曠野の花 - 新編・石光真清の手記(二)義和団事件 (中公文庫 い 16-6 新編・石光真清の手記 2 義和団事件)

著者 :
制作 : 石光 真人 
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 60
感想 : 6
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  • Amazon.co.jp ・本 (469ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122065000

作品紹介・あらすじ

明治三十二年、ロシアの進出著しい満洲に、諜報活動に従事すべく入った石光陸軍大尉。そこで出会った中国人馬賊やその日本人妻との交流を綴る。新編刊行に際し、『得体の知らぬ日本人』『因果物語ほか』等の未公開手記及び、秘蔵写真を多数収録。

感想・レビュー・書評

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  • ノンフィクションならではの迫力。明治時代にロシアと満州で日本陸軍の諜報員として働いた石光真清氏の手記を息子が編集した4部作の第2巻。
    日露戦争前の緊迫した時代である。クリーニング屋や写真屋などの仮面をかぶりながら、石光氏はロシアや満州の状況を探る任務を負った。
    当時、満州やロシア東部にこんなにたくさんの日本人が暮らしていたというのが驚きである。通信手段も交通手段もほとんどない時代に、小さい町に住んでいたのだ。本書の描写を読むと、暮らし向きはとても劣悪で、過酷である。特に女性は苦しい環境にあったようだが、数か国語を話して陰でサポートしていた様子がうかがえる。
    途中で病に倒れたり、捕虜になりかけたりしながらも、よくも生きて帰れたものだ、と感心する。日本人は現地では第三者的な位置づけにいたらしいが、残酷なロシア軍にばれたら終わりである。
    生で体験した数少ない手記だが、これだけの歴史資料があまり読まれていないのが不思議である。

  • 満州の地でロシア軍や馬賊とも交友を結びながら命懸けの諜報任務に当たった様子が臨場感溢れる筆致で描かれている。

  • 日清戦争後にロシアに対する危機感を持った石光が対露諜報を志してシベリアに渡ってからの話。
    義和団事件の余波からブラゴヴェシチェンスクでの清国人大虐殺(アムール川事件)を目撃し、満州への進出を本格化させたロシア軍を追うべく北満に侵入する。
    あるときは馬賊の仲間になり、あるときはロシア軍の出入り業者になる。そして現地にいた日本人女性を助けたり、助けられたり。
    すごい波乱万丈。あまりにも劇的なので実話なのか怪しく思わないでもない(本人の複数の手記で一貫していない部分もあるし)。本書の原型は戦中に公刊されているので、脚色が必要だったのかなと思ったりもする。
    ともかく、ただただ圧倒される。
    日露開戦で帰国したところまでが本書の範囲。第3巻で日露戦争やらが描かれるのか。

  • 2018/03/18 初観測

  • 明治三十二年、ロシアの進出著しい満洲に、諜報活動に従事すべく入った石光陸軍大尉。そこで出会った中国人馬賊やその日本人妻との交流を綴る。

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著者プロフィール

明治元(一八六八)年、熊本生まれ。一六年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。三二年、特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めたりしていたが、大正六(一九一七)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。八年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和一七(一九四二)年に死去。死後、その手記が公刊される。 明治三七(一九〇四)年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、昭和六(一九三一)年、東京日日新聞社に入社。一三年芝浦工作機械に転じ、戦時中、日本新聞会考査課長、日本新聞連盟用紙課長を歴任。戦後、日本新聞協会用紙課長、総務部長、業務部長を経て、日本ABC協会事務局長、専務理事。三三年、父・石光真清の手記『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』の出版により、毎日出版文化賞を受賞。編著書に『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』等がある。五〇年に死去。

「2018年 『誰のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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