アダム・スミス: 「道徳感情論」と「国富論」の世界 (中公新書 1936)
- 中央公論新社 (2008年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121019363
作品紹介・あらすじ
政府による市場の規制を撤廃し、競争を促進することによって経済成長率を高め、豊かで強い国を作るべきだ-「経済学の祖」アダム・スミスの『国富論』は、このようなメッセージをもつと理解されてきた。しかし、スミスは無条件にそう考えたのだろうか。本書はスミスのもうひとつの著作『道徳感情論』に示された人間観と社会観を通して『国富論』を読み直し、社会の秩序と繁栄に関するひとつの思想体系として再構築する。
感想・レビュー・書評
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高名な『国富論』を文庫で読んでみようかなと思ったら、思いの外分厚かったので、解説本の方を読んでみた。
『道徳感情論』の方は、1759年、『国富論』は1776年(アメリカ独立宣言の年!)の発刊。
両著は毛色の違うテーマだが、「秩序と繁栄」を重んじる点で一貫している。
コテコテの自由主義者と思っていたが、自由競争が善となるには、「フェアプレイ」の精神が必要条件で、その道徳の大事さを国富論の17年前に説いている点がミソだ。
有名な「見えざる手」(invisible hand)は、分厚い著作の中でたった一度だけしか出てこないフレーズだそうだが、キャッチーなので、ここまで広まったのだろう。
アメリカ独立戦争前に、イギリスは自発的に植民地を放棄するべきで、それが(一部の特権的立場の商人を除き)みんなのためになる、と説いた、圧倒的に先見的な世界観に頭が下がる。
太平洋戦争中に、石橋湛山(ジャーナリスト、戦後短命首相)が同じようなことを言ったが、その150年以上前から、経済学者の草分けが論理的にそれが最善だと説いているのが感慨深い。人間の進歩の足は早いようで遅く、悲劇的な結末を経ずには学べないこともある、ということか。
“グレート・ブリテンは自発的に植民地に対するすべての権限を放棄すべきであり、植民地が自分たち自身の為政者を選び、自分たち自身の法律を制定し、自分たちでが適切と考える通りに和戦を決めるのを放任すべきだと提案することは、これまで世界のどの国にとっても採用されたことのない、また今後も決して採用されることがない方策を提案することになるだろう。”
(四篇七章三節)
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アダム・スミス様、申し訳ありません。
ワタシは貴方のことを誤解していました。教科書レベルでしか知らない『国富論』から、市場万能主義者と思っていましたが、貴方は経済学者である前に哲学者であり、倫理学者であり、グラスゴー大学で道徳哲学を教えていた人なのでした。『国富論』の前に書いた『道徳感情論』こそ、貴方の原点であり、そこには緻密な人間観察に裏打ちされた哲学者としての矜恃すら感じられます。人間は他者という存在に共感し、この共感は自身の目ではなく、他者の目による基準で発生すると述べられています。人間の善意を信じると言う思いが根底にある貴方の考えは、資本主義が逆境を迎えたとも言われるこの時代に、改めて見直すべきものだと感じます。 -
本書は、アダム・スミスの二大著書『道徳感情論』『国富論』を俯瞰することによって、アダム・スミスの描く世界、および両書の関係性を紐解くことを試みた本である。
アダム・スミスは自己と他者との感情、とりわけ同情に関心があり、その相互作用のいかんによって国家の繁栄が決定づけられることを論じた。彼の論じた内容、すなわちアダム・スミスの描く世界は、思うに徹底した人間観察から得られる経験的な推論と、そこから想像力を駆使して論理的に導かれる帰結を描いた実証研究、および世界がどのようになるべきかという規範研究の両方が含まれており、その内容は現代社会をよりよくするための含意も多い胃に含まれているように思える。
一方で、『道徳感情論』と『国富論』の関係性についてだが、『道徳感情論』は上述した内容を理論的に説明したものであり、一方で『国富論』はその理論を実施に社会に反映するにはどうしたら良いかという具体案であると述べられている。
本書は、アダム・スミスの思想のエッセンスを、具体的に、しかし分かりやすく解説しており、とても良書のように思えた。この本を読んで、『道徳感情論』を実際に読んでみたいと思うようになった(『国富論』も読んでみたいと思うが、個人的にはアダム・スミスの道徳哲学に興味があるので、どちらかというと『道徳感情論』の方が読んでみたい、という気持ちである)。 -
自由主義市場経済の父と称されるアダム・スミスの思想を、生涯の二つの著書『国富論』と『道徳感情論』から再構築した、サントリー学芸賞受賞作(2008年)。
最近のアダム・スミス研究では、『道徳感情論』を『国富論』の思想的基礎として重視する解釈が主流となりつつあるが、本書では、二つの著書を「社会の秩序と繁栄」という観点から、論理一貫した思想体系として捉えている。
著者は、スミスは、『道徳感情論』で、人間本性の中には「同感=sympathy」(他人の感情を自分の心の中に写し取り、それと同じ感情を自分の中に起こそうとする能力)があり、この能力によって社会の秩序と繁栄が導かれることを示し、『国富論』で、このような人間観と社会観に立って、社会の繁栄を促進する二つの一般原理、分業と資本蓄積を考察したと言う。即ち、スミスは確かに、『国富論』において、個人の利己心に基づいた経済行動が社会全体の利益をもたらす(=「見えざる手」)と論じたが、そこで想定される個人は、社会から切り離された孤立的存在ではなく、他人に同感し、他人から同感されることを求める社会的存在としての個人なのである。
そして、著者は終章で、スミスが到達した境地を、「スミスは、真の幸福は心が平静であることだと信じた。・・・諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の及ぶ事柄ではない。私たちは、受けるに値しない幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない存在なのだ。そうであるならば、私たちは、幸運の中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望することなく、自分を平静な状態に引き戻してくれる強さが自分の中にあることを信じて生きていかなければならない。」と記している。
経済学の解説を超えた著作として読むことができる。
(2009年2月了) -
アダム・スミスの二つの主著である『道徳感情論』と『国富論』の内容を紹介し、彼の倫理学と経済学のつながりについて解説している本です。
自由放任主義というイメージをいだかれることの多いスミスですが、『道徳感情論』において展開されている彼の倫理学では、人間と社会についてのリアリスティックであるとともに人間性についての深い信頼にもとづく議論がおこなわれています。とりわけ、人間には他者に対して同感をいだく存在であり、それにもとづいて公平な観察者をみずからのうちに設定することが、人びとの公正な判断を可能にしていることが解説されています。
つづいて、こうしたスミスの倫理学上の考えかたの上に立って、『国富論』に展開される彼の経済思想の内容が検討されています。そのうえで、農業・製造業・外国貿易という順番で経済発展がなされることがもっとも自然だとするスミスの考えと、じっさいのヨーロッパの歴史においてこの順序が逆転されるという事態が生じたためにさまざまな問題が生じたという彼の時代診断が説明されます。さらに、漸進的な問題の解決を説くスミスの現実主義者としての側面と、喫緊の課題とみなされていたアメリカ植民地問題に対する彼の意見についても触れられています。 -
・明確な記述と論旨、適切なタイミングで挿入される要約など、とても読後感のよい一冊。寡作のスミスの二大著作のエッセンスを学べる良著。道徳感情論をスミスの基本的思想と捉え、国富論に対する現代の誤解に気づかせる構成もよい。
・スミスはあくまで倫理・哲学者であり理論経済学者ではない、というのが新鮮な気づき。“胸中の公平な観察者”に従うことを前提とすること、最下層への分配を重視した社会政策的視点が基底になっていることもスミス理解に必要な認識。人間の本性に対する寛容で現実的なまなざしと洞察に共感。
・この“胸中の公平な観察者”をいかに成熟させられるか、経済発展を担う“弱い人”がすべて“賢人”となることはありえるか、その未来で経済システムは持続可能か、といった問いが生まれた。そしてこの問いは、技術革新により絶対的な最低水準が解消されていくことで真実味を増している。 -
人間本性のなかに同感能力があり、この能力によって社会秩序の形成が導かれるとした『道徳感情論』、この社会秩序を維持・促進する一般原理として分業と資本蓄積を考察した『国富論』というスミスの名著の背景を探った本。
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初心者にもわかりやすい