- Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140911181
作品紹介・あらすじ
人生に起こる不意の出来事、たまさかの出会いに対して、私たちはどのような態度をとり、かかわるべきか。真理は必然にのみ宿ると考えたプラトン以来の西洋の論理は、常なるものを求めるゴーチエなど西洋文学にまで貫流する。一方、芭蕉俳句・随筆など日本の伝統的な芸術表現には、偶然を「無常」として甘受する感性が溢れている。日欧の対比をふまえ、偶然の愛を必然に高めたボーヴォワールや西洋哲学の理と日本の情の間で偶然の意味を考えた九鬼周造の思考と生き様を追いながら、偶然を育む道筋を探る珠玉の論考。
感想・レビュー・書評
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西洋精神の根底にはロゴス主義があり、言葉は真理を表現しうるはずだという確信があると著者はいいます。一方日本には、無常を深く受け止める感受性が重視されてきました。著者は、西洋のロゴスが必然性へと向かうのに対して、日本では偶然を感受する感性が溢れているという対比が見られると主張します。
こうした対比を踏まえて、偶然について思索をおこなった哲学者や芸術家たちの議論を紹介しています。とりあげられるのは、九鬼周造、アンドレ・ブルトン、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、そしてアンリ・ポアンカレとジャック・モノーなどです。個人的には、ブルトンとナジャの関わりに、興味を抱きました。
ただ、そうした偶然性に関するさまざまな思索の収斂していく方向性がはっきりと示されていないことに、少し不満を感じてしまいます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
言葉を弄ぶ哲学的思考にはもう疲れた。考えるにしても時を選びたい。
昔の日本に「愛」の概念はなかった。特に男にとって。恋=性欲があっただけ。別れの美学はあるが、愛の継続への意志はない。 -
日本がわかる。
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哲学の演習で使った本。