- Amazon.co.jp ・本 (736ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140056042
作品紹介・あらすじ
生まれつき声を持たず、手話だけで話す少年エドガー・ソーテルは、ウィスコンシン州北部の人里離れた農場で両親といっしょに暮らしていた。数世代にわたってソーテル家は、ある犬種の育種と訓練を行ってきた。思慮深く人に寄り添うその気質は、エドガーの生涯の友で、かたい絆で結ばれた犬アーモンディンに典型的にみてとれる。しかし、叔父のクロードの予期せぬ帰郷によって、ソーテル家の平穏な暮らしが乱されていく。父の突然の死に打ちひしがれたエドガーは、その死にクロードがかかわっている事実をつきとめようとしてさらなる惨事を起こしてしまう。農場の向こうに広がる広大な森の中へと逃げることを余儀なくされたエドガーは、彼についてきた3匹の犬とともに生き続けようと奮闘し、大自然の中で否応なく成長していく-。北部森林地帯に広がるアメリカの原風景を舞台に描かれた家族の一大サーガにして現代の古典。
感想・レビュー・書評
-
「自分の未来を知りたければ、代わりに人生を差し出すしかない」
果たして、エドガーは未来を知ることはできたのだろうか。
読み終わってしまった。。。
というのは正しくなくて、実はラストのエドガーの母親トゥルーディの部分は読まずに残してある。
この1ヶ月ぐらい(もっと?)、エドガーの世界は重く苦しみに満ちているが、犬たちとの強いつながりがこの上もなく美しく気持ち良く、そんな世界に浸っていたくて毎日少しずつ、ゆっくり丁寧に読んでいた。こんな気持ちにさせてくれた本は実に久しぶりである。いつ以来かも思い出せない。
とは言え、私の中にはもやもやが残ったままだ。
ここからはネタバレになるのでご注意を!
********
私はこの作品にエドガーの成長物語、次のフェイズへのブレイクスルーまたは苦悩の継続を予想したのだが、見事に裏切られた。
いつか同じような結末になるとしても、少年エドガーにはもう少し苦しみ、迷い続けてほしかった。歩くのをやめなければならない運命をなぜエドガーが、破滅する運命をなぜあの家が背負ったのか、人間がいかに不可解な存在とは言え、私には納得しづらいものがある。苦悩が続くことよりも、あのような形で苦悩から解放されることの方がずっと残酷だ。
しかしこれがプロテスタントの原罪思想なのだろう。人間の本性と原罪を切り離せるのは神だけなのだ。だからたとえ容赦ない裁きであったとしても、それが人にとっての「幸い」なのだ。苦しくても歩き続ければ、どこかで許しに出会うはずだと期待してしまう私は、どうやら生粋のイザナギイザナミの子供らしい。
映画化が進んでいるが、こうした決定的な思想上の違いのある日本では、興収は期待できない。私は絶対に観るけど。 -
『世界には確かな事実もある。だがそれは、すでに起こったことだ。未来は誰にも予知できない。アイダ・ペインにならわかるのかもしれないが。ほかの誰にとっても、未来は自分の味方ではない。自分の未来を知りたければ、代わりに人生を差し出すしかない』
物語は最初から語られる必要がある。途中からではなく、終わりからでもない。そんな風に主張しているような本に時々出会う。なるほどそれはそうかも知れない、と思いながら頁をめくる。しかし、物語が語られるのはその物語を聞く人のほとんどが結末を知っているからでもある。これは過去に本当にあった話なのだ、という前置きをして、そういう物語は始まる。これがそんな物語であることは直ぐに飲み込める。
長い長い物語の出だしはゆるゆると進む。家族のことが語られ、先祖のことが語られる。そして何故その土地に暮らしているのかも。ああ、これはグレアム・スウィフトの「ウォーターランド」のような物語なのか、と、意識が過去の記憶を手繰り寄せる。親子三代に渡る物語が静かに、問わず語りのように語られる。いやむしろ説明されると言うのが適切だろうか。じっくりとした味わいが広がる。700頁を越える大部の本である。色々と思いは浮かび上がっては消えてゆく時間がたっぷりとある。徐々に、物語が恐ろしいプロローグによって幕を開けていたことなど、忘れそうになる。
そんな思いに浸っていると半ばあたりに突然読み手に突き付けられたナイフのような一文があり、急に身構えざるを得なくなる。そこから物語は一気に語られなければならなかった主題に突入する。
考えてみると「指輪物語」も、「スターウォーズ」も、「ハリー・ポッター」も、あるいは「アーサー王物語」も、サーガと呼ばれてよいような物語はいずれも少年の成長の物語である。そこでは少年の孤独が語られ、旅立ちが語られ、成長と帰還が語られる。様式通りと言えば様式通りなのであるけれど、この「エドガー・ソーテル物語」もそれを踏襲する。そして、そこには解り易い善悪の対立がある。
それは物語を読ませる力にもなり得るが、一方でそこに何かが透けて見えてしまうと興ざめでもある。その感じは、例えば桃太郎のお話を岡山選挙戦に当て嵌められるのを見た時に湧く嫌悪感と同質だと思う。ここに透けて見えそうになっているもの、それは「古き良きアメリカ」というイメージだと思う。
古き良きアメリカ像が持つような何かワスプ・アメリカンを惹きつけるものがあるとしても(それは日本の里山への郷愁にも似たものか)、それがいつでも農村対都市の対立となって表現されるのは、正直少々単純すぎるような気がする。この物語はそのぎりぎりのところある。初めはむしろ横溝正史や松本清張の描くような人間関係の濃厚な空間の物語なのかと思って読み進めていたが、途中から、そのような対立の構図が明瞭になるように思う。
スティーヴン・キングが絶賛と帯にもあるように、確かに物語としては面白くはある。ある種のカタルシス的結末へ向かう構図もしっかりとしている。しかし自分には、これは白黒をはっきりとつけたがる人々の物語なのだと思えてしまって、容易に納得し切れない思いも残る。例えば、悪は生まれながらに悪なのではないと思う。指輪物語でもスターウォーズでも悪として登場する側にも必然的な過去がある。物語が始まった最初から、語られはしなくともそれは読むもの・観る者に意識される。悪には悪の物語がある筈なのだが、この本の中ではそれがほとんど語られない。でも結末はそう単純ではない、という見方もあるだろうけれど、それも罪というものを強く意識する宗教的要請であるような気がしてならない。
例えば、この物語がサスペンス的な展開を見せずに、静かにソーテル犬舎が没落していく物語だったらどうだったろうか、そんなことを夢想してみる。その方が、自分にとっては面白い物語であったかも知れないな、と思うのだ。 -
アメリカ・ウィスコンシン州の犬のブリーダー一家の物語。父・ガーと母・トゥルーディの間に生まれたエドガーは、生まれつき声が出ない子どもだった。耳が聞こえないのではなく、声が出ない。赤ん坊のころは、泣き声も無かった。すべて手話で話す。犬たちにも、手話で支持を出す。
声が出ないことで、父親を助けることができなかったと落ち込むエドガーは、父親の死の真相に気付き、自分が訓練する3匹の犬と家を出る。そして、壮絶な報復と、一家の記録を守る挑戦に挑む。
家族のような存在の犬たちとのふれあいと別れ。父や祖父の大事にしてきた犬との関係。叔父のクロード。そして、兄弟のように、母のように一緒にそだってきた犬のアーモンディ。
729ページにも及ぶ大作ながら、一気に読ませます。
-
700ページ超えの大書だ。
「ソーテル犬」を育てる、ブリーダー一家の波乱に満ちた・・・そしてなにより「犬愛」に溢れた物語。
やや長大すぎて、若干中だるみ感は否めないが、犬の出産、躾、育成、など事細かなブリーダーの内情や、ソーテル家に纏わる秘密、事件、冒険、そして核心へと至るプロットなど見どころも随所にあり決して飽きのこない内容だ。
それにこれほどまでに「犬の表情」を巧く描写している文章にはいまだかつてお目にかかったことがない。作者の、犬への深い愛情が読み取れてこちらまでうれしくなってしまう。
これほどの大書を書き上げた作家・・または出版にこぎつけたNHKに感謝したい。ありがとう! -
大きな世界に呑み込まれ、非常に幸せな時間をもらいました。
-
1回読んだくらいでは、十分に理解しきれない登場人物の心理。
主人公のエドガーを取り巻く犬たちが生き生きと描かれている。
再読すると更に面白いかも。
こんな言葉があるのか、興味深いなぁ~(と言う訳で図書館でチェック)
こんな言葉があるのか、興味深いなぁ~(と言う訳で図書館でチェック)