太陽と鉄・私の遍歴時代 (中公文庫 み 9-14)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122068230

作品紹介・あらすじ

最後まで冷徹な自己分析、自己認識の中で、限りなく客観的、論理的世界へ飛翔して、自らの死と対決する三島ミスチシズムの精髄を明かす「太陽と鉄」、詩を書く少年が作家として自立するまでを語る「私の遍歴時代」。三島文学の理解に不可欠な自伝的作品を収める。〈解説〉佐伯彰一

感想・レビュー・書評

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  • 三島由紀夫が最期の時を迎える少し前に、至った自身の価値観を語ると言った内容か。太陽と鉄は雰囲気で彼の言わんとする所がわかりそうな気もするが結局は理解は難しい。私の遍歴時代はフランクな言葉で彼が経験してきたことや三島由紀夫の思考に触れることができて興味深かった。ものすごい濃密な思考や人との交流や経験をしてきたんだということがよくわかる本。ただ難しい。

  • 太宰との回想
    「ぼくは太宰さんの文学はきらいです」
    「そんなことを言ったって、こうして来るのだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」

    森鴎外のように
    「小説家が苦悩の代表者のような顔をするのは変だ」
    「小説家である以上、いつも上機嫌な男にならなくてはならぬ」

    トーマスマンのように
    「小説家は銀行家のような風体をしていなくてはならぬ」

    嘉治隆一から言われた言葉
    「小説家が長もちする秘訣は、一にも勉強、二にも勉だ。広く見、深く究めることが大切で、毎日少しずつでもいいから、習慣的に古典か原書を読みつづけるようになさい」

    中村光夫の言葉
    「三十になったときは、俺はもう若くない、と思うが、四十になると、俺はまだ若い、と思うようになる」

    覚えている言葉が三島らしい。

  • 《目次》
    ・「太陽と鉄」
     ・エピロオグ――F104

    ・「私の遍歴時代」

    ・「三島由紀夫最後の言葉」 聞き手 古林尚

    ・解説 佐伯彰一

  • 22.02.04
    「太陽と鉄」のみ。
    精神と肉体-想像力と剣-不屈の花を育てることと花と散ること

  • 自伝のようでもあり、存念吐露のようでもあります。自己形成は15、6で済んだ。すくなくとも19迄に完了したと。早熟な文学少年、三島由紀夫の物語。私の遍歴時代、太陽と鉄、三島由紀夫最後の言葉が収録されています。2020.1発行。自分に余分なものは感受性、欠けているものは肉体的な存在感。古典主義的傾向に帰結し、美しい作品を作ることと自分が美しいものになることを。最後の言葉は、古林尚氏が昭45.11.18、南馬込の三島家でインタビュー(2h)したもの。「いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか。」

  • 「太陽と鉄」「私の遍歴時代」2つのエッセイとロングインタビュー「三島由紀夫最後の言葉」を収録。「私の遍歴時代」はちくま文庫で読了済み。「太陽と鉄」を読むと徹底した自己統御、自己練磨の向こう側に酩酊、陶酔を求め、それは「絶対者に裏側から到達する」という彼のエロティシズムの願望、欲求が見えて、恰もそれはキリスト教の禁欲主義や聖女テレジアを思わせる。三島由紀夫が何故あれ程までに天皇を必要としていたのか、インタビューで初めて知りました。彼の抱く究極の美学は若々しくしなやかな筋肉に覆われた美しい肉体、絶対者、死からなる三位一体の極致。インタビューを読みながらもうこの時には三島は死を思っていたのかなと考えると何とも言えない気持ちになります。

  • 三島文学の本質を明かす自伝的作品二編に、自死直前のロングインタビュー「三島由紀夫最後の言葉」(聞き手・古林尚)を併録した決定版。〈解説〉佐伯彰一

  • もともと三島由紀夫には自分がなかった
    彼にとっての「美」とは、自分の感性に基づいて決めるものではなく
    イデアとして、あらかじめ誰かに定められたものだった
    プラトン主義者のようだ
    まあそうであったとしても、深く考えず生きていく分には
    問題なかっただろうけど
    それを許さなかったのは、日本の敗戦である
    平岡公威少年の信じた美しい世界は
    戦後の法制改革と、天皇の人間宣言によって強く脅かされた
    加えて、徴兵検査に落とされたことの挫折感から
    世界との一体感を捨て
    自らの身体へと後退する必要に駆られたのである
    それが三島にとっては自己獲得の第一歩だったのだ
    …しかし、根本的な部分ではずっとイデア思想に依拠しており
    かつて存在した美しい世界の復興をいつまでも夢見ていて
    そこに疑いを向けられない以上
    いくら身体を鍛えたところで
    襲ってくる実存の不安に立ち向かうことなどできようはずはなかった
    もしノーベル賞を取れていたとしても
    おそらく同じことであろう

    「太陽と鉄」
    1952年、海外旅行中の船上で太陽と「和解」した三島由紀夫は
    自らの深淵(夜)にあった観念が
    太陽に誘われて
    表面に出てくるのを感じた
    それによって、外部に対し観念を表現する必要の生じた三島は
    自らの前に、バーベルだかダンベルだか鉄の塊を置き
    健康的な肉体を手に入れるための営みを開始したのだという
    そうすることでいったい彼は何を実現しようとしたのか?
    それは徴兵検査に落とされたことでかなわなかった夢
    夭折願望の復活であった
    しかしそのためには、思想を充分に表した肉体を得るだけでは足らず
    世界との一体感を捨てたことで生じる死の恐怖をも
    克服せねばならなかった
    そこで三島は、ボディビルに並行して
    ボクシングや剣道にも熱を入れはじめた
    死の瞬間ひしめく打ち合いの向こう側に、忘我の熱狂を求めてのことだ
    しかし三島は満足しなかった
    生きているかぎり、死は想像によってしか語り得ない
    そのことに歯がゆさを覚えて
    しまいに自衛隊への体験入隊まで果たしてしまったのだ
    そして、死に向かう可能性をはらんだその職務体験を通じ
    彼はついに、再び世界との一体感を得るのだった
    たかが体験入隊で
    …どうにも信じがたい部分はあるが
    ともあれこのようにして三島由紀夫は、語る者から語られる者へと
    つまり夭折者へと、移行していったのである

    「私の遍歴時代」
    日本の古典芸術に傾倒し
    戦中は「日本浪漫派」で活動していた三島由紀夫
    しかし三島にとってのロマンである形式主義は近代に逆行するもので
    その点、日本浪漫派とは相容れなかった
    自虐的な形式の太宰治とは戦後に会ったが、これも相容れなかった
    三島由紀夫は「仮面の告白」において
    いってみれば、仮面の内外を構造的に一体化しようとしたのだが
    そこに、三島独自の形式は生まれた
    それは感受性を否定し
    肉体と知性のみがそこに在るとする自己認識だった

    「三島由紀夫最後の言葉」
    一般的に極右と見られている三島だが
    話はそう単純ではない
    例えば、この対談におけるソビエトへの評価を見ればわかるが
    要するに彼は芸術と政治の二元論を必要としていたわけだ
    そこで、「自由」に束縛された社会に対しては
    全体主義をぶつけるべしという発想にもなるのだろう
    結果的にこれはヒューマニズムである

  • 『太陽と鉄』『私の遍歴時代』『三島由紀夫最後の言葉』を収録。
    三島由紀夫のナイーブさ、純粋さを煮詰めたようなセレクトだ……。

  • 三島由紀夫の自伝的作品。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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