私の個人主義ほか (中公クラシックス J 4)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (377ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121600202

作品紹介・あらすじ

近代日本における自前の、そしてリベラルな個人主義の出現。

感想・レビュー・書評

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  • 天職とは何か、急激な社会の変化など、悩む姿は今の我々と変わらないんだなと思う。当時漱石が感じていた西洋化の不都合を、今も我々は違和感のまま引きずっているらしい。

  •  漱石の講演を主体に9篇の小論を集めたもの。言い訳がましい漱石の口上から始まるものが多いが、内容はよく準備された濃いものが多い。特に注目は、道楽と職業、私の個人主義。
     職業と道楽を分つのは、人のご機嫌を取っているかどうか、個人主義とは自分の自由も大切にするように、他人の自由も大切にすることである。
     漱石のこの考えは、現代に生きる我々にも変わらず、考えさせられる言葉である。人は、100年経ってもそんなに変わらないものなのだなぁと思う。

  • 色んな文章が詰まっていて読むの大変だった。なので私の個人主義だけ読んだよ。

  • ○道楽と職業
    人のためにするという意味を間違えてはいけませんよ。人を教育するとか導くとか精神的にまた道義的に働きかけてその人のためになるということだと解釈されると困る。人のためというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短に述べれば人のご機嫌取ればよいというくらいのことにすぎません。道徳問題じゃない、事実問題である。

    現あたかも自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく言えば現代の文明は完全な人間を日に日に打崩しつつ進む

    道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違いないが、その道楽が職業と変化する刹那に今まであった自

    己への権威が突然他人の手に移る

    おのれの為にする結果すなわち自然なる芸術的心術の発現の結果が偶然人ためになって、人に気に入っただけの報酬が物質的に自分に反響してきたのだとみるのが妥当

    道楽即ち本職なのである

    世の嗜好に投ずると一般のご機嫌を取る所がなければならない

    ○中身と形式
    内面生活がずれているならそれを統一する形式というのも自然にズレて来なければならない

    ○私の個人主義
    横着な料簡

    自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てた

    自分の個性を尊重し得るように、社会から許されるならば他人に対してもその個性を認めて、傾向を尊重するのが理の当然

  • 中公クラシックス

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著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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