高地文明―「もう一つの四大文明」の発見 (中公新書 2647)
- 中央公論新社 (2021年6月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (323ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121026477
作品紹介・あらすじ
「四大文明」は、ナイルや黄河などの大河のほとりで生まれたとされるが、はたしてこれは正しいか。これら以外にも、独自の文明が開花し、現代の私たちにも大きな影響を与えた地域があるのではないか。それが熱帯高地だ。本書はアンデス、メキシコ、チベット、エチオピアの熱帯高地に生まれ、発展してきた4つの古代文明を紹介する。驚くほど精巧な建築物、特異な環境に根ざした独特な栽培技術や家畜飼育の方法等、知られざる文明の全貌とは?
感想・レビュー・書評
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高校の教科書では、文明とは四大文明(エジプト・メソポタミア・インダス・黄河)を指していて、それらは大河のほとりにあるとされている。
しかしそうなれば、大河の近くになければ文明は生まれないということにならないだろうか。そもそも、この四大文明はどのようにして定義されたのか。
教科書に載っているから正しい、という表面から、人間を世界スケールで考えて、高地でも文明が発達したのではないか、という奥行きに至るまでの発想と、行動力。
常識的に物事を考えることに飽きてきた頃に読むことをお勧めします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『高地文明 -「もう一つの四大文明」の発見』 山本 紀夫 | 一般社団法人 ラテンアメリカ協会
https://latin-america.jp/archives/50438
高地文明―「もう一つの四大文明」の発見|新書|中央公論新社
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2021/06/102647.html -
筆者はこの道数十年の研究者であり、とくにアンデスの古代文明についてフィールドワークと研究を重ねてきている。本書はその知見を存分に盛り込んだ意欲的かつ挑戦的な啓蒙書となっている。
著者は教科書にも記述されておなじみになっている大河を中心に生まれたとされる「四大文明」に大きな疑問を呈する。要約すれば、文明が生まれる条件として「大河」がある必要があるか、むしろ野性植物をドメスティケーションし、栽培作物として定着させ得たかどうかが重要なのではないかという疑問である。著者はそうした観点から熱帯、亜熱帯の高地(具体的に本書で取り上げられている、メキシコ、アンデス、チベット、エチオピア)が文明のセンターとして重要な役割をはたしてきたことを強調し、「高地文明」論を提唱する。
著者が繰り返し述べているように熱帯であっても高地は驚くほど過ごしやすい。確かに高山病などのリスクはあるが、それでも人間は順応してきた。標高が富士山並の3300mであるインカ帝国の首都・クスコなどもそうだ。現在でも30万人の大都市であるクスコがアンデス文明の中心地として栄えたことに多くの人が納得するだろう。
本書を読んでいて昔読んだ中尾佐助の『栽培食物と農耕の起源』を思い出した。中尾氏のこの名著はアジア中心で佐々木高明氏らとともに提唱された「照葉樹林文化論」の基本的文献だが、山本氏の本書はそのフィールドを南米やアフリカにまで拡げていったものとしても読める。とくにアンデスにおけるイモの役割の重要性を述べた部分は圧巻である。アンデスについてはとくに2章分が割かれて詳述されている。
しかし「四大文明」の発案者?提唱者?が騎馬民族説の江上波夫だったとは知らなかった。 -
大河に着目した四大文明に対し、高原文明との逆説を提示する一冊。背景には農業とアンデスの素養を基盤とする著者のこだわりが…。特にイモにこだわりがあるようだ。
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おもろいなあ、気宇壮大やなあ。梅棹先生が「やれやれ」と言った姿が目に浮かぶ。本書を読みながら常に梅棹先生や梅原猛先生の本を読んでいるときと同じような感覚にとらわれていた。歴史が書き換えられるその現場に立ち会っている気がしたのだ。何の疑いもなく世界史を勉強し、40年以上四大文明を信じてきた。後に安田喜憲先生の著書で長江が加わり、インカとかマヤとかアステカとかも気になりながら、そのつながりなど全く分からないままできた。本書も当初、気になりながら即購入はせず、その後ふと立ち読みをして、梅棹先生が押しているということをあとがきで知って読み始めた。もうこれは大正解でした。まず、熱帯は暑いところという印象が一気に崩れた。2000,3000mと高地に上がれば気温が下がるのは当然なのに、そんなことに意識が回っていなかった。さらに、マラリアなどの疫病を媒介する蚊が高地にはいないという事実。なるほど、いったん高山病を乗り越えてしまえば、非常に住みやすいのだ。そして食料になる植物の栽培。アンデスのチューニョ、エチオピアのエンセーテなどは一度味わってみたい。大河がなくても文明は起こる。十分な食糧が確保できて、人が集まれば。各高地での平行進化という発想は梅棹先生を引き継がれているのだろうなあと思いながら読んだ。もう80歳に近い著者が、メソポタミアやインダス、黄河に長江と自分の目で確かめたいとおっしゃっているのには頭が下がる。
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著者の提唱する高地文明について、アンデス・メキシコ・チベット・エチオピアの事例が示されている。素人目にはいささか強引にも感じられる推論も散見されるが、フィールドワークに基づく豊富な現地状況の紹介は面白い。
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著者の専門とするアンデスについては特にこれまでの研究成果が積み重ねられており、きわめて説得力が高い。著者のフィールドワークの賜物。
しかし、現時点で他の地域に関してまだ情報の蓄積が十分でないように思える。例えばイネの野生祖先種が長江流域に見つからないという点についても、イネの発祥についての各種論文を読む限り、事は著者が断じるほど単純でも無いように思える。この段階で「高地文明」を世界史に敷衍するのは恣意的に思える。さらなる研究の蓄積が必要だろう。
ただし、アンデス地域における文明の誕生とその発展についてその著述は優れた概説だと思われる -
四大文明は大河のほとりで生まれたー。そんな当たり前とされている「常識」に疑問を抱き、それらは実は正しくないのではと提案する。本書はアンデス、メキシコ、チベット、エチオピアの熱帯高地で独自の高度な文明が発展してきた様子を紹介する。高カロリーな穀物、芋類を独自に栽培化した4つの熱帯高地はたしかに文明と言えるのかもしれない。
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高地文明がどのように起こり 発展していったかよくわかった
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日本の歴史授業で教えられてきた四大文明説に、著者は疑問を呈する。若き日に探検地として訪れたアンデスの地に"文明"と呼び得るものがあったのではないかと考えたからである。
では、そもそも「文明とは何か」。論者により説はあるが、著者は、「効果的な食料生産」と「大きな人口」という条件に着目する。
そして、ここでのキーワードとなるのは、"ドメスティケーション"である。野生植物の栽培化、野生動物の家畜化という、人類によって行われた自然環境の改変である。環境の改変、新たな問題の発生、解決の探究、これらの繰り返しにより、文明が誕生し、発展したのではないかと、著者は考える。
また、度々の現地訪問を通しての実体験から、世界の中で、「高地文明」と呼べる文明があると著者は主張する。それが本書副題の、もう一つの「四大文明」の発見である。
メキシコのトウモロコシ、アンデスのジャガイモ、、チベットのチンコー(オオムギの一種)、エチオピアのテフ、これら主食となる農耕植物の栽培により農耕技術も発展し、大きな人口を支えることが可能になり、大都市が誕生したことを、様々な資料を基に論証していく。
高地というと厳しい環境をついつい連想してしまうが、実際の気象を数値で示されると決してそんなことはないこと、ドメスティケーションを補助線にすると、栽培植物、家畜について新しい見方ができることを教えられた。
著者の主たるフィールドであるアンデスの説明に比して、メキシコはやや薄く、チベット、エチオピアについては駆け足の記述なので、4つを高地文明と並列されてしまうと少し疑問は感じるが、興味を惹かれる大きな仮説であることは間違いない。
時に自説に対する疑問や批判に対して厳しい応答がなされるが、理系の人らしい明晰な文章で、たいへん読みやすい。