- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140912355
作品紹介・あらすじ
古代東アジアに起こった一大戦役・白村江の戦。通説では、唐・新羅連合軍に敗れた日本は以後、唐の律令に学び、国家体制を整備していったと言われる。だが、この通説は果たして本当か?敗戦国の日本が、唐の支配を全く受けずに友好関係を保つことが可能だったのか?本書は、中国・朝鮮側の史料、最新の考古学の知見、古今東西の「戦争」における常識など、多角的な視点から『日本書紀』を再解釈。白村江後に出現した唐の日本「支配」の実態、さらに、それがのちの律令国家建設に与えた影響を鮮やかに描く。
感想・レビュー・書評
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白村江の戦いは「敗戦」なのだから、戦勝国の占領政策の対象であった、というのは確かにそうだと思った。
しかしながら、他者の研究結果を非難する割には、自身は推測も多く、どっちもどっちの印象。
切り口は面白く、参考になった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
通説にラディカルにきり込む本。大津宮が防御目的と言うのが腑に落ちないというのは確かにと思った。しかし、書いてないことだから、定説になるのは難しいのかなと思った。
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面白い本だった。
しかし本の趣旨の、唐が日本を支配していたという主張を、日本書紀などの文献にその記載がないのは、記したくない事実だったから、というのは無理がある理屈では?
目の付け所は面白いし、唐の影響は当然あっただろうが、著者の言う羈縻政策まで行っていたかどうか?
あと、この本は人の説を剽窃しているようだ。 -
“白村江の戦い”の敗戦後、唐からの使節が百数十人規模から2千人規模で、数次にわたり入朝しています。日本史を学んだ時、この部分はスルーで気になっていた箇所でした。本書では、これは唐軍の戦後処理使節であり、進駐軍であると指摘しています。中国側の確たる文献がないので決定打になりませんが、少なくとも太宰府地区は占領され、国政にも影響を及ぼしたのではないでしょうか?新羅が唐を破ったことで占領は短期になったのでしょう。
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意欲作。東アジアの古代史としては避けては通れない。百済救援戦争の後の律令制成立までの黒歴史。かなり信憑性の高い話しだと思う。九州に唐の使節がきて唐の支配下におかれた。筑紫都督府が置かれた。