- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121025128
作品紹介・あらすじ
日本における国際政治学の最大の巨人・高坂正堯(1934~96)。中立志向の理想主義が世を覆う60年代初頭、28歳で論壇デビューした高坂は、日米安保体制を容認、勢力均衡という現実主義から日本のあり方を説く。その後の国際政治の動向は彼の主張を裏付け、確固たる地位を得た。本書は、高坂の主著、政治家のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿る。戦後日本の知的潮流と、戦後政治のもう一つの姿を明らかにする。
感想・レビュー・書評
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亡くなった96年には色々な追悼企画が組まれたそうだが全く記憶に無い。
生きてはいないだろうなとは思っていたが、そんなに前とは思わなかった。
著作は「世界地図の中で考える」と「文明が衰亡するとき」で、読んだのは1982年頃、その頃はネットなんぞ無かったから、どんなキャラかもわからず。
もしかするとTVで見たかもしれない。
その頃世に出たのかと思っていたが、佐藤栄作の頃から政権ブレーンを務めていたとは今回初めて知った。
この本でも触れられている1988年の大みそかの朝生「僕らは関西だから、天皇さんになるんだね」は、今でもはっきり覚えている。
京都弁のゆったりした話し方で好きだった(その頃は西部ファンだったが)
「朝まで生テレビ」は西部邁、野坂昭如、黒川紀章、大島渚とか出ていたが、生きているのは田原だけか。
ソ連崩壊、東西ドイツ統合、湾岸戦争、中国の台頭をことごとく外したらしいが、それを潔く認めていたという。
まあそんなもん当たるわけ無いし、外れたことを恥じる必要もない。
そうか62歳で亡くなったのか。
20年以上経っても、かつての教え子(そんなに深い縁でもない)がこうした作品を作るのは、やっぱ人柄なんだろうな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
政治家でも思想家でもない、政治学者の評伝は珍しい。現実主義者、政治ブレーン、論壇という多彩な活躍のみならず、国際政治、文明史、外交史と研究対象も学際的だったことが分かる。ナンバー・ワンの存在だったのか評価は分かれるだろうが「オンリー・ワンの存在であったことに異論は少ない」との評価で本書は締め括られている。
また「理想主義者」が多数派の時代で、「現実主義者」内の分岐も指摘しているのが新鮮だった。中曽根内閣時代、軍事力増強に消極的な「政治的リアリスト」永井陽之助、対極にある「軍事的リアリスト」中曽根や岡崎久彦、両者の中間又は折衷のような高坂。湾岸戦争に際し、国連の「警察行動」論=正戦論のアプローチと、「国益」論=現実主義のアプローチ。 -
経済中心主義としての吉田を高く評価する一方、後年の田中には批判的で「吉田体制」にまで高めることはあってはならないとしていたことは興味深い。また、湾岸戦争を受けて日本外交の主体性の欠如に対する危機感を高めており憲法9条は思考停止の悪弊があり集団的自衛権を容認すべきとの立場であったこともその後の展開に示唆的だろう。
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高坂の伝記。それ以上でもそれ以下でもない。高坂が好きな人にはこれで良いのかもしれないが、高坂が社会で果たした役割について少し詳しく知りたいと思って読んだ自分には物足りなかった。高坂の発言についても、またその発言の時代背景についても、記述は十分でない。彼がほぼ一貫して「現実主義」の立場であったこと、あるいは、国際政治を力だけでなく経済や価値の観点も含めて考えなければならないと考えていたことはわかる。ただ本書では、それを繰り返し述べるだけで、その時代時代の具体的な議論にはほぼ踏み込まない。それならば400頁近い紙幅は不要だったのではないか。高坂の人物評もほとんどが内輪のもので物足りない。
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日本における国際政治学の泰斗・高坂正堯の本格的評伝。高坂の主要著作、歴代首相のブレーンとしての活動を中心に生涯を辿り、戦後日本の知的潮流、政治とアカデミズムとの関係を明らかにしている。
高坂の主要著作を体系的に総覧しており、高坂の思想・学問の全体像や変遷を理解するのに適している。『国際政治』で説かれる「各国家は力の体系であり、利益の体系であり、そして価値の体系である」との指摘をはじめ、高坂の考えは、現代においても古びておらず、示唆に富んでいると感じた。
高坂は、理想主義やマルクス主義の全盛期に「現実主義」の立場から論壇に参画し、その後冷戦終結を契機として論壇の主流となる「現実主義」の先駆者となった。その一方、常に立場の異なる理想主義者等との対話を重視していたということを知り、現在の論壇には欠けている姿勢であると感銘を受けた。
また、高坂が、佐藤栄作政権のブレーンをがっつり務めていたというのは、本書を読んで初めて知り、興味深かった。
一方、高坂の国際情勢予測は外れることも多かったというのは、意外であった。高坂ほどの見識を有していても、いろいろな要素が複雑に絡み合う国際情勢を予測するというのは、なかなか難しいということなのだろう。
随所に、著者が京都大学法学部において実際に高坂と接したエピソードや、著者の近すぎず離れすぎずの距離感からの高坂への批評が盛り込まれているのも、面白かった。 -
過日読了した若泉敬の評伝につられて落手。戦中から戦後を原体験として持つ人が透徹した論理を獲得すると、それは強力なペンの力を得ることを改めて認識。
特に沁みたのは、現在の日本国憲法を制定した時には想定していなかったような環境に日本は置かれてしまったなか、高坂先生は「中立論が日本の外交論議にもっとも寄与しうる点は外交における理念の重要性を強調し、それによって価値の問題を国際政治に導入したことにある(p.62)」として、中立論の意義は大いに認めておられたことだ。
しかし、冷戦構造の崩壊後に起こった軍事的な国際協調への要請と、憲法との整合性との議論が露呈したときには「不法行為が行われてすぐに腕力を使わないほうがいいかも知れない。でも幾ら説得しても応じないときにどうするのか。ほっとくのか。ほっとくのは嫌だから口だけしゃべっている。これは偽善であり無力感に基づく無責任であります。しかも平和憲法、平和憲法と言いますけども、少なくともそれを言うなら条文を読んでほしいし、それが不戦条約依頼の伝統にのっとっているということは考えてほしいし、あれが日本国憲法になったときの非常に苦しい過程を知って欲しいのであります。それなのに一切先人の努力を無視して勝手なときだけこれを持ち出すというのは言語道断と言わなければならない。その意味で私は日本には精神的にかなり腐敗が存在するのではないかと思うのであります。(p.306/1991年6月号「正論」)と政府や知識人を論難するのである。
そして「日本では理想家風の偽善者が力を持ちすぎて、その結果少しでも責任ある行動をしようとしている人を苦しめている(p.352)」と慨嘆される。
今もそんな状況は変わらないように思う。 -
彼のことは全く知らずに手にしたが、戦後〜現代日本に骨を持ち且つしなやかに対応していたのは非常に興味深い。
内容は半分理解するのもやっとではあったが(二三割かも)、何故か途中で諦めることなく、読了。
確固たる高坂氏の執念を著者が真摯に取り組まれた想いが、いざなってくれたのだろう。
またいつか、歳を重ねたら読んでみたい。 -
著者同様ゼミ生ではなかったが、高坂先生の講義には1988、1989年度の2年間出席した。本書にもあるとおり、講義は毎回配布されるB4数枚のレジュメに沿って行われる。1989年度は主に近世以降のヨーロッパ外交、国際関係について論じ、終盤は『現代の国際政治』(講談社学術文庫)に相当する戦後冷戦体制に当てられた。折しも劇的な東欧革命が進行中であったが、講義で詳しく言及されることはなかったと記憶している。例の関西弁の語り口は柔らかくいつもユーモアに満ちており、毎年紹介される『三酔人経綸問答』の南海先生さながらにバランス感覚に富んでいた。本書でご最期の毅然たる様子も知り、改めて惜しい方を亡くしたと嘆くこと頻り。国際関係多端な今日、先生ならどのようなコメントをされるだろうか。なお、先生が学生運動の矢面に立たされた時、過激派から「体を張って」先生を守ったのが行政学の村松岐夫先生だったというのはちょっと意外。
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