ローマ史再考: なぜ「首都」コンスタンティノープルが生まれたのか (NHKブックス 1265)
- NHK出版 (2020年8月27日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140912652
作品紹介・あらすじ
西欧中心のローマ史観を根底からくつがえす
「ローマ史は紀元前後がピークで、あとは下降線」。世界史を学んだ人が抱くこんなイメージは、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンによって作られ、日本の教科書に今も強い影響を及ぼしている。しかしそろそろこうした「西ヨーロッパ中心主義」を解体する時期ではないか――期待の俊英が、ローマが2000年続いたのは東側に機能的な首都・コンスタンティノープルを作ったからだとし、勅令や教会史に現れる「儀礼を中心とした諸都市の連合体」としてのローマ帝国像を生き生きと描き出す。コンスタンティヌス帝やユスティニアヌス帝ら「専制君主」とされる皇帝たちは、本当は何に心を砕いていたのか? 最新研究を踏まえた驚きの古代史!
感想・レビュー・書評
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ローマ帝国の中心が、何故、いつから東へと移り、西ローマは滅びたのか不思議に思っていた。西ローマはイタリアとガリアの統一が上手くいかず、僭称皇帝の乱立が続いたことから東ローマが介入せざるを得ず、結果皇帝を擁立しないことで介入を防ぐ選択をとり、西ローマが滅亡というのは意外だった。ユスティニアヌス一世のイタリア遠征とその後の混乱がローマの荒廃を招き、結果ローマという名の首都の座をコンスタンティノープルに譲る結果になったというのは皮肉なものだ。ローマの鍵シリーズのファンとしても、切ない。
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3世紀から10世紀までの西洋史は空白といってよいのではないかと思う。その前半期間を本書は取り扱っているが、コンスタンチノープルが「第二のローマ」として認識されていく過程が詳述されていて、非常に興味深い。
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コンスタンティノープルが東ローマの首都として確立されていく過程が論述されている。都市の変遷を、人・宗教・制度など様々な視点から捉える内容が興味深かった。
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ローマからコンスタンティノープルへの遷都が何時あったというわけではない!またローマ皇帝は東西・正副で4名の時代が長く、この町に滞在することもあった!この町はコンスタンティヌス大帝が造った都市ではあるが、決して皇帝が常在だったわけではなく、テオドシウス1世が初めて常時いることになったとは世界史の常識とは異なっていた。そしてローマ帝国の東西分裂も西ローマ帝国の滅亡も随分イメージが違った。476年に軍人オドアケルという人物が幼帝を配意し、皇帝標章を東政府に返還したということらしい。戦争でローマの町が破壊されたわけでも、ゲルマン人によりローマが制服されたというイメージを持っていただけに衝撃的な事実誤認だった!その後は東の政府がローマ帝国そのものになったわけ。コンスタンティノープルの町がローマのようにキリスト教に関するゆかりがあったわけではないことに、この町の劣等感みたいなものがあったのかも、とは確かにそうかもしれない。キリスト教の世界会議の開催と東西の競争など、キリスト教の歴史にも詳しい記述だった。
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コンスタンティノープルはいかにして「首都」となっていったのか――その建設から7世紀までを扱う。
伝説で語られがちなコンスタンティヌス大帝とコンスタンティノープルの関係だが実態はどうだったのか。キリスト教におけるコンスタンティノープルの地位の上昇はどのような経緯で達成されたのか。宮廷がコンスタンティノープルに固定されたのはなぜか。後世、ローマ帝国の滅亡と呼ばれる476年の出来事の意味は何であったのか。東ローマが長く続いたのはなぜか、などなどその内容は目から鱗。
「ローマの滅亡」として語られがちな時代を問い直す一冊。