NHK出版 学びのきほん 役に立つ古典 (教養・文化シリーズ NHK出版学びのきほん)

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  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (115ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784144072451

作品紹介・あらすじ

私たちは、あの名著を「誤読」していた。

『古事記』『論語』『おくのほそ道』『中庸』──代表的4古典に書かれている「本当のこと」とは? 私たちは何を知っていて何を知らないのか。古典の「要点」さえ理解できれば自分だけの生きる「道」が見えてくる。自分なりの価値観を見出していくために。古今東西の名著に精通する能楽師による、常識をくつがえす古典講義!

感想・レビュー・書評

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  • 「古事記」「論語」「おくのほそ道」「中庸」の4作がとりあげられた、古典の超入門書。
    古典好きな方には、あるいは物足りないかもしれない。
    それでも著者の視点の新しさは必読もので、物事の解釈を変えることで見えるものがこんなにも違うという事を教えてくれる。

    能楽師である安田登さんは、論語を学ぶ寺子屋「進学塾」の主催者。身体のバランスを整えるボディワーク「ロルフィング」の公認資格を持つという多才な方でもある。
    ところが著者は大変な古典嫌いで「役にも立たないから」と理由付けしていたらしい。
    「役に立つ」とは何か。目先のことだけを考えていないか。
    古典は私たちに「そんなに急いでどこへ行く」と問いかける。
    風雪に耐えた作品たちは、いつだって変わらずそこにあり、「転んだあとの傷を癒し、次なる道を示すヒントを与えてくれる」と著者は前書きで言う。

    「古事記」の書かれた頃には存在しなかった文字がある。
    文字がないということは、その概念もなかったということ。
    素朴な思考の古代人には「黄泉」も「死」もなかった。
    「論理」も「因果」もなかった。「だから」は無くて、「そして」だけがあった。
    編纂した太安万侶の漢字間違いは、仏教を受け入れる素地をつくるために意図的になされたものではないかというのが、著者の考えだ。
    国を治めやすくしようとする企てが「古事記」だったかと思うと、何だか面白い。
    古代人のように今を純粋に生きることが出来たら、不安や苦しみから解放されるのだろうか。

    「論語」もまた、漢字を掘り下げて考察されている。
    「四十にして惑わず」ではない。「惑」という文字はなかったらしい。
    「惑」の字の部首をとると「或」になり、これは「区切る」という意味だったと。
    「四十にして区切らず」。自分を限定しないで様々なことにチャレンジせよと説く。
    そして「切磋琢磨」せよと。この「切磋琢磨」もまた私たちの理解とは違う。
    そのひとに合ったやり方で自分を磨くという意味らしい。
    「己に如かざる者を友とするなかれ」の解釈が、とても良い。これは眼からウロコだった。
    これを言ったらこの人は傷つくなと分かっている人、そういう共感が出来るひとを友とすべきだと、またそんな友を探すことが大切だと、そういうことなのだ。

    そして「四十にして区切らず」を実践したひととして、松尾芭蕉が登場する。
    この本は、次なる作品への繋ぎ方がとても上手い。
    奥の細道への旅は、今の生をリセットして古来日本人の霊を巡る霊的交歓(異世界)の旅だったというのが、非常に理解しやすい。
    芭蕉の俳句の意味合いも、一段と身近になった。

    最後が「四書五経」の中のひとつである「中庸」。
    中庸とは、常にぴったりな行動をとれることを指すという。
    そのときどきに、ふさわしい行動をとること。とても実践的な教えだ。
    もうひとつは「誠」というものを解説している。「すべき」を押し付けるわけではない。
    なるべくニュートラルな心の状態に自分を置き、TPOにピッタリな言動がとれて周りのひとに尽くしていくこと。この本にはそれに至る方法も書かれている。

    すぐに理解しようとせずにじっくりと読むこと。声に出してリズムよく読むこと。
    或いは書写する。著者はそうお薦めしている。
    そうして古典が身についた時初めて、折にふれて役に立つのかもしれない。
    何か困った事態に陥った時、脳内の古人を呼び寄せて知恵を授けてもらう。目指すはそこだ。
    ダイジェスト版なので、全ての方にお薦めできる。
    論調も非常に分かり易く、明るくユーモアにあふれた良書。

    • やまさん
      nejidonさん♪こんばんは。
      コメント♪有難う御座います。
      「浅漬け」試してみます。
      「浅漬けの素」を検索したら色々有るのですがn...
      nejidonさん♪こんばんは。
      コメント♪有難う御座います。
      「浅漬け」試してみます。
      「浅漬けの素」を検索したら色々有るのですがnejidonさん♪は、どれを使われていますか。
      同じものを買ってみたいのですが。
      宜しくお願い致します。
      検索結果→https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E6%B5%85+%E3%81%9A+%E3%81%91+%E3%81%AE+%E7%B4%A0/?scid=s_kwo_2015fod&lsid=1035514972&acid=747282&cid=9329888838&agid=92375589817&kw=%E6%B5%85%20%E3%81%9A%20%E3%81%91%20%E3%81%AE%20%E7%B4%A0&mt=b
      2020/05/04
    • やまさん
      nejidonさん♪こんばんは。
      コメント♪有難う御座います。
      デパートが休館しているため、高級なスーパーだと、もしかして有名な醤油を扱...
      nejidonさん♪こんばんは。
      コメント♪有難う御座います。
      デパートが休館しているため、高級なスーパーだと、もしかして有名な醤油を扱っているかもしれません。
      捜してみようと思っています。
      前に、妻が浅漬けの素を買ってきて試したのですが、難しかったです。
      有難う御座います。

      マルエ醤油 漬けてん浅漬けの素 420ml
      検索結果→https://store.shopping.yahoo.co.jp/marue-shoyu/0305008.html
      2020/05/04
    • やまさん
      nejidonさん♪こんにちは。
      コメント♪有難う御座います。
      クックパッドは、株主優待で使いだしたのですが、いまや何かと見て参考にして...
      nejidonさん♪こんにちは。
      コメント♪有難う御座います。
      クックパッドは、株主優待で使いだしたのですが、いまや何かと見て参考にしています。
      此度の「なすの煮浸し」は、雑誌に書いていたナスの皮を剥いて作る方法ではないものが、人気ナンバーワンになっていました。
      プロ(主婦)の方に申し訳ないのですが、自分の参考としてアップしたものです。
      それと、コメントの書き込みは、何も言われないと私の方と、コメントを頂いた方♪の2ヶ所に書き込むようにしています。
      自分がコメントを書き込んだ場合は、いつ返信のコメントが来るのかと・・・、相手の方も同じでないかと思い両方に書き込んでいます。
      お使いの浅漬けの素は「マルエ醤油 漬けてん浅漬けの素 420ml」では・・・。
      やま
      2020/05/05
  • 「古典は転ばぬ先の杖よりも、転んだあとの絆創膏(ばんそうこう)……大事なことは、絆創膏がどこにあるかを知っておくことです」

    いいですね(^^♪ 序文から筆者の楽しい人柄がうかがえるような魅力を放っています。
    人生、ある程度転んでみなけりゃ学べない、でもある程度生きてくると、転びたくなくても転んでしまいます。それを思うと、この言葉は微笑ましくもけっこう切実で奥深い。

    よみすすめていくうちに、とてもユニークな視点で書かれていることに驚きます。古典の世界を日々体験している能楽師の筆者ならではの視座とアプローチに心がわくわく踊ります♪ やさしい言葉でわかりやすく書かれているため、本書で紹介する古典はガイダンスにもなりますし、すでに読んだことがある人には、目から鱗が落ちるような、ある種の啓示を与えてくれるでしょう(笑)。

    『古事記』*『論語』*『おくのほそ道』*『中庸』

    『古事記』では、日本古来の「死」の概念を探ります。「しぬ」と「シ(死)す」」とは同じ意味なのか? といった疑問から、日本古来の「しぬ」とはどういうことを意味していたのかを解明していきます。死者と生者のすみわけ、お盆などの風習や年中行事なども絡めながら、新たな視点をひらきます。

    おなじみの『論語』。孔子は紀元前500年ころの人ですが、『論語』という書物は孔子の死後、弟子によって語り継がれ、400年も経て完成します。それからさらに2000年以上もの時が経過しているためズレがあることはおおむね理解できます……頭では。そして、
    「吾(われ)、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る……」とわたしは学生のころ習い、疑いもしません。

    ところが孔子の生きていた時代には、「惑」という字は存在しておらず(ええっ~汗)、後世に当て字されたものの、本当は「惑」ではなく「或」ではなかったか? という疑問が生じます。その解釈の結果、「四十にして惑わず」ではなく、「四十にして区切らず」となり、自ら限界を設けずいろいろなことにチャレンジする、その結果として天命を知る五十……これにはびっくり仰天。ほかにも別の視点から光をあててみることで、その視野は広がり、あらたな気づきを与えてくれます。これまでの『論語』の言葉が、みるみる立体的になっていくよう。

    さらに衝撃は『おくのほそ道』。人気の俳諧師から一転、すべてを捨てて旅にでた46歳のホームレス芭蕉。よくいわれるその旅の目的は、「歌枕」といわれる、いにしえの歌人が詠んだ名所旧跡を訪ね、鎮魂とともに詩歌の霊感を得ることです。
    しかし筆者の安田さんによれば、そんな生易しいものではない。亡者とのおごそかな繋がりを求める決死の旅、しかもその旅路を「能楽」になぞらえるあたりは白眉で、その視座の高さに感激します。
    たしかに以前から不思議だったのは、『おくのほそ道』は紀行文ですが純粋なそれではありません。詩のような、幻想的な異界の物語のような奇妙な読み物です。ちなみに芭蕉は能が大好きだったとか。

    あまり読めてはいないですが、ときどき古典は不思議な読み物だな~と感じます。なぜなら若いころに読んでも、社会人になって読んでも、なんど目にしても、まるで初めて読んでいるようなわくわくとした高揚感とおもしろさがあるからです。これは本当に古典という古い書物なのかな? もちろん難解でチンプンカンプンのときもよくありますが、アバウト人間のわたしはそれも一興、スルーしてどんどん歩きます。まるで山歩きのような楽しさで。

    古典は転んだときの「絆創膏」とは言いえて妙で、痛切に思うのは、世界中の膨大な神話や詩歌も含めたこれらの本は単におもしろいというだけではなく、生き方や死に方を陰に陽に照らすから深遠です。
    思えば誕生の瞬間から、人はとどまることなく老いていき、病気をしたり、リストラされたり、さびしいかな大切な人を失い、事故や災害に遭遇し、ときには暴動や紛争や事件に巻き込まれ……しばしば剣呑で孤独な山道を歩かなければならないわけですが、古典はそんなときの心の栄養ドリンクでもあります。これが一生かけても汲みつくせない豊穣さにうっとりします。しかもタダ同然、胃にも優しい穏やかさ――ときどき消化不良になりますがほっとけば治る――これはずっと呑んでいきたいです。お薦めします。(^o^)

  • 学生時代、漢文がめちゃくちゃ苦手だった。(いまはもはや全く触れていないけど)
    たしかに「なんの役に立つんやろう?」とは思っていた。

    「役に立つ」ということが全てではないと思うけれど。ただ、古典とどうやって接すればおもしろいのか、というヒントがたくさんあった。
    その当時に使われていた「字」を通して読んでみたり、松尾芭蕉が共に旅をした「能」を通して読んでみたり、そうすることでその著者の価値観に触れられたり、それは自分の人生でも活かせそうな事柄だったり。
    古典を現代文のスピードで読まず、遅読する。
    古典のスピードで古典をたのしむ。これはなかなか本質なのではないかと思った。どうしてもすーっと読んでしまいがち。洗練された古典に無駄な箇所はない。古典は濃いんだなあ。だからゆっくりゆっくり読む。たしかに、そういうことを学校の国語の時間なんかはしてくれていたのかもしれない。

    大変易しく、かつ古典ってすてきなんだなーと思わせてもらえる本でした。

  • 古事記、論語、奥の細道、中庸
    4つの古典のメッセージをわかりやすくまとめている

    古事記
    描かれる死生観がとても興味深い。昔は因果の関係が世になく、死は魂が一時的に離れたものと捉えていたため、死に対する恐怖がなかったそう。
    因果や時間については、映画『メッセージ』をみてから関心を持っているのでもっと深掘りしたい。

    論語
    齋藤孝さんの『声に出して読みたい論語』に載っていたものも紹介されていたが、解釈の違いがおもしろかった。こっちの解釈の方が腑に落ちたので安田さんの『論語』を読んでみようと思う。

    奥の細道
    芭蕉は『俳諧的生活』を重んじたそう。俳諧=和気あいあいとする笑いであり、俳諧的生活=和とユーモアある生き方。笑いにはきっと奥深さがあるのだろうなあと、その後『落語は心の処方箋』を読むきっかけになった。

    中庸
    全ての人には自分の成す『性』というものがある。その周りには『過剰』という誇りが積もっているので本来の自分の性をみつける必要がある。そうして、自力(その時々でぴったりな選択ができる、それを感じる力)と誠(成るべきものを成るべきように成せる力)によって道(性に従うこと)を実践したい。


    やはり、古典は人生で大事なことを簡潔に伝えてくれる。ここで紹介されている本はじっくり時間をかけて何度も読みたい。

    古典は色眼鏡。古典を知ると世界の見方が変わる
    たしかに、その通りだ。古典に限らず本というのはそういうものである。

  • 古事記や奥の細道など有名な作品を独自の解釈で読み解いていた。古典や自己啓発本を読むことは、自分が没頭できる趣味や仕事を探すための有効な方法なので、ジャンルに限らず読書をすると良い。

    目的を明確にせずこの本を読み始めたため、得られるものは少なかった。

  • 高校のとき、古文が本当に嫌いだったんだけど、この本を読んだら古典ってすごい!って素直に感じた。
    数千年前の人が、人間が普遍的に大事にしたら生きることが豊かになる知恵をもっていて、それをこんなふうに残してくれてたんだなあ。

    学びのきほんシリーズ2冊目なんだけど、このシリーズめちゃくちゃいい、おすすめです◎◎
    2冊読んだところ、やっぱり思うのは、【否定せず違いを認め合うこと】。

  • 「「古典は転ばぬ先の杖よりも、転んだあとの絆創膏」と出だしから気楽でありながら頷ける言葉で惹きつけられました。
    漢字から再考する『古事記』と『論語』はとても面白く、新たな見方を教えてもらえました。
    どの古典の章も易しい言葉とほんわかした挿絵とですいすいと読めました。

  • 古典を身近に感じられる一冊。

  • 能楽師の著者が古事記、論語、おくのほそ道、中庸を読み解くもので、なるほど、確かに、「そうは読んでなかった」経験ができました。古典を「遅読する」こと、私もそれなりに実践してるつもりでしたが、まだまだでした。

  • 『古事記』『論語』『おくのほそ道』『中庸』──代表的4古典に書かれている「本当のこと」とは? 私たちは何を知っていて何を知らないのか。古典の「要点」さえ理解できれば自分だけの生きる「道」が見えてくる。自分なりの価値観を見出していくために。古今東西の名著に精通する能楽師による、常識をくつがえす古典講義!

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著者プロフィール

安田 登(やすだ・のぼる):1956年生まれ。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。関西大学特任教授。 著書に、『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫、2010年)『異界を旅する能』(ちくま文庫、2011年)、『日本人の身体』(ちくま新書、2014)、『身体感覚で『論語』を読みなおす――古代中国の文字から (新潮文庫、2018年)、『見えないものを探す旅――旅と能と古典』(亜紀書房、2021年)『古典を読んだら、悩みが消えた。――世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房、2022年)、『魔法のほね』(亜紀書房、2022年)など多数。

「2023年 『『おくのほそ道』謎解きの旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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