安心社会から信頼社会へ: 日本型システムの行方 (中公新書 1479)

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  • 中央公論新社
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感想 : 86
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121014795

作品紹介・あらすじ

リストラ、転職、キレる若者たち-日本はいま「安心社会」の解体に直面し、自分の将来に、また日本の社会と経済に大きな不安を感じている。集団主義的な「安心社会」の解体はわれわれにどのような社会をもたらそうとしているのか。本書は、社会心理学の実験手法と進化ゲーム理論を併用し、新しい環境への適応戦略としての社会性知性の展開と、開かれた信頼社会の構築をめざす、社会科学的文明論であり、斬新な「日本文化論」である。

感想・レビュー・書評

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  • 安心と信頼は似たように解釈される言葉だが、両者は大きく異なることが書かれています。放送大学の社会心理学で紹介されていたので読んでみたのですが、とても深い内容でした。
    今の時代的な話しもそうだし、マキャベリズムなどの話しもあり性善説と性悪説的な解釈についても現代的な解釈ができそうで、これを読んだ後に最近読んだ韓非子とかをもう一回読んで評価してみたら、更にもう一段面白くなるような気がしました。韓非子の時代で言うと信賞必罰で評価することを身につけることが信頼できるかどうかのリテラシーなんだと言う話しだったんだろうなと思います。
    逆にそうした信頼できるかどうかのリテラシーがあると、総じて人を信用するようになる結果もあり、一周回ると性善説になるとも言えるので、改めてどちらの話しもありなんだと感じました。

  • 周りを見渡すと『安心』を得るためにどれだけの非生産的ルールがあるんだろうと考えさせられた。常識的な認識を改めることが出来た。発刊から年数が経っているものの、現代社会においても変わらない認識で読めた。

  • 研究例を飛ばして読めばかなり早く読める本。

  • この本、たぶん世の中的には評価が高いんでしょうね。日本社会の「集団主義」的特質が、仲間内の輪の中での不確実性低下を目的として保たれてきたものだ、という指摘自体は、確かに納得できます。そして、メンバーを輪の中に固定しようとすることには機会費用が発生する、という点もわかります。しかし、だからと言って、輪がばらけていくことを単純素朴に歓迎して済まされる問題なのでしょうか? どうも筆者は、輪がばらけて人々の流動性が高まっていけば「信頼」を軸とした個人の行動原理が立ち上がってくる、とでも考えているように思えますが、本当にそうなのでしょうか。私はそんなに単純に「救い」があるようには思えません。すでに世界には、容易には乗り越えがたい「力」の格差が存在しており、そのことを無視して単純に輪をばらけさせるだけでは、その巨大な「力」の影響下に個々人が再編成されておしまい、という気がしてならないのです。そんなわけで、本書は真ん中あたりから眉唾で読みました。かなり胡散臭い気がしますけど、どうでしょう?

  • 感想
    ソトとウチの経済学。ウチの中で活躍できるのは当たり前。ダイヤの原石はソトに転がる。最も安全なルートで取りにいかなくては身が持たない。

  • 非常に勉強になる本でした。1999年に初版が出されていますが、この本で述べられている事象は年々強まっているのではないでしょうか。日本は信頼が崩壊しているという言説があることに対して、そうではなく「安心」社会が崩壊しているのだと著者は論じます。

    本書では「一般的信頼」という言葉が重要な概念として紹介されていますが、これは見知った人をどのくらい信頼するかではなく、一般的に他の人をどれだけ信頼できるか、見知らぬ人がどれだけ信頼できるか見抜けるということを意味します。これは狭義の信頼にあたるのかもしれませんが、結論から言うと日本人はこの能力をこれから鍛える必要がある、なぜなら、そういう社会環境に日本がどんどんなりつつあるからだ、ということになります。

    その理由を端的に述べれば、日本の経済社会が得意としてきた長期的コミットメント方式(企業の終身雇用しかり、取引での系列、グループ化しかり)は「ウチ」と「ソト」を明確に分けることで、「ウチ」の中での不確実性を低下させ安心を生み出してきたけれども、「ソト」に様々な機会があふれるようになってきた、つまり経済学的に言えば長期的コミットメントによる機会費用が大きくなってきた、という社会変化を意味します。たとえば雇用を例にとれば、2-30年前ですと会社の転職は非常に難しかった。つまり受け入れ先を見つけることが難しかったのに対して、現在は転職・引き抜きは当たり前ですし、起業という選択肢も珍しくなくなりました。つまり「ソト」に機会がたくさんあるなら、今の会社でじっと耐え続けながら人生を送り続けることは、あまりに非合理的、非効率的であるということになります。そしてこのように社会が流動的になると、どんどん新しい人と関係を築く必要がありますから、必然的に人間を見極める能力を鍛えなくてはならなくなります。

    そして著者は社会的知性という概念を紹介しつつ、社会的知性は大きく2つあること、1つは「ウチ」のなかで見知った人の間の関係性を検知する「関係性検知能力」、もう1つは
    見知らぬ人についてその人が信頼できるかどうかを検知する「人間性検知能力」だと紹介します。そしてこれまでの日本社会は前者の「関係性検知能力」に長けていることが重要だったが、社会が流動化し、「ソト」の機会を人々がつかむようになると、それは「人間性検知能力」を鍛えることになるだろうと言います。そしてこれこそが「信頼社会」と著者が呼ぶ未来像です。ただこれはスムーズに実現するとは思えない。なぜなら閉ざされた社会に居心地の良さを感じている人もいるし、あえて情報の非対称性というか、情報を外に出さないことで自分の優位性を保とうとする人がいるからです。

    などなど記述は尽きませんが、さすがに一流の学者が書かれた本で、単に理論を披露しているだけでなく、実証実験の興味深い結果を多数紹介しているので、それだけでも一読に値します。しかも素人にも読みやすく書かれていますので、久しぶりに大満足の本でした。

  • 実験的データを示しつつ丁寧な解説の本でした。日本的「安心」の狭さから、より広く深い「信頼」を目指したいものです。情報開示や透明性について触れられていたところも良かったです。

  • 読んで良かった。
    安心社会にいる(もしくはいたい)人と信頼社会にいる人(もしくはいたい人)はコミュニケーションの方法が違うものだろうなと思った。

  • わざわざこの国で「絆」が叫ばれることの心理的背景がよくわかる。
    基本的に日本人は他人を信頼していないのだ。だから助け合うという当たり前のことを言うのに「絆」なんて大げさな言い方をしなければならない。もっと言うと、助け合わなかったら罰金くらいのことをしないと助け合わない社会なのだ。
    ほっといたら、社会的な圧力や仕組み、制度がなかったら、基本的には他人事は他人事。そんなムラ社会な精神が古代から綿々と受け継がれているのが、この国なのだ。

  • 集団的な意識が強そうと思われている日本は、意外と個人主義。他人を信頼しない人が多い。

    英語の「trust」と、日本語の「信頼」の
    ビミョーな差が分かった気がする。

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著者プロフィール

COEリーダー・北海道大学大学院文学研究科教授

「2007年 『集団生活の論理と実践』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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