同じ年に生まれて: 音楽、文学が僕らをつくった (中公文庫 お 63-1)
- 中央公論新社 (2004年1月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122043176
感想・レビュー・書評
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ハーバード大学から同時に博士号を授与されたのを機に実現した、大江健三郎と小澤征爾の対談。
2000年前後の対談だそうだけれど、
社益、ひいては国益という語彙を頻繁に口にするようなシステムに隷属する人間ではなく、まずは個として立ち、同時に公共性も考えていけるような、大江氏のいう「新しい人」たちはまだこの日本にはそれほど現れていない。
同時に、この当時に2人が憂えている以上に、移民や他文化に対する鎖国的状況や分断はすすんでいる。この状況を見て彼らはどう発言するだろうと想像しながら読んだ。対談当時はまだ根拠のない希望が感じられるものの。
とはいえ、クラシック音楽界に限っていえば、本書で小澤氏が実現したいと願っていた状況に少しずつ近づいているのではないかとも思う。海外の大物たちを招いたコンサートをする一方で、日本人演奏家だけの内輪の演奏会が行われているという、いずれにしても排他的状況。この日本特有のダブルスタンダードはじょじょに改善されつつある気がする。
どちらかといえば小澤氏のいかに音楽を作り上げていくかに関する情熱的な話が面白いのだけれど、大江氏は大江氏で独特のユーモアがあって、両者ともについ聞き耳を立てたくなる。
両者ともに共通しているのは、いかに他者に「伝える」かを文学、音楽を通じて真剣に考えていること。その、彼らなりの方法論というのはさすがに長年の経験に裏打ちされていて読み(聞き)応えがある。
また、世代をこえて、長い目で見て、彼らが発見したものを伝えていくことにもどちらもかなり関心を抱いていて、これには敬服する。この、自分たちが死んだあとのことをどれほど具体的に考えられるかどうかという点にこそ、真の知性のあかしがあると実感。
でなくてコスト・パフォーマンスの向上に知的コストの大半を注ぎこむということがいかに愚行であるかを思い知らされてちょっと反省。
(大江氏が音楽について言及するさいによく参照する、エドワード・サイードの音楽論を読んでみたくなり、対談を読了後に購入) -
大江健三郎と小澤征爾という、ボクにとっては一世代上の、文学にしろ、音楽にしろ、それぞれの作品や演奏を、時に指標として、時に励ましとして受け取ってきた二人が、同じ年に生まれ、2023年3月、2024年2月、ほぼ同じ年に、同じ年数を生きてなくなったことは、「われらの時代」の終わりを、イヤもオウもなく実感させられてショックでした。
今となっては古い本ですが、それぞれの語り口に、それぞれの人柄を感じながら思い出にふけりました。
ブログにもあれこれ書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202402170000/ -
2019/06/10 読み終わった。
バイオリンの先生が小澤征爾好きで、文庫を3冊いっぺんに貸してもらった。じっくり読んだ。小澤征爾は、音楽にとことん真摯であった。
3冊の中では、この、大江健三郎との対談が一番面白かった。文豪は話すのも上手いのかしら。音楽の普遍性と文学の普遍じゃない話が印象に残った。 -
面白かったと思う。小澤征爾さんのナチュラルな感性みたいなのが何か大切なものを貫いているのがわかる。大江健三郎さんについても、対談の話を聴く範囲では、ひとりの文学者として面白いと思う。現実でやってる政治的な発言は支持せず聞こえて来るのはろくな話でないものばかりだったが率直な大江健三郎について知るいいきっかけになったかもしれない。ひとつ思ったことは特殊な人だということかもしれない。
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ともに1935年生まれの二人が、音楽や日本といったテーマをめぐって交わした対談を収録しています。
それぞれ音楽と文学の世界で世界に認められることになった二人は、随所で日本人の閉鎖的な性格を批判しています。しかしながら、みずからの人生を、「中国生まれの東洋人で、日本語しかできなかった男が、どうやって西洋の音楽を、死ぬまでにどこまで分かるようになるか、どこまでいけるか、という実験」と語る小澤と、「僕は、親父から伝わってきたものをいま持っている、それをみがいて、もっといいものにして子供に伝えてやろう」と語る大江という二人の生きかたを「デラシネ」と呼ぶのは、すこし当たらないように思います。というのは、明確には述べられていないものの、音楽と文学が「開かれた共同性」を実現する可能性をはらんでいることに両者ともに気づいているからです。このことが、本書のかくれたテーマになっているのではないかという気がします。 -
様々な議論。固いのかと思っていたらけっこうざっくばらんに分かりやすく色々なお話をしている。光くんのお話とか。音楽のお話もおおい。読んでいるときにひたすら考えていたのは、わたしの人生とこのひとたちの人生は何が違うのだろう、ということ。文学に選ばれ、音楽に選ばれ、天才と呼ばれてきたお二人だけれども、最初から自分がそうなれるという確信はそんなになかったようで、そしたら何が彼らを芸術にかりたてたのだろうか、とひとしきり考えて、でもわたしは芸術にかりたてられることもなく、なんとなくふわふわと生きるのかとか、リスクとか人生の決断とかそういうレベルではなく、何か見えない手みたいなものに導かれ、こういう人たちはやらざるを得なかったのかとか、なんかそういう、色々考えていたらけっこう悲しい気持ちになってきて、涙でた。
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2000年台に入ったばかりの時の対談ではあるが、今の時代に照らしても問題点として考えられないといけないと感じられることがかなりあった。
師弟関係について、子どもとの関係について、日本人の鎖国性と国益という考え方についてなど、とても素敵な対談であると感じた。