- Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121601322
作品紹介・あらすじ
篤農家にして求道者、そして何より再建のプロ、農政家かく語りき。
感想・レビュー・書評
-
どんなに正論であってもどんなに素晴らしい教えであっても、それをとなえている者の人間性に問題がらあったら聴いてもらえない。
「積小為大」
目の前のこと小さな事にひとつひとつ丁寧に取り組む。それを積み上げていくことで大きな目標を達成できる。
いくら知識を持っていても、それを行動にうつさなければ意味がない。
陽明学の「知行合一」と同じ感じかな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【感想】
二宮尊徳思想をわかりやすく噛み砕いてくれていて、学びが多い。二宮金次郎というとあの歩いて本を読む像しか思い浮かばない人であれば、この本は読むべきだと思います。
どんだけすげぇ人なのかがよくわかります。噛み砕く中でうまく抽象化して現代にもあてはめるようにしてもらえているので誰でもスッと腹落ちしやすいです。
【私的ポイント】
下記のポイントに特に共感。
・物欲にかられると幸せになりにくい(分度を弁えたミニマリストへ)
・貧乏神というのは不清潔・整理整頓されない状態で菌や虫が発生することを揶揄したもの
・移気な性質は破滅への道、本文を全うするべき
▶︎本来自分は周りや社会から何を求められているのかを考えて思考や行動を正すべきだと感じる。色々な実践心理学に通じるところが多い。 -
人道と天道の話がよい。天道はエントロピー増大の法則。人道は天道の中にありながら,人としていかに行動するかの法則。道徳と経済の関係。じっくり吟味していく。
夜話というだけあって語り口調。音読にも適している。 -
”二宮尊徳氏の教えを、37歳年下の弟子・福住正兄氏が丹念に記録した語録集。善悪のない天道の営みを理解したうえで、人道を尽くすことの大切さを簡易な言葉で説いている。報徳・勤労・分度・推譲の4つの徳目をもとにした仕法で、多くの村に実利をもたらした尊徳の教え。
9月の人間塾課題本。もう一、ニ周読んで当日を迎えよう。
<読書メモ>
・尊徳は、当時の経世家たちと比べて特別の哲理を身につけていた。これは彼の好んだ読書から得た学問がその源泉である。とはいえ、学問とはいっても、幕藩体制の下での製薬から、読書の範囲は自ずから限られたものとなる。いきおい『大学』『論語』をはじめとする四書五経が中心である。(略)数少ない学書の中から、その片言隻語のうちから、彼は自らの経験と合致する箇所を見逃さない。(略)
彼の学問は机上の死学問ではない。胸中の疑問を解決するためである。同時に、納得した解決策を直ちに実践しようとするものであった。(p.4:小林惟司氏の「尊徳をどう読みとくか」より)
#「薪負読書図」で読んでいる本は『大学』とのこと。山に薪を取りにゆく道すがら大声で音読していた。
★尊徳は三十六歳から七十歳まで三十五年間農村の救済復興のために尽くした。その方式を仕法という。仕法の基本は、報徳・勤労・分度・推譲の四つであった。この四つが今日で言う実践徳目である。(p.10:尊徳をどう読みとくか)
- 報徳…生活の信条。天地人三才の恩徳への恩返しに働くという人生観。
- 勤労…天地人から受け取る恩徳が無限であるために、力のかぎり働いて返そうという情熱。
- 分度…実力に応じた生活の限度。資産に応じた消費生活。生活の分を守る計画的な消費。
- 推譲…分度して余剰が出たらその多少にかかわらず他に譲ること。
★私の教えは、書籍を尊ばず、天地を経文としている。私の歌に、
音(聲)もなく香もなく常に天地(あめつち)は
書かざる経をくりかえしつつ
と詠んでいる。このように、日々くりかえしくりかえし示される天地の経文に、誠の道は明らかである。(p.1-2)
#尊徳の教えの鍵となる歌。天地の経文。
★人道の勤めるべきは、己に克つという教えである。(略)己に克つというのは、わが心の田畑に生ずる草をけずり取り、取り捨てて、わが心の米麦を繁茂させる勤めのことだ。(p.6)
★私の本願は、人々の心の田の荒蕪を開拓して、天の授けた善種、仁・義・礼・智を培養して、善種を収穫し、また蒔きかえし蒔きかえして、国家に善種を蒔きひろめることだ。(p.61)
#日光神領の「土地の荒蕪の開拓」を申し付けられたことを祝いに来た、大沢勇助・福住正兄に伝えた言葉。「おまえの村のごとき、おまえの兄一人の心の開拓ができただけで、一村たちまち一新した」
★これより上の譲とは何か。親類・朋友のために譲るのだ。郷里のために譲るのだ。もっとできがたいのは国家のために譲ることだ。この譲もつまるところは、わが富貴を維持するためであるが、眼前に他に譲るからできがたいのだ。家に財産のある者はつとめて家法を定めて推譲を行え。(p.83)
#自身の将来、子孫への譲は、知らず知らずに行なっている。これは自分のための譲だから。さらなる上の譲には教えが必要。
★分限の予定外に入るものを、分内に入れないで別に貯えておけば、臨時の物入り、不慮の入用などにさしつかえるということはないものだ。(略)分外の損というのは、分外の利益を分内に入れるからである。それゆえ、私の道が、分度を定めるのを根本とするのはこのためだ。分度がひとたび定まれば、その余りを施す功徳は苦労しなくてもできるだろう。(p.85)
#推譲を行動にうつそう。
★『大学』に、「安んじて而(しこう)して后(のち)よく慮り、慮って而して后によく得(う)」(心を静かにしてのち熟慮でき、熟慮してのち正しい判断が得られる)とある。本当にそうだ。世の人は、だいたい苦しまぎれに、種々のことを思い謀るから、みな成功しないのだ。(p.99)
#あいたたた…
★私の歌に、
増減は器傾く水と見よ
といっているとおりである。私の道で尊ぶ増減はそれとは異なって、ただちに天地が万物を生育するのを助ける大道で、米五合でも、麦一升でも、芋一株でも、天つ神の積んでおかれた無尽蔵から、鍬鎌の鍵をもって、この世の中に取り出す大道である。これを真の増殖の道という。(p.112)
★私は、深夜あるいは未明に、村里を巡行した。怠けているのを戒めるでもなく、朝寝を叱るでもない。善い悪いも問わず、勤惰も言わず、ただ自分の勤めとして、寒暑・風雨といっても音足らなかった。(p.128)
#数ヶ月すると…風紀が改良されていた。「官がこれを追わない過ち」。ただし「捕らえる」ではない。
★これは循環・輪廻の理でそうなるのだ。これを人為をもって年切りなしに毎年ならせるには、枝を伐りすかし、また莟(つぼみ)のときにつみとって花をへらし、数度肥料をやれば、年切りなしに毎年同じように実るものだ。(略)この年切りがないことを願うならば、果物の木の法にならって、私の推譲の道をすすめるべきだ。(p.144-145)
#なるほど。これはやっていこう!
★釈迦が生まれたとき天上天下唯我独尊と言ったということを、侠客などが広言を吐いて、天下広しといえども自分に及ぶものはないなどと言うのと同じように、釈迦の自慢だと思う者がいるが、これは誤っている。これは釈迦ばかりでなく、世界中の者みな、自分も他人も、自分こそ天上にも天下にも尊いものであって、自分に勝って尊いものはないぞという教訓の言葉である。すなわち銘々各々が、天地間にこの上なく尊いものだ。(p.158)
#中学時代に父から贈られた言葉。感慨深い。
★今あそこに立てた木札の文字を見るがよい。この札の文字によって芋種を掘り出して畑に植えて作ればこそ食物になるのだ。道も同じで、目印の書物によって道を求め実行してこそ初めて道を得るのだ。さもなければ学問とはいえない。ただ本読みというだけだ。(p.161)
#いたたたた…。書物はあくまでも目印にすぎない、ということ。
#心して、実行せねば。
★交際の道は碁や将棋の道を手本にするがよい。(略)はなはだしく力が違うときには、腹金とか、歩三兵というまでに駒をはずすのである。これは交際上に必要な理屈である。自分に富があり、才芸も学問もあって、先の人が貧しければ富をはずすがよい。先の人が不才ならば才をはずすがよい。(略)自分が貧乏にして不才、かつ無芸・無学ならば、碁を打つように心得るがよい。その人が富んで才もあり芸もあれば、幾目も置いて交際するがよい。これは碁の道である。(p.164)
#何子も置かせてもらってでも、手合わせを願おう、ということか。なるほど。
★「おまえのように年中家業を怠けて働かず、銭があれば酒を呑む者が、正月だからといって一年間勤苦勉励して丹精した者と同様に餅を食おうというのは、はなはだ心得ちがいだ。(略)正月に餅が食いたければ、今日より遊び怠けることを改めて、酒を止め、山林に入って落葉をかき、肥をこしらえ、来春は田を作って米を取り、来々年の正月に餅を食うべきだ。そこで来年の正月は、自分の過ちを悔いて餅を食うことを止めろ」と懇々と説諭された。(p.187-189)
#相手の未来を思えばこそ、厳しく諭すことが必要。
#さらには・・・源吉が教訓をしっかり腹におとしたとみるや、「白米一俵・餅米一俵・金一両に大根・芋などを添えて与えられた」。ん?、しびれる!!
★私は近ごろ子供たちに教えるのに、四要ということをもって教えている。四要とは、一誠・ニ行・三勤・四徳の四つをいう。一誠とは至誠、二行とは道徳と経済、三勤は勤・倹・譲、四徳は仁・義・礼・智である。(p.218:正兄氏による「『夜話』あとがき」より)
★『論語』(子張篇)に、「君子に三変あり。これに望むに儼然たり。これにつくに温なり。その言を聞くやはげし」(君子の様子は三色に変わる。遠くから眺めるといかめしい。かたわらに寄ると穏やかである。そのことばを聞くと厳しい)(p.223-224)
#3つ目の「厳しいことば」が大切なのかな。
★もしやむをえないことがあって、この修業ができないで相続するようなことがあれば、親類や後見のよい人を師として、一々指図を願って、それに従うがよい。(略)それを慢心して人に相談もせず、気ままに金銀を使えば、たちまち金銀を相手に取られるだろう。(p.225-226)
#むむむ、今どうか。師を求めてつかないと…。
★仏説はまことにふしぎなものだ。日輪(太陽)が朝東方に出るときの功徳を名づけて薬師といい、中天に照らすときの功徳を大日といい、夕日の功徳を阿弥陀という。だから薬師・大日・阿弥陀といっても、実際はそういう仏があるというのではなく、みな太陽の功徳をあらわしたものだ。また大地の功徳を地蔵といい、空中の功徳を虚空蔵といい、世の音ずれを観ずる功徳を観世音という。(p.244)
#そうだったのか。
★『論語』(学而篇・子罕篇)に、「己に如かざる者を友とすることなかれ」とあるのを、世間にはとりちがえている人がいる。(略)相手の人の長じているところを友として、劣っているところを友としてはいけないという意味にとるがよい。(p.248)
#才能がない人にも書のうまい人も、無学でも世事に賢い人も、文字は書けなくても農業にくわしい者も。
<きっかけ>
人間塾 2012年9月の課題図書。” -
会社の社員教育教材...。「翁は~」のフレーズがしばらく職場の流行言葉になりました。
-
日本版論語。神道に儒教、仏教のエッセンスが合わさり形成された日本的思想に基づいた報徳経の思想はわかりやすく、すんなりと入ってくる。論語等古典を日本人の感覚に合うように取捨選択したうえで解説してくれるのがうれしい。
-
二宮尊徳というと学校に石像があり、寸暇を惜しんで勉強をしたということぐらいしか印象になかった。それも大事なことだが、そんなことよりもこの人物の深い教えを知ることのほうが大事だと思う。世界に誇ってもいい大人物だ。本の価格以上の価値がある本。
-
二宮尊徳の教えを綴った本。体裁としては論語の様で、門人の福住正兄が二宮尊徳が他人や自分に対して言った事をそのまま綴っている。
言葉は平易で読みやすいが、その真意は深く、一つ一つじっくり考えていたら結構読むのに時間がかかった。
論旨の根幹となるのが、「勤、倹、譲」と「自然(天道)」。
前者は人の行為の基本となるもので、後者は理論の基本となるものと理解すればよいだろう。
人として真面目に、コツコツと励めと繰り返し説いている。
何でもインスタントに手に入ると思っている現代、二宮翁の言葉に従う事で、着実な実力と自信が身につく、そう思う。