世界は「関係」でできている: 美しくも過激な量子論

  • NHK出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784140818817

作品紹介・あらすじ

天才物理学者が量子論の真髄を明かす!

ベストセラー『時間は存在しない』の著者による待望の最新作。”ホーキングの再来”と評される天才物理学者が、科学界最大の発見とされる量子論の核心とは何か、それは世界の見方をどう変えたのかをわかりやすく説く。さらに「意識」や「心」とは何かという哲学的な問いへの答えをも導きだそうとするスリリングな1冊。竹内薫氏の解説付き。イタリアで12万部を売り上げ、世界20か国で刊行予定の話題作!

感想・レビュー・書評

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  • 【まとめ】
    1 行列力学
    ハイゼンベルクの理論は、電子の運動を記述するのは諦めて、自分たちが観察し測定できるものだけ、つまり、電子が放つ光だけを記述する。すべての基礎に、オブザーバブル(観測可能量)を据える。
    原子内部の電子に関してわたしたちに観察できるのは、電子が放つ光――ポーアの仮説によれば電子がある軌道から別の軌道へ飛躍するときに出す光である。一つの飛躍には、電子が飛び出す軌道と飛び込む軌道の二つの軌道が関係している。したがって、一つ一つの観察結果を、飛び出す軌道を行とし、飛び込む軌道を列とする表の各項に対応させることができる。
    位置、速度、エネルギーといった電子の運動を記述するすべての量を、数ではなく数の表で表す、というのがハイゼンベルクの着想だった。電子の位置は、xというただ一つの値ではなく、Xというあり得るすべての位置からなる表で表されており、表の項が示すそれぞれの位置が、あり得る飛躍に対応している。使う方程式はこれまでと同じで、(位置、速度、軌道のエネルギー振動数などの)通常の量をこのような表で置き換えればよい、というのがこの新しい理論の考え方なのだ。

    ハイゼンベルクの発見に続き、シュレーディンガーが電子は「粒子ではなく波である」という理論を発表する。ψ(波動関数)の発見である。
    しかし、ハイゼンベルクはその理論に齟齬があることに気づく。波は、遅かれ早かれ広がって空間に拡散する。しかし電子は広がらない。どこかに到達するときは、必ず丸ごと一点に到達する。原子から電子が一つ放たれたとしよう。シュレーディンガーの方程式によれば、ψという波は空間の至るところに一様に拡散するはずだ。しかし、現実は一点に到着している。

    ここに新たな理論を付け加えたのがボルンだ。
    ボルンの理解によると、空間の一点におけるシュレーディンガーの波動関数ψの値は、その点で電子が観測される確率と関係がある。ある原子が粒子検知器に取り囲まれていて、その原子が電子を一つ放出したとすると、検知器がある場所における値は、ほかならぬその検知器が電子を探知する確率を規定する。つまりシュレーディンガーの波動関数は、実体ある何かを表しているのではなく、実際に何かが起きる確率を与える計算手段、ちょうど明日の天気を告げる天気予報のようなものなのだ。
    じきに明らかになったのだが、ゲッチンゲンの行列力学についても、これと同じことがいえる。行列の数学はあくまで確率を予測するのであって、正確な数値を与えるわけではない。ハイゼンベルクの形にしろ、シュレーディンガーの形にしろ、量子論は確実に起きることではなく、確率を予測するのである。

    観測、確率に続く量子論の第三の着想は、「粒状性」である。わたしたちが暮らすこの物理的な空間は、きわめて小さな規模では粒状であって、プランク定数が、基本的な「空間の量子」の寸法を決めている。

    XP-PX = ih
    Xという文字は粒子の位置を表し、Pという文字はその速度と質量をかけたもの(専門用語では運動量)を表している。iという文字は-1の平方根を表す数学の記号で、hはプランク定数を2πで割った値である。


    2 量子の世界の奇妙な振る舞い
    ・量子重ね合わせ
    光子からなる光線をプリズムによって2つに分割(左経路と右経路)し、それを一つにし、また分かれて2つの検知器(上検知器と下検知器)に到達するような実験器具をつくる。2つある経路のうちのいずれか(左か右)を手で遮ると、光子の半数は下の検知器に到達し、残りの半数は上の検知器に達する。ところが二本の経路をともに開放しておくと、すべての光子が下の検知器に到達し、上の検知器には一つも引っかからない。
    これが「量子重ね合わせ」で、一つの光子が「左も右も両方」通っている。いわば、左を通るという状況(配位)と右を通るという状況(配位)、これら二つの配位の量子的な重ね合わせなのだ。そしてその結果、光子はもはや上の検知器に向かわなくなる。二つある経路のいずれか片方だけを通っていたときは、上にも向かっていたのにだ。
    しかもそれだけでなく、光子が二本の経路のどちらかを辿るか「観察」するだけで、干渉が消え、上と下両方の検知器に検知されるのだ。


    3 実体は存在せず、そこには「関係」があるのみ
    観測者は、測定機器と同じように自然の一部である。そのとき量子論は、自然の一部が別の一部に対してどのように立ち現れるかを記述する。光子、石、木、人間といったさまざまな物体は、絶えず相互に作用しあい、一つ一つの対象物は、その相互作用のありようそのものである。
    したがって、対象物の属性と、それらの属性が発現する際の相互作用、さらにはそれらの属性が発現する相手とを分離することはできない。さらに、対象物が相互作用していないときにもその属性が備わっていると考えることは余計であって、誤った印象を与えかねない。なぜなら、存在しないものについて語ることになるからだ。

    相互作用なくして、属性はない。すべてのものは、なにか別のものへの作用の仕方だけで成り立っている。

    では、観測者とは違う、対象者自身についてはどうだろうか?
    みなさん自身がシュレディンガーの猫であったとする。みなさんにとっては、毒ガスは発せられたか発せられなかったかであり、自分自身は生きているか死んでいるかのどちらかだ。わたしにとっては、みなさんは生きても死んでもいない。つまり「量子的重ね合わせが存在する」。
    関係論的な視点から見ると、この二つはともに正しいといえる。なぜならそれぞれの状態は、みなさんとわたしという異なる観察者との相互作用に関係しているからだ。
    ここから導かれるのは、ある対象物にとって現実であるような事実が、常にほかの対象物にとっても現実では限らないということだ。
    そこにあるのは、明確な属性を持つ互いに独立した実体ではなく、ほかとの関係においてのみ、さらには相互作用したときに限って属性や特徴を持つ存在だ。

    量子論は、物理的な世界を確固たる属性を持つ対象物の集まりと捉える視点から、関係の網と捉える視点へと私たちを誘う。対象物は、その関係の網の結び目なのである。


    4 量子もつれ
    量子的な重ね合わせの状態にある一対のもつれた光子をウィーンと北京に一つずつ送ると、奇妙なことが起きる。たとえば二つの光子は、両方とも赤であるような状態と、両方とも青であるような状態の重ね合わせになっているかもしれない。さらにそれぞれの光子は、観察された瞬間に、赤か青かが判明する。ところが片方が青だということがわかると、遠くにあるもう片方もまた青なのだ。なぜ、両方とも同じ色になるのか。そこが問題だ。

    その答えを知るには、対象物の属性は別の対象物との関係においてのみ存在する、ということを思い出せばよい。北京で光子の色を測定すると、北京との関係での色が決まる。しかしそれは、ウィーンとの関係での色ではない。そしてまた、その逆も正しい。二ヶ所で測定が行われるその瞬間に二つの光子の色を目にする物理的な対象物は存在しないのだから、その二つの結果が同じかどうかを問うことには意味がない。二つの光子の色が同じであるという現象が発現する(つまり二つの光子と同時に相互作用する)相手が存在しない以上、無意味なのだ。

    二つの対象物が相関しているという言いまわしは、三つ目の対象物に関する事柄を表しているのだ。相関は、相関する二つの対象物が、いずれも第三の対象物と相互作用するときに発現するのであって、第三の対象物はそれを確認することができる。

    何ものもそれ自体では存在しないとすると、あらゆるものは別の何かに依存する形で、別の何かとの関係においてのみ存在することになる。ナーガールジュナは、独立した存在があり得ないということを、「空」(シューニャター)という専門用語で表している。事物は、自立的な存在でないという意味で「空」なのだ。事物はほかのもののおかげで、ほかのものの働きとして、ほかのものとの関係で、ほかのものの視点から、存在する。

  • 文系量子論渉猟

    量子論の読み物を相変わらず手に取ってしまうのである。
    もちろん多分一生わからないままでおわるのだが、何冊も読んでいると、さながら巨大な塔の内部をゆっくり螺旋階段でのぼっていくように、気づけばだいぶ高いところにきたなーなんて気分にはなれる、それが量子論文系読書の醍醐味であろう。

    さて、本書の議論の出発点は、うちの娘が苦労している元素周期表、さらに言えば電子が核の周りを回るその数と動きである。電子が増えたり減ったりして性質が変わる、その働きはどのように説明できるのか。
    そうこうしているうちに、電子の動きは観察しているかどうかで変わってくる、という、お前ら自然界レベルで人の目気にしてどうする的な世界に入っていく。

    これがまあまたいつものように、ある物質は観察されるまで定まらない、という不確定性原理というやつで、シュレージンガーの猫の例えの学び直しに時間を費やし、そして徒労感を得る。

    そこにそれがあるのは観察したからだ、という理屈は、それでは観察される前はどうなっていたのか、なぜ観察している私がその物質に影響を与えるなんてことがあり得るのか、という当たり前の疑問につながっていく。

    観察の数だけ少しずつ世界が層のように増えていく、つまりこの世は無限のパラレルワールドだから。たまたま観察したときの確率、いわばサイコロによって世の中は決まってくるから。
    さまざまな仮説が大まじめに物理学者によって論じられ、しかし相対性理論との整合性のある理屈を誰も見つけられず、論争は未だ決着していない。

    そんなことはサイエンティストではなく哲学者の領分では、という疑問を抱えているうちに実は物理学は哲学そのものだ、なぜなら物とは何か、を考えるのがこの学問の役割なのだから、という地平に辿り着く。

    ならばと古今東西の哲学にヒントを探せば、原始仏教、ナーガールジュナの「万物に実体はなくすべては関係性によって決まる」が、思考の補助線としてはもっとも当てはまりがいいということに著者は気がつく。

    うむ。
    しかしこれだけ理論的支柱が曖昧模糊としているのに量子コンピュータはまあそれなりに実用化の道を突き進んでいるというのが私にはいまだにようわからんのであった。

  • 【はじめに】
    カルロ・ロヴェッリは以前『すごい物理学講義』と『時間は存在しない』を読んでいた。『すごい物理学講義』は著者が重力と量子力学を統合する究極の理論として追究するループ量子重力理論の一般向け解説であり、『時間は存在しない』は時間の矢がなぜ流れるのかをエントロピーの観点から考察したものである。いずれも、非常に抽象度が高く難しい理論を、一般向けにとても分かりやすく興味を惹くように書かれていた。
    本書は、世界は空間と粒子の前にそれらも含めてまずは「関係」から生まれくる、とする考えを量子力学の理論から説明し、その上で生物の志向性とわれわれが認識する「意味」も同じく関係から生まれてくるという著者の考え方を示したものである。

    なお原題は、ハイゼンベルグがすべての始まりとなる量子行列力学の構想を得た場所であるヘルゴランド島から取られている。自分は一般論として原題を尊重するべきだという考えを持っているが、邦題で付けられた『世界は関係でできている』の方が、さすがに内容を的確に示しているし、分かりやすく、また売りやすいだろう。

    【概要】
    本書の構成は、以下の三部構成となる。第一部はイントロダクションで、第二部と第三部がメインとなる。
    第一部の量子力学の誕生期のエピソードとして、ハイゼンベルグによる量子力学の構想とそれに続くシュレディンガーの波動方程式の話に触れられる。時代を画することとなったハイゼンベルグの論文の最初には「もっぱらオブザーバブルな量の間の関係のみに依拠する量子力学の理論に基礎を与えることが、この論文の目的である」と書かれている。この「オブザーバブルな量の間の関係」という概念がこの本の鍵となる。

    第二部は、量子力学の解釈に関する章となる。いわゆるコペンハーゲン解釈の先にある「量子論は、自然の一部が別の一部に対してどのように立ち現れるかを記述する」 ― これが量子論の「関係論的(Relational)解釈」と呼ばれるものの紹介である。量子もつれや光の量子実験など量子力学から導かれるが人間の直観には反する事象がいくつか紹介される。本書の対象となる読者が科学者ではなく一般向けであることから数学的な厳密な理論はほとんどない。しかしいくつかの量子力学の結論の結果、著者としては「この世界が属性を持つ実体で構成されているという見方を飛び越えて、あらゆるものを関係という観点から考えるしかない」と結論つけるのである。基本的に相互作用から切り離された孤立した実体というものや状態というものはない。対象物の属性は、他の対象物に対してのみそのような属性として存在する。量子力学におけるこの考え方を「状況依存性(Contextuality)」と呼ぶ。
    ここから導出される著者の結論の中に、多世界宇宙論の否定がある。なぜなら多世界の前提として、世界を独立した事実とみなし、外部の独立した観察者を前提としているからだ。量子力学の観点からは独立した事実というものはなく、相互作用したときに発生する関係のみが世界なのだ。「事物の総体には「外側」がない。外側からの視点は、存在しない視点なのだ」と説くのだ。

    続く第三部は、第二部を受けた形で、われわれに生物にとって「意味」や「志向性」がどのようにして生まれるのかを語る。新しい第三部の冒頭に、唐突にマッハの思想を受け、組織化という概念を推し進めた旧ソ連のボルダーノフや、空の概念を論じたナーガールジュナ(龍樹)の話が置かれる。その後、心的現象もまた量子の世界のように何か実体や土台があるのではなく、関係性があって初めて実体や属性が現れるというように論を進める。
    著者は、最終的に相関情報と進化論を世界に共通する原則として措定する。そして、次のように宣言する。
    「意味や志向性は、至るところに存在する相関の特別な例でしかない。わたしたちの心的生活における意味の世界と物理世界はつながっている。ともに、関係なのだ」

    【所感】
    第二部の終りに著者は次のように書いている。
    「思うに、わたしたちは科学に哲学を順応させるべきなのであって、その逆ではない」
    その通りであると思う。「われ思うゆえにわれあり」と宣言したデカルトが起源とも呼ばれる現象学や実存主義などの西洋哲学も量子力学や宇宙論に順応されるべきであるし、精神分析や心理学も含めた哲学全体も脳神経科学の観点に順応されるべきである。ここで著者が試みている「世界」の把握に関してもその通りである。その意味でマルクス・ガブリエルのような哲学に関しても科学に順応させるべきであるからこそ、彼の哲学観には個人的に違和感を持っている。この観点で著者の試みはひとつの試みとして重要だとは思う。まず量子力学によって開かれた状況依存性の議論はとても納得感がある。エントロピーとしての情報と進化論によるエントロピー増加に対抗する動力についての考察も、その重要な二つの理論の交差点に生物があるという構造論もその通りだと思う。

    一方で、量子力学の関係性が存在に先立つという概念を、「意味」や「志向性」のレイヤにも適用する論に関しては個人的には正しさを欠いている部分があるのではと感じた。量子の世界と同様に、相互作用によって心的現象が生じ、相互作用がない孤立した心的現象というものはないというのはアナロジー・比喩としては有効であるように思われる。しかし、そのロジックは、あくまでアナロジーとして成立しているだけであって、量子の世界の構造がそうであるから心的世界の構造が同様であることを証明するものではない。この点は重要であるように思う。

    著者は「心の働き方を量子力学を用いて説明する試みは、まったく説得力に欠けている」と書いている。これもまたその通りである。心の作用、特に自由意志の存在、を量子力学の不確定性理論やコペンハーゲン解釈をもとにして説明しようとする理論は明白なレイヤ侵害によって失敗している。しかしながら、同じく量子力学の状況依存性の議論から心的現象を説明することもまた説得力に欠けるように思われるのである。

    「この世界に関するわたしの知識は、まさに意味ある情報を作り出す相互作用の結果の一例にほかならない。それは、外側の世界とわたしの記憶の相関なのだ」と書くときに、その正しさの根拠として量子の世界を持ち出すこともまた論理的な誠実さに欠けるように思う。

    「過程や出来事、ひいては関係論的な属性や関係が織りなす世界の観点に立つと、物理的現象と心的現象の隔たりも、それほど深刻には見えなくなる。なぜならどちらも、相互作用が織りなす複雑な構造から生じる自然現象と見なせるようになるからだ」
    どちらも相互作用が織りなす自然現象であるかもしれない。繰り返しだが、ただ心的現象がそうであることを、物理的現象がそうであることが保証しないと認識するべきなのだ。また、そうであるがゆえに、量子の世界が関係から出来上がっていることによって、何か心的現象が説明されることはないのではないのか。

    もちろん、量子力学的世界観は、世界をどのように把握するのかに関する哲学的思考にとって欠くことができないものであると思う。ただし、心的現象に関してはそこから演繹することは何か重要なステップを飛ばしてしまっているように感じる。

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    【カルロ・ロヴェッリの本】
    『すごい物理学講義』 (カルロ・ロヴェッリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309467059
    『時間は存在しない』 (カルロ・ロヴェッリ)のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4140817909
    【量子力学黎明期の本】
    『そして世界に不確定性がもたらされた―ハイゼンベルクの物理学革命』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4152088648
    『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4105064312
    【量子もつれの本】
    『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』のレビュー
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4000295799
    『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』
    https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4062579812

  • この本は、「時間は存在しない」の著者でもあるカルロさんの量子論について考察された本です。
    科学の本というよりは、哲学的な本で、私には、めちゃくちゃ難しく、苦労しました(笑)
    量子論の摩訶不思議な世界が描かれており、頭が、混乱しますが、とてもいい刺激になりました。
    ぜひぜひ読んでみてください。

  • またもや素晴らしい本に出会った。量子論という理系的な内容を、学問的な専門知識と卓越した詩的な文章能力を両立させて面白くかつ美しく教えてくれる本だ。完全に自分の好みのツボ。生物学の福岡伸一さんや数学のサイモンシンさんのファンならば絶対に読んだほうが良い。
    数か月前に、同じ著者の「時間は存在しない」を手に取ったが、それは全くとしていいほど自分に響かなかったが、おそらくそれは自分の不勉強のためだろう。再度チャレンジしてみたいと思う。

  •  つい最近「実在とは何か(アダム・ベッカー著)」という、主に哲学の立場からコペンハーゲン解釈の論理実証主義的な実在否定論を批判する本を読んだが、この本はそれとは全く正反対の立場に立つ。すなわち、自然主義の見地から「世界はそこに内在する自然の一部と他の一部の相互作用の網の目によって成り立っている」とし、事実の総体としての「実在」を否定するのである。どちらの見方にも説得力と疑問点がありどちらが正しいと断ずることはもちろんできないが、短期間に全く正反対の立場に接することは知識の整理になるし、独断への落ち込みを避ける最も有効な手段だと思う。

     本書の導入部分はシュレーディンガーの波動関数〈ψ(プサイ)〉に対する物理学界の解釈論だ。ψを「確率」として扱うマックス・ボルンらの主流派に抗してこれを事実の総体としての世界にどうにかして位置付けようとする非主流派の理論(ボームの〈パイロット波理論〉、エヴェレットの〈多世界的解釈〉等)を、著者はバッサリ切り捨てる。そして、世界を〈関係=相互作用=属性〉の観点から再構成し、①事物の属性が生じるのは世界の一部と他の一部との間に相互作用が存在するからであり、また②すべての事実は相対的である、とのコペルニクス的転回を提示する。
     この論に従えば、「測定状況依存性」の問題はある世界の一部と他の一部の相互作用の問題に回収することができ、何ら不思議な現象ではなくなる。そもそも相関関係にない観測者に対しては、すべての現象はエンタングルメントとしてしか提示されない。測定という形で相互関係に立った瞬間、その現象から具体的な属性が提示されるのだ。ただしその属性は観測者との間でしか妥当せず、異なる系に立つ観測者がその属性に同意するには、観測者同士が相関して共通認識を持つ必要がある(〈間主観性〉)。
     そして、量子物理学の2つの公準から「ある対象の情報を最大限集めても情報の総体は確定不能」と言う命題が導出されることから、「究極の〈本質〉は存在しない」という、伝統的実在論の否定に至るのだ。ここで興味深いのは、論理実証主義の旗頭であったエルンスト・マッハに影響された、ロシア革命期の思想家アレクサンドル・ボグターノフなる人物が舞台廻しとして登場することだ。彼は、マルクスやエンゲルスと通底する相対的経験主義に立ち、「現在の物質概念も知識の歩みの途中段階であり、経験と概念の組織化により継続的に知識を得ることが必要である」と主張してレーニンの史的唯物論批判を繰り広げたのだが、これが上記の量子物理学の公準から導かれる確定不能性と相似形をなすのである。「歴史も情報も、先行して獲得された経験の総体からは決してその未来が確定できない。だからこそ世界の表象から既知の事実と異なる情報を検出し、知識の更新を図る必要がある。これが歴史と量子論に共通する本質だ」というわけだ。量子論と共産主義世界における論争とのシンクロに驚かされると同時に、物理学者でありながらロシア思想史にも造詣の深い著者の博識ぶりに深い感銘を受けた。
     
     無論、どうしても得心の行かない部分はある。例えば、本書で触れられる〈ハードプロブレム(デヴィッド・チャーマーズ)〉がこれで解決できた、と著者は言うが、本当にそうだろうか。「すべての物理現象は三人称的でなく一人称的であるから、一人称的な心的現象も物理現象の範疇に含めてよい」と言うのが著者の主張だが、それはやはり安易なショートカット(主観的意識経験の物理科学的記述、則ちハード・プロブレムの解決を経ることなく、いきなり主観を物理現象としてカテゴライズしてしまう)と言わざるを得ないように思う。本書で槍玉に挙げられているトマス・ネーゲルは、まさにこの主観的経験の物理的記述の困難性を指摘したのであって、これに正面から挑まないままいきなり「主観的経験はすぐれて物理的現象」とするのは意図的な論点ずらしのように思えてしまう。
     そしてもう一つは、実在性の否定にどうしてもポストモダン的なニヒリズムの匂いがしてしまうこと。「哲学が科学に従うべきであって、その逆ではない」とは自然主義の文脈でよく見られる言説だが、少なくともこれまでは実在の探求こそが科学パラダイム獲得の歴史の下支えだったのではないのか。それともやはり僕のこのような見方自体が、すでに古典物理学のドグマに絡め取られたものなのだろうか。

     とはいえ、著者の考察は簡潔で論旨が分かりやすく、説得力に富むのは間違いない。有名な「シュレーディンガーの猫」や「エンタングルメント」を用いた間主観性の説明も懇切丁寧で、少なくとも上述した「実在とは何か」との比較では、著者の主張の方に同意する向きが多いのではないかと思う。また、本書第3部以降の自然主義・科学哲学的考察は日本の研究者も同様の著書を多く出しており(e.g. 戸山田和久「哲学入門」「恐怖の哲学」etc.)、僕同様馴染みが多く共感できる読者も多そうだ。

  • 「量子重力理論」の研究を専門とする著者が、量子物理学が生まれた背景や、古典物理学の常識を覆すその特徴的な概念、さらには量子論を事物の「関係性」から捉えるアプローチを解説した一冊。

    著者は、量子論の基本概念である「量子飛躍」が、単純な方程式ではなく、観測された結果のみを用いて、確率論を前提とした「行列」によって記述された経緯や、量子論に特有な、対象物は「ここ」にも「あそこ」にも存在する「量子重ね合わせ」の状態にあり、我々が目にするのは「量子干渉」がもたらす一つの状態だけであるという考え方、さらにそれを発展させると、「観測」とは我々が対象物を世界の外側から見ているのではなく、我々自身と対象物との相互作用であるという「関係論」に行き着くと主張する。

    「この世界が属性を持つ実体で構成されているという見方を飛び越えて、あらゆるものを関係という観点から考える」べきだという著者の「過激な結論」は、本書後半でナーガールジュナという古代インド哲学者の「空(くう)」の概念との対比をふまえ、これまで絶対と思われていたものが相対であったという発見が、心的世界と物理的世界の境界を消し、双方とも自然現象として捉えるという地点にまで昇華される。難解な内容ではあるが、物理学のイメージが(良い意味で)変わることは間違いない。

  • なんか、面白いんだけど、理解できないところも多く、だけど面白いと感じる、面白い本。
    原題は「Helgoland」で、これは量子力学の発祥に関連がある島の名前である。
    この島から始まる量子物理学の系譜から始まり、不確定性、量子もつれ、相対情報などの話に至る。途中、レーニンとボグダーノフの議論や、ナーガールジュナの空の概念まで入ってくるのが、面白い。
    日本語版のタイトルである「世界は「関係」でできている」は本書の内容を端的に表しており、結論としてはこのタイトルに尽きる。
    以前、仏教関係の書籍を読んでいた時に、物体を見るときに、我々の目に光子が飛び込んでくるのと同時に、我々も見る対象に影響を与えているという趣旨の話があった記憶があるのだが、相互作用により世界が形作られているという話と頭の中でリンクした。
    書籍の最後の方では、心理世界と物理世界の関連についても話が及んだが、この辺はほぼ内容についていけず。
    全体としては、同じ著者の「時間は存在しない」よりは理解できた気がする。
    何度か読み直してみると少しづつ理解が進むかもしれないので本棚に入れておこうと。

    本論とは関係ないのだが、脳が見るときの信号の流れも興味深かった。目に光が入り、信号が脳に達すると思われがちだが、実際には脳から目に向かって信号が出ているとか。脳は先に予想される映像を描き、目から入ってくる情報と整合させ、両者に違いがる場合、その違いの分を補正して「見て」いるらしい。
    文章の誤字脱字に気づかないことがあるが、脳の中では予測の段階で誤字脱字がない映像を描いているのかもしれない。その映像で意味的に問題がなければそのまま理解してしまうのかも。
    また、同じ文章を読むにしても、ディスプレイに映されたそれと、紙面に印刷されたそれでは誤字に気づく頻度が異なる気がする(数えたことはないが)。どちらも脳が予測してから差を補正するということに違いはないのだろうが、ディスプレイに移った情報の方がより予測との差を認識しづらいということなのかもしれない。
    文章を読む行為について、脳がどこまでを予測して、補正してということを行っているかも興味が湧くところ。文章が目に入る段階で、字面を予測しているとしても、意識上ではその場で意味を認識はしていない。でも無意識の部分ではなんとなく意味を認識していて、ちゃんと意味が通る文章か予測を始めているのだろうか。
    「プルーストとイカ」をもう一回読んでみたくなった。

  • 筆者のロベッリさんは量子関係論の泰斗であるそうだけど、「量子関係論」のなんたるかについてはあまり具体的な記述はなかったような。
     私の理解力の問題なのかもしれないけど。それがわかったらノーベル賞ものなのかもしれない(笑)。

     高校時代の数学、行列という概念がまったく理解できなかったことを懐かしく思い出しました。

     量子力学の歴史もしくはエルンスト・マッハについて説明することがこの本の主眼であったらしく思える。

    【エルンスト・マッハ】氏は「反形而上学」を標榜し、「論理実証主義」を掲げた。

    【ヴォルフガング・パウリ】
    【ハイゼンベルグ】(オブザーバブル)

    【アインシュタイン】                                                            

    【シュレーディンガー】



    【ロヴェッリ】(量子関係論)
    ざっと図式化するとそういう流れかと。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           

                                                                                                                                                              

  • 自然はわたしたちの形而上学的な偏見よりもはるかに豊かなのだ。自然のほうが、わたしたちよりずっと豊かな想像力をもっている

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著者プロフィール

1956年、イタリア生まれ。ボローニャ大学からパドヴァ大学大学院へ進む。ローマ大学、イェール大学などを経てエクス=マルセイユ大学で教える。専門はループ量子重力理論。 『すごい物理学講義』など。

「2022年 『カルロ・ロヴェッリの 科学とは何か』 で使われていた紹介文から引用しています。」

カルロ・ロヴェッリの作品

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