独立自尊: 福沢諭吉の挑戦 (中公文庫 き 34-2)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (380ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122054424

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  • 北岡伸一氏「明治維新」に

  • 2016/03/12読了。

    P.63-64 「意外だったのは社会制度の方面である。ワシントンの子孫はどうしているかを問うと、誰も知らないだけでなく、ほとんど興味を持っていなかった。日本でいえば源頼朝や徳川家康に匹敵するのに、そういう家柄の意識を持っていないことに大いに感心した」
    →本当にアメリカって家柄意識ないのかな・・・結構強い気もするけど

    p.144「学問とはどういうものか。まず難解な字を知り、難解な文章を読み、詩や和歌を作ることは実のなき文学である。重要なのは人間普通実用の学である。読み書き、算盤から地理、物理、歴史、経済、修身など、まず日本語で用を足し、進んで西洋の文献を読むべきである。」「ただし、学問をするには分限を知ることが大切である。分限とは、責任というほどの意味である。人間は平等で自由に行動できるのだが、自由とわがままは違う。その違いは、『他人の妨げをなすとなさざるとにあり』という。それは、単に直接に他人の迷惑にならなければよいというだけのことではない。たとえ自分の金であっても、酒食に耽り放蕩を尽くすことは、社会の風紀を悪化させるから許されない。そうした公的な性格を、福澤の自由の概念は持っていた。」

    P.147「人は同等なる事」が論じられている。同等とは、有様のひとしさではない。権利通義の等しいことを言う。ここで権理通義とはright つまり権利のことである。福沢はこれを最初、権利通義と訳したのである。……つまり力によって現される物事の筋道であって、身分などによって区別されず、誰にでも通用する正義、ということになる。」

    P.148「国家の平等」「一身独立して一国独立する事」「『独力の気力なきものは、国を思うこと親切ならず』という。つまり、独立の気概を持ち、自分の運命を国家の運命と重ねあわせることのできるものでないと、国家のことを真剣に考えない。国家の運命を自らの運命と重ねあわせて考える個人がすなわち国民である。そういう国民が多くないと、国家は保てないのであり、依存心の強い者は国家の頼りにならない。」

    P.149「物事を維持するためには力の平均が必要である。ここでいう平均が必要である。ここでいう平均とは、バランスのことである。国家においても、政府の力と人民の力とがバランスが取れていて、初めてうまくいく。」そのために重要なのは「独立の気風」。

    p.151「文明は政府だけから起こってはならない。小民から起こることもない。その中間から起こらなければならない。ミドルクラスこそ文明の担い手でなければならない。」「そして現代の日本におけるミドルクラスは、学者である。しかし学者の多くは政府に走り、政府に頼って物事を成し遂げようとしている。慶応義塾では独立を失わず、学問に励み、それを実地に移し、政府の力とあいまって、日本の文明を進めなければならない」

    p.154「『我が心をもって他人の身を制すべからず』」

    p.166「文明論とは何か……人の精神発達の議論である。それも個人ではなく、『天下衆人』の精神発達を論ずるものである」

    p.167「議論の本位……相対して重と定まり善と定まりたるもの」「議論の立脚点、目的」
    p.168「議論の本位が異なれば、結論は同じでも趣旨が違うことがある。また議論の本位が違えば、お互いに極端な場合を想定して意味のない議論となることがある。こうした無用の対立を避けるためには、大いに人に交わること、社交が大切である」

    p.169「西洋の文明を目的とすること」「文明開化も相対的」「野蛮、半開、文明」「文明とは……天地の法則を知るが、その中で積極的に活動し、『気風活発にして旧慣に惑溺せず』自主独立で他人の恩威に依存せず、自ら徳と智を磨き、『古を慕わず今を足れりとせず、小安に安んぜずして未来の大成を図り』」「文明の精神=人民の気風なしには文明化は意味をなさない」

    p.172「『惑溺』とは、本来ある目的に対する手段であったものが、本来の目的を離れて自己目的化してしまうこと」

    p.173「文明とは『人の身を安楽にして心を高尚にするをいうなり、衣食を豊かにして人品を貴くするをいうなり」それを実現するものは人の智徳、文明とは人の智徳の進歩

  • 福沢諭吉を総合的に知るための本。一番わかりやすい。諭吉が一番「すすめ」いたのは「学問」より「独立自尊」だった。自立の手段としての「学問のすすめ」であったのだ。


     


    ______
    p39 左伝とは
     四書五経の『春秋』には評伝がある。左氏が書いたそれは『春秋左伝』といわれる

    p64 鉄の貴重さ
     江戸時代、火事の後には焼け跡でやけくぎを探すほど、日本における鉄は貴重品だった。そういう環境にいた日本人が西洋留学すれば驚きも隠せない。

    p72 青木周蔵も写真を見た
     諭吉はサンフランシスコで少女と写真を撮った。日本では写真なんて見たことのないものだから、有名になった。その写真を母に送ったが、それは中津で大評判になって、見物客が絶えなかった。のちの外務大臣になる青木周蔵もこれを見た。青木は井上馨とともに日本の不平等条約の解消に一役買った人物。

    p78 武田流味噌
     諭吉の乗った外国船には日本から大量の食糧が載せられた。大量の白米と、どんな暑さにも耐えられるといわれる武田流味噌が積まれた。しかし、東南アジアを渡る最中に腐って、海に捨てられた。

    p79 洋式トイレ
     江戸時代のトイレは家来がトイレの前で待ち、ドアは放たれたまま用を足す。これを海外でもやっていたので、諭吉は恥ずかしくてしょうがなかったようだ。

    p82 政党政治の難しさと徒党禁止
     諭吉も初めは西洋の政党政治がわからなかった。政治上の敵同士が喧々諤々喧嘩をして政治をする。それも会議が終われば一緒のテーブルで飯を食う。意味が分からなかった。
     江戸時代は3人以上が集まっただけでも徒党といわれて禁止された。そういう習慣の人たちが集まり会議して、政治するというのは、やはり相容れないものだったのだろう。

    p95 生麦事件からの薩英和親
     薩摩藩は生麦事件からイギリスと戦争が勃発した。それに惨敗しても、戦後にはイギリスから武器を買いたいというほど素直だった。それほど薩摩は開明的であったも言える。

    p105 造語
     福沢は翻訳業も務めた。その際の苦労を『福沢全集諸言』に書いている。スチーム=汽とか、コピーライト=版権とか造語をたくさんした。

    p139 慶応を国有化
     諭吉は一時期、自分の慶応大学を官有化することも考えた。国民を広く文明化するには私立で行うには規模が小さすぎる。だから官有化によって、自分の教えた生徒が教師になり、日本を開明化するのが重要と考えたゆえである。
     しかし、そうはしなかった。そうしなかったことで、諭吉の啓蒙活動は著作に拠り、より広く、時間を超えて、人々を啓蒙できるようになった。

    p142 著作権
     当時は著作権の概念などなく、偽本が大量に出回った。写本ならともかく、噂で聞いたことを書いただけのものなど、バッタモンがいっぱいあった。
     諭吉は著作権の重要性を政府に説き、罰則化を願い出た。その結果、取り締まりの制度ができて、罰金化された。

    p151 不平等
     学問のすすめで有名な「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」とあるが、こう続く。
     「されど今広くこの人間世界を見渡すに、賢き人あり、愚かなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞ」つまり平等なはずだが、現実には甚だ不平等である。と不平等の存在を認めている。
     ではその差は何かと言えば、それは学んだか学ばないかである。
     世の中には優しい仕事も、難しい仕事もある。優しい仕事は身分軽き者で、難しい仕事は身分の重き者である。その身分の差は学ぶか学ばないかである。金持ちの子は金持ちというが、それは金持ちの子は時間と金をかけて学ぶことができるからである。
     新しい時代になって、学べば出世できる世の中になった。それは大変のぞましいことであるといった。

    p157 独立心
     学問のすすめで独立心を説く
    ①独立の気力のなき者は、国を思うこと深切ならず
     …自分の運命と国家の運命を重ね合わせられる者こそ国民である。今川義元が破れて駿河は滅んだが、ナポレオンが破れてもフランスはフランスだった。
    ②内にいて独立の地位にあらざる者は、外にあって外国人に接する時も独立の権威を伸ること能ず
     …独立心なき者、必ず人に頼る、人に頼れば人を恐れる、人を恐れるは人にへつらう、そういう人物は国家に害悪を成す。
    ③独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり
     …自分に自信がなければ、人の権力を笠に着て、人をしてことを成そうとする。それは責任を鈍らせ、悪事をなすことがある。

     独立心を持つことが、学ぶことの目的。学問のすすめ

    p166 怨望は窮からうまれる
     言路をふさぎ、行動を制約するから、怨望は起る。
     他人のありように比べて、自分に不満を抱く。それは自分に力がないからである。独立して力をつけられれば怨望は生まれない。口をふさぎ、自ら起ち歩こうとしないから、どんどん己は空っぽになる。その空虚に怨望は生まれる。

    p169 愛国心
     学問のすすめで諭吉は日本のほうが西洋に優れる点を逆説的に語った。
    「もし西洋人が毎日入浴して、日本人が月に1,2回なら、開化先生は西洋人は衛生法をよく知っているというだろう。日本人が尿瓶を部屋に置き、トイレに行っても手を洗わないなら、日本人は衛生観念が低いというだろう。西洋人が紙で鼻をかみ、日本人がハンカチで鼻をかめば、日本人は貧しいからだというだろう。日本人の女性が耳に金輪をかけ腹をきつく縛れば、野蛮で健康に害があるというだろう。西洋人が部屋に鍵をかけずにいれば、西洋は安全だというだろう。西洋が簡単な契約書しか交わさないなら、西洋時名はモラルが高いというだろう
    。西洋人が下駄をはき、日本人が靴ならば、日本人は未開で足指の活用補を知らないというだろう。西洋に豆腐や蒲焼や茶碗蒸しがあれば、世界の美味とたたえられるだろう。西洋に親鸞上人が出て、ルターが日本に出ていれば、人は親鸞上人をほめたたえるだろう。」
     日本と西洋を入れ替えて、日本男の晴らしさを語った。西洋の盲信と日本の不要な自虐への注意喚起をしていた。愛国心とはこういう正しい認識を育てることである、。

    p181 文明とは
     非文明とは、自然お力を恐れて偶然に依頼するだけの状態である。
     半開とは、農業が進み、都市化し、国家をなすが、不足が多い状態。文学はあっても実学はなく、模倣は巧みだが創造性はなく、旧癖に凝りて旧を改めず、規則はあるが習慣の方が重い。
     文明とは、気風快発にして旧慣に惑溺せず、自主独立で他人の恩威に依存せず、自ら徳と智を磨き、古を慕わず今を足れりとせず未来の大成を志す。
     富国強兵よりも人民の精神性を重視している。

    p183 惑溺
     惑溺とは手段が本来の目的を忘れ、異なる目的になってしまうことを指す。武士の刀が、武器から装飾品になったことなどをいう。

    p186 改革はミドルクラスから
     改革は富がないが知力のある者から発する。
     すでに持てる者は保守的になり変化を嫌う。だから変化を望むミドルクラスが改革を発する。だからこそ、ミドルクラスを正しく教育することが何よりも大事なのである。

    p189 文明の発端
     諭吉は文明の発端をローマ帝国やギリシアに求めない。ローマ帝国を崩壊させたゲルマン人たちに求める。
     ゲルマン人たちの独立心を讃え、さらなる中世の封建領主・宗教権力・自由都市など多元的な要素の競争的共存の中で自由が生まれ、西洋の文明化に繋がったという。

    p203 士族の扱い方
     士族は鋭敏の才能は少ないが、品行は優れ、修身の私徳は人を感服させる力を持っているとみていた。
    「人事の法則に於いて、無知の腕力は必ず私徳のあるところに帰するを常とす」といった
     これは西郷隆盛を言っている。維新後、力のあり余っている士族が西郷に寄り集まっている様子をいっているのである。諭吉は士族の残党は地方で有効活用すべきと考えていた。それによって人民の修身の手本として、日本人の精神の修養を図るべきと考えた。

    p207 西郷への敬愛
     西郷は天下の人物なり。日本狭しと雖も、国法厳なりと雖も豈一人を容るるに余地なからんや。日本は一日の日本に非ず、国法は万代の国法に非ず、他日この人物を用いるの時あるべきなり。これまた惜しむべし
     そう『丁丑公論』で西郷の徳を賞賛している。しかし、西郷は当時の賊軍であるからこの丁丑公論は死ぬ前までお蔵入りしていた。

    p254 寡人論
     諭吉は藩閥政治を容認していた。彼ら維新の雄がいなければ文明開化は実現せず、維新後の混乱期もこのリーダー達による一元的支配が国を強固なものとした。と賞している。
     しかし、時の経過とともに弊害も見えてきた。そのうち寡人政府から多人政府になるようにしなければいけないと言っていた。

    p256 狡兎死して、良狗烹らる
     自由民権運動に際して、政府側がこれを徹底的に追い詰めようとする姿勢に物申した。文明開化を達成しつつある明治政府も、政敵を全滅させてはそのうち、自分の存在を危うくすると示唆した。
     他の政党派をつぶせば、最期には自分たちとアナーキストしか残らない。そうなれば、自ら亡びることになる。政党政治とは互いの政党の存在を認め合って、喧々諤々議論していく、そうすることで自身の存在意義も示すものだということである。

    p261 台湾出兵
     征韓論には反対。その後の台湾出兵にも反対だった。この戦争で利益をあげたのは外国商人で、日本の賠償金額よりも多い。これが我慢ならんことだった。

    p296 貿易による利益、そして貧富の差
     諭吉は日本の農本主義を批判した。海外との貿易によって利益を上げる重商主義が大事と考え、養蚕を発展させるべきと言った。日本が殖産興業を発展させる中でその結果貧富の差は大きくなった。しかし、諭吉はそれでいいという。貧富の差はあるべく格差だから。その差は学問をするかしないかである。
     むしろ学問によって出世できる世の中になったことの方が格差是正になるのである。そう考えた。

    p307 地租改正反対
     諭吉は地租改正に反対だった。「地租は立国の根分にして、苟も経世の考えあらんには断じて動かすべからざるもの」
     江戸時代に城を明け渡す時には一に城を、二に兵器、三に年貢帳をと、その藩の三大権力に徴税権を入れている。つまり徴税権の譲歩は降伏を表すと考えていた。政府は強さを維持しなければいけない。だから反対だった。

    p316 大陸膨張論
     なぜ諭吉は大陸膨張論を唱えたか、それ故に戦前は評価され、戦後は悪者のようにみられることもある。
     ①日清戦争賞賛について。清は野蛮人の国だった。清は漢民族ではない遊牧民族の国家だった。それに辮髪・纏足の非文明国だったのは事実である。ただの侵略論ではなく、本気の文明開国論だったのである。
     ②朝鮮独立について。隣国の朝鮮が開国するのは別に日本の指導の下でなくてもよかった。日本のように西洋に開国させられてもいいから、開国すべきという日本人としての利害を超えた良心からだった。
     ③大陸進出は資源の確保のためだった。資源の乏しい日本は大陸とつながるしかない。当時の人で、海外戦争を領土拡大と植民地化という目的以外で見られるものは少なかった。諭吉は日本の特徴を理解して妥当な見解を述べていただけである。

    p327 修身要領
     福沢の説く「独立自尊」を中心にまとめた晩年の道徳書。
     修身とは四書五経の『大学』に記されている語である。諭吉は西洋のmoral scienceを修身論と訳している。諭吉にとって、モラルとは自立心のことなのだな。
    _______

     思いのほかいい本だった。

     福沢諭吉の福翁伝とか学問のすすめは読んだが、この講釈本があったほうがやっぱわかりやすいな。

     勉強になりました。

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著者プロフィール

国際協力機構(JICA)特別顧問、東京大学名誉教授、立教大学名誉教授

「2023年 『日本陸軍と大陸政策 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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