日本のテレビ・ドキュメンタリー

著者 :
  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130502016

作品紹介・あらすじ

『日本の素顔』を作った吉田直哉から,現在では映画監督として活躍する是枝裕和まで,テレビ・ドキュメンタリー番組の制作者たちはどのように時代と格闘し,日本社会を描いてきたのか.戦後日本社会を記録した代表的なテレビ・ドキュメンタリーの変遷をたどる.著者初の単著.

感想・レビュー・書評

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  • 「『ドキュメント72時間』。その場所を通して現代日本を描く番組づくり。」NHKプロデューサー 相沢孝義さん | メディア応援マガジンSynapse(シナプス)
    https://synapse-magazine.jp/television/1506nhk/

    NHK「ドキュメント72時間」はなぜ本音を引き出せる? 制作陣が明かす他番組との“決定的な違い” | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
    https://shueisha.online/culture/61102

    日本のテレビ・ドキュメンタリー - 東京大学出版会
    https://www.utp.or.jp/book/b508902.html

  • 本書は日本のテレビにおけるドキュメンタリー番組を取り上げて論じています。扱うのは1950年代から現代にかけて画期を成した番組達で、戦後の日本社会を映したものから、現在は映画監督として知られる是枝裕和の作品や東日本大地震に関するドキュメンタリーなど同時代的なものまで多岐にわたります。

    こうした作品を概観することは、戦後日本社会の歩みを振り返ることであると同時に、テレビというメディアの変遷を辿ることでもあるでしょう。つまり本書は、歴史学的側面を有する一方で、テレビをテクストとして分析する稀有なメディア研究の試みでもあるのです。同時に、本来は一度放送されたら廃棄されるテレビ番組をあえて保存し研究対象として扱っていることから、本書は近年盛り上がりをみせるアーカイヴ研究の実践としても理解できるでしょう。

    このように本書は様々な角度から楽しむことができるため、戦後史やメディア史、ポピュラーカルチャー研究、ジャーナリズム研究、アーカイヴ研究といった幅広い興味をもつ学生におすすめな一冊といえそうです。
    (教養学部後期課程・4年)

    【学内URL】
    https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000089887

    【学外からの利用方法】
    https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/ja/library/literacy/user-guide/campus/offcampus

  • 日本のテレビ・ドキュメンタリー

    著者:丹羽美之
    発行:2020年6月16日
    東京大学出版会

    著者は東大大学院情報学環准教授、専門はメディア研究、ジャーナリズム研究。

    個人のテレビ評論の類いはパスだが、学者やノンフィクションライターが書いているテレビの歴史もの、研究ものは、仕事だから仕方なしという面も含めて読むようにしている。今年もいくつか読んだが、この本は結構、よく整理できていたので読書メモを残すことにした。去年ぐらいに読んだ別の本が、参考文献として何回か出てきた(^o^)

    最初の本格的ドキュメンタリーであるNHK「日本の素顔」、日テレやテレ東もやはり50年代からスタートさせたが、これらはラジオの番組制作の延長上でつくっていた。「録音構成」というどこかでデンスケで取ってきたインタビューなどの録音を、スタジオで流しながらナレーションや解説などを入れていくラジオの形式。これに準じて、初期のドキュメンタリーは「フィルム構成」と呼ばれる形式だった。

    しかし、デンスケは15分間録音できたが(オープンリールを折りたたむように入れる)、当時のフィルムカメラはゼンマイが動力で1回18秒の撮影が限界、フィルムも1巻3分だった。非常に制約のある中で取材が行われた。

    ドキュメンタリーは社会批判の多くが、戦後の日本社会に残る課題を病理として描き出したが、傷痍軍人やガード下の人、ヤクザなど、「異常民」から病理を探ろうとした。柳田國男が「常民」からそうしたのと対照的だった。そこに、限界もあったという。

    日テレでは「ノンフィクション劇場が1962年に登場する。プロデューサーは有名な牛山純一。皇太子成婚パレードの中継や、すばらしい世界旅行など実績は巨大。この番組の手法としては、大島渚や羽仁進、新藤兼人、東陽一などなど外部のスタッフを使っていった点が特徴的。しかし、この当時から政府による放送への圧力はあり、「ベトナム海兵隊大隊戦記」が全3回のところ初回のみで中止になってしまった。アメリカと仲良くしたい自民党からの圧力にまけた結果だった。

    TBSは、萩元晴彦と村木良彦。我々の世代だと、TBS時代より、その後のテレビマンユニオンの経営者でかつ現役だった姿がまぶしい人たちだ。TBSで作ったのは僕らの業界では知らない人がいない「あなたは・・・」という歴史に残るドキュメンタリー番組。一部、フィルムが残っているので目にした人も多いかもしれない。街行く人などにやつぎばやに20の質問をして、最後に「あなたはいったい誰ですか?」と問う。構成をしていたのは寺山修司。萩元と村木も、権力側からの圧力に負け、理不尽な配置換えとなって退社、テレビマンユニオンをつくる。

    テレビ東京は、田原総一朗をフィーチャーしている。彼がつくったのは、フリージャズピアニスト・山下洋輔に、東大のバリケードの中で演奏をさせたという、これも歴史的に残るドキュメンタリー。反戦連合の学生たちが(ヘルメットスタイルで)大熊講堂のピアノを持ち出し、対立する民生の拠点となっていた学舎の地下ホールに持ち込んで山下に演奏させる。山下はヘルメットやゲバ棒の中で極度に緊張して演奏し、やがて内ゲバが起きて山下は死ぬ、というストーリーを田原が立てて臨んだ撮影だった。なお、別の本に書いてあったが、ピアノを運んだメンバーの中に小説化の高橋三千綱や北方謙三などもいたという。

    上記の田原の作品にしても、学生がピアノ演奏を企画して頼みに行ったというテイにしているものの、考えたのは全て田原だった。前述のカメラ性能のこともあり、当時、回しっぱなしでずっと押さえていくなどはありえない話で、ドキュメンタリーはみんな再現してもらって撮影をしていた。そして、中にはこのように今日なら「やらせ」とされてしまうことも日常的に行われていた。
    田原は、それまでドキュメンタリーで行われていた客観的に「解説」「観察」することから、作り手がかかわって新たな現実を創造する「介入型」「挑発型」の新しい手法をつくりあげた。その末裔が、電波少年などの「ドキュメント・バラエティ」であり、今日問題となっている「リアリティ・ショー」であると著者は言う。

    こうしたドキュメンタリーの創世記の人たちとともに、地方のドキュメンタリーの担い手についても書かれ、さらには、是枝裕和や森達也という新たな担い手が試みたドキュメンタリーの「再定義」についても言及している。是枝監督は、テレビマンユニオンの一員として、フジテレビを舞台に優れたドキュメンタリー作家としてその名を馳せたことは、一般には知られていないが、業界ではだれでも知っている事実である。

    分かりやすく、よく整理、定義された1冊だった。

    *****(メモ)******

    記録映画として「シナリオ」を監督することと、テレビ番組として「構成」を演出することの間には、単なる言葉遣い以上の差異が認識されていて、テレビのドキュメンタリーの脚本を「シナリオ」ではなく「構成」と呼ぶ慣習は今も続く。

    NHK「日本の素顔」で「日本人と次郎長」をテーマにした回の賭博シーンは全部再現による撮影だったと吉田直哉は明かしている。札束が飛び交う賭博の場面は、警視庁に「カネが本物でなければいい」と事前に確認し、札束はNHKから持っていった小道具だった。当時のお金で40万円。

    牛山純一は皇太子成婚パレード中継の際、角のいいビルを全部押さえてカメラを設置。レールを敷いて、馬車と一緒に走らせた。「美智子のアップだけ撮れ!後はいらん」と言ってスタジオのカメラを全部持ち出して撮らせた。他局はみんな「牛山にやられた」。

    「日本の素顔」が「客観的」「科学的」なドキュメンタリーだったのに対し、牛山の「ノンフィクション劇場」は「主観的」「文学的」を志向した。

    TBSのドキュメンタリーは政界やスポンサーから露骨な介入を受け、1967年に村木の「憲法九条もの」、「ハノイ 田英夫の証言」が自民党の圧力で中止。1968年には、田英夫がキャスター解任、桜島を舞台にした「わたしの火山」の放送後にスポンサーからクレームがついて村木は静養させられた。「成田二十四時」も放送中止。フジテレビ「ある青春の模索から平和運動のなかで」も。

    田原総一朗の体験をもとにした話。
    スポンサー、代理店、局の上層部をはじめどこからも「けしからん」という弾圧や鑑賞はなかった。ただ、しつこく耳にするのは「わからない」との非難、それも主体的な非難ではなくて「あんなに多くの視聴率がわからないと言っているではなか」という、なんとも奇妙な圧力。

    東京12チャンネルは、日本初の科学技術教育局として1964年に発足。米軍から返還された東京地区最後(当時)のチャンネルだった。

    長寿番組「NNNドキュメント」の特徴は、「鳥瞰図」ではなく、「虫瞰図」的な視点。

    「ネットカフェ難民」は、NNNドキュメントが2007年1月28日放送で始めた使った言葉。

    「放送禁止歌」を制定する制度はそもそも存在しない。日本民間放送連盟が策定する「要注意歌謡曲」というリストはあるが、これはあくまで各放送局が自主判断をするための目安にすぎず、このリスト自体が1983年から更新されていない。こういう事実をつかんだ森達也は、「放送禁止歌」の歌手を訪ね歩いて、彼らがそれを歌う姿をそのまま番組内で放送した。

    ニュースの記者は、事件や事故が収束するとすぐに次の現場に向かう。しかし、そこには必ず「忘れ物」が落ちている。

    日本の原発は当初から国策として強力に水死されてきた。科学ジャーナリストの小出五郎は、推進の中核を担ってきた「政」「官」「財」「学」「報」からなる相互補完的な五角形を「原子力村のペンタゴン」と呼ぶ。

  • 東大出版会の発行としてはめずらしい。ちくまやそのほかの出版社の本の形式である。
     テレビのドキュメンタリーの放送番組の歴史を書いたものであり、テレビドキュメンタリーについての論文を書く人にとっては、どのような番組があったかを知るためにはいいであろう。しかし、この本を読んで論文を書ことは至難の業である。テレビ番組の説明であるために、どのようにして論文を書けばいいかについては全く説明がないからである。

  • TVを観る習慣がなくなって
    もう30年は経つと思う
    今は全く観ることもない

    数十年ほど前に
    観ていたものは
    TVドキュメンタリーだった
    その「作品」が多数紹介されている、
    なんだか嬉しい
    それが本書であった

    今、現在 私自身には
    TVの「垂れ流す」罪しか
    感じられない
    大宅壮一さん曰はく
    一億総白痴化はますます
    進んでいるとしか感じられない

    帰宅したら
    すぐにTVのスイッチをONにする
    観ていようがいよまいかは関係ない
    「習慣」としてTVがONになる
    そんなところから
    今の病んでいる「日本」が立ち上がっている
    ような気がする

  • 東2法経図・6F開架:699.6A/N89n//K

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著者プロフィール

東京大学大学院情報学環准教授

「2020年 『日本のテレビ・ドキュメンタリー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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