原発事故と「食」 - 市場・コミュニケーション・差別 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
4.00
  • (7)
  • (5)
  • (7)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 112
感想 : 12
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024749

作品紹介・あらすじ

事故から7年を経て、今なお問題をこじらせるものは何か? 流通や市場における課題、リスクコミュニケーションの手法などを考える。私たちが口にする「食」を通して、これからの対話を考える試み。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 2011年3月11日福島原発メルトダウン事故により、福島の農林水産業は多大な被害を受けた。そして、10年経って原発メルトダウン事故は風化しつつある。ただ、福島の農産物は、未だに風評被害があり、その風評被害が固定化し、定着している。福島の放射能に関する科学的な知見は多く明らかにされつつある。緻密で、具体的な科学的事実を積み上げている。著者は社会学者であり、柏市の住人で柏市の職の安心安全について、消費者と生産者をつなぐ活動をしている。
     社会学の立場だけでは、明らかにできないことが多いが、福島の食についての風評被害の現実と課題を鮮明にしようとしている。読みながら、意欲的で刺激的な本だと思った。これから、私は福島の農業に本格的に取り組む上で示唆の多い内容だ。
     本書のあとがきでは、「不安で胸が張り裂けそうな著作」と述べており、炎上覚悟の出版だったと思う。そのおかげで、風評被害の考える視点を与えてくれた。
    そもそも、風評被害とは何か?どのように形成されるか?それを時間軸でとらえていく作業をしている。①流通や市場の課題。②消費者とのコミュニケーションと対話。③差別と分断への分析と対応すべき内容。デマは許さない。
     本書は、2018年に出版されている。
     福島のメルトダウン事故は、推進派、反対派、脱原発派などの対立があり、福島と福島県以外の消費者、原発被害者、避難民そして消費者とさまざまな人々がいる。そのために、議論を進めるためには、①科学的リスク判断。②原発事故の責任追求。③一次産業を含めた復興。④エネルギー政策の4つがある。②と④については、食そして風評被害に関して論じる場合には切り離して考えるべきだという。そうでないと、立場の違いが露骨に衝突することになる。
     科学的リスク判断と1次産業を含めた農業の復興というテーマで、風評被害を考察することとなる。農業経済学、社会心理学、マーケティング理論、リスクコミュニケーション理論など、取り組む上でも多面的な考察をしないと風評被害の全体的、俯瞰的な視野が得られない。
     福島は、日本の食を支えてきた県である。福島県は2010年から、生産量の全国順位が上位の農林水産物(コメ:全国4位、キュウリ:全国2位、トマト全国7位、アスパラガス、モモ:全国2位、日本ナシ:全国3位、地鶏、福島牛、リンドウ、ナメコ、ヒラメ)を福島の恵みイレブンというキャンペーンをはじめていた。そのほかにも、インゲン:全国2位、カツオも有名だった。福島県は農林水産物のオールラウンダーだった。新潟のコメ、青森のリンゴ、静岡の茶といった地名と結びついた強力なブランド力を持つ産物がないのも特徴だ。結局2位以下では目立たないということだ。「一つの金メダルよりも多数の入賞を狙う作戦」とも言われている。
     日常の食卓を支える品目が多いのが特徴で、それが原発メルトダウン事故に直撃されたのだから、たまらない。
     福島の食を避けている人は、2017年の消費庁のアンケート調査によれば、13%に過ぎない。2012年産のコメから、放射能の全袋検査がなされている。私は、そのことを知らなかった。2015年以降は、100ベクレル/kgの基準値を超えたものはゼロとなっている。福島県の米には、福島県放射性物質検査済のシールが貼られている。
     コメの放射能汚染がゼロになったことは、セシウムが地面に降り注ぎ、土壌と深く結びつくが、セシウムはカリウムと同じような挙動をする。そのため、カリウムの欠乏している土壌では、コメはセシウムを吸収するが、カリウムを散布することでセシウムを吸収しないという技術開発も重要な役割を果たした。
     それでも福島のコメは安く買い叩かれている。価値観が多様化する社会で、どのように判断し、市場で起こっている風評を明らかにして、流通構造の中で問題の解決の糸口を明らかにする作業をする必要がある。
     大きな前提として、チェルノブイリ原発事故と比較。チェルノブイリ事故では放射性物質の総放出量(ヨウ素換算)は、5.2x10の18乗ベクレル、ヨウ素の放出量は1.8x10の18乗ベクレルだった。福島原発事故の放出量は、そのそう放出量の1/7と1/11だった。また、チェルノブイリ原発メルトダウンは情報操作され事故を知らされなかったことと、地元の人が牛乳と山菜やキノコを摂取していたことから甲状腺癌が多発した。日本では、その点での対策が早かった。
     風評に対応するには、放射能への科学的知識が必要である。消費庁の2017年のアンケート調査では、放射能の半減期を知っている人は27%。自然放射線による内部被曝と外部被曝を知っている人は32%。甲状腺ガンを誘発する放射性ヨウ素は半減期が8日なので、6年経った今では放射性ヨウ素は検出されないということを知っている人は9%だった。
     政府・原子力専門家・科学者などの信用失墜が起こったのは、事実だ。①事故を防ぐことができなかった。②原子力は安全であると過度に強調。③事故後の混乱と適切な対応ができなかった。何を信じていいかがわからない状況が続いたことが、風評として定着することにもなった。ある意味では、反対派、脱原発派の放射能が危ないという意見が被害を受けた住民や避難民の感情にあい、その情報を受け入れる場合もあった。
     ただし、放射能の正しい科学知識が普及すれば、福島県産品の忌避がなくなると言えない。科学的知識の普及はそれ自体が目的ではなく、あくまでも手段であり、入口だった。
     チェルノブイリの放射能被害を受けたノルウェーでは、小学生に放射能に対する基本教育がなされた。放射能を過剰に危険視する偏見に対して、きちんと反論する能力を養うことに主眼が置かれている。
     放射能の科学的ファクトを伝えるだけでなく、信頼関係の構築が必要であり、信頼に足る人の意見は受け止めることができる。見えない放射能であるが故に、とりとめのない不安の背後にある悩みを理解して、今悩んでいることに対話をすることがポイントとなる。そして納得や安心に繋げるコミュニケーションの場を作ることが必要だ。「主要価値類似性モデル」ある問題に関して、自分と相手が同じような見立て方をして、求める内容が同じと感じられるなら、相手を信頼する。本書であげられている言葉で、『共考』という言葉が重要だと思った。
     自己決定権を尊重し、民主主義的価値観をその根底に置く。フィンランドの小学生の議論のためのルールが優れている。①他人の発言をさえぎらない。②話すときは、ダラダラとしゃべらない。③話すときに、怒ったり泣いたりしない。④わからないことがあったら、すぐに質問する。⑤話を聞くときは、話している人の目を見る。⑥話を聞くときには、他のことをしない。⑦最後まで、きちんと話を聞く。⑧議論が台無しになるようなことを言わない。⑨どのような意見であっても、間違いと決めつけない。⑩議論が終わったら、議論の内容の話はしない。ふーむ。すごいなぁ。討論の基本というか、リテラシーがしっかりしている。
     それにしても、S N Sなどではひどい言葉が投げつけられている。「フクシマの農家は人殺しの加害者だ」「子供を避難させないお前は人殺しだ」避難している子供に、「あぁ。放射能がいる」とか。フクシマというカタカナ表記が、外部から悲劇の地として想像、消費されることを意味し、差別的表現として受け止められる。ふーむ。そんなふうに思わずに、フクシマと使っていたなぁ。武田邦彦の「あと3年、日本に住めなくなる日 2015年3月31日」という危険を煽る発言に対して問題だと指摘している。
     あぁ。描き過ぎた。随分と興奮してこの本を読んだ。きちんと科学的ファクトを基本として、福島に向き合うことが必要だと痛感させられた本である。

  • 大切な人からもらった一冊。食と外からフクシマにかかわる身として、これから自分がどうしていけばよいかを考えるきっかけになりました。

  • 途中まで読んだ。自分ではなかなか選ばないテーマの本だけれど、学びが多い。しかし、時間切れで最後まで読めていないので、また再読したい。

  • 615-I
    閲覧新書

  • 柏在住で、地元農産物の放射能汚染問題に関わった社会学者による、福島の食問題の考察。
    原発関連の問題は大きすぎて議論が混乱するので、課題の切り分けが大切、との主張は頷ける。
    また、深くからまった問題による社会的分断の解消は容易ではないが、信頼関係が構築できれば、異なる意見を持つ人も信頼しうる人の説明には納得すると指摘する。
    複雑化した問題の解消には、科学的知見の説明にも増してコミュニケーションが重要との論は、原発問題に限らず、参考になった。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00260656

  • 事故から7年を経て、今なお問題をこじらせるものは何か? 流通や市場における課題、リスクコミュニケーションの手法などを考える。

  • 内部被曝を懸念するわたしは、著者によれば「極度に予防的なゼロリスク志向」「過剰に危険を煽るメディアに踊らされ科学に基づいた判断をしない消費者」である。首都圏最悪の放射能のホットスポットである柏での地産野菜の安全を広める円卓会議の事務局長で、風評被害払拭に力を入れている著者とは真逆の立場だと感じた。被災地の作物についての知識のアップデートが必要なこと、この問題に脱原発派が絡んでいることを知れたのは良かった。できれば次は中立的な立場の人が書いたものを読みたい。

    消費者の目に触れる以前の市場構造の変化、原発事故と被災地についての情報とイメージのアップデートをどう促すか、生産者と消費者の価値観の共有や人格的な信頼。

    毎日食べるお米はキュウリやトマトといった野菜よりも売れ行きが低迷していること、福島沿岸部での水揚げが忌避されていること、そもそも福島県産品にブランド力があまりないこと、被災地から遠ざかるほど被災地県産品を選びたくても目にする機会自体が少ないこと、台湾での「福島・茨城・栃木・群馬・千葉産の食品の輸入停止措置」の解禁が実現していないのは政治的な理由だということ。
    作物の汚染量が低減しており科学的に見ても安全という前提で、福島県産品のネガティブイメージを払拭し、いかに販売促進するかといったマーケティングの話。
    魚種の汚染も低減しているそうだが、では、放射性物質はどこへ行ってしまったのかという疑問。
    福島県の農家から直接話を聞き、農場まで足を運び、生産者への人格的な信頼感や共感をきっかけに、福島県産品を食べるようになることもあるかもしれない。


    p11
    その転機の一つは、福島第一原発事故後の状況をまとめたUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国際科学委員会)によるレポートが2014年春に公開されたことである。
    そこでは、福島第一原発事故で放出されたヨウ素131とセシウム137の総量は、チェルノブイリ事故のそれぞれ10%、20%にとどまっており、避難や放射線不安による心理的・精神的影響は大きい一方で、放射線による健康影響はほとんど予想されないと報告されている(原子放射線の影響に関する国際科学委員会、2014)

    p19
    過剰に危険を煽るメディアとそれに踊らされて科学に基づいた判断をしない消費者

    p22
    別の角度から「風評」被害を見れば、消費者が食品の産地を選択することでの自己防衛が容易であり、かつ情報が不完全にしか伝わっていないと感じる状況下で、消費者がめいっぱい予防原則を発動した結果とも言える。旧ソ連で起こったチェルノブイリ原発事故と比べて、食品由来の内部被曝を含めた福島第一原発事故後の集団実効線量は、かなり低いことが推定されている(原子放射線の影響に関する国際科学委員会、2014)。その理由は、単に放射性物質の放出量や放出された核種の違いだけではない。

    p39
    加えて、特筆すべきは、土壌から稲・玄米への放射性セシウムの移行のメカニズム研究と、それを抑えるための吸収低減対策、いわば生産の入口での安全性確保のための研究と対策も非常に進んでいることだ。事故後2年を待たない2013年1月には早くも、収穫された玄米の放射能濃度を決定づける要因は、土壌中の放射性セシウムの量ではなく、土壌中の交換性カリウムの量であることが福島県と農水省の連名で発表された(福島県・農林水産省、2013)。
    土壌中のセシウムは、植物の生育に必須な元素であるカリウムと科学的な組成が似ているために、間違って吸い上げられる=土壌から収穫物に移行する、ということが起きる。ただ、カリウムが交換性(土壌から吸い上げられら状態)で土壌中に十分に存在していれば、本来必要のないセシウムを稲が間違って吸い上げなくなるのだ。そして、カリウムは肥料をまくことで土壌に補える。

    p59
    水産庁は、実際に漁獲した水域を産地として表示するようガイドラインで求めている。しかし、サンマやサバより沖合の海域で移動しながら漁をするために、漁獲水域の確定が困難なカツオの場合、水揚げ港の所在する都道府県を産地とするという例外規定での表示となることが、商売慣行上根強いのだ。

    p87
    首都圏と異なり、日常の中で福島県産品を見かける機会も、選ぶ必然性も少ない西日本などの遠隔地の消費者は、食品の放射能汚染を切実な問題として考えることも少ない。そのため、基準値以下の放射性物質のリスクがどのような意味を持つのかしっかりと考え、被災地での検査体制や現状を把握する動機づけが首都圏以上に薄い。
    その一方で、普段どのように食品の産地を選んでいるかと聞かれれば、それほど放射能汚染を気にしているわけでも、福島産を意識して避けているわけでもない。しかも、仮想評価法のような形で、「ある程度汚染されているかもしれない」福島県産の食品を目の前に突き付けられると、一転して首都圏よりも避ける傾向が強くなる

    p88
    これはまさに普段は放射能汚染を気にしなくなっているために、意識して福島県産品を避けているわけではないが、うっすらと悪いイメージが残っているというような、先に私が「悪い風化」と呼んだ現象に近い状態と思われる。

    p95
    二重過程理論では、人間の意思決定において、二つの異なるモードが併存していると考える。すなわち、常に自動的に高速で働き、負荷がかからないが、感情的・直感的で錯覚やバイアスに支配されやすいシステム1と、論理的で込み入った判断が可能だが、作動させるには時間と努力を要するシステム2である(カーネマン、2014)。そして、巨大な事件や事故が報道された後に、何かがスティグマ化(負の烙印を押されること)され、避けられる状態とは、まさに当該事象の判断に対して理性的なシステム2がシャットアウトされ、貼りついたネガティブイメージからシステム1が感情的に判断するがゆえに起こる現象と言える(Schulze & Wangink, 2012)。

    p116
    ただ、種ごとに大きく異なる魚介類の放射性物質の蓄積と排出のメカニズムは、農産物よりはるかに複雑で、理解のハードルが高い話になる。まず、軟体動物や節足動物などの無脊椎動物は、魚類と違ってセシウムを排出しやすく、体内に蓄積しにくい(これを生物学的半減期が短い、という)ことが知られている。

    次に、魚の生態や生育環境が大きく関係する。事故直後の福島第一原発近くで汚染度の高い海水に長時間さらされたことのない、沖合の上・中層を泳ぎ回る魚は、原発事故後の早い時期から汚染は軽微だった。

    また、もう一つ重要なファクターが魚の成長速度と寿命だ。

    p165
    放射線の危険性を強調する情報を次々に入手し、かえって自分の当初の判断への確信を深めて落ち着いていく状況は、心理学的に言えば、確証バイアス(当初の信念や判断を支持する情報ばかりを集め、反証する情報を軽視してしまう認知傾向のこと)が強く効いている状態である。

  • 東2法経図・6F開架 B1/5/2474/K

  • 福島県産の農水産物を買うか買わないかについて、2011年3月以降、誰もが一度は考えたであろう。その後、「食べて応援」と積極的に購入する人がいる一方、福島のみならず東日本産のものは一切買わないという人までいると聞く。
    著者は、そういう分断が起きた原因、現在も埋まらない溝がある理由について、どちらか一方を批判することなく、冷静に分析する。作物ごとの違い、つまり、比較的早く市場に出回るようになったものと、いつまでも安値でしか売れないものの違いの分析など、市場を通した考察は中々興味深い。そして、リスクコミュニケーションのあり方についても考察されていて、社会学が何をする学問なのか、こういう事例でどう役に立つのか、ということも少し分かったような気がする。

全12件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

筑波大学准教授

「2021年 『POSSE vol.47』 で使われていた紹介文から引用しています。」

五十嵐泰正の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×