- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140818831
作品紹介・あらすじ
こころをこめてマインドフルに生きること、それがシンプリシティ。
世界的名著『スモール・イズ・ビューティフル』を著したE.F.シューマッハーの意思を継いで、イギリスのエコロジカル雑誌「リサージェンス&エコロジスト」の編集主幹となった先駆的エコロジスト、サティシュ・クマールが、いま世界に「簡素」に生きることの素晴らしさを説く! 新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい始めたとき、カナダの若者たちの共感を得て話題となった本がいよいよ邦訳。
「大量生産という産業のありかたは、醜い文明をこしらえてしまったのではないか。私たちは数字に支配され、経済にとりつかれ、スピードのとりこになっているが、これら三つは美しさの天敵だ。――
――日本には「わび」「さび」という美学的な概念がある。そこには「飾りけがない」「気取らない」「謙虚」などの意味が含まれている。高級そうで、華やかで、大げさで目立つものである必要はない。ザラザラ、ゴツゴツしていたり、あっさりしたりしていてもよい。ありのままで、手がこんでいない。まさに「わび」と「さび」には〈エレガント・シンプリシティ〉、簡素で美しい生きかたが表現されている」―――(本文より)
感想・レビュー・書評
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個人の内面的な調和=マインドフルネスと、外的、社会的な課題である環境問題への対応とが、一本の道として繋がっているということに開眼させてくれた。
シンプルな暮らしと、生き方。
分断から、関係性の改善によってのみシンプリシティへ辿りつくというところなど、刺さる言葉が溢れている。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
シンプルもエレガントに
昔から「シンプルライフ」は現在、「断捨離」「田舎暮らし」などが盛んになってきた。今回の「+エレガント」とは「量」より「質」で自分なりのアートを持ち、自分に合った「シンプリシティ」(物質社会に惑わされず)を求めて生きるのはとても良い事だ。仏教にもある「足るを知る」、その為にも物欲から智欲「一生学び」に臨むのも良いかもしれない。 -
マイ・ストーリー―私の物語:
母の愛と父の死
トゥルシ師との出会い
成長と苦悩、ガンディーとの出会い
砂漠の救い
俗世で生きる
地球巡礼者として見た世界
人生は巡礼の旅
エレガント・シンプリシティ―「簡素」に美しく生きる:
マインドフルであれ
最小限の美
ほんものであること
エゴからエコへ
ありのままに自由に生きる
物に縛られない
自分を評価する
複雑なものをシンプルに
即効性を大切に
今を生きる
ビジョンをもち豊かに生きる
アーティストたちの社会:
アーツ・オブ・リビング
つくり手になる
アートとは何か
生きることそのものがアート
アーティストがつくるしあわせな社会という理想
行いのヨガ:
結果を求めない
自然こそが神
マインドフルに行うことすべてがヨガ
ジャイナ教の非暴力とガンディー
学びと人生:
教育のあるべきかたち
学校で何を学ぶか
シューマッハー・カレッジの理念
ほんとうの学びとは
エコリテラシーをとり戻す
エコロジーとエコノミー
自然のサイクルから学ぶ
若者が学ぶべきこと
ニュー・サイエンスの目覚め
人間中心主義との決別
教育は引き出すもの
よき関係―私たちはみな、つながっている:
アイデンティティはつながりのなかに
数値化できないもの
ほんとうの経済について
分断された社会
理想主義者でありたい
無限の愛:
自分を受けいれること
世界を変える愛
無条件にロマンティックな愛を
性愛を祝福しよう
事実の愛は道そのもの
ゆるしの力:
ゆるす強さ
ゆるしのアート
ゆるしの果実
ゆるしは未来を変える
対立するもの同士のダンス:
闇を友とする
危機に向き合う
すべては補完し合う関係
相反するものの同士の調和
誕生と死のダンス
いのちのつながり
ディープ・シーイング―深く見る:
見ることと聞くこと
第三の眼をもつ
つながり合う全体を見る
すべては深く見ることから始まる
しあわせとは丸ごとであること
科学とスピリチュアリティの融合:
測れるものと測れないもの
フィジカルとメタフィジカルの融合
科学にはスピリチュアリティが必要
スピリチュアリティにも科学が必要
両輪で走る
ソイル・ソウル・ソサエティー土と魂と社会
3つのS -
シェーカー教徒
必要最小限のものだけで自給自足の生活を送った
「シンプルに生きるという恵み、自由であることの恵み…」(1848 ジョゼフブラケット長老作 シェーカー教徒の歌)
ジャイナ教
持ち物を最小限にすることなしに、より高いスピリチュアルはない
マハトマ・ガンジー
「シンプルな暮らし 高い意識」をモットーにした。
インド建国の父
自分で建てた簡素な家に住み、自分が身につける腰巻と肩掛けのための糸を紡いだ。インドの独立運動を率い、週刊新聞を編集する傍ら、野菜を育て、料理をした。
身体的な必要を満たしながら、同時に社会的政治的、そして知的な運動を続けることが可能だと身をもって示した。
《シンプル》とは、ガンジーにとって社会的な正義の表現でもあった。
「シンプルに生きる。そうすれば、他の人も生きられる。」これこそが彼の理想だった。
もっともっとと、モノを手に入れては消費する生き方は、必ず、弱い立場にある人や自然を犠牲にすることにつながる。
「3等車に乗るのは その下に4等車がないからです」ガンディー
ガンディーのアシュラム(修行道場)を経験
著者は、平和のための巡礼として、ニューデリーからモスクワ パリ ロンドン ワシントンDCまで13000kmお金も食べ物も持たず、歩いた。
「工場で作られるようなものの所有はほとんど不要だと確信。私たちが生きているのは、太陽、土、水そして善意に満ちた大地が与えてくれる全ての贈り物のおかげであり、私たち人間が生きるのは、助け合い、支え合う人間性という贈り物のおかげです。私たちは手によって、足によって働くことによって生きるのであって、スーパーマーケットやデパートのおかげで生きているのではありません。
愛によって、寛大な心によって生き、シンプルに生きることが私たちを自由に導きます。」
哲学者エーリッヒ.フロム 「所有より存在、持つことよりあること」
老子「私には教えることが3つしかない。簡素、忍耐、慈愛こそが、もっとも貴重なあなたの宝物」
マハトマ・ガンジー「人間の幸せは足るを知ることにある」
1章 私の物語
ジャイナ教の修行(放浪するサドゥー 修行僧)
鉢に食べ物を乞い、一日1度だけの食事
裸足で歩きながら、聖なるマントラを読む
ジャイナ教の聖典以外読まないこと、経典を諳んじて日夜瞑想に励むこと
9年間 1度も入浴せず、髪の毛は年に2度手で引き抜く 毎月24時間、48時間、72時間と3度の断食。毎日朝夕2時間ずつ、沈黙の行のうちに瞑想した。
体を束縛と感じ、世界を罠と感じるようになった。「このうんざりする世界から私を解放してください」と、死を、そしてこの世に二度と戻らぬことを望むようになっていた。
ビノーバノーベの設立した ガンディー アシュラム(修行道場)での生活
自由の空気
料理 畑仕事 糸つむぎや服作りといった技術(アート)を学んだ。
ものづくりをしながら瞑想すること、歩きながら不動の心を保つことを教えてもらった。
ヒンドゥーの伝統でいう4つのステージを学ぶ
最初の25年は人生の基礎となる学びの時間、そこで学んだ技術や考えを次の25年間で実践する。
3番目の25年にはコミュニティや社会奉仕のために献身する。そして最後の25年は瞑想し熟考し、物質的な所有物や心理的な執着などを断つことで真の自分を生きる期間
ビノーバノーベは「慈愛の王国」をこの世に実現することを使命として、平和巡礼を続けていた。
一生を通じて16万キロメートル以上歩いた彼は、行く先々で地主を訪ねては、貧しい人々のために土地を寄贈するように促した。
「ランドギフト運動」
この活動はインド中に広がり、1951年から1971年までの間に、160万ヘクタールの土地が貧しい人々に寄贈された。
ビノーバノーベ 「もしあなたに5人の子供がいるならば、私が6人目の子供であり、貧しく不幸で弱いものたちの代表だと思ってください。そして、あなたの所有地の1/6を与えなさい。もし、全インドの土地の1/6が土地なし農業従事者に配られたら、生計が立てられないものは1人もいなくなるだろう。」
「土地を所有できる人がいるだろうか?それは自然界に属するもの。空気は?水は?太陽の光は誰のものか?自然を、生命に欠かすことのできない要素を、所有することなどできない。ただ、それらとの繋がりの中で生きることができるだけだ」
第2章
最小限は美しい
日本の俳句 シンプルで必要最低限、そして美しい、しかも雄弁で意味深い。それが良い詩の条件
サンスクリット語では、深淵な思想が、短いスートラ(お経)やより短いマントラ(呪文)で表現される。時には「オーム」というたった一言でこと足りる。
アメリカには「ナショナル・シンプリシティ・デイ」7/12というものもある。
物質主義は何を所有しているかで、その人の地位が判断される。王は宮殿や城を巨大な土地召使いを持たなくてはならない。シンプルライフを送ることは難しい。
お金持ちも同じこと。いろんな問題に追われて忙しく、本当にやりたいことが出来ない。囚われの身だ。
神話学者ジョセフキャンベル「計画された人生を手放さなければならない。そうすれば、私たちを待っている人生を生きることができる」
3章
「アーツオブリビング」その昔、インドでは64あるといわれたアーツオブリビングを学んだ。
寝床を整えること 身体を洗うこと 体を飾ること カーマスートラ(性交)家族の世話 火起こし 祈祷 呼吸 瞑想 歌 踊り 絵画 家を建てること 栽培 料理 家具作り などが含まれている。
必要なこれら64のアートを学習することでこの世界で上手に生きていくことができる。
陶器や彫像を作っている間に、私は私自身を作っている 土を耕している間に あなた自身を耕し 作物を育てている間に 忍耐を育てている。内なるアートと外なるアートは、同じひとつの現実のふたつの側面
つくる というプロセスに参加してはじめて、それを使い消費する資格を得ると考えてみよう。
オーナーシップ(所有関係)はリレーションシップ(協力関係)に置換えられる。分かち合う。
ガンディー「この世は、万人の必要を満たすには十分だが、誰の貪欲も満たすことが出来ない」
大量生産 私たちは数字に支配され、経済に取りつかれ、スピードの虜になっている。
功利主義的な産業文明では アートを日常から引き離してしまった。
アートが生き方から分離されたのは、アーティスト達が、それまで仲間であったアーティザン(職人)や常にものづくりに携わっていた女性たちから自らを区別しはじめ より高い地位を要求するようになってからだ。
アートがステータスを示すもの 売り買いされる商品となり、消費と投資の対象になった。
4章
ヒンドゥー教のもっとも力溢れる教えのひとつがカルマ・ヨガだ。「行為の果実を求めることなくそれを行う」と教える。結果を重視する西洋的思考からは離れている。
ヒンドゥー教の最も深遠な思想は「ウパニシャッド」という書物に収められている。ウパニシャッドとは、「師の足元に座り、対話に加わる」という意味
土 空気 水 火 という自然の基本要素が神聖であると述べられている。全ての生き物それぞれに宿る神の他に、別の神は存在しない。この大地 この宇宙を離れたどこか遠い天国に神はいない。と
ウパニシャッドは言う。「大地の果実を楽しみなさい」全ての生き物が大地の贈り物を享受するよう招かれている。だから あなたは必要な分だけをとり、あとはほかの者たちのために残しておかなければならない。
ヒンドゥーの生命観 自然観は、直線的ではなく円環的だ。生は終わりの無い旅でゴールも目的地もない。だからこそ、何かを行う時もそれがどういう結果を生むか囚われるべきではない。行いそのものに焦点を絞る方がいい。
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2021I178 159/K
配架場所:C2 -
先に映像作品「サティシュの学校」を観て興味を持っていたところ知人から本もあるよー、と教えてもらい読みたいと思っていたら別の知人が持ってるから貸すよーと貸してくれました。必要とすると手に入る不思議。読了してみればタイトルが全てを物語っていると感じられるものの、シンプルな表現はものごとの本質や真理を表すだけで細かい説明や理解しやすい事例などは省かれた姿なので、読む前にタイトルを見て感じたことと読了後の感じ方は同じではないのが当然のこととも思えるし不思議でもあります。サティシュの考えを著述した作品と予想して読み始めたのですが、前半は彼の自伝とも言えるような内容で、どのような過程を経てこのような考えに至ったのかが平易な言葉で綴られていて読みやすかったです。後半については使われている言葉こそ難解なものはあまりないものの、字面だけでなく哲学体系(というか生き方の道標というか、理想とする在り方(being))を理解したいと思いながら読むので集中力と時間がかかりました。薄い本ですが密度の濃い本です。『ダ・ヴィンチ・コード』をはじめとするダン・ブラウンのエンタメ本でも信仰(意識や愛情などの数値化できないもの)と科学(数値化できるもの)の対立が物語の核でしたが、対立する軸としてある限りどちらも不完全であり、化学を否定する信仰からは原理主義などの極端なものを生じやすく、数値化できるものだけを追求する科学は環境破壊や資源を枯渇させる開発のように暴走しやすく、どちらか一方だけでは駄目であり、両輪のように補い合うに出来ているという話は目から鱗が落ちそうになりつつ、気持ちが明るくなりました。この考えに沿った生き方を実践するのは実際問題としては急には無理だし全部というのもなかなかシビれることではありますが、出来る事から少しずつ心掛けていきたいと思います。繰り返し読みたい本です。これまで「ホリスティック」と言われると「神聖な」ということかと誤解していてちょっと怪しいよねと感じていたのですが、そうではなく「全部まるごと」「包括的に」「全体をまとめて」考える、という意味なのだということが分かってスッキリしました。
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