批評理論入門: 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書 1790)

著者 :
  • 中央公論新社
3.90
  • (79)
  • (111)
  • (95)
  • (7)
  • (0)
本棚登録 : 1568
感想 : 105
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017901

作品紹介・あらすじ

批評理論についての書物は数多くあるが、読み方の実例をとおして、小説とは何かという問題に迫ったものは少ない。本書ではまず、「小説技法篇」で、小説はいかなるテクニックを使って書かれるのかを明示する。続いて「批評理論篇」では、有力な作品分析の方法論を平易に解説した。技法と理論の双方に通じることによって、作品理解はさらに深まるだろう。多様な問題を含んだ小説『フランケンシュタイン』に議論を絞った。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 大学での講義ノートをもとに書き下ろされたもの。挙げられている事例が全て『フランケンシュタイン』から取られているので、『フランケンシュタイン』を読んでから本書に進む方が、自分の読後感と重ね合わせつつ講義を受けている感じがして、理解が深まるだろう。もっとも、『フランケンシュタイン』を読まずとも理解できるような工夫は、十分になされている。

    内容は2部構成で、前半は小説を内在的に理解するための「技法」。冒頭、反復、性格描写、結末など要点が網羅されていて、作品鑑賞にも活かせそうな内容。

    後半は批評理論で、脱構築、精神分析、ジェンダー、ポストコロニアルなど最近の議論が紹介されていて、勉強になる。こちらは、いわば文学研究のプロがどのように作品を批評しているのかを理解するという意味合いが強い。

    ただ、例外は、最後に出てくる「透明な批評」。これは、「エンディングのその後」をテクストに入り込みながら推測するといった行為で、かなり日常的な読み方に入るだろう(いわゆる深読み)。筆者は、透明な批評の批評手法としての妥当性への判断を留保しつつも、「文学作品を読む純粋な楽しみのひとつ」と擁護し、ときには透明な批評が作品の中心部に迫ってゆくことも可能と指摘する。批評や創作がアマチュアにも開かれたものである根拠の一端が、ここに示されていると感じた。

  • 「本を読むインプットには、何らかのアウトプットが必要だ」と思って、ブクログでレビューを書く営みを始めたのですが、レビューを書くというのは正解がなくて、果てしなくて、そして面白い行為ですね。
    本著は、『フランケンシュタイン』を例として、様々な小説批評の手法を紹介した本。プロはレビューの手法で新書が1冊書けちゃうんですね。。
    ブクログでレビューを拝見したのを契機に読了しました。素人なりにある程度レビューを書いてきたからこそ、本著に没入できたなぁと思います。おそらく、単に読むだけであれば途中で断念していたかもしれません。

    特に後半の「批評理論編」では13の文学批評の手法が紹介されていて、ちょいと難解な手法もあるものの、『フランケンシュタイン』という実例が用いられているからこそ何とかついていけました。
    読了して思ったのは、これだけ色々な手法があると、どの作品にどれを当てはめて…というバリエーションが無数にある訳です。「ユング的解釈からすると本著の展開は破綻している」とか、無理矢理言おうとすれば言えてしまう訳で。
    また、これだけの手法があると、作者からすると「いや、そんなコト全然思ってなかったけど…」という批評も出てくる可能性だってあるはず。
    ただ、昔みうらじゅん氏の『「ない仕事」の作り方』で、「●●って結局こういうことだ」という論が世の中に出てくるようになれば、●●という存在が世の中に認知されたということ、という趣旨の記述があり、人気が出るというコトは作者の管轄外の議論がなされるというコトなのかもしれません。
    脱線しましたが、小説の上に批評という知的議論を積み重ねていく行為の凄さの一端を垣間見た1冊でした。
    著者の本著のテーマは「小説とは何かを考える」ということでしたが、個人的には本著を読んで、小説というものを全然わかっていなかったんだなと自覚させられました。。

    ちなみに『フランケンシュタイン』は未読だったのですが、本著を読んで完全に読んだつもりになってしまいました(笑
    日常会話で知った風なことを口走ってしまわないか怖いです。

  • 川口喬一『『嵐が丘』を読む』に出てきた各種批評理論の章、わかるところとわからないところがあったので手に取った。この本はいい、大学1年生向けという感じで、門外漢でも読めばわかるように書いてある。批評理論の前に技法上の用語の意味の説明があって、ときどき文芸レビューで見かけてちょっと検索しては忘れてしまう「異化」「間テクスト性」などの用語の意味も、読めばわかるように書いてある。すばらしい。一家に一冊。

    各種概念・理論をメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を題材に説明していくので、こちらの小説を小説として楽しみたい方は、本書の前に読んでしまうのが吉です。わたしは未読だったのに、もう読んでしまった気分。ケネス・ブラナーの映画を観ようかどうしようか。

  • 本書がどういう本なのかということについては、筆者が書いた紹介があるので、それを引用しておきたい。
    【引用】
    批評理論についての書物は数多くあるが、読み方の実例をとおして、小説とは何かという問題に迫ったものは少ない。本書ではまず、「小説技法篇」で、小説はいかなるテクニックを使って書かれるのかを明示する。続いて「批評理論篇」では、有力な作品分析の方法論を平易に解説した。技法と理論の双方に通じることによって、作品理解はさらに深まるだろう。多様な問題を含んだ小説「フランケンシュタイン」に議論を絞った。
    【引用終わり】

    私は小説をよく読む。本書は、その小説をよりよく、より深く味わうために有用ではないかと思い手にした。
    「小説技法篇」では、「冒頭」「ストーリーとプロット」「語り手」等、15の技法が紹介されている。「批評理論篇」では、「伝統的批評」「ジャンル批評」「読者反応批評」など、13の批評の方法論が紹介されている。
    小説はよく読むが、このような小説を読むための「理論」に触れるのは初めてのことなので、いずれの技法・方法も、初めて目にするものばかりであるし、その前にそもそも、このような技法や方法論が存在すること自体を初めて知った。多くの技法や手法を230-240ページ程度の新書でコンパクトに説明しているので、1つ1つの技法・方法論の説明に割かれている紙数は少ない。そのため、技法・方法論について理解が出来たとは言い難いが、小説を読むための助けになるであろう、このような方法論があることを知ることが出来たことが、本書からの収穫になるだろうか。

    それにしても、このような技法・方法論を使った批評や論文をこれまでに目にしたことはない。それはアカデミアの世界に存在するのだろうか。週末の朝刊各紙には、「書評欄」がある。私は自宅では日本経済新聞を購読しているので、目にするのは日経の書評だ。最近では、書店に「書評コーナー」があり、ここ数週間の各紙書評で取り上げられた書籍を置いてあったりする。「書評」の中で、この本で紹介されている技法や方法論を使って小説が紹介されているのを目にしたことはない。繰り返しになるが、本書で紹介されている批評はどこで読むことが出来るのだろうか、ということに関して、少しモヤモヤが残った。

  • 中公新書のロングセラー。
    小説を読む上で、まずは作品世界に入り込み、その体験を楽しむというのが、最もよくある楽しみ方だろう。
    もちろんそれだけでもよいわけであるが、その作品をより深く知ろうと思ったとき、読み手である自分が受けた印象だけでなく、作品がどのようにして書かれたか、書かれた背景を知れば、より深い理解に通じることもある。
    本書では、作品を分析するにあたって、「内在的」アプローチと「外在的」アプローチに大別されるさまざまな手法を用いて小説の「解体」を試みる。
    特徴的なのは、手法を単に概説するのではなく、1つの小説、ここではメアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を題材にして、実践的に紹介していることである。
    こうすることで、読者は具体例を豊富に知ることができ、分析法をよりよく理解することが可能になる。
    著者は英文学研究者で、NHK100分de名著で『フランケンシュタイン』を取り上げたこともある(cf:『メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』 2015年2月 (100分 de 名著)』)。
    この作品を取り上げたのは著者の専門分野であることももちろんだが、作品自体にさまざまな読み方が可能であることが大きい。
    『フランケンシュタイン』が未読であっても本書を読むことは可能だが、性質上、「ネタバレ」している箇所も多々あるので、読み終わってから手に取る方が無難と思われる。私も大まかな筋は知っているつもりだったが、原作をきっちり読んでからの方がよかったと幾度か後悔した。

    さて、分析法として、「内在的」アプローチとされるのは、小説の形式や技法、構造や言語を調べることを指す。これに対し、「外在的」アプローチは、文学以外の対象や理念を探究するために、小説を利用することを指す。本書では、前者を「小説技法篇」として、後者を「批評理論篇」とした二部構成を取る。
    小説技法としては、ストーリーやプロット、性格描写、間テクスト性(他の文学作品との関連)、結末などについて論じる。
    批評理論としては、道徳的批評、ジャンル批評、精神分析批評、ジェンダー批評、文体論的批評などが取り上げられる。
    いずれも多くの研究者たちの議論を引きながら、さまざまな箇所のさまざまな解釈が示される。合間には、著者シェリー自身の生い立ちや執筆当時の環境も挟まれる。『フランケンシュタイン』という作品が平面から立体に立ち上がっていくスリルがある。
    具体例に数多く触れながら、文学論のエッセンスに触れられる点が本書がロングセラーとして生き延びてきた所以だろう。

    『フランケンシュタイン』は不思議な作品である。
    枠物語の構造を持ち、怪奇小説としても読め、ある意味、SFとも受け取ることができ、人間を人間たらしめるものは何かという問題提起も孕む。
    書いたメアリ・シェリーは執筆当時、20歳前後という若さである。16歳の頃、後の夫となる妻帯者パーシー・シェリーと恋に落ちるが、メアリの父が激怒したために駆け落ち。怒濤の日々の最中に5人の子供を身ごもったが、流産や幼少期の死亡で、生き残ったのはわずかに1名。メアリの父ウィリアムの名を付けた長男は、ついに祖父に会うこともなかったという。メアリ自身の母もメアリ出産時に産褥熱で死亡している。
    安易に作品と作者を重ねてよいかどうかはわからないが、『フランケンシュタイン』のおどろおどろしさのいくばくかには、出産の血なまぐささを感じないでもない。

    文学論の歴史の厚みや広がりには感嘆もし、圧倒もされるが、この作品を理解する上には、さらにプラスして、時代背景を知ることがかなり重要なのではないかという気もしている。
    科学技術等の大きな発展から未来への希望に燃えつつも、どこか先行きの見えない、得体の知れない不安もそこここに漂っていたような、そんな時代であったのではないか。どこまで迫れるか心許ないが、ゆっくりと追ってみたいと思っている。

  • 文学理論と批評理論の双方を学べる書籍。
    基本的なことが分かりやすく書かれていて、とても良い復讐になったと感じている。またこれまで外国文学は翻訳に対しての苦手意識からそれほど読むことはなかったが、『フランケンシュタイン』の解説を読むことで読んでみたいと感じた。特定の作品を対象に批評理論の学びを進めることで、学んだことが実践できることは素晴らしいと感じた。

  • フランケンシュタインを題材に、批評理論のいろんな事柄を解説してくれています。具体的に一つの小説を題材に技法や批評理論の説明をしてくれているので非常にわかりやすかったです。文芸批評というのがこんなにいろんなことがあるんだということを知れておもしろかったです。小説のほうは、この本を読まんがために読みました。ただ、私は批評理論が楽しいとはあまり思えませんでした。こういう批評をして、なにが得られるのだろうと思ってしまいました。とくに精神分析批評やフェミニズム批評、文体論批評。(2018年3月25日読了)

  • フランケンシュタインという普通に読んでも特に面白くない古典を題材に、精神分析やポスコロなどの主要な技法により分析を行い、その多面性を明らかにし、なんだか本当は面白い作品なんじゃないかと思えてくるぐらい発見が多かった。
    色々な切り口を知ることは、作品の読みを豊かにするし、構造主義やマルクス主義、脱構築といった、西洋思想でよく出てくる概念も分析手法の一つとして解説されており、もっと早く読んでおけば、効率的な読書体験ができたのかなぁと思います。読書を始めたばかりの方には特におすすめです。

  • 古典SF『フランケンシュタイン』を題材に、前半は小説の技法についての解説を、後半は批評理論について概説している。


    まず、題材が『フランケンシュタイン』というのが良かった。誰もが知っているけれども、実際の所、読んだ人なんて日本ではあんまりいないのではないか……(ボリフ・カーロフのビジュアルや、『怪物くん』のイメージは有名だけれど)と思う小説だし、名作として批評も研究もされた小説ということで「あ~あれでしょ? フランケンシュタインって人造人間が出るやつ?」程度の理解しかなくても、興味を持続して読むことができると思う。


    小説の技法については、個人的にはデビッド・ロッジが書いたその名もズバリな『小説の技法』の価値を再確認するようなものだった。


    文学者的にあの本はどうなんだろうな~と思っていたけれども、たびたび言及されているのを読んで(というか、元ネタになっているのを後書きで読んで)、やはり資料としても優れた内容だったんだねと思った。実際の所、前半部分を勉強したいのなら、デビッド・ロッジの『小説の技法』を読んだほうがいいと思う。それぞれの技法にマッチしたテキストを紹介しているし。


    実際、この本は後半が重要だと思う。『フランケンシュタイン』という小説が時代時代によってどう批評されてきたか、というのがこの本の主眼になっていて、道徳的批評や伝記的批評、ジャンル批評から、フェミニズムやジェンダー、マルクス主義といった新しい切り口で批評されたことが概説される。


    現在の文体論的批評や透明な批評までいくと、難しかったりエッセイじゃないの? といろいろ考える部分もあるが、こういう風に時代時代によって新しい解釈が生まれる作品こそがマスターピースと呼ばれるのかなと思った。

    基本的に入門書ではあるが、大学の講義を元にしているようなので、概説としては内容の濃いものになっていると思う。新書でこのレベルが読めれば嬉しいよね。また、この本から離れて、自分が好きな小説の解釈をいろいろ考えてみるのもいいかもしれない。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「この本の主眼になっていて」
      それは面白そうだな、読んでみようっと。。。
      「この本の主眼になっていて」
      それは面白そうだな、読んでみようっと。。。
      2013/07/19
  • 前半が小説の書き方、後半が文学作品の批評理論について書かれた本。

    批評や書評にはしっかり書き方があると知って、「批評の教室」北村紗衣(ちくま新書)を以前読んで大いに勉強し、そしてその本に批評理論について書かれていると紹介されていたのが本書。本書は小説「フランケンシュタイン」を題材に、小説の書き方と批評理論を説明して行くというコンセプトの本。「フランケンシュタイン」はこういうことに耐えうる様々な読み方ができる奥の深い怪物みたいな物語で、まさに怪物も出てくるし、ただよく言われるのは、怪物とフランケンシュタインを混同してしまいがちで、実際間違える。

    批評理論というのは、いくつか切り口があるとしても、批評をするときには使う理論を一つに決めて批評していくのが普通で、あまり色々盛り込まない方がよいらしい(「批評の教室」より)。批評理論は様々だから批評するときは自分で使う理論を決める。理論に慣れる必要もあるし、様々使っていくうちに批評らしくなっていくだろう。

全105件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

廣野 由美子 (ひろの・ゆみこ):一九五八年生まれ。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学文学部(独文学専攻)卒業。神戸大学大学院文化学研究科博士課程(英文学専攻)単位取得退学。学術博士。専門はイギリス小説。著書に、『批評理論入門』(中公新書)、『小説読解入門』(中公新書)、『深読みジェイン・オースティン』(NHKブックス)、『謎解き「嵐が丘」』(松籟社)、『ミステリーの人間学』(岩波新書)など。

「2023年 『変容するシェイクスピア』 で使われていた紹介文から引用しています。」

廣野由美子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ヴィクトール・E...
三島由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×