あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 早川書房 (2016年9月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150504755
作品紹介・あらすじ
あなたの行動を決定しているのは「自分の意識」ではなかった!? 驚異の脳の仕組みを解明
感想・レビュー・書評
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『意識はいつ生まれるか』の後に読んだのだが、この本は無意識下の脳の働きの世界に切り込んで、人間の行動、思考を見つめる。むしろ意識はその表面に浮きでたごく僅かな灰汁の様な扱いかただ。
こうなってくると、今いる自分の存在自体が、自分の意思や鍛錬で出来上がったものだなどという自負は砕け散り、“そんなら好き勝手に生きてやれ!”という気持ちにもさせるが、これもまた、このデイビット・イーグルマンの主張に対する私の無意識の反応が関わっている。ということでもある。
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自覚できる「自分」は本当に僅かであり、実は自分を構成する認知・判断は殆ど見えないところで行われているというお話。
事例紹介が豊富で多岐にわたっており、専門知識がほぼ無くても面白く読めました。
脳が背後で処理し終わった情報を、あたかも(自認する)「自分」が今思いついたように手柄を横取りしてしまうという表現が面白い。脳は1歩引いた位置からその人がより「良い」選択を行うためのアイデア出し役と折衝役を担っているんですね。
脳の異常で起こす犯罪に対する線引き論も興味深いです。自由意志はほんとうに存在するんでしょうか…。V.S.ラマチャンドラン氏の『脳の中の幽霊』を再読したくなる内容でした。 -
ここ数年で一番興味深い本であり、是非一度手に取ってみて欲しい。一見、難しそうな内容であるものの、和訳もわかりやすく、読み進めると非常に衝撃的だ。
合わせて、ハヤカワノンフィクションの『ファスト&スロー』ダニエル・キイス文庫『24人のビリーミリガン』も読みたい。
あらゆる行動は、自分自身で決断していると思いがちであるも、過去人類の遥か祖先から踏襲した遺伝子の型と、生まれて以来蓄積されて来た経験、膨大なデータに対し、そのごく一部にアクセスすることが出来るだけであり、それを無意識のうちに選択した結果と言うこと。
その膨大な遺伝子、経験は通常、意識することなく脳に蓄積されているのだと。
(トラウマの正体であり、夢を見る原因であり、酒を飲むと素面では言わないような事を口走る理由...)
『すべての大人には正しい選択をする同じ能力があると考えたがる人が多い。すてきな考えだが間違っている。
脳は人によってまったくちがうものになりうるー―遺伝だけではなく育った環境にも影響されるのだ。』
『私たちには自分の行動、動機、さらには信念を、選択したり説明したりする能力はほとんどなく、舵を取っているのは、無数の世代にわたる進化的淘汰と生涯の経験によってつくり上げられた無意識の脳である。』
どうやら、遺伝子の型を調べればその人の不倫のしやすさ、凶悪犯罪の可能性等の行動パターンを類推することが可能でもあるようだ。 -
脳神経学の本を読んでいたつもりだったのですが、最後は哲学書を読んでいる気がしました。
どちらも、人間とは何か の根源を探るものだからでしょうか。
脳は知れば知るほど、分からない …無限なもの…
宇宙だなと思い知る本でした。
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私たちの行動の元となる欲求、あるいは幸福を求める自分の本質は一体何なのか、何を基準にして人は行動を決めているのか。自分と思っている自分は何なのか、こういったことを解明している本です。
著者は私たちが知らない無意識に行動する本質は脳にあると言うことを医学的科学的に解明されています。
非常に示唆に富む内容であって、犯罪者が犯罪を犯すことを一例に、その犯罪行為は犯罪者に責任があると言えるか?本当は犯罪者のコントロールできない脳の無意識の行動にその犯罪行為を行う本質が隠れている可能性があると説明しています。
そうなると責任が問われるのは犯罪者なのか、脳の無意識化の活動の細胞に責任が問われてもおかしくない、と言う大変面白い理論です。
脳細胞の働きを医学的に神経学的に説明されていて、
非常に面白い内容で一読に値すると思います -
私とは誰なのか、どこまでが私なのか、生まれか育ちか、責任とはなんなのか、さまざまな問いに対して、脳を起点に今までとは違った視点を提供してくれる良著。
この本を読む前と後では物の考え方、見方が変わってしまう。
脳は我々がアクセスできない部分が大半であり、日常生活の様々な活動は、我々が意識しない(したくてもできない)、アクセスできない脳によって行われている。
酔っ払った状況で吐いた暴言はその人の本心なのか?
魅力を感じる仕組みとは?
社会として犯罪とどのように向き合っていくべきなのか? -
ぼくたちは自分の意思でいろいろなことをやっている、と思っているが、実はそうでもないよ、という話。
車を運転する、キーボードを叩く、ギターを演奏する、といった複雑な動作をぼくらは「自分で意識して」やっていると思っている。そりゃそうなんだけれど、じゃあ手にこの程度の力を入れて、指をこう動かしてハンドルを回す、目玉を必要なだけ動かして左右を確認する、見えなければちょっと首も動かす、足首を浮かしてクラッチを切る、アクセルをいい感じに踏み込むという細かい動作をすべて「意識して」やっているかというとそういうわけではない。車を運転したことのない人がマニュアルと首っ引きで車庫入れしようとしたらまず失敗する。意識がマネージメントはするけれど、細かい動作は意識に上がる前の情報処理系-筋肉系が片付けてくれるのだ、という。「練習」はそうした動作を意識に上がる前に処理すべく脳をトレーニングする過程なのだという。そういう考え方をしたことはなかったけれど、言われてみればそのとおりで、非常にしっくりくる。ちょっとびっくりした。
翻訳もののこの手の本は回り道が多く、やたら分厚くて苦労することが多いけれど、本書は最後まで興味深く読めた。なるほどねえ。 -
自分が何かをしていると感じる意識は、実は何もしていない、脳が無意識のレベルで全て勝手にやっており、それを最後に「意識」が自分がやったと感じるのだという、考えを、様々な脳科学的知見から展開している本です。取り上げられる脳科学の知見は、脳科学本でよく取り上げられるものなので、目新しい物はあまりありませんが、新しい視点から、研究を取り上げており、興味深かった。おそらく第6章の、実際にやったことが、無意識のレベルで勝手にやったことを、「意識」が自分がやったと感じているのならば、犯罪の責任はどう問えるのか?脳科学の時代にどう対応していくべきなのか?が1番主張したかったことのように思います。どうなんでしょうね??
脳と意識の関係の理解が進まないことに関して、「光学を理解してもいないのに虹の理論を構築しようとすることを想像してほしい」と述べ、まだまだ道が遠いことを示唆しているのが印象的でした。 -
世界観が変わる。
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脳についての本。前半は面白かったが後半は哲学的な内容になっており、ちょっと読みにくかった。