ジョージ・F・ケナン回顧録III (中公文庫 ケ 7-3)

  • 中央公論新社
4.67
  • (2)
  • (1)
  • (0)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 42
感想 : 2
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (592ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122063716

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ケナンが一貫して批判したアメリカ外交における「法律家的・道徳家的アプローチ」はアメリカという国家の成り立ちによるところもあるが、現代の外交が幸か不幸か民主主義の制約を免れ得ないという事情にも関係している。リアリスティックで冷めた国益概念だけでは素朴な国民感情に訴える力に欠けるのだ。だからケナンのアメリカ外交批判は民主主義への懐疑と分かち難く結びついている。そこにケナンの孤独があった。マッカーシズムが典型だが、国民のヒステリックな反共感情が政治家の個人的な野心と結びつくとき、それがいかに外交を歪め、外交官のプロ意識を毀損したか。第Ⅲ巻にはこうしたケナンの苛立ちが色濃く滲んでおり、外交の民主的統制という一筋縄ではいかない課題の難しさについて考えさせられる。

    ケナンの危機感にもかかわらず民主主義国家こそが戦争を防止するというナイーブな前提が今日に至るもアメリカ外交を強く規定している。そこに幾ばくかの真理が含まれるのは確かだが、ひと度火がつけばむしろ民主主義国家の方が戦争に歯止めをかけることが難しい場合も多い。近年のアメリカのユニラテラニズムや反テロ戦争を見ても、それは「正義の戦争」に容易に転化し得るし、「邪悪」な国家の徹底的破壊を目指す全面戦争に至り易い。そして戦争の犠牲をより甚大なものにし、戦後の復興統治を難しいものにする。

    だからケナンは外交における「法律家的・道徳家的アプローチ」とともに「正義の戦争」を忌避した。核戦略に否定的であったのも、それがクラウゼヴィッツの言う外交の延長としての古典的な限定戦争とあまりにかけ離れていたからだ。だが「相互確証破壊」(Mutual Assured Destruction =MAD)という文字通り「狂気」とも言うべき「恐怖の均衡」が大国同士の全面戦争を事実上不可能にし、曲がりなりにも戦争を一定範囲に限定する結果をもたらしたのは皮肉である。

  • 最終?巻は冷戦が激化を迎える一九五〇−六三年が対象。ケナンはモスクワ等での経験を描きつつ冷戦下世界へ根源的な分析を加える。〈解説〉西崎文子

全2件中 1 - 2件を表示

ジョージ・F・ケナンの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×