「持たざる国」の資源論―持続可能な国土をめぐるもう一つの知

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  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130331012

作品紹介・あらすじ

資源というコトバ=概念の誕生から、「持たざる国」の強迫観念が後押しした海外侵出へ…。その反省から構想され、環境保護を先取りし、しかし、その後の高度成長が押しつぶした「もう一つの知」=「日本資源論」とは?戦後初期に"サステイナブルな日本"を構想していた知のパイオニアたちの軌跡。

感想・レビュー・書評

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  • 学問の深み、知の挑戦。
    とても刺激を受ける。
    統合化と実践の試み。
    ディスシプリンへの挑戦。
    うーん、かっこいい。
    いつか一緒に仕事をしてみたい人だ。

  • 『「持たざる国」の資源論』を読んで。

    多くの場合、資源は経済財と捉えられる。産業の原料になる物質という意味で使われるために、日本は資源が乏しい国だと言われる。しかし、資源を広義に解釈すれば、アジアにおける日本の地理的位置、長い海岸線、恵まれた良港、温和な気候、豊富な水資源等の資源に恵まれた国だと考えることも出来る。

    資源を経済財と捉えているために、短期的な消費の維持拡大に偏ってしまう。資源の非経済的な側面に光を当てることで、生態系や環境等を含む政策を考える土壌となるだろう。

    生物学者のギャレット・ハーディンが「技術的に解決不可能な問題」について述べている。例えば、人口爆発と資源枯渇が挙げられる。人口抑制のために、避妊技術の改善が行われていても、それを受け入れない家族が子だくさんになることで人口爆発が起こってしまう。人口が増えれば、個別製品に省エネ技術を適用しても資源消費の総量は増加してしまう。「大量消費の文化をそのまま保存して、その枠の中で個別の技術的改良を繰り返しても問題の本質的な解決にはならない」と考えられている。

    現在の高度な専門化にも問題が存在する。高度な専門化がなされたことによって、専門の範囲においては効率的、効果的な資源利用計画を作ることが出来るようになった。しかし、生態系全体を見るバランスを欠き、専門外への影響の考慮もれが発生する。「資本主義と市場経済の論理に支配された資源利用は、現場にあったはずの資源の一体性を見失わせ、経済活動の物的基礎である自然環境を破壊することになりかねない」と筆者は述べている。

    環境問題は、自然を支配の対象として見る人間社会に起因している。環境問題を本質的に解決するには、根底にある資源の考え方を改める必要がある。「対象(自然)と主体(人間)を切り離すのではなく、相互に影響し合う一体的なシステムとして捉えようとする努力は、近代化が忘れさせた知の回復に向けた最初の一歩なのである。」

    広義の資源と農村の関係を考えると、距離による農村の資源的劣悪条件を取り除くために、輸送や通信を改善することで農村の労働力を地元に引きとめることが可能になるかもしれない。農村の資源環境を改善することで、農村の賃金向上の可能性があり、生活水準の向上が見込める。「集中化ではなく、分散化」をし、「平均的な国民所得の上昇ではなく、底辺にある人々の生活水準の上昇」を目指すことを筆者は挙げている。

    資源=原料という考え方が主流である。この考え方に基づき、「持たざる国」意識による海外での原料確保論が掲げられてきた。しかし、問題の本質はモノの不足ではない。モノの先にある可能性を見ようとしない知恵の不足が問題なのである。

    今後は「日本の国土には何があるのか、どのような可能性が広がっているのか、を世界的な視野から真剣に考える人材が必要」となってくるだろう。文系、理系といった垣根を取り払い、より総合的な世界観を獲得できるような教育が必要である。そのために、自己表現、意見交換の作法、議論集約の方法論、教養教育、リベラルアーツといった教育が今後重要になってくると考えられる。

  • 抽象的な議論が続くため中々難しい。しかしながら、わが国における資源論の変遷を通じて、その転換をすべき時期にあることを唱えている。読みが浅いからロクなレビューが書けない。
    皆さん良いお年を。

  • 予想していたより遥かに重厚な内容で大満足。本書では、資源という言葉の定義を深掘りすることから始まり、原材料の源を指す概念として「富源」という言葉があった、というところまで掘り下げている。その後、日本の資源論に関しての歴史的記述、インタビューがある。図書館の期限が迫っていたので、ざっと読んだのに留まったが、機会があれば再読したい。
    面白かったのは、この本に書かれている日本人(松井春生など)などの先人たちが提示したビジョンというのは決して他国(欧米)に劣るものではなかったということ。過度な経済成長の中、資源を「モノ」としか見なささず、自然の一部として資源を観る視点が欠けていた。その点に先人たちは気づき指摘した。けれど、戦後の経済成長の波に飲まれて、日の当たることはあまりなかった。もちろん、それは日本に限った話ではないけれど。
    資源論の本だけど、著者がはじめに書いているように「解説書」ではない。ただ、この本には今後、日本で資源論を育んでいくための提言もされている。官僚機構にも触れているけど、基盤となる日本の教育にまでメスを入れているというのは、読んでいて意外だと思うと同時に、納得もした。図書館の期限が迫っていたので、ざっと読んだのに留まったが、機会があれば再読したい。

  • 日本人が自然と調和しながら生活していた時代、人は資源というもの認識していなかったが、森林や水、鉱物などの資源は確かにそこにあった。しかしながら、第一次世界大戦が始まった頃、日本は欧米に追いつくため、欧米流の資源である石炭や金属ばかりを追い求めるようになり、日本国内にある森林や水といった資源には目もくれなくなった。

    こういう歴史を振り替えると、本当に日本は「持たざる国」なのかという疑問が生まれる。欧米流の資源はなくとも、日本国内にある資源を生かして経済が発展する方法があるのではないか、ということを考えるきっかけになる一冊。

  • エネルギー論ではなく資源論。過去の日本の歴史のなかで、資源がどう考えられてきたかを遡っています。
    「光のあて方」で、資源かどうかが決まるという考え方です。コストを理由に石炭や森林といった、人や技術を含めた「資源」を放棄してきたことへの猛省を促されます。石油やウランはなくとも、日本には豊富な資源が「あった」のですが、結果的にこの放棄を国が主導してしまったような形になりました。
    資源を「〇〇資源」といって区切って考えるのではなく社会的に横断して考える必要があるとも。
    ものを考える順序や視野について勉強になりました。

  • 資源問題は心配しなくても、やがて技術が解決してくれるという楽観論も根深い。
    戦前の日本は、持たざる国を標語にして、海外侵略を正当化しようとしていた。
    アメリカの資源の社会科学は、資源ごとの特殊性の把握から始まっている。特に再生不可能な鉱物資源と再生可能な生物資源の区別の必要性は20世紀初頭から始まっていた。
    様々な問題を資源という横串で見ている。

  • 埋もれた日本の資源論を再発見する試みである。
    各時代の政策批判に目を向けることにより、その時代の流れを逆照射する。副題にある「もうひとつの知」とは、過度に分業化された学問の世界に、別な軸を通すことで生まれる新しい視点、といった意味合い。「資源」といえば、工学や自然科学の分野として扱われがちだが、筆者は「社会学的テーマ」であると主張している。
    戦前の富国強兵と戦後の経済成長が、本来あるべき「資源」の姿をゆがめ、押し流してしまう様や、政府の縦割りの資源政策が、根本的な問題解決を阻む壁となっているのは、今日でも同じであることが再確認できる。社会と資源の関係を見直し、「資源」とはそもそも何かを改めて考えるきっかけとなる。

  • 334.7:Sa

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著者プロフィール

東京大学東洋文化研究所教授

「2021年 『開発協力のつくられ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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