- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121506993
作品紹介・あらすじ
パンデミックを前にあらゆるものが停滞し、動きを止めた世界。17歳でイタリアに渡り、キューバ、ブラジル、アメリカと、世界を渡り歩いてきた漫画家・ヤマザキマリさんにとって、これほど長い期間、家に閉じこもって自分や社会と向き合った経験はありませんでした。でもそこで深く深く考えた結果、「今たちどまることが、実は私たちには必要だったのかもしれない」という想いにたどり着いています。この先世界は、日本はどう変わる? 黒死病からルネサンスが開花したように、また新しい何かが生まれるのか? 混とんとする毎日のなか、それでも力強く生きていくために必要なものとは? 自分の頭で考え、自分の足でボーダーを超えて。さあ、あなただけの人生を進め!
感想・レビュー・書評
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ヤマザキマリさんがコロナ禍にたちどまって考えたことが書かれた本。
コロナ禍での日本と他国のトップの対応や国民性など冷静な分析ぐなされている。
ヤマザキさんの考え方自体は、他の本でも書かれているが、ブレないところが好き。
「人生とは思い通りにならないもの、どんなことでも起こり得るもの」という考えは、コロナ禍を経験して多くの人が感じたことだと思うが、これを忘れずにいれば、これからも大抵のことは乗り越えられそうな気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
去年は4月7日に東京に緊急事態宣言が出て、今頃は出勤停止でほぼ毎日家にいた。
そして今年、4月25日から3度目の緊急事態宣言で自粛生活からの出口が見えない。
ヤマザキマリさんもパンデミックで旅を封じられ、イタリアにも戻れず、立ち止まることを余儀なくされたままだ。
この状況を「普段考えたり実践できないことを経験するチャンスである。」と捉える人は多いと思う。
マリさんも「ヒトという生き物がそもそも何なのか?」見直すいい機会にしなくては、と思い本書を書いた。
そして、「人類こそ地球にとって環境破壊や温暖化というダメージをもたらすウイルスみたいな存在だ!」との結論に至っている(同感です)。
そう考えると今回のコロナは "ヒト・ウイルス" の活動を止めるために地球が放った治療薬だとも言える。
ヒトが絶滅or激減すれば環境破壊は劇的に緩やかになり、地球にとっては健康を取り戻すためには好ましいことだ。
環境破壊や温暖化はヒト目線の概念で、地球にとっては問題ないことかも知れないけどね。
マリさんはイタリアの状況に詳しいので、イタリアとの対比で日本への不満を感じるわけだが、本書を読んで日本とイタリア(欧州)の文化・思想・歴史の違いを感じることもできた。
イタリアと中国の関係性を知って、コロナが北イタリアで流行った理由もわかった。
イタリアがキューバに医療支援を受けたのは、キューバが今や医療水準高い医療先進国になっていたからということも知った。
マリさんは、まず情報公開に関する日本の透明性のなさに失望した。
イタリアでは(去年の)3月時点で、検査数、感染者数、陽性率、重症者数、退院者数、死亡者数が毎日公開されていたそうだ。
対して日本では感染者数以外は知ることができず、何か都合の悪いことを隠しているのではという不信感を抱いてしまっている。
「アベノマスク」や「Go to トラベル」に使われた費用など納得いかないことが多いみたいだ。
ヤマザキマリさん曰く、欧州では国民に対して大切なメッセージを発する時は、熟考を重ね責任を持って自分の言葉で訴える。
対して日本の首相や政治家は官僚が紙に書いた文章を間違えないように読む。
そもそも欧州では自分の言葉で責任を持って考えを発せられない人間は政治家として選ばれないそうだ。
日本人はイタリアと違って「失敗したくない。責任を取りたくない。」という思いが強いという特徴があるようだ。
日本のテレビでは日本の素晴らしさを取り上げる企画が多く、欠点や失敗・反省点を見直す番組は殆どないらしい。
確かに日本を上に、他国は下に観る日本人は多い。
しかし、コロナ禍で海外の状況も頻繁に報道されたので、日本の国力が(素晴らしくないことが)良く分かってしまった。
私が危機管理能力が優れていると感じた政治家としては、台湾の蔡 英文(ツァイ インウェン)、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン、ドイツのアンゲラ・ドロテア・メルケルが頭に浮かぶ(おやまあ、すべて女性だ!)
国民目線にも危機管理能力にも乏しいと感じたのは、ト♦♠プ、安□▽三、金〇△などだ(皆自分ファーストだ)。
ヤマザキマリさんが日本はどんな国なのか見つめ直して感じたことでハッとしたのは、
「日本は成熟すること自体に興味がない国なのかも知れない。」という発言。
日本は高度成長の時代から変わっているのに、いまだに「経済をうまく動かせる国こそが先進国だと認識している。」らしい。
目先の経済最優先のためか、日本では文化芸術はそれほど重要ではないものとして扱われる傾向がある(実際に不要不急の括りに入れられ経済支援もない)。
欧州では人類が生き延びるための手段として、栄養不足となった精神領域の充填はとても大切だと考え文化芸術は守られるのだとか。
最近の20年間、日本は成長が止まっていると言われるが、私自身はコロナ禍での対応からは「日本は劣化している」と感じたことが多い。
デジタルの応用技術の遅れが明白だったのが、
・マイナンバーを利用した給付金の提供システムの破綻。
・スマホによる感染者との接触通知システムの不備と長期間未修正のまま放置。
・検査データの集計は人手を要するFAXでの管理。
医療技術の遅れとしては、
・PCR検査はごくわずかしかできず、ワクチン開発はできず、治療薬も造れず、のできないづくし。
レビューになっておらず、ぐちゃぐちゃの長文になってしまった。
最後にヤマザキマリさんの次の言葉を頭の片隅に入れておこう。
「『人生は思い通りにならない』ことを理解していれば、もっと楽に生きていけるはず。」 -
この春に、北イタリアでコロナ患者が増えていると聞いた時
真っ先にヤマザキマリさんを思い出しました。
その後、彼女の本はこれで三冊目。
テレビにも出演されているようで、
やっぱり需要があるのかなと思っていました。
20数年ぶりに日本に長期滞在しているそうです。
国内での露出が多いのは、そのせいもあるんですね。
世界中をとびまわって、いろいろな経験をされている
ヤマザキマリさんのエッセイ好きです。
日本を俯瞰しているところがよいです。
ただ、この本では、個人的に最近(ここには書きませんが)
考えても仕方ないことなのに
たびたび思い出して嫌な気持ちになる問題
それが思いがけず解決しました。
やはり読書するものです。
マリさんも薦めているし。 -
2020年のコロナ禍初期に、著者が考えたことについてのエッセイ。
主に日本とイタリア(及びヨーロッパ)のコロナに対する政策や、人々の行動・反応の違いに焦点が当てられていて興味深い。
日本は民主主義の先進国を標榜しているが、明治維新以降に西洋の政治システムをそのまま模倣したものであって、日本人の元々の性質や精神性にあったものではないのでは、という意見にはなるほどと思った。
民主主義は、日本人の祖先がまだ縄文人だった頃から既にヨーロッパでは始められ、土地や宗教の争いや様々な経験を繰り返して形成されたもの。日本ではまだたったの150年ほどしか経っていない。島国で、独特の信仰や習慣を持っており、密林のなかの孤島のようだった日本に、西洋のシステムをそのまま持ってきたって、それは合うわけが無いよなぁと初めて気付かされた。
自分を主張したり、相手を言い負かしたりすることがあまり良しとされず、言語化も下手、リーダーに対して受け身でいる文化の中では、民主主義は機能しない。ヨーロッパで古代から重要視されていた「弁証力」も、日本ではそんな事はなかった。だから未だに首相演説も紙を見ながら行ったり訴求力がない。
友人同士の会話やSNSなどで政治についてコメントするのがなんだかタブーというか、あまり歓迎されない空気なのはなぜだろう。この空気の存在からして、民主主義が日本で上手くいっていないことの現れであると。
日本の政治に対して常々感じていた違和感や苛立ちは、これが原因だったのかな。
長年運用して合っていないと感じた政治システムはどんどん変えていくべきと思うけれど、今の日本にはそんな柔軟性はないように感じる。まずシステムが社会に合っていないということに気付かないといけないけれど、私もそうだったように気付いている人はあまりいないんじゃないかな…
頑なにならずに、自分たちを客観視して臨機応変に整備していけたら、、、いいなぁ〜、、 -
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書評 「たちどまって考える」 中公新書ラクレ ヤマザキマリ(著) | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信
ht...書評 「たちどまって考える」 中公新書ラクレ ヤマザキマリ(著) | ヨコハマNOW | よこはまなう | 横浜なう | 横浜流行通信
https://yokohama-now.jp/home/?p=203002023/02/22
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コロナ禍での日本とイタリア政府の対応の違いや、人々の文化の違い等を述べられていて、面白い。
イタリアは成熟した国なので、自分達の欠点も理解していて、その欠点を(直せるかは別として)素直に認められる。対する日本はまだまだ未熟な国なのかな。明らかに失策とは思うようなものでも、誤りを認められないから対応が遅くなったり、自分達は成功していると見せかけたり。戦時中の日本と今と何も変わらない気がして哀しくなる。
日本の風土に民主主義は合わないのかもとおっしゃっていたけれど、確かにそうなのかもしれない。日本の風土に合って、人々が幸せになる政治のあり方を模索していけたら。 -
コロナ時代の真只中で、世界を駆け巡ってきた著者が日本に足止めされ、長期間家に閉じこもりを続ける日々に考えたことを、歯に衣を着せぬ論調で語った教訓溢れる時事評論です。欧米と日本のコロナ感染率の大きな違いは、至近距離でのコミュニケーションの習慣(抱擁や頬擦り)にあること、日本語の発生音は比較的穏やかで飛沫量が少ないことを挙げています。欧州では古代ロ-マ帝国の時代から天然痘、ペスト、スペイン風邪と幾度ものパンデミックの経験を踏まえ、どんな顛末も現象も起こり得ることとして、緊急事態に向き合っているとあります。
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2020パンデミックで“たちどまった私たち”を振り返る
〇1冊まるごと、自分や身のまわりを振り返る本でした。
窮屈な世の中なら、なぜ窮屈なのかを考えないといけない
“らしさ”からの脱却のために
・たちどまった私と見えてきた世界
日本と世界の感染者数の数字を考える
人との距離のお国柄
「弁証力」という教養
言葉の力は熟考から
各国のリーダー
芸術支援を行った国:ドイツ
←人はパンのみに生きるのではない
日本人の幼さと曖昧さ
生きてさえいれば。経済より命
・パンデミックとイタリアの事情
イタリア人はマスクがキライ:自由の拘束
ローマ帝国を滅ぼした疫病
西洋美術:死の舞踏
家族のドラマ→受け継がれる
イタリアの老人は敬われている
国民はみな哲学者
中国とキューバ
医療崩壊のイタリアの事情
弁証と謙虚
→自分で考えたことを人前で自分の言葉に言語化して表現する
ヨーロッパの熟成された民主主義
・たちどまって考えたこと
映画を観る
戦後の文学と漫画
私たちの内なる辞書
一人で立てるアイドルとグループのアイドル
ゴールの決まっているコンテンツのつまらなさ
→人生は思い通りにならない
・パンデミックと日本の事情
日本の飛沫リスクの小さい理由を考える
日本美術:妖怪
西洋式民主主義は日本にあっているのか
磨かれていない言葉
異質を排除する惰弱性
失敗したくない病
世間体と空気
エッセンシャルな労働…全てではないか
「いないように生きていきたい」
・また歩く、その日のために
日本を見る 日本を知る
決めつけによる安堵、カテゴライズ病
パンデミックの副作用
…差別と暴力
BLM 、アマゾン川流域の先住民・低所得層
かつてのオリンピック…戦争や暴動でなく、衝動のはけ口としての機能
不安との向き合い方
デジタル脳の頼りなさ
お金と想像力 -
てっきり考察したことをまとめた本なのかなと思いましたが、日記的な部分が多いでしょうか。コロナを機に色々な事を考え直すきっかけには誰しもなったと思いますが、結局の所人は一人では生きていけないという事ですかね。このきっかけを糧にして何かが変わっていくのか変わらないのか・・・。