シベリア出兵 - 近代日本の忘れられた七年戦争 (中公新書 2393)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121023933

感想・レビュー・書評

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  • 第二次世界大戦より前に日本が戦った戦争についての知識を得る一環で読んだ一冊。
    チェコ軍団救出が名目だったというのは歴史の教科書に少し載っていたけど、第一次世界大戦中のロシア革命と対ドイツ東部戦線維持の関係から英仏の思惑や内戦状態のロシア・ソ連の複雑な状況も知ることが出来て満足のいく一冊でした。

  • 1917年に起きたロシア革命。ロシアはドイツに単独講和を申し入れ第一次大戦から離脱。焦った英仏は反革命軍(チェコ軍)救出を名目に、日本と米国にロシアへ派兵するよう要請。日本は当初派兵に反対していたが、米国の派兵決定とアジアへ南下するドイツへの牽制、共産主義への対処などを理由に日米共同シベリア出兵を決定。しかし、連合国側の思惑と期待を裏切り、日本は増派と派兵地域を拡大しシベリア中部からバイカル湖まで占領する。

    戦争の大義は建前上利他的なものだった。南下するドイツへの牽制の意味もあったが国際社会への建前はチェコ軍の救出という利他的ものだった。しかし、増派と占領地域が拡大・縮小する度に戦争目的があやふやになる。当初のドイツへの牽制からチェコ軍の救出、さらに共産主義の脅威から満蒙の権益を守るため、果ては日本人虐殺事件(尼港事件)の責任をとって北サハリンの資源よこせ、と主張が二転三転し訳が分からない。現地では陸軍特務機関の謀略が失敗しロシア軍人の反革命傀儡政権は機能せず、パルチザンと赤軍に敗走を重ね、撤兵までに7年を要した。

    シベリア出兵を決めたのは寺内内閣だが、後を継いだ原敬は撤兵を決定。統帥権の独立と戦い陸軍大臣・田中義一と連携して参謀本部を抑え込んだ手腕はやはり見事。元老の山形有朋がまだ生きていたことも撤兵のための大きな要因だった。原と田中は、山形に事前・事後にシベリア出兵にかかわる方針について承諾を得ていた。軍の抑えとして山形の力を利用したことが伺える。原の意思を継いだ高橋是清、加藤友三郎も撤兵への道筋を示し、リーダーシップを発揮したことも見逃せない。

    7年に及ぶシベリア出兵は、後のアジア太平洋戦争と類似点が多い。ロシアの地名を中国や東南アジアの地名に置き換えても違和感がないほど。
    曖昧な戦争目的。それを糊塗する美辞麗句な派兵スローガン。統帥権の独立を楯に現地軍の暴走とそれを追認する中央の軍幹部。現地に傀儡政権をつくって日本がコントロールする統治方法。そこで暗躍する軍の特務機関。ただ、昭和との違いは戦争を止めようとした原や高橋、加藤といった政治指導者がいたこと。元老の山形がまだ生きていたことも大きい。著者もいうように、シベリア出兵は政府が軍部を従わせて撤兵に成功した戦前最後の戦争であったという。

    しかし、結局このシベリア出兵は一体なんだのか、よくわからない。それがまた日本的というか、悲しむべきかな。本書は、忘れられた近代日本の戦争を膨大な史料を用いて全貌を描いた稀な書だろう。まだまだ未開の分野らしい。さらに詳細な続編を待ちたい。

  • 強欲感全開ジャップを再確認。
    シベリア出兵失敗しときながら、張作霖ぶっ殺して中国の泥沼にハマっていくという、喉元過ぎれば熱さを忘れるを体現してくれる薩長大日本帝国 バンザイ!

  • シベリア出兵についてあまり書かれていないとあとがきでは述べられていたが、その後結構書かれていると思われる。朝日新聞で紹介されていた本である。
     歴史というよりも日本のシベリア出兵における政治史であるというのは、原敬日記をもとにしているのからかもしれない。
     歴史の教科書に書かれていない詳細な記述であった。

  • 日本でもあまり知られていないシベリア出兵について解説を入れて、時系列に何があったかが記載されている。日本の中ににも出兵の機運や、領土的野心があったことは確かで、しかしさまざまな意見があるなかで強行的なものが採用されたということなのだろう。現代の日本からは信じられないが、沿海州に親日国家を作るという構想もあり、しかし、これが戦略的には通常なのだとも気づく。翻って、この動きが米国の警戒感を引き起こしたことも述べられている。今考えれば、この時、こうしていればと思いを巡らせてしまうが、その時々にはベストと思われる判断(もしくはそれに近い判断)だったのだろうと思う。知らなかったことを知ることができるという意味だけでも、本書は有意義と思う。

  • 日本は第一次世界大戦にロシア属する連合国陣営としてドイツに宣戦布告して参戦。露と親密となる。戦中ロシア革命成る。レーニンは穀物地帯ウクライナ独立を承認するなどして独と講和。戦線離脱する。独は英仏との西部戦線に専念。英仏はソ連を再戦させることで独の戦力削りを画策、日米にシベリア出兵を促す。元老筆頭山縣は出兵反対。刀はどうして鞘に収めるか考えた後でなければ柄に手をかけるものではないとした。田中義一率いる陸軍参謀本部は出兵に積極。米から共同出兵要請により慎重論は吹き飛び出兵。名目はチェコ軍団救出。参謀本部は米との出兵数・地域を無視。原首相は兵力削減に努力。
    ww1終結後も出兵は続く。背景にはシベリア支配、北洋漁業利権への野心があった。各国が撤兵する中現地軍はウラジオ沿海を制圧。原首相の撤兵行こうとそぐわない行動にでる。日本人虐殺事件や戦死者の多さから世論は撤兵。原は暗殺され山形は死去田中は陸相を辞任し大正天皇は病気、シベリア出兵、大正時代が曲がり角を迎える。露反革命派の敗北が決定的となり加藤内閣は撤兵。日本が南サハリン領有と北サハリン開発利権を保持しソ連と講和、国交樹立となる。共産主義への警戒心から治安維持法が制定される。
    戦死者たちへの土産を獲得するまでは撤兵できないという考えが7年もの長期出兵の原因である。得たものは北樺太権益であったが、結局ソ連の圧力がかかりさしたる利益はなかった。

  •  第一次世界大戦末期、1917年から7年の長きにわたって続いたシベリア出兵について、発端から撤退までの経緯を著した本。記録寄りの史実解説である。
     シベリア出兵に触れた書物は少ない。実際、この戦争をテーマにした本は初めて読んだ。「元老制」という当時の政策決定背景、内閣と参謀本部の関係についても見通し良く解説されており、シベリア出兵という失策がどのように起きたのか、選択肢はあったのかなどが検討されており、意思決定者が自由をもたない国家の歯がゆさと苛立ちを感じられる一冊だった。
     この本も某国の争いをきっかけに長らく積んでいたものに手を付けた。某国の争いにおいては、「国際法規」なる恣意的な秩序、見せかけのバランスだけを照らし、議論を許さず、何の苦悩も調整もなく、一方に武装を無償供与し、一方に経済制裁を加えている。どちらの味方もする気にはならないが、官僚的と言えるこの対応には疑念しか感じられない。「われわれの時代の政治家の賢さ、愚かさは、われわれ自身の愚・賢の反映にすぎない。」シベリア出兵は過去の愚かもしれないが、某国への対応は現代の愚である。われわれの愚かしさに苛立ちが募るばかりである。

  • 第1次世界大戦末期以降、ロシア革命後のシベリアへ、チェコ軍救済のため欧米各国が連合し出兵した。 その中で日本が突出して多くの兵を送り、この地域への影響力を強めようとした。名目は居留民の保護、利権獲得のため。 日本の歴史教科書では、簡単な記述だけで詳しく触れられることはないが、この出兵は7年間に及び色々な事件も発生しており、決して忘れてはいけない戦争だった。 正直なところ、シベリア出兵と言われても全くピンとこなかった。 学校では年号と項目を習っただけで、昭和初期の日本の近代史の詳細はほとんど教えてもらえない。だからこの本を読んで日本軍がシベリアのバイカル湖付近まで出兵していたことに大変驚いた。 領土や利権獲得の野心で各国が色々な思想を持って干渉していた時代だから、ロシア革命のどさくさに紛れて、日本も領土を獲得したかったのだろう。 バイカル湖〜シベリア沿海州には、政権を取って独立を目指すロシア人の動きがいくつもあったようだ。 もし実現していたら、極東の今はもっと複雑な地域になっていたかもしれない。

  • シベリア出兵のために米騒動が起き、寺内内閣が倒れたという程度の知識しかなかった。もちろん悲劇を伴う侵略なのだけれども、イルクーツクまで日本軍が侵攻したというのは興奮せずにはいられない。凄まじい外交戦は今の日本にできるのだろうか。

  • 第一次大戦末期、ロシア革命がおこり、ソ連が成立。英仏はドイツを挟み撃ちにするための同盟国が消滅することに衝撃を受け、共産党打倒のため米国、中国、日本にシベリア出兵を要請。各国はそれぞれの思惑でけん制しあいながらも「多国籍軍」として出撃していく。

    各国がせいぜい数百人の形式的な派遣だったなか、数万の大軍を何年も駐留させたのは日本。サハリンの石油、シベリア鉄道などの権益がねらいであった。もちろん、革命のどさくさの中でニコラエフスクの在留日本人が虐殺され、邦人保護の世論が高まったことも忘れてはならない。革命直後のロシアは無政府状態だったのだ。同時に、日本軍がパルチザンが隠れていると疑われる村を「膺懲」すると称して焼き討ちにした事実も忘れてはならない(この行為は当時の我が国帝国議会でも問題になった)。

    始めることは簡単だが終わらせることは難しい、この経験を全く生かせないまま日本はその数年後に満州事変に突入していくことになる・・・。

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著者プロフィール

麻田 雅文(あさだ・まさふみ) 1980年東京生まれ。2010年 北海道大学大学院文学研究科歴史地域文化学専攻スラブ社会文化論専修博士課程単位取得後退学。博士(学術)。専門は東アジア国際政治史。現在、岩手大学人文社会学部准教授。著書に『中東鉄道経営史—ロシアと「満洲」1896-1935』(名古屋大学出版会、2012)、『シベリア出兵』(中公新書、2016)、『日露近代史』(講談社現代新書、2018)などがある。第8回樫山純三賞受賞。

「2021年 『蔣介石の書簡外交 下巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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