書店主フィクリーのものがたり (ハヤカワepi文庫 セ 1-1)

  • 早川書房
3.80
  • (61)
  • (95)
  • (64)
  • (20)
  • (2)
本棚登録 : 1250
感想 : 111
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784151200939

作品紹介・あらすじ

島に一軒だけある書店の主フィクリー。偏屈な彼の人生は、ある日を境に鮮やかに色づきはじめる。すべての本を愛する人に贈る物語

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 妻を亡くしたばかりの偏屈な書店主フィクリー(話の中ではA・Jと表記されている)が、店に捨てられていた小さな女の子を育てるうちに、少しずつ世界が広がっていく。
    あらすじを聞くと、ハートウォーミングな物語を連想するが、読後感は甘くはない。極力心のうちを描写せず、起こったできごとや行為を淡々と描く文体と、物語全体を通して「死」が身近に描かれていることがその理由ではないかと思う。

    物語はA・Jの後半生が描かれる。各章の始めには、A・Jが我が子として育てていくマヤに向けて書いたおすすめの短編とそのコメントが紹介され、その内容が章のストーリーに関連してくるしかけになっている。
    マヤの成長の様子や出版社営業のアメリアとの交流など、もっと掘り下げられそうなエピソードもあっさりと描かれていて、最初は物足りなさを感じるが、読み進めるうちにA・Jの歩んできた人生が頭の中でどんどん膨らみ、いつのまにか芳醇な物語となっていく。また、さらっと描かれたエピソードが後に重要な伏線となって物語を動かしており、よく練られたストーリーだと感じた。

    A・Jとその近しい人々の人生に訪れる出会いと別れ。そのきっかけとして本があり、伝えきれない思いを本を通して伝えていく。本を愛する人におすすめの一冊である。

  • 本を愛するすべての人たちに書かれた物語。
    自分が本好きで良かったと心から思える。
    書店主フィクリーと、彼をとりまく人たちがみんな本好きで、フィクリー自身も愛に溢れていて、ユーモアとウイットに富んでいて、物語の中でA・Jが紹介する本を含め、海外のものをたくさん読んでみたいと思った。
    本は、読んでみなければどんな感想を持つかもわからないし、生きていくこと自体もそういうものかもしれないなと思った。

  • 翻訳されたものは苦手で文体も私には合わなかったです。けれども最後まであまり時間をかけずに読み終えたので面白くないわけではないのかも。

  • フィクリー氏が偏屈な書店員のイメージそのままでちょっと感心した。章ごとの扉と、本文中にも実在の書籍に触れている箇所が多くて良かった。
    養女マリと妻アメリアと家族になれて、友人もできて…といい関係性が築けて、このままマリが成人するのか…と思っていたら…。
    本を読む幸せと、言葉に出来ることの大切さをしみじみ感じた。
    あと、盗まれたタマレーン、まさかの結果だった。

  • ニューイングランドのアリス島にあるアイランドブックスを訪れた出版社の営業担当のアメリアと、店に残された捨て子のマヤとの出会いが、妻を事故で失った店主A.J.フィクリーのスノビッシュな日常を一変させ、閉ざされていた島の人々との交流も開かれてゆく。様々な本を絆に、アメリアとの恋愛、マヤへの愛情、亡妻の姉イスメイ、警察署長ランビアーズとの親交が深まる日々に、マヤの母親の悲劇と父親、ポーの初版本の盗難の謎も織り込まれ物語が綴られる。各章の最初に記された本棚のレビューは物語の行方を暗示させるとともに、その本自体への興味を唆らせる。
    「小説というものは、人生のしかるべきときに出会わなければならないということを示唆している。覚えておくのだよ、マヤ、ぼくたちが二十のときに感じたことは、四十のときに感じるものと必ずしも同じではないということをね、逆もまたしかり。このことは本においても、人生においても真実なのだ。」

  • 素敵な物語。

    古き良き「北米文学」

    紙の本で、しかも文芸作品を読むという行為が既にノスタルジックになりつつある中でこの物語は古き良き北米(アメリカ合衆国とは言ってない)文学体験を思い出させてくれる。

    ポール・オースター、カポーティ、メルヴィル、フォークナー、ヘミングウェイ、ルーシー・モンゴメリ・・

    本を読むのが大好きだったし、書店が好きだったし、古本屋も好きだった。
    しかしいつからか読書から遠ざかり、お気に入りの書店は縮小され、或いは閉店し、気付けば電子書籍リーダーやらスマホやらで活字中毒の禁断症状を癒した事もあった。

    『いまやチェーンの大型書店もいたるところで姿を消しつつある。彼の見方では、チェーンの大型書店のある世界よりもっと悪いのは、チェーンの大型書店がまったくない世界だ。』(p.287)

    この物語は孤独、ひとりぼっちだった主人公たちが読書を通じて、書店を通じて、繋がりを得てゆく物語である。

    このプロセスはまるでモンゴメリの『赤毛のアン』よりもむしろ『可愛いエミリー』を読んだ時の体験に似ていたかもしれない。

    しかし、やがてAmazonや「電子書籍リーダー」の登場と加齢が迫ってくる。

    現代は、活字を、言葉を失いつつあるのだろうか。

    むしろ、我々はもう既に十分過ぎるほど言葉を失い、文芸を読むという行為を失い、豊かな感情体験をする機会を失い、共感する心もなくなりかけているのだろうか。

    読書は元来孤独な行為だったが、読書をする人はより一層孤独になってゆくのではないか。

    このようにも感じる事もある。

    そこで、『ぼくたちはひとりぼっちではないことを知るために読むんだ。ぼくたちはひとりぼっちだから読むんだ。ぼくたちは読む、そしてぼくたちはひとりぼっちではない。』(p.327)というフィクリーの言葉が刺さる。

    そして、各表題代わりの短編の名前とフィクリーの名で書かれた読書リストが、最後の最後に活きてくる。

    この素晴らしくノスタルジックで素敵な物語体験は本が好きでよかった、としみじみと感じさせてくれる。

    古き良き北米文学だった。


  •  「人は、孤独だから本を読む」(ざっぱくな記憶)旨のポップに惹かれて手にとりました。
     ちょっと偏屈な書店主・フィクリーを中心に描かれるヒューマン・ドラマ。
     悲しいときも、うれしいときも、いつも傍らに本があり、本が人をつないでくれる。
     個人的には最終章が哀しすぎて。じゃあどんなラストならしっくりくるのか考えながら、やっぱりこのラストしかないのかな、と逡巡しています。

  • 面白かった。さくさくと読めた。物語の組み立てが素晴らしい。話中に出てくる作家や小説のタイトルが自分のお気に入りだったりして、思わずニヤリ。
    ただ、小説として高い評価がつけられないのは、登場人物の掘り下げが浅いから。職業や年齢、学歴、服装などの好みといった設定の中で、台詞や分かりやすい行動でしか描写されない登場人物たちには、それぞれの個性が際立っていない。そもそもフィクリーは偏屈か?こだわりは強いが、単純にいいいヤツではないか、だってマヤには最初からメロメロだし、アメリアにもストレートに恋してしまうし。偏屈な人間が愛に目覚めていくというような紹介があったような気がするが、そのような心の機微は全く表現されていない。
    作者の次回作であるところの「天国からはじまる物語」も同じことが言える。しかしながら、この作者は話の組み立てが上手いのだ。最後はまたしても、ぐっときてしまった。あたしもA・Jとアイランド・ブックスが好きだよ!と言いたかった。
    あとはほかの評価にも上がっているように、この作品には名言が多い。(~ひとりぼっちではないことを知るために読む~)それと、小さい頃の店でのマヤの様子はとてもとても微笑ましい。(お店は、横が十五マヤ、縦が二十マヤ)
    たぶん作者は本だけではなく、子どもも大好きなのでは?

  • 書店を舞台にした小説を見つけると、つい手にしてしまう。本書もそのひとつ。
    島にひとつしかない書店の店主フィクリーに、数々の悲劇が降りかかる。でも、悲壮感を感じないのが、本書の魅力。いい小説に出会った。

  • 第二部からぐんっ!と引き込まれるように読みました。
    ぼくたちは ひとりぼっちではないことを知るために読むんだ。

全111件中 1 - 10件を表示

ガブリエル・ゼヴィンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×