- Amazon.co.jp ・本 (427ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150410766
作品紹介・あらすじ
燃料が底をつき、エンジンが一基ずつ停止を始めた航空機のコクピット。僕はブラックボックスにむかい、世間から孤立したカルト教団と過ごした半生を物語る。外界での奉仕活動、謎の少女との出会い、あの集団自殺の真相、そして新たな救世主としてメディアを席捲した日々を。すべてが間違った方向に転んだ僕の人生は壮大なるクライマックスへと堕ちていく!一世を風靡した『ファイト・クラブ』を超えた著者の最高過激傑作。
感想・レビュー・書評
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カルト教団の生き残りが飛行機をハイジャックして、落下するまでのあいだブラックボックスにむけてひたすら人生を回想し続けるはなし。章番号も47から1までどんどんカウントダウンしていく形になってて凝ってる。
主人公とヒロインの境遇が特殊すぎてまったく感情移入できないので、ちょっと読みづらいかも。でもどんどん変なことが起こるのでぐいぐい読んじゃう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
パラニュークの文章はまさに「渦」。印象的なリフレインの多用や削ぎ落とされたシャープな文体でグイグイ読ませる。言葉が頭の中を駆け巡って、おかしな脳内物質を大量放出させていく。「カタルシス」という言葉がこんなに似合う文章はない。
本作は「ファイト・クラブ」と対になっている作品だと思う。かたや高度資本主義に毒された現代社会に飼い慣らされ疲弊した典型的現代人が主人公(「ファイト・クラブ」)で、かたや現代社会とは隔絶されたコミュニティで育った男が主人公(「サバイバー」)であるが、どちらも「社会にコミットできない孤独な男」の物語であることには変わらない。登場人物の関係、話の構造も似ている。特に主人公とヒロイン(といっていいものか)の恋愛とは違った不思議な関係性。男の女を見る目がちょっと普通と違う。このひねくれたボーイ・ミーツ・ガールはパラニュークの作家性と言ってもいいはず。
パラニュークは本作の文庫版の解説で「自分の小説はどれも孤独な人間がなんとかして誰かと繋がろうとする話」というようなことを書いているらしい。「現代社会におけるひとりぼっち」はパラニューク作品に一貫して流れるテーマなのだ。そしてそんな孤独な人間が社会とコミットするためにとる行動は悉く破壊的であり端からはただ自滅しているようにしか見えない。それは彼らが他にコミュニケーションの方法を知らないから。それでも、誰かと繋がりたい――その伸ばした手の先には破滅しかないかもしれないが、そこにはコミュニケーションへのほのかな希望が感じられる。 -
もう全ての文字が動き狂って終わりに突き進む感覚はたまらない。だからパラニュークはやめられないんだ!
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これはオタク男の恋物語だと思うのだけれども、他人にその話をしてもあまり賛同を得れていない。でも最高のストリーテリング。
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14/5/10
カルト集団の生き残りである主人公。
ハイジャックした飛行機内での独白から始まり、自分の人生を回想して行く。
自分の半生を売りに崇拝される存在になり、
注目されないといても立ってもいられなくなってしまう。
予知能力のあるファーティリティと、実兄のアダムとともに逃げ出したシーンから一気に盛り上がったものの、ラストはなんだかなぁ。
一人で死んで行くのかしら。 -
孤独な男の物語、コメディ、サスペンス。どういう感じに読んでいけばいいのか分からなかった。ヒロインは更によく分からない。主人公を「カルトの生き残り」として売り出すエージェントのはちゃめちゃが面白かった。
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今までに読んだことのない変わった設定で、とてもおもしろい。文章は完結で短いがそこがおもしろさを発揮している感じである。
結末から始まるストーリー展開で一気読みである。 -
燃料切れをおこして墜落する飛行機の中で1人、ブラックボックスに向かって自分の半生を、自伝を吹き込む。
カルト集団、メディア、救世主、謎の少女、そして自殺。
すべてが間違った方へ進んで行く。
癖のある文章。
異常なうんちく。
怒濤の展開。
読んでいて壮快でした。
なんどでも読める。 -
永遠に満たされない自己。
本書の発表から10数年ということで過剰にカリカチュアライズされたマスメディアの描きように隔世の感を抱かなくも無いですが(あるいは米日のマスの規模の違いかもしれません)、人々の意識の場がマスメディアからネットに移行したからといって何が変わるというわけでもなく、むしろネットという新世界にすら期待していた類の救いは見当たらないといった話を聞くにつけ、パラニュークの書く閉塞感はつくづく現代的だなあと思います。『ファイト・クラブ』も古びないしね。
全編通して象徴に満ちた文章のなか、個人的に印象的だったのは主人公が金魚を飼っている事実をエージェントが言い当てるシーン。
主人公は訊く。僕の金魚のことをどうして知ってるのか。
エージェントは答える。かならずとは言わないが、まず全員が飼っているからさ。
エージェントは告げる。主人公が否応なしに陥った「集団自殺を遂げたカルト教団の生き残り」という特殊な境遇でさえも、過去を紐解けばなんら目新しい出来事ではないと。
“「もしきみが世界でただ一人生き残ったクリード教信者でないなら、きみには何の価値もない」”
上記の言葉に対抗する「価値を見出すのは自分自身」というカウンターすらも、現代では手垢のついた錦の御旗の感があり、拠り所を得られないパラニュークの小説が暴力に走るのは必然なのかもしれません。ひりひりするほど息苦しくてセンシティブな物語。けれども沈む船の中でワルツを踊るファーティリティのイメージはとても美しいよ。
“「大西洋の水はとても澄んでるの。その水が大広間の階段から滝のように流れ落ちていた」”
“「あたしたちは靴を脱いで、踊り続けたわ」”