ガンジ-自伝 (中公文庫 B 1-43 BIBLIO20世紀)

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784122043305

作品紹介・あらすじ

真実と非暴力を信奉しつづけ、インド独立運動の精神的指導者として、民衆から聖人と慕われたその偉大な生涯。インド古来の思想を再生し、人間の品位と威厳を示した生きざまが、新たな感動をよぶ。ガンジー自身の筆による自伝的著作には『自叙伝』と『南アフリカにおける非服従運動』の二作がある。彼の死後、ガンジー著作編集委員会は一冊で完結した自伝の必要性を認め、二著作を再編集した新たな『自叙伝』を刊行した。本書はその英語版の全訳である。

感想・レビュー・書評

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  • ガンジーだってプライベートで色々ダメな部分あって、でも誰かの役に立つってことが重要だって思った。
    長い時間をかけて養われた宗教観や教養によって確固たる軸があるからこそ彼は人々を引きつけ大きなアクションを起こすまでの説得力があるのだなと。彼の生き様がカッコいい。

  • 凄い長かった〜。でも学ぶことはいっぱいありました。
    ガンジーも小さな悪行が何度もあったことが意外!やはりガンジーもひとりの人間。一人の人間から始まる大きな可能性を示してくれた人物だと思いました。

  •  本のタイトルにあるように、マハトマ・ガンジーの自伝本であるが、第2次世界大戦時や戦後に関する内容は取り扱っていない。一般的に、ガンジーといえば、インドがイギリスに支配された時代、非暴力・不服従運動を貫いて、イギリスに抵抗した。それゆえ、ガンジーは清廉潔白であるとか、聖人君主だというイメージが先行する。ところが、本書を読むと、そのイメージ像が根底から覆される。たとえば、ガンジーは若くして結婚したが、妻に対する扱いがぞんざいで、対等な関係で接したとは思えない。また、南アフリカで勃発したボーア戦争において、インド解放という、最終的な目標達成のために、イギリス側に味方して、戦争に加担することとなった。このように、世間が思うガンジーのイメージとは裏腹に、ガンジー自身も一人の人間であったことが垣間見える。その意味で、ガンジーは、秘密を包み隠さずに、ありのままの自分をさらけ出す、質実剛健な人物だと自伝本から読み取れる。
     とはいえ、歴史に名を残した人物であるためか、普通の人々ではやらない行動を次々と実践した面も、本書を読むとわかる。特に、多くの仲間を率いて、大きな運動へと発展させるところは脱帽する。

  • その容姿がアイコンになるほどの人物は、何が他人と異なるかというと、揺るがせない信念という気がする。良しにつけ悪しにつけ、こうと決めたら徹底的に貫き通す日常の頑固さは、迫害や脅迫にも屈しない政治的行動の強固さに通じ、人々が安心してついている拠り所となる。業績にさほど触れない自伝の為、本書だけではガンジーが何をやった人なのかは捉えづらいが、攻撃を加えた者をも赦す寛容さ、指針を定める上での明晰さ、敬虔さと向学心など、到底真似出来ない挿話の数々を読むだけでも、日本にはいないタイプの偉人を感じ取ることが出来るはず。一方、赤裸々なエピソードからは、彼も人間であって、必ずしも聖人でない事が窺え、それを知るだけでも意義があるように思えた。

  • ガンジーの原体験、それは父との記憶だと感じる。
    ガンジーが小さい頃、犯してしまった罪を謝った際、叱るのではなく、泣いて反応したということ。
    その反応に対して、ガンジーは罪をより深く恥じて、改心した。
    人間の持つ良心を信じて、相手に限りなく寄り添い、改心をひたすらに待つ。
    今のご時世、そんな悠長とも思える考えは絵空事と笑われるかもしれないが、人類が今一度、考えることができたら、世界は変われるかもしれない。

  • いま巷(2021/2/4ごろ)では、森某の差別発言が国際的にも問題になっている。日本で完全に差別がないとはいわないが、そう顕在化してはいないところに、差別があってはならない組織の長が差別をいってしまったことは、これからなんらかの報いがでることだろう。つまらない話を前置きにしてしまったけど、この本で差別を受けるということがどういうことか深く考えることになった。自分も非健常者ではあるけれども、社会であからさまに差別を受けたことはないと思う。(会社にもその点は配慮がある)たとえば、「夜明け前」をよんではいるが、この本のように事実がせまるような感想はもたなかった。差別を受けることとは何か、を考えるためにも多くの人にぜひ読んでもらいたいと思う。

  •  
    ── ガンディー/蝋山 芳郎・訳《自伝 20040201 中公文庫》BIBLIO20世紀
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4122043301
     
     Gandhi, Mohandas Karamchand 18691002 India 19480130 78 /暗殺
     
    http://d.hatena.ne.jp/adlib/19480130
     糸を紡ぐガンジー ~ アダムが紡いで、イブが撮った ~
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%A5%AC%A5%F3%A5%C7%A5%A3%A1%BC
     
    (20181114)

  • 「彼は、わたしの首にかけているトゥラシの木でできたヴァイシュナヴァ派の首飾りを見つけた。彼はそれは迷信だと思って、そのため心を痛めた。「そんな迷信は、君らしくもない。さあ、その首飾りをはずそう」「いや、それはいけない。これは母からもらった神聖な贈り物です」「しかし、君はそれを信ずるのですか?」「わたしは、別にこれの神秘的な意義は知りません。もしわたしがそれをつけていなくとも、ばちが当たるとは思っていません。しかし、十分納得のゆく理由がなければ、この首飾りを捨てるわけにはいきません。それは母が、愛情からと、わたしの幸福のためによかれとの信念から、わたしの首にかけてくれたものです。(中略)」コーツ氏は、わたしの説明を認めようとはしなかった。彼はわたしの宗教に対して、いささかの尊敬も持ち合わせなかったからである。彼はいつも、わたしを無知の谷底から救おうとしていた。ほかの宗教がなんらかの真理を含んでいるかどうかに関係なしに、本質的真理を代表するキリスト教精神を受け入れないかぎり、わたしに救いはありえないということ、イエス・キリストのとりなしがなければ、それ以外によっては、わたしから罪は洗い流せないだろうということ、そしてまた、どんな善行を重ねてもむだであるということを、わたしに納得させようとした。(「キリスト教徒との接触」P142~より引用)」
    こういう書き方ができるから自伝はたまらない
    とはいえ本書は1920年以降の政治運動には筆を一切割いていないため
    自伝であることを含めて著者の姿を掴むのには注意が必要な「作品」
    自身とヒンドゥー教とイギリスおよびキリスト教にはこのように描けても
    イスラム教について描くことは生前の政治的立場が許さなかっただろう

    到底凡人には実践の試みが立たない偉大な方法で偉大な政治実績を上げた一方で
    さらっと象に乗って移動したり次のような描写には驚かされる
    「人が市民的非服従の実践に適するようになるには、その前に、国家の法律に積極的かつ尊敬をこめた服従を行っていなければならなかった。たいていの場合、私たちは、法律に違反すると罰せられる恐れから法律に服従している。そしてこのことは、道徳的原理をふくんでいないような法律に関しては、特に当てはまっている。例をあげると、正直で尊敬に価する人は、窃盗を取り締まる法律のあるなしに関係なく、突然盗みをはたらくことはないだろう。しかし、この人が規則に違反し、夜になってから無灯火で自転車に乗って走ったとしても、彼は別に自責の念にかられることはないだろう。実際には、この点についてもっと注意するようにと親切心から忠告されたとしても、彼がその忠告を聞き入れるかどうか、疑わしい。しかし、規則に違反すれば罰せられる不自由さをのがれるためならば、彼はこの種の義務的な規則のすべてを守るのである。(「ヒラマヤの誤算」P407~引用)」
    愉快なり

  • 2018年3月読了。
    インドの人と接点を持ったことがない。
    唯一といえばセブ島に居た時にたまに行ったインド料理屋の親父さんくらいか。
    飲食店なのにThank youも何もない、エラくむっつりと黙りこくって愛想笑いの一つもない、どこか哲学者を思わせる親父さんだったが、美味かったのでたまに行く店だった。

    452ページ、「私自身を無に帰せしめなければならない。人は、自由意志から、自分を同胞の最後の列に置くようにならないかぎり、救いはない。非殺生は、謙譲の権限である。」

    インドの人も色々だと思うが、大した独立の父を持ったものだと思う。

  • 人はいかにして「偉人」になるのか。
    「非暴力・被服従」でインドを独立に導いた「偉人」の自伝。

    個人的には、暴力とか、政治力ではなく、愛や真実という人間の「良い力」に訴える事によって変革を成し遂げるというアプローチが、組織変革の方法論の参考になるのでは、と思い、読んでみた。

    しかし、この自伝は、相当に特異な自伝で、なかなか、こちらの目的意識にあった安易な読み方を許してくれない。なぜか?
    まずは、そのあまりにも淡々とした語り口がある。非暴力・被服中といった理念は非常にレベルの高いものであるはずで、それを大衆に理解させるためには相当の苦労があるはずだし、それが理解されて、大衆が全体として行動を起こしたときの高揚感というのは大変なものであるはずなのだが、大変な社会的事件がほんとうに淡々と描かれていくし、そこでガンジーが果たした役割も極めて抑制的に描かれている。さらには、この自伝はガンジーがインドの政治活動の中心となっていく手前で話は終わっている。つまり、ここから先の話は、誰でも情報は入手可能であり、ご存知のはず。よって、皆さんの知らないことを書いておく、というスタンス。

    序文にもあるのだが、そもそも自伝を書くという行為は極めて西洋的なもので、東洋で自伝を書くというようなことはしないのではないか、という疑問を感じつつも、政治的な実践ではなく、精神的な実践について書くことは有益ではないかとガンジーは考える。「わたしがなしとげようと思っていること - ここ30年間成し遂げようと努力し、切望してきたことは,自己の完成、神にまみえること、人間解脱に達することである。・・・しかしわたしは、一人の人に可能なことは,万人に可能である、とつねに信じている。だから、私の実験は.密室の中で行われたのではなく、公然と行われてきた。・・・わたしがこれから話そうとする実験の数々は、・・・・あくまでも精神的なものである。あるいは道徳的なものといったほうがよいかもしれない」

    社会的な実践、ガンジーの言葉によれば、真実のための実験を通じた、人間の完成。

    この基本メッセージは、非常にシンプルであるが、淡々とした徹底的に自己アピールを抑制したこの自伝から、その元々の意図を読み取り続けることは、高度な読書技術を必要とする気がした。

    ちなみに、「組織活性化の方法論として、何か使えないか」という低いレベルで読んでも、ほとんど得る物はないのであった。

    人は偉人やリーダーに生まれるのではない。偶然の助けも借りながら、「なっていく」ものなのだ。ということを再確認。

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