織田信長の家臣団―派閥と人間関係 (中公新書 2421)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121024213

作品紹介・あらすじ

織田家中で最古参の重鎮・佐久間信盛は、本願寺攻めでの無為無策を理由に信長から突如追放された。一見理不尽な「リストラ」だが、婚姻や養子縁組による盤石の人脈を築けなかった結果とも言える。本書では、一万を超す大軍勢を任された柴田勝家・羽柴秀吉・滝川一益・明智光秀ら軍団長と、配下の武将たちの関係を、地縁・血縁などから詳細に検証。これまで知られなかった「派閥」の構造に迫り、各軍団の特性を明らかにする。

感想・レビュー・書評

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  • 尾張時代から本能寺の変直前までの家臣団の拡大過程をたどり、最終的に方面軍として結実した各軍団の地縁・血縁関係を明らかにすることを試みた内容。軍団の特徴から見る本能寺の変の検討や、佐久間信盛の追放要因の分析が興味深かった。

  • 尾張統一時代の織田家は、一門衆は叔父信光や次弟信勝の死去、家老の林秀貞や柴田勝家は反乱からの帰参、そして桶狭間の勝利によるカリスマ化で信長一強体制が確立した。
    他家と比して同族勢や家老の地位が相対的に低く、他国者も才能に応じて重用した。
    信忠軍は
    信孝軍は四国征伐のために急遽編成されており紐帯が乏しかった。
    滝川一益は勝家や秀吉と親しく、信長とも信頼関係にあった。
    柴田勝家は一益や織田家とも縁戚であり盤石な地歩を固めていた。
    羽柴秀吉は信長の信頼厚く、秀勝を養子とし中川清秀や黒田孝高と交流を結び人的地歩を固めた。
    光秀軍は美濃勢と近江や丹波勢と旧幕臣が中心で、尾張勢がほぼ皆無がゆえに反対者なく謀反を実施できた?
    佐久間信盛は織田家随一の陣容を誇るも、縁戚が乏しく追放の抑止力が乏しかった。

  • 再読だったらしい。前半はもたつくが後半は面白い。でもこの手の本は谷口先生のがあるからそっちの方がいいかな。

  • まあ、読むのが大変な本でした。
    大変な理由1:
    人名が難しい。著者も断っているが、読めない。戦国時代的キラキラネームと思えるぐらい覚えられない。巻末に人名索引がついているが、できれば人名索引に読み仮名ぐらい振ってほしかった。さらに、下の名前だけで表記されると、有名人はともかく、親や子といった人になると、いろんな形で「偏諱」していて、誰が誰やらわからなくなる。また、同じ名字が続くときに、同何某と省略されると、一瞬「同」が名字かと思ってしまう。また、普通の名前ならまだしも「なになにの守」だとかが入ってくるとさらに混乱。
    大変な理由2:
    「専門用語」が難しい。上述の「偏諱」などのように、戦国時代特有の用語が出てきて、辞書なしには読み進めるのが難しい。
     当方の勉強不足が反省される。もっと勉強しなければとつくづく思った。そして、新書という制約もあるが、有名どころは、肖像画か何かあればもっと楽しめたと思う。

  • #信長 #麒麟がくる
    今、光秀の大河に備えて勉強中
    1.光秀の両属(義昭と信長)は虚構じゃないか
    2.長曾我部元親征伐は解釈誤りではないか
    この二点を想いながら色々な本を読んでいます
    ※並行して読むから進まない(かつ、混乱(笑))

    遠山家(信長の叔母)は濃姫の叔母が正解なのか?

  • 信長配下の有力武将、「柴田勝家」や「羽柴秀吉」達が率いていた家臣団が、どのように形成されていき、他の有力武将たちや信長との関係がどうだったのかを300ページ弱の新書で詰め込んでいます。
    ただ、詰め込みすぎで、解りづらい所も多々ありますが、光秀が、本能寺の変に成功したのは、家臣団の影響も少なからずあった件は、読んで成る程と言えます。

  • あまりにも人の名前が多すぎて脈絡が掴めなかった。
    もう少し家臣を絞った派閥と人間関係を表して欲しかった。

  • 家臣団の視点から読み解いた本は珍しいので購入。
    著者も正誤繚乱の資料からまとめる苦心を述べているが、わかりやすくまとめてくれていると感じる。
    この時代いかに血縁・地縁関係を重視していたかがよく分かる。主君が家臣を統率する上では当然ながら、家臣にとっても逆の意味でリスクヘッジになっていたこと。ここに出てくる佐久間は己の立ち位置からそのリスクヘッジを怠ったことが仇となった。
    本能寺の変における明智の動機にも触れているが、意外とこれが真相の気がする。

  • 2017/4/28宝塚西図書館から借りた。

  • 信長が社長で、柴田、佐久間、明智たちを本部長、工場長とするとこの本は部課長クラスの紹介本。
    しかし事績はほとんど出てこない(記録がない?)。

    本能寺の変について明智が謀叛を成功できた理由には納得させられた。

    それにしても戦国時代の政略結婚網は想像以上。女子が(養子に出される男児も)生き残りの有効な武器になっていたことがわかる。

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著者プロフィール

和田裕弘
1962年、奈良県生まれ。戦国史研究家。織豊期研究会会員。著書に『織田信長の家臣団―派閥と人間関係』『信長公記―戦国覇者の一級史料』『織田信忠―天下人の嫡男』『天正伊賀の乱』(いずれも中公新書)など。

「2023年 『柴田勝家 織田軍の「総司令官」』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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