時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)
- 早川書房 (2008年9月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200526
作品紹介・あらすじ
近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは超暴力。仲間とともに夜の街をさまよい、盗み、破壊、暴行、殺人をけたたましく笑いながら繰りかえす。だがやがて、国家の手が少年に迫る-スタンリー・キューブリック監督映画原作にして、英国の二十世紀文学を代表するベスト・クラシック。幻の最終章を付加した完全版。
感想・レビュー・書評
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近未来の高度管理社会を舞台にしたディストピア小説。スタンリー・キューブリック監督が映画化して一躍有名になった作品である。
主人公のアレックスは兇悪な非行少年で、喧嘩にドラッグに窃盗にレイプと悪行三昧の日々を送っていた。ある日とうとう殺人を犯してしまった彼は、刑務所に入れられるが更生の兆しは全く見えない。政府はアレックスに〈教化法〉の適用を決定する。アレックスは強力な洗脳により、暴力的な物事に対し拒絶反応を示す体質に変えられてしまう。「善良な市民」に生まれ変わったアレックスは社会復帰するが、待ち受けていたのは悲惨な体験ばかり――という物語だ。
この読みにくい、胸の悪くなるような物語がなぜ「《タイム》誌が選ぶ20世紀のベスト・ノベルの1冊」なのか。第1章では全然わからなくて何度も挫折しかけたけれど、第2章と第3章を読んで少し理解できたような気がする。それは作者が「人間らしさとは何か」をひたすら問い続けているからではないだろうか。人間らしさの条件として作者が挙げるのは「自由意志」と「選択能力」だ。アレックスの洗脳に反対する刑務所付きの教誨師は語る。
「善というものは、心の中からくるものなんだよ。善というものは、選ばれるべきものなんだ。人が、選ぶことができなくなった時、その人は人であることをやめたのだ」
「神は、善良であることを望んでおられるのか、それとも善良であることの選択を望んでおられるのか?」
「彼にはまったく選択権がないではありませんか?(略)彼は非行をやめるでしょう。と同時にまた、道徳的選択力を持つ人間でもなくなるでしょう」
思考停止しているために決して道を踏み外すことのない人と、自由意志によって時に過ちを犯してしまう人とでは、どちらが人間らしいだろう。作者の答えは紛れもなく後者だ。人は自由意志によって善と悪とを選択できなくてはならない。どちらか一方しか選べない人間は、国家権力やイデオロギーによっていいように操られる機械(=時計じかけのオレンジ)にされてしまう、と作者は警鐘を鳴らす。
一切の暴力を禁じられたアレックスは、暴力をふるわれても自衛のための反撃すらできない。性行為はもちろん、大好きだった音楽に対しても拒絶反応を示すようになってしまい、人生に絶望して窓から身を投げる。そして…、この先には2つの結末がある。詳述は避けるが、映画版と小説の完全版ではラストが異なり、そのために作品全体の印象も180度違うものとなっている。物語としてどちらが完成度が高いのかは分からない。ただ、言祝ぐべきことがひとつある。どちらのラストを好むにせよ、私達はそれを自由意志で選択していいということだ。 -
デヴィッド・ボウイが影響を受けた100冊のなかにも名前が挙がっていた本書。
映画を観てみたいけれど、暴力描写が苦手な私は最後まで観ることができるだろうか…ということで、まずは原作を読んでみることに。
主人公のアレックスと仲間たちによる、暴力に次ぐ暴力。
政府による犯罪者の残虐性を抑えるための新しい"教化法"。
文字では読めるけれど、映像になったら私は怖くて観ていられないだろう…。
物語はアレックスの一人称で進みます。
若者たちのあいだで使われるスラングが散りばめられた独特の喋り方に、はじめは戸惑いました。
しかし苦戦しながらも読み進めていくうちに、いつしか気にならなくなり、むしろこの喋り方のおかげで物語にのめりこんでいたように思います。
読んでいるあいだ、自分がしかめっ面になっているのがわかるのに、抗いがたい魅力がありました。
物語中盤で、刑務所の教誨師がアレックスにかける言葉が印象的でした。
「善というものは、選ばれるべきものなんだ。人が、選ぶことができなくなった時、その人は人であることをやめたのだ」
「神は、善良であることを望んでおられるのか、それとも善良であることの選択を望んでおられるのか?」
『時計じかけのオレンジ』というタイトルの意味を噛みしめながら読了。
きっといつかまた、読み返すだろうな。 -
再読だったけど凄い衝撃だ…
こんなに暴力描写が多かったとは
でもそれは必要なことなんだ
最終章は余計だっていう評論があるようだけど、この話は最終章のための長く暗くどうしょうもない人間の前置きのような気がした。
めちゃくちゃいい本だけど
やっぱり前置きがキツすぎるので
もうしばらくは読めないかもしれない。
なんと言っても若者のスラングが印象的。
15歳の少年アレックスの一人称で物語は進む。
幼稚な語りと残虐な行動のアンバランスさが
体の中に引っ掻き傷のような不協和音を残す文章。
…………………
人間っていうのはもうどうしようもない
こんな愚かなことを何度も何度も
この少年がやっと大人になったと思ったら
また別の少年が暴れ出す
大人がどれだけ諭そうとも
子供にはその言葉が伝わらない
だってまだ大人になった事がないから
親になった事がないから
どれだけ文明が進歩しようとも
この繰り返しだけは終わらない
この世が終わるまで
それでも進む
一歩一歩の進歩の毎日
人間がくだらなくてしょうもないものだと
頭の片隅に覚えておいて
少しでも昨日の自分よりいいものに
そうしないとやり切れない
生まれてきた自分の意味が
【人間なんて、十六から二十三までの年がなきゃあいいんだ。でなきゃあ、その年のあいだは眠ってりゃあいいんだ。
その年頃の若いもんは、することと言やぁ
娘っ子に赤ん坊を産ませたり
年寄りを虐めたり
盗みを働いたり
喧嘩したりするくらいのものなんだからな
ウィリアム・シェイクスピア】 -
ある信念を埋め込むことで善人にしようとするけど、選択できない人間はもはや人間ではないって牧師の言葉が良かった。最後、若者が急に夢から覚める過程がリアル。なにが時計仕掛けのオレンジなのかは読んだ人にしかわからない仕掛けか。最終章がない版とある版があるらしいけど、ある版でよかったな!
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エキセントリックな中身は、時代というか少し古くささを感じた。
映画も観たことはないけど、外国ものは、突拍子がない展開においていかれそうになります。でも、退屈ではなかった。有名?作品読了の満足感なのかな。
ロシアなまりだったり、汚いことばの言い回しは嫌いじゃなかった。
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スタンリー・キューブリックによる映画版が有名な本作ですが、私自身も「あの」映画の原作がどのような内容か、という観点から興味を持ちました。まず、物語の半ばまでのあらすじを述べます。
近未来の荒んだ英国。十五歳のアレックスは三人の不良仲間とともに、殺人、暴行、強姦、盗難、破壊と、夜な夜なあらゆる悪逆非道な行為を、良心の呵責なく心の底から楽しんでいる。両親はごく普通の勤め人で、一度は補導された息子の夜間外出にも、アルバイトだというアレックスの嘘の言葉を信じて疑わない。ある日、仲間との不和のあと強盗に押し入ったアレックスは、仲間に裏切られて逮捕され、裁判では懲役を宣告される。さらにアレックスは、刑務所内で起きた事件を機に、十年以上ある刑期の残余を、実験的な試みである『教化法』に転換することを受け入れる。
以降は主に映画版との違いについてです。まず、ストーリーと設定については原作と映画に大きな違いがないこと自体に驚きました。映画化作品のイメージから、あれだけユニークな内容であれば原作との乖離も大きいのではないかと予想していたのですが、映画版は原作に忠実に作られていました。ただし、原作と映画には二点の大きな違いが認められました。一つ目は、映画版では成人男性であるアレックスが本来は十五歳に設定されていることです。この点は、アレックスの悪行があまりに酷く、年齢が低いことで観客に受け入れられ難くなることを回避するため、原作よりもマイルドにするための変更のようです。つまり、それだけ原作のほうが非道さが際立っているということになります。もう一つの大きな違いは、映画では描かれなかった、17ページ分の最終章です。これは映画版が意図して外したというより、参照したアメリカ向けの小説に含まれていなかったことに起因するようです。詳細には触れませんが、追加の最終章において十五歳の少年は「大人」になります。その意味では、二つの差異はともに主人公の年齢に関係しているものとも言えます。
冒頭にあるようなアレックスの非道について、彼が家庭的に不幸ならば行動の動機として理解もできるのですが、両親があくまで普通であることからアレックスの異常性は作中の情報だけでは説明がつきません。映画版では主人公が成人であったためか、気にならなかったこの点が、読んでいて最後まで飲み込めませんでした。その意味でも、やはり映画版での年齢変更は重要なポイントだったのかもしれません。総じて(もちろん個人的な感想ですが)、もし映画と原作の一方だけを鑑賞するとすれば、やはりキューブリックの映画版を推薦します。なお、巻末に収められている映画評論家の柳下毅一郎氏の解説が参考になりました。-
30数年前ですが、映画観ました。キューブリック特集ということで「2001年宇宙の旅」と二本立てでした、30数年前ですが、映画観ました。キューブリック特集ということで「2001年宇宙の旅」と二本立てでした、2020/11/08
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魚雷屋の読書録さま
コメントをありがとうございます。豪華な二本立てでご覧になったのですね。わたしはどちらの映画もレンタルして自宅で観た限り...魚雷屋の読書録さま
コメントをありがとうございます。豪華な二本立てでご覧になったのですね。わたしはどちらの映画もレンタルして自宅で観た限りです。2020/11/08
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キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』は好き好き大好きだが
原作を読む機会を逸していた。
今般、ふと思い立って古典的ディストピア文学の傑作と呼ばれる
本作《完全版》を購入(2015年13刷)。
昨2016年秋のアメリカ大統領選後から、
その手の小説のリバイバルブームが起きていると聞くが、
読んでみると、なるほど、これは……。
舞台は近未来の英国。
アレックス少年はドラッグと暴力に明け暮れていたが、
押し入った家の住人を死に至らしめてしまい、
仲間に裏切られて一人だけ逮捕され、投獄される。
二年後、政府肝煎りの犯罪者更生療法の実験台にされ、
条件付けによって、
大好きだったクラシック音楽も、暴力や猥褻な行為も、
見聞きしただけで吐き気を催すようになってしまう――。
映画の方がテンポがよく圧倒的に面白くて好きだ【※】が、
正しい結末なのか、はたまた蛇足なのか、
首を傾げざるを得ない《完全版》最終章にも
物寂しい妙味があって、これはこれでいいのではないか、
という気がした。
管理‐反発‐無軌道‐暴力
↑
↓
自由‐秩序‐良心‐平和
……そりゃあ、後者がいいに決まってるでしょ。
【※】
アレックスの愛唱歌「雨に歌えば」がヒントになって
妻を死に追いやられた作家が悶絶するといった、
伏線を活かした演出など。 -
20世紀の名作に選ばれてる本という事で読みましたが、時代や国の違いは感じるけど今の日本の若者にも通ずることだなぁと思った。最後の部分が切り取られてる物もあるらしいが、最後の章があるのは作者の優しさというか、自己満小説では無い所が読み続けられる秘訣なのかなと思った。何事も経験してみないとわからない事ばかりで、過ぎ去ればなんであんな事…と思う事もあるなぁと、若気の至りを思い出した。
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超暴力を振るう青年。
彼は暴力を振るうことに何も感じない。
人間誰しも、暴力に対する嫌悪感、否定感を持っているとして、治療が行われる。
圧倒的な残虐な映像を見せるなどすることで、頭に連想力を植え付ける。悪と善があるならば、悪の方に徹底的に押しやれば、振り子のように善に傾くとする理論。
自由選択の結果が偶然にも一致する、これがご縁というものかもしれませんね。このビズムニー(気の狂った)みたい...
自由選択の結果が偶然にも一致する、これがご縁というものかもしれませんね。このビズムニー(気の狂った)みたいな世界でささやかなご縁ができた事を嬉しく思います。これからも宜しくお願いします(^-^)
では主婦して来ます〜