動物に「心」は必要か: 擬人主義に立ち向かう

著者 :
  • 東京大学出版会
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784130133142

作品紹介・あらすじ

動物の行動実験や脳研究から,比較によってヒトの心に迫ろうとしてきた著者が,心の多様性への理解を促す警鐘の書.擬人主義の起源を探り,何が問題なのか,どんな危険性をはらんでいるのかを,擬人主義に飲み込まれつつある心理学の歴史を振り返りながら明らかにしていく.

感想・レビュー・書評

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  • 本書における擬人主義批判の好例として挙げられるのが賢馬ハンスの例である。これは、計算できるとして話題になった馬が、実は飼い主や観客の微細な反応を察知して正解を導いていたという有名なエピソードだ。本書の多くは実験心理学の歴史を振り返ることで、擬人主義の起源とその問題点を探ることを目的とし、行動主義の発展によって衰退したはずの擬人主義が、近年において復活しつつあると指摘、危険視する。

    第13章にある、「この本が問題にしているのは、擬人主義一般ではなく、動物行動の研究方法としての擬人主義である」という説明とそれへの批判には納得できる。ただ、直後の第14章ではこの宣言を自らあっさりと翻し、「擬人主義はロマン主義・浪漫主義と同根」で、ナチの動物愛護などを引き合いに、戦争賛美を生み出したとするロマン主義や感情主義を、それこそ感情的に全否定する主張には首を傾げてしまう。

    「動物行動研究における擬人主義批判」という学術的なテーマを看板に掲げながら、ところどころに放談とも言えるような社会一般や他の学問分野に対する私見が多く、半ばエッセイのようでもある。個人的には、テーマや本文の流れとは関連の低い知識や意見をひけらかすような態度からは、著者のなかでくすぶる自尊心や社会に対する私怨による示威行為こそが、本書の動機ではないかと訝しく思ってしまった。巻末の自著解題で明かされる書名の意味についても、人間を含む動物全般に「独立変数としての心」は存在しないという結論で、欺瞞のようなタイトルの種明かしにも不信感が募った。

    安易な擬人主義を戒めるためのリマインドとしては受け入れられるものの、全体に染み渡る著者の毒気に当てられる読後感に終わった。

  • ●ヒトが心と称しているのは、従属変数としての私的出来事である。これを外からわかる公的出来事にするのは、ヒトの言語だけではない。動物でもできる。動物に独立変数としての心は必要ない。これはヒトも同じである。従属変数としての心はヒトを含む一部の動物に存在する。

  • 動物が何を考えているのか、人間とはどう違うのか。ずっと知りたいと思っているのでこういうタイトルの本は思わず読んでしまうのだが、考えてみると妙なタイトルだ。「必要」とは誰にとって? 必要かどうかを決めるのは誰? それにはどんな意味がある?
    よくわからないまま読み始めて、結局よくわからないままだったのだが、解題はともかく、人間の心理学、動物の心理学、進化論、動物と人間の関わりに関する哲学の入り口まで、豊富な研究を例に引きながら誘導してくれるのが面白く、そのまま読み通した。著者略歴にイグ・ノーベル賞を受賞したとあるので、調べてみたら、ハトにピカソとモネの絵を判別させる研究をした人だと知った。その話は本書には出てこないが、読んでみたいな。

  • 動物心理学の歴史を踏まえつつ「人間と同じ」とみなして動物の心を解き明かそうとする手法=擬人主義を問題視した著作。

  • 書名は大切な信号である。また装丁も負けず劣らず、そうかも知れない。本書の表紙の犬(?)のイラストとタイトルを日経新聞で見たとき、「犬の気持ちなんて、本当は分からないんだぞ」という罵声を浴びせられた気がして、「いや、おれには分かる!こいつは何をいってるんだ」と憤慨した。その事実(約1年前)をすっかり忘れていたところ、図書館にて本書とばったり出くわしたのである。借りて読み進むうち、大きな誤解をしていたのに気づく。犬の気持ちがどうのこうのという内容ではなかった。まあ、そういったことにも触れてはいるが、主題は心理学における研究方法であり、煎じ詰めていえば、「動物が人間のような心をもつ」と想定して心理学を研究するというトンデモないバカなヤツが未だにいるぞ、この死にぞこないのゾンビ野郎が!という批判であった。もう少し穏やかにいうと、大型類人猿などの観察に擬人主義を取り入れる研究方法への批判であり、その槍玉に挙げられているのは、著名な(私は知らんけど)動物行動学者のフランス・ドゥ・バールである。学会の大物への批判であるためか、著者はその正当性を専門家ではない一般読者にも納得してもらうため、まずは心理学の歴史をていねいに紐解き、当の昔に根絶された「はず」のメンタリズム(=意識主義とでも訳すか?)と擬人主義が、いかに息を潜めつつ延命をはかり、今になって息を吹き返して現世を徘徊するようになったかを説いている。それほどまでに人間にとって「他者(他人や動物など)を自分と同じものとして認知・解釈する=擬人主義」という悪癖は拭い難いのである。それは進化で身に着けた遺伝的な形質と思われ、本能的に作動するのであり、著者の立場であれば、その誘惑に意識的に逆らわねばならないのだ。ただし擬人主義は、実生活の上ではメリットもあることを著者は認める。「バカとハサミは使いよう」であろう。それはあくまで暫定的な「みなし」の態度であり、それを固定化しないという意味である。この「みなし」は、すなわち「フィクションとしてとらえる」と同義である。実は、たまたま『フィクション論への誘い』を同時に借りて読んでおり、そのシンクロ二シティに少し驚いた。

    本書は16章からなるが、そもそもは雑誌『UP』の連載記事に4章を加筆したもの。11章までは心理学や進化学の歴史をなぞったもので、特に心理学における意識主義と行動主義のせめぎあいを中心に描いている。12章と13章で一気にクライマックスを迎えるが、13章が著者の主張の核心である。すなわち
    「記述的であろうが、説明的であろうが、擬人主義を動物の行動の研究に持ち込むことは無意味である」と。例えば動物が「口角を上げ歯を見せて”笑っている”」ような写真が示される。しかしこれは動物の”笑顔”ではなく、フェロモンを感知している表情である。一方、説明的擬人主義はなにがダメか。仮に「人間は困ったときに、頭をかく」という法則が成り立っても、それをもとに「サルが頭をかいている」のを観察して、「このサルは困っている」とその心のうちを判断するのは、2重の意味で間違っているのだ。まず論理的には「誤謬推理(後件肯定の誤り)」であり、さらに「サルは”私(=人間)”ではない」ので、この命題を当てはめることができないのである。

    しかし著者は、「動物に意識や心的な過程が存在しない」と主張してはいない。この微妙ともいえる差が、本書を読み解く上での大事なポイントであろう。タイトルも「必要か」と問うているのであって、「あるか」と存在を問題視しているのではないのだ。なにしろ著者は、ハトを訓練してピカソとモネの画風を教えると、初見でもその差を見分けられるというハトの識別能力を示した先駆的研究で知られている。つまりハトにも人間と類似した高次認知機能があるというの証明しているぐらいだから。さらに本書で傍証としてハトの麻薬の弁別実験を挙げ、ハトが自身の内部状態を判別していることにも言及する。余談だが、その文脈で私が興味をもったのは、エイドリアン・オーウェンの実験(2010年)である。植物状態と診断された患者に質問をしYesかNoかで答えさせるという実験に成功しているのだ(注)。
    注:その5年前に植物状態と診断された男性が、質問に対する脳の反応によって「イエス」や「ノー」などの意思疎通ができるとする研究結果が、2010/2/3の医学誌「ニューイングランド医学ジャーナル(New England Journal of Medicine)」に発表された。

    つまり、私的出来事(=心的な現象など)を客観的に検証する手法が技術的に整備されてきた(fMRIなどで)ために、ブラックボックス化していた心的過程に、ようやくアプローチできる段階になってきたのである。ただし急いで付け加えねばならないのは、だからといって著者が、「心的出来事が独立変数となって、身体を動かすといった行動を引き起こしている」という見解はとらない点である。私的出来事は行動の原因とはならない。本書には親切にも「自著解題」という章があり、書名について「動物に独立変数としての心は必要ない」と解説しているのだ。しかし従属変数としてのこころは、人間も一部の動物にも認めているのだ。

    ここからは、追加された3つの章である。14章は、ドイツのロマン主義とナチス、日本の浪漫主義と軍国主義が思考法を同じくしているという指摘であり、これは擬人主義の悪弊を心理学から離れて指摘したものである。15章は、動物は心理学以外の分野では、どういう存在として認識されてきたか、特に哲学の領域ではどうであったかという様々な主張を整理し、16章は、現代社会で、人間、動物、機械がどのような形で共存していけばいいのかという倫理的な問題提起となっている。

    著者が憎むのは、心理学においてのメンタリズムであり、さらに動物一般(もちろんヒトも含まれる)に備わる「擬〇主義」が、人間においては自己中心的な思考として現れ、それが本来の他者の在り様を無視したり、抑圧することにつながることである。それを鋭く突いているのだ。たとえば日本人が、外国人に対し、日本人のように振舞うことが正しいと押し付けるようなことだ。私が正しいのであって、あなたは私を手本にしなさいと強要することだ。思考としての「擬〇主義」は、ひとり心理学の世界ではなく、日常生活などにおいても広範に作用し、悪影響をもたらすことが多い点を十分に留意すべきであろう。

  •  大学の教養科目ですら心理学を履修せず知識ゼロの者でも何とか分かる内容だった。軽妙な語り口ではあるが、低俗な内容ではなく、読み応えがあった。

     前半は心理学発展の歴史的な概要である。簡潔にまとめられており、時折り入る著者の持論が面白い。本書のテーマは後半からなので、心理学の素養のある方は後半から読めば足りると思われる。

     ヒトは自己を通してしか他者を理解できない。一方で、社会性動物として、知的動物として、他者を理解しようと試みる。ヒトが進化の過程で身につけた性質が擬人化の根源である。
     単なる社会的な認知方法である擬人化的手法を「科学」のように扱いだしたら要注意である。動物が何に苦痛に感じるかを科学が目に見えるかたちで示すことは可能だろう。科学は擬人主義という生物学的制約からヒトの理性を解放するものでなければならない。

     本書では最後に科学的見地とは異なる哲学的見地の「動物」についても言及される。「動物」とは「ヒト」とは何か、「人」権を認められるべきものは何か、といった問いは科学的見地とは別に、社会的な合意によって定められるものである。
     それをあたかも科学が合理的に線を引けるかのごとく期待する風潮を昨今感じる。進化論、優生学、動物福祉論は取り扱いに大いに注意を要するものであり、社会と科学の棲み分けを互いに自覚せねばならないと改めて思った。

  • この本を手に取った動機は、本書にワンちゃんニャンちゃんを溺愛している人間を小馬鹿にした内容が詰まっていると期待していたからである。期待は裏切られた。内容は心理学者列伝だった。

    面白かったところは、かつて日本人が南アフリカで「名誉白人」だった。の注。別役実さんの「けものづくし」っぽい
    →西洋人はこの手の話が好きだ。英国では一九八六年に法律で、ある種のタコを「名誉脊椎動物」にし、ムール貝やロブスターと違って、生きたまま茹でてはいけないとしている。

  • ただでさえ遠回りなアプローチなのに読み辛い文体

  • 心理学史、進化論から始まり、ちょっと自分には難しい本かなと思いながら読み進めたら、最後に各章を入れた理由があり、本全体を見返すことができて、納得できた。
    なんだろう、ときどき私情が挟まるようなこともあるけど(某国を歴史が浅いとか笑)、擬人主義の発生素地に浪漫主義や唯物論と絡めている箇所が一番面白かった。

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著者プロフィール

慶應義塾大学名誉教授

「2023年 『動物に「心」は必要か 増補改訂版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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