城下の人 - 新編・石光真清の手記 一 西南戦争・日清戦争 (中公文庫 い 16-5 新編・石光真清の手記 1 西南戦争・日清戦争)

著者 :
制作 : 石光 真人 
  • 中央公論新社
4.08
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本棚登録 : 100
感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122064812

作品紹介・あらすじ

明治元年に生まれ、日清・日露戦争に従軍し、満州やシベリアで諜報活動に従事した陸軍将校の手記四部作。第一部は、故郷熊本で西南戦争に遭遇した後、陸軍士官学校に入り、日清戦争に従軍するまでを綴る。未公開だった手記『思い出の記述(抄)』及び小説『木苺の花』を併せて収録する他、口絵にて本人の直筆原稿等を初公開。

感想・レビュー・書評

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  • この本の本編部分は著者の息子さんが遺稿を整理して世に出したものだが、巻末に「思い出の記」として著者オリジナルの原稿からの抜粋が収められている。これが興味深いもので、本編の内容がかなり脚色されていることが窺われる。そこから推測すると、おそらく西南戦争での薩軍との交流の記述あたりなども、編者がたいした悪気もなく「盛っている」のではなかろうか。

    それはそれとして面白いし、明治という時代の息遣いを感じることができる。ほんとうに人が若くして病気で亡くなる。

    ところで西南戦争のくだりで谷干城が「美髯の老人」として描写されるが、谷は当時40歳くらいである。当時は40歳だと立派に老人だったのだろうか、それとも後の記憶で上書きしてしまった結果だろうか。今の40よりだいぶ老けていたには違いなかろうが。

  •  「血沸き、肉躍るから是非読みなさい」と、元・上司に言われたのが半年前。著者のお孫さん(石光さん)は会社の大先輩で、その方の話をしているときに薦められました。そのまま忘れていたのですが、手嶋龍一氏が日本のインテリジェンスの手本として石光真清氏をあげ、岡本行夫氏の「危機の外交」でも過去に石光真清という素晴らしいインテリジェンス(スパイ)がいたと紹介。俄然、読む気になりました。

     全四巻ですが、まずは第一巻のご紹介。著者は熊本生まれで、新風連の乱・西南戦争から始まります。第一巻では、日清戦争に勝利して日本が湧き上がっているなか、著者が「次なる仮想敵国はロシア」とロシア探索準備にウラジオストックに渡るところまでとなっています。やがて、ロシアの諜報活動となるのでしょうが、第二巻をいま読み進めています。

     司馬遼太郎ばりの文章と小説風の出来で、とても読みやすく、情景が目に浮かびます。「血沸き、肉躍る」はこれからでしょうが、一級の歴史書であることは間違いないと思います。
     
     因みに、著者の叔父・野田豁通氏は戊辰戦争で会津を攻め、その後、青森県知事に就任。育英事業として会津藩から2名を選抜してに県庁に採用したうちの一人が柴五郎氏で、その後、柴五郎氏が東京に居を構えた際に著者が預けられたとあります。「ある明治人の記録(会津人柴五郎の遺書)」はご子息の石光真人氏の著作ですが、石光家と柴五郎氏の関係がよくわかりました。

     石光さんとは、毎秋、恒例の飲み会があるので、それまでに全巻読了しようと思っています。

  • 明治時代に中堅武士の過程に生まれた石光真清の手記を息子の真人がまとめたもの。武士といっても、時代はすでに明治時代。真清の青年時代に西南戦争があり、彼の人生に大きな影響を与えたようだ。
    歴史小説はたくさん読んできたが、この本がすごいのは、実際に明治・大正・昭和(1巻は明治のみ)の世の中を体験してきた本人が書いているところだ。つまり、リアルなのである。
    昔は本当に優秀な人が多くいたのだな、と感じる。兄弟たちも立派だが、皆九州から上京して商社に勤めたり陸軍の学校に入ったりしている。
    本書では、著者が日ロ戦争を前にロシア語にのめり込むようになったいきさつが書かれている。

  • 明治元年熊本に生まれ昭和17年に没した元陸軍軍人の残した手記。明治維新から敗戦までの期間の短さと明治人の気概が伝わってくる一冊は名著の予感。

    全四巻中の一冊。あまり前知識なく読み始める。ロシア関係の諜報活動に従事した方らしい。

    少年時代を故郷熊本で過ごし神風連の乱や西南戦争を体験、その後幼年学校から陸軍軍人となり日清戦争に従事、対露諜報活動の必要性を痛感しロシアに渡るまでが第一巻。

    作家でない一般人の作品ではあるが文章に情緒が感じられる。個人の資質かはたまた漢文に精通した明治人ならではなのか。

    日本の歴史の中で明治維新ほど日本人の生活もメンタリティも変えた事件はなかっただろう。激動の中で中で生きていく没落士族そして薩長に負けない明治人の気概。

    決して出版を望んだわけではなかった遺稿を遺族がまとめたものだとか。

    4分の1通過時点で早くも名著の予感。

  • 日本人の自伝としては珍しく等身大に徹している。
    10歳の時の西南戦争については、熊本城下の人々の生活を細かく書き記しており、鹿児島勢と新政府軍のどちらにも属さない熊本民に及ぼされた影響がわかる。
    日清戦争では、自身の初陣での視野が狭くなる経験を率直に書き記している。
    本書はここまで。日露戦争やシベリア出兵の際にロシアで繰り広げた諜報活動は次作以降に書かれている。

  • 2018/03/18 初観測

  • 貴重な記録

  • 明治元年に生まれ、日清・日露戦争に従軍し、満州やシベリアで諜報活動に従事した陸軍将校の手記四部作。新発見史料と共に新たな装いで復活。

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著者プロフィール

明治元(一八六八)年、熊本生まれ。一六年、陸軍幼年学校に入り、陸軍中尉で日清戦争に従軍し、台湾に遠征。三二年、特別任務を帯びてシベリアに渡る。日露戦争後は東京世田谷の三等郵便局の局長を務めたりしていたが、大正六(一九一七)年、ロシア革命直後のシベリアに渡り諜報活動に従事する。八年に帰国後は、夫人の死や負債等、失意の日々を送り、昭和一七(一九四二)年に死去。死後、その手記が公刊される。 明治三七(一九〇四)年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、昭和六(一九三一)年、東京日日新聞社に入社。一三年芝浦工作機械に転じ、戦時中、日本新聞会考査課長、日本新聞連盟用紙課長を歴任。戦後、日本新聞協会用紙課長、総務部長、業務部長を経て、日本ABC協会事務局長、専務理事。三三年、父・石光真清の手記『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』の出版により、毎日出版文化賞を受賞。編著書に『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』等がある。五〇年に死去。

「2018年 『誰のために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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