのだろうか。然し其れはミクロな行為だとは気づかない。畏れはどこにあるのだろう。 -
興味深いけど
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カーレド・ホッセイニの二作目。母娘の物語、といっていいだろうか。
無責任な父を信じ母を疑った罪悪感を抱えて、暴力的な家庭に押し込められ続けた女が、最後に幸せな母になる。悲劇でもあり、でもそれを、明日を生きるために逞しく歩いていくアフガニスタンの女性たちの姿がたまらなかった。彼女たちが、好きなときに好きな格好をして大好きな『タイタニック』のレオ様に会いに行けるような日々が続きますように。 -
この本を手に取ったのは、表紙に本の厚さ以上の深い意味を感じ取とり、訳に土屋政雄さんの名が見えたので読み始めました。
保護対象外として生まれ落ちたマリアム。一緒に暮らす母ナナ。ナナ以外に何人もの妻子がある父親。幼いマリアムはときどき会いに来る父が教えてくれる外の世界を純粋に見て見たかった。耳に心地よい言葉だけを父から聞き、母の言葉は信じなかった…
それにより、マリアムには長い長い間、強制的に結婚させられた夫から苦痛を与えられ続け、それに耐え忍ぶ未来が待っていた。
一方進歩的な父に恵まれ、聡明な女性に育つライラ。義足を振りかざしてでもライラを守ってくれる幼馴染タリーク。お互いを想い熱を持った手を重ね、光輝な未来を描いていた―上空から爆音をさせながら降りてくる黒い物体が、町の人々を粉微塵にするまでは。
その後、縁がマリアムとライラを結び、共に耐え忍び、理不尽がまかり通る現状に対し強い心で挑んだ。
決して安全とは言えず、恐怖と銃で人々を支配する国に暮らすマリアムとライラ。瓦礫の下から娘の死体を泣き叫びながら探す母親。少女は年端もいかない頃に結婚を強制させられ、子供はおもちゃで騙され四肢を吹き飛ばされる国。本の中の世界のことだけとは思えず、辛すぎ、息をつめ、手で顔を覆いました。
描かれる政治紛争、9.11― 私がまだ幼く難解すぎて理解できなかった出来事です。でも、今こそ理解すべき努力をする時がきたんだと思いました。日本で生きていれば生涯聞くことのない銃声を、生活音として聞いている国の人たちのことを知り、なにに希望を見つけ、どう生きているのかを知る努力です。 -
望まれない形で生まれた子供。
その子が、苦しみながらも生きることをやめない勇気。この子に一度も自殺という考えが脳裏によぎっただろうか。
アフガニスタンという過酷な環境。
強いられた結婚。
夫からの暴力。
戦争で両親を無くした子が新しい夫として迎えられる。
これが生きるということ。食事ができて、寝る場所があれば、それが生きるということ。
殺人の行為そのものは悪いけれど、殺人を犯した人が悪い人とは限らない。
とにかく素晴らしい本。また読みたい。