明治の技術官僚 - 近代日本をつくった長州五傑 (中公新書 2483)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024831

作品紹介・あらすじ

五傑と呼ばれた長州出身の伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助。彼らの活動を軸に、維新期の殖産興業政策の展開を追う。

感想・レビュー・書評

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  • 幕末期に英国に密航、のちに新政府のなかで活躍するいわゆる「長州五傑」(伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助)を通じてみた維新期の官僚・政治家論。とくに官僚類型として「事務官僚」「技術官僚」を措定して、後者の技術官僚という枠組みで長州五傑を論じているのは、タイトル通りである。

    海外の先進知識を身に付けて帰国した彼らは「技術官僚」としてキャリアをスタートさせるが、それぞれまったく別の道を歩んだ。とくに政治家的資質を早くから発揮し、法制官僚・政治家へと転身していくのが伊藤。その点、井上は同じく政治家を指向しながらも最終的には首相にはなれなかった。

    かたや工部省を中心に活躍した山尾。鉄道の父・井上勝は典型的な「技術官僚」としてその活躍の場を得る。遠藤謹助は大蔵省の造幣部門で官僚人生をまっとうするが、多分一般にはもっとも知られていない。しかし、個人的にはもっとも興味があった(ほとんど知られていないので)。

    近代日本の官僚が試験によって登用されていく制度ができあがっていく頃に彼ら長州五傑もその役割を終えるのだが、官僚と政治家の関係性のバランス自体はその後も変化していく。とくに政党が大きな役割をもつようになって以降、日本の官僚はやはり独自の変化をしていくと思う。政党と官僚の議論に繋がっていくと面白いのではないだろうか。

  • 新書の中ではかなり専門性が高く、予備知識がかなり必要とされる本だろう。伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助という幕末から明治にかけて活躍した技術官僚の生き様を追う作品。
    まず本書でフォーカスされるのは伊藤・井上馨と他3人の違いである。前者2名が技術官僚に留まらずその能力を政治家に昇華させた原因としては何があるのか?また後者3人は技術官僚として政治とどのように関わっていったのかを詳細に分析している。技術官僚と政治の関わりについては、現代においても次官などのトップに技術系が就くことが少ない理由も示唆されており興味深い。
    また政治家になれなかった3人も決して自らの立場に安穏としていたわけではなく、自らの目指すもののために専門性を高めていたこともよく分かる。
    この本を読むと、立身出世のみが生き方ではないと言うことが本質的に理解できる気がする(まぁ後者3名も当時としては相当に出世してはいるのだが)
    自分のやりたいことを突き詰めると言うのは大事と改めて感じた。

  • 結局、政治家に転身「できなかった」ことが強調されているように感じます。一方で、人の生き方という読み方をすると、興味深いものがあります。4人の足跡を、より詳しく知りたくなりました。

  • 江戸から明治への激動期において社会インフラの変革に心血を注いだ官僚たちの軌跡を描く。当時としては珍しい洋行経験者としての専門知識を生かしつつ、予算編成能力や政治的手腕もひときわ求められた時代だったことがわかる。特に工部省鉄道局に関する記録を興味を持って読んだ。電信網の全国展開についても関心があるのでそのあたりについても書籍を探したい。

  • ふむ

  • 2019/08/図書館

  • 幕末に長州から英国に留学した長州五傑(伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助)の生涯について、明治の技術革新に焦点を当てて述べている。調査が詳細で、どちらかといえば政治家の方向に向かった伊藤博文や井上馨とその他の対比が面白い。参考になった。
    「「公儀」とは、朝廷と幕府が一体となって統治された国内政治体制のこと」p22
    「(井上勝と山尾)帰朝時期が送れたことは政治的にはマイナスであったが、専門性という観点では極めて大きな意味を持ったのである。長州藩と新政府で、その貴重な専門性を取り合う形となり、結局新政府が彼らを獲得し、政府内で重用されていくこととなる。まさに専門性が彼らの地位を押し上げたのである」p51
    「慶応4年(1868)5月には兵庫県が設置されて、伊藤博文は同県知事に就任した」p64
    「工部省の創設からの4年間は、長い官僚人生の中でもっとも山尾が輝いていた時期といえる」p137
    「(明治6年(1873)琉球漂流民殺害事件による台湾出兵)大隈重信は当然に台湾領有を視野に駐屯を続け、場合により清国と開戦に及ぶべきとの強硬な意見を主張したのに対して、伊藤は当初の目的どおり報復完了により速やかに撤兵すべきとの意見をぶつけ、鋭く対立した」p154

  • 「はしがき」の一行目から2017年12月に改修された東京駅前広場に戻って来た井上勝像についてか始まる本書は、長州五傑の中でも特に“明治の技術官僚”となった井上勝、山尾庸三、そして遠藤謹助にスポットを当てながらも、共に密航し帰国後政治家となっていった伊藤博文と井上馨との分岐点も含めた日本の官僚と政治家の分化を年代と共に追っている。明治初期の目まぐるしく変わる官職名などに翻弄されるが、それもまた幕末から明治・近代化への過渡期の姿であろうと思う。
    鉄道という特定のジャンルや、特定人物に特化してであればそこそこ情報が手に入りやすい昨今にあり、筆者が日本の急速な近代化に関しての興味からの長州五傑が皆所属したことのある工部省という存在の研究に至り、技術者としての専門性と政治性の分岐点などを踏まえた近代化の基礎の展開についてが大変分かりやすくて良かった。

  • 西洋列強を見本にしながらの、官僚たちの悪戦苦闘。

  • 本館開架(新書) [官僚] [日本 -- 歴史 -- 明治時代]
    http://opac.lib.saga-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB25929194

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著者プロフィール

関西大学経済学部教授、経済・政治研究所研究員、博士(法学)。
2008年 慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了。
慶應義塾大学法学部非常勤講師等を経て、2015年 関西大学経済学部准教授、
2022年より現職。
主著に『工部省の研究』(慶應義塾大学出版会)、『明治の技術官僚』(中公新書)、「明治初年太政官制下の卿輔関係についての一考察」(『年報政治学』2013-Ⅱ号)、
「平岡通義と工部省」(鈴木淳編著『経済の維新と殖産興業』ミネルヴァ書房)、「内務・工部合併の頓挫と伊藤博文」(『日本歴史』第904号)など。

「2024年 『合意形成と制度』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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