星を掬う (単行本)

著者 :
  • 中央公論新社
4.12
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本棚登録 : 11701
感想 : 882
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120054730

作品紹介・あらすじ

町田そのこ 2021年本屋大賞受賞後第1作目は、すれ違う母と娘の物語。


小学1年の時の夏休み、母と二人で旅をした。

その後、私は、母に捨てられた――。


ラジオ番組の賞金ほしさに、ある夏の思い出を投稿した千鶴。

それを聞いて連絡してきたのは、自分を捨てた母の「娘」だと名乗る恵真だった。

この後、母・聖子と再会し同居することになった千鶴だが、記憶と全く違う母の姿を見ることになって――。

感想・レビュー・書評

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  • 『自分が変わらなければいけないのは、分かってる。でもだからって、ひとは簡単には変われない。幾重にも重ねたものを剥ぎとるのは、簡単じゃない』。

    人生は思った以上に過酷です。男女共に平均寿命が80歳を超えたこの国で、そんな長い期間をずっとしあわせなままに生きていくことは誰にだって難しいものです。そんな期間の中では苦しい思いをすることも、哀しい思いをすることも、そして寂しい思いをすることも必ずあるのだと思います。一方で人は弱い生き物です。そんな辛い期間を生きる日々には、そんな辛い思いをすることになった原因を考え、その原因に恨みの感情をぶつけることで気持ちをどうにか持たせようとすることもあると思います。そして、そんな原因は人、他者である場合が多数だとも思います。”あの人のせいで…”、”あの人がどうして…”、そして”あの人がすべて…”と他者を恨む感情も募ります。しかし、人は思った以上に冷静です。そんな感情を抱けば抱くほどに、一方で、『自分が変わらなければいけないのは、分かってる』と本来取るべき行動が分かってもいるものです。そして、そんな風に相反する思いのぶつかり合いが人の悩みを大きく、強く、そして深くもしていきます。改めて生きるということの大変さを思います。

    さて、ここにそんな苦悩の中に生きる一人の女性を描いた物語があります。『食費を削り、化粧品なんてずっと買っていない、己に許した贅沢は、一日数粒の飴玉だけ。これ以上、どうすればいいというのだろう』と貧困に喘ぐ今の生活を憂うその女性。元夫からのDVに悩まされ、相談する相手もなく、ただ孤独に嘆き苦しむその女性。そんな女性は自らの境遇の元凶をこんな風に語ります。

    『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』。

    この作品は、そんな女性が彼女を”捨てた”母親に再会する物語。そんな母親と心を十分に交わせずに『こんな再会、したくなんてなかった』と後悔する様を見る物語。そして、それはそんな母親との繋がりを少しづつ感じる中で、母親の想いを掬い取ろうとする女性の想いの変化を垣間見る物語です。

    『おめでとうございます。芳野さんの思い出を、五万円で買い取ります』と、『明るい声で言われて』言葉に詰まるのは主人公の芳野千鶴(よしの ちづる)。『あなたの思い出、売ってみませんか?』という『ラジオ番組の企画』に応募した千鶴は、『夏休み』というテーマの回で準優勝になったことを野瀬というラジオ局の人間に電話で告げられました。『あの別れのあと、どうなったんですか?』とあの時のことを訊かれた千鶴の頭に『ふっと、遠い日が蘇』ります。『父の車に乗りこむわたしを、じっと見つめていた母』の姿を思い浮かべ、『あのときわたしが母の車に乗ると言っていたら、何か変わっていただろうか』と思う千鶴は、『母は、いなくなりました。わたしはあれ以来、母とは一度も会っていないんですけど、自由に生きているみたいですよ』と返します。そして、『母がいなくなって数年後』父が病で亡くなり『あの女のせいで、いまの不幸があるんだ』と恨みながら祖母も亡くなり一人になった千鶴。そんな千鶴は、準優勝で五万円を手にすることができて『助かった』と感じるものの『またあいつがやって来て、金を毟り取っていくだけだ』と未来を悲観します。パン工場で夜勤の仕事を続けギリギリの生活を送るも『金がなくなると』やってきて『ありったけの金を持っていく』という『数年前に別れた元夫』の野々原弥一に苦しめられている千鶴。『弥一から、逃げたい。でも、逃げだすための金も、気力もない』という千鶴は『己に許した贅沢は、一日数粒の飴玉だけ』という極貧状態の苦境に生きていました。そんな弥一は飲み屋を始めることにしたので五十万円を用意しろと千鶴に迫り暴力を加えます。『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら…』と思う千鶴。そんな千鶴にラジオ局の野瀬から『お母様の名前は、聖子さんではありませんか?』という電話がかかってきました。ラジオの放送を聴いた芹沢恵真(せりざわ えま)という女性が聖子と同居しており会いたいと言っていると伝えられて動揺する千鶴は、五十二歳になった母親に会うことで何か答えが得られると思い、仲介してくれる野瀬と芹沢に会いに行きます。しかし、会って早々に『その顔はなに。ぼこぼこなうえ、真っ青じゃん』と千鶴の様子を訝しむ芹沢は『完全にDVじゃん』と千鶴のことを心配します。『夜逃げしようと思って』と行く当てもないのに言う千鶴に『シェルター』の存在を説明する野瀬。しかし、それを拒む千鶴に『じゃあ、うちに来てよ』と聖子も暮らす家で一緒に暮らすことを提案する芹沢。そんな提案に応じて『さざめきハウス』という建物で暮らし始めた千鶴が、母・聖子との再会を果たす中で、長らくすれ違ってきた母親と娘の関係に変化が訪れる物語が描かれていきます。

    2021年10月18日に刊行された町田そのこさんの六作目となるこの作品。町田さんといえば2021年の本屋大賞を「52ヘルツのクジラたち」が受賞したばかり。つまり、この作品は”受賞後第一作”として書かれたものです。私も同作品には強く心を揺さぶられたことから、そんな町田さんの新作が出ると聞いて刊行日が来るのをとても楽しみにしていました。そして、ありがたいことに刊行日前日にAmazonから届いた単行本。直ぐに開封し、一気読みをしてしまった私…ということで、この作品は刊行日前に読み終えてしまった!というおまけ付きで私の読書史に刻まれる作品になりました(笑)。

    さて、そんなこの作品「星を掬う」で町田さんが取り上げるのは『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』という主人公・芳野千鶴の母親への思いの先に続く物語でした。母親が娘を捨てる、衝撃的な言葉ですが、望まぬ出産による赤ん坊の遺棄、育児放棄、そして虐待というように、必ずしも上手くいかない母親と娘の関係というものが現実世界にも数多存在します。この作品では、小学一年生の時に父親と祖母に千鶴を渡して突然にいなくなってしまった母親のことを憎み、”母親に捨てられた”という意識の元に生きてきた千鶴が主人公となって物語は展開します。そんな物語には、他にも母親と娘という関係に複雑な思いを抱く複数の人物が登場します。それが、夫の弥一から逃れて暮らすことになった『さざなみハイツ』で出会うことになる女性たちでした。ケアマネージャー の九十九彩子(つくも あやこ)は、妊娠中毒症に苦しんだ過去を持ち、結果として夫と義母に子供を取られる形で離婚を経験し今に至ります。そんな彩子は、その決定的な別離の場面の印象から”娘に捨てられた”という思いを抱いて生きてきました。また、千鶴の実母のことを『ママ』と呼ぶ芹沢恵真は、『一歳のときに交通事故で』両親を亡くし、母親というものを知ることなく生きてきました。

    そんな物語は、『さざなみハイツ』での暮らしの中で、”捨てた側”と”捨てられた側”の人間が再会することで大きく展開していきます。上記の通り、元夫の激しい暴力から逃れるという目的もあった千鶴は、そんな逃げ先で母親の聖子と再会を果たします。しかし、そこにいた母親は『若年性認知症を、発症してる』状態でした。”捨てられた側”として今までの人生の苦悩、恨み辛みをぶつけるも『母の脳内にわたしの居場所はないんだろう』と感じる千鶴。そこに、『こんな再会、したくなんてなかった』という思いに満たされる感情が湧き上がるのは当然のことだと思います。そんな辛い物語展開に追い討ちをかけるように母親・聖子の認知症という症状自体にも強く光が当てられていきます。我が国には4万人近い発症者がいるとされる若年性認知症。普段、あまり意識することは少ないと思いますが、身内にそんな症状が出た場合に、そこに何が起こるのか、何をすることになるのか、そして何を諦めなくてはいけないのか、そんな辛い介護の日々もこの作品ではリアルに描かれていきます。そんな中で、私が特に衝撃を受けたのが『弄便(ろうべん)』という言葉の意味する重篤な症状の描写でした。”排泄した便を素手でいじったり、便を取り出して、自分の着ている衣類や寝具、周辺の壁などになすりつける”行為を指すというその症状。全く知識がなかったこともあって、それでなくても重苦しい読書が落ちるところまで落とされた、そんな気分を味わいながらのものとなってしまいました。このあたり含め、介護経験のない方にはより重苦しさを味わうことになる作品だと思います。

    そんな物語は、主人公の千鶴視点で進みます。しかし、この作品で特筆すべきなのはそんな視点が途中で幾度か母親・聖子視点に切り替わることです。認知症を扱った小説は他にもあります。しかし、少なくとも私が知る作品の中で、そんな認知症発症者の側の視点に切り替わった作品は思い当たりません。そもそもそんな認知症の患者の視点というのは考えづらいものでもあります。だからこそ、『私はこれから認知症対応デイサービス施設に行くのだ。私は、ものを忘れていく病気なんだった』と、母親・聖子の視点に切り替わった、その瞬間には息を呑むものがあります。認知症発症者の側、つまり介護されている側から、外の世界はどのように見えるのか、そんな病気に罹った自分自身のことをどう思っているのか、そしてかつて”捨てた”はずの娘と一つ屋根の下で暮らす日々をどう感じているのか。認知症になったことのない人間が、その症状下の感情を推測することは極めて困難だと思います。そもそも実際の患者さんに取材すること自体難しいものでもあるでしょう。この作品での町田さんのこの試みは極めて大胆な挑戦だと思います。しかし、この視点の切り替えがあってこそ、結末へと至る物語に大きな説得力を生む、なくてはならないキーの役割をも果たしていきます。これから、読まれる方はそんな視点の切り替わりも意識しながら読まれることをお勧めします。『私』と『わたし』という表現の工夫がそれを助けてくれます。

    そして、そんな作品の主題は、なんと言っても本の帯に大きく謳われている通り”すれ違う母と娘の物語”という点に集約されると思います。世の中には数多の母親と娘の関係が存在します。それはもう母親と娘の数だけの関係性があると言っても良いくらいに千差万別でしょう。しかし、『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』といった緊迫した関係性の上に立つ母親と娘となるとそれは限定されてくると思います。しかし、この作品で取り上げられている複数の関係は十分にあり得ると思えるものばかりです。フィクションではあっても決してファンタジーを感じさせるものではありません。そんな関係性の中で再会を果たすことになった母親と娘はそこに何を思うのでしょうか?かつて、”捨てた側”と”捨てられた側”に分けられる彼女たちには、当然にそれぞれの言い分があるはずです。そして、そんな母親と娘は一方で一人の人間でもあります。もちろん、母親はこうあるべき、娘はこうあるべき、といった一般論のようなことはあるのかもしれません。しかし、それ以前に『ひとにはそれぞれ人生がある。母だろうが、子どもだろうが、侵しちゃいけないところがあるんだ』という通り、それぞれの人生、一度きりしかない人生というものがあります。この作品では、上記した通り、認知症の描写の中で一歩踏み込んだ描写がなされます。そして、母親と娘という関係性を描く中でも、そこにそれぞれが一人の人間でもある、という踏み込み方を入れることによって、物語を大きく深く掘り下げていきます。

    また、そんな物語は、陰惨、陰湿、そして陰鬱を極めるような内容も背負っています。DV、貧困、幼児の性虐待、認知症…と気分が全く晴れない物語展開がそこに追い討ちをかけます。全くもって晴れない、どこまでも堕ちていく他ない物語を読むには、読者の覚悟も求められます。精神的に落ち込んでいる方はこの作品を手にするのは少し思いとどまられた方が良いようにも思います。この作品は読者の心をも激しく揺さぶる壮絶な物語だからです。町田さんの絶品の筆の力がそれを盤石なものともしていきます。

    しかし、町田さんはそんな物語をどん底の闇の中に留め置くような結末にはされません。この作品の書名を思い出してください。この作品には「星を掬う」という名前が付けられています。人は、『星』という言葉に何を思うでしょうか?そこに浮かび上がるのは”永遠”、”希望”、そして”幸せ”、そんなイメージではないでしょうか?また、『掬う(すくう)』という言葉は、その読みからは”救う(すくう)”という言葉も思い起こされるものです。そう、この作品には”救い”の結末が用意されているのです。それこそが”救う”という言葉と同じ読みを持って表現する『掬う(すくう)』という言葉に町田さんが込められたとても優しい表現の先にある救済の物語なのだと思います。乱暴に扱うと壊れてしまいそうなその優しい表現の世界。それは、読者の心を激しく揺さぶる物語が故に、余計に読者の心を優しく包み込むように癒してくれるものなのだと思います。町田さんの作品は、その書名に強い意味が込められています。代表作である「52ヘルツのクジラたち」は特にそうでしょう。そして、それはこの作品「星を掬う」でも同じです。読後、その書名を口にした時に、読み終わったあなたの胸に静かに去来するあたたかな感情、これから読まれる方には是非とも書名に込められた町田さんの優しい眼差しを感じていただきたいと思います。

    この世には生きている人の数だけ人生があります。それは、夜空に輝く星々と同じように明るさも色も異なります。そんな星々一つひとつの一生がバラバラなように、人の一生も千差万別です。そんな中では、

    『わたしなんかが生きていて、何がどうなるんだろう。この日々の先に希望が持てない。誰かと笑いあって過ごす幸福な自分が、これっぽっちも想像できない』。

    そんな風に思い悩み、ただただ苦悩する毎日を送る人生もあるのかもしれません。どうして自分の人生だけがと、光り輝く他人の人生を羨む感情が湧き上がることもあるのかもしれません。しかし一方で、『ひとにはそれぞれ人生があ』ります。不遇と感じている今の人生の痛みの原因を他人のせいにして生きることは、楽なことなのかもしれません。この作品では、『母さえ、わたしを捨てなかったら。そうしたら』と、自らの人生の苦悩を母親のせいにして生きてきた娘の姿がありました。そして、そんな娘が母親と再会して感じること、”捨てた側”と”捨てられた側”の思いがぶつかり合う先に浮かび上がるのは、それぞれがそれぞれを慕い合う優しい想いに包まれた母親と娘の姿でした。

    「星を掬う」という書名のこの作品。すれ違ったからこそ見ることのできた美しい星の輝き。そんな星を掬い取るという人の心の機微を感じさせる優しい想いに心を打たれた素晴らしい作品でした。

  • 「言ったことは弱者の暴力だ。傷ついていたら誰に何を言ってもいいわけじゃない」
    一番心に残りました。
    被害者だからって全てを他人のせいにしてはいけない。なかには自分の選択した結果もあるはずなのに、人のせいにすることで責任の所在が曖昧になり、次も同じ選択をしてしまう。
    自分の事は自分が決める。これが自分の状況を変える一番の方法だと思う。千鶴だってラジオに投稿したことで人生変わったのだから。
    相手を思いやる気持ちをみんなもう少し持てれば、世の中はもう少し平和になれるだろうに。

  • 町田そのこさん初読みですが、図書館で予約一番でこの本を受け取った時、薄いブルーの表紙に『星を掬う』というタイトルがあるのを見てなぜか心ときめきました。とても綺麗な表紙です。
    物語は母と娘でした。

    DVの夫弥一から逃げる娘の千鶴は小学一年生の夏に母と旅行した後に母の聖子に別れを告げられ捨てられて、父と祖父母と暮らしていましたが、皆他界して、一人で働きながら逃げていました。

    母親の聖子は50歳になる前に若年性の認知症を発症していました。症状はかなり酷いものです。

    そんな二人が再び芹沢恵真というもう一人の聖子をママと呼ぶ美容師によって22年ぶりに再会します。

    そして、そこには彩子さんという40代女性も一緒に暮らしていて彩子さんの実の娘の17歳の妊婦の美保も合流します。

    我がまま放題の美保とおろおろする彩子。
    母に近づきたい千鶴と病を抱え何を考えているかよくわからない聖子でした。

    そしてそこへ千鶴のDV夫の弥一が乗り込んで来ますが、その時の聖子の対応はまさしく真の母でした。
    千鶴は最初に自分の方が何気ない言葉によって母に捨てられたと思う前に自分が母を傷つけていたことに気づきます。

    22年ぶりの再会のせいか、何か他人行儀な母娘だなという感じがしました。
    私も父は早くに亡くしたので親は母しかいません。
    うちは本当にいい意味で友だちみたいな友だち母娘だと思います。あまりにいい母娘関係なので、母に何かあったとき、私は果たして星を掬うことができるのかと思いました。


    本文より 印象的だった言葉

    出会えたからには大事にしたい。
    せっかくなんだから寄り添いたい。
    無理に近づこうとはするな。

    誰かを理解できると考えるのは傲慢で、寄り添うことはときに乱暴になる。
    大事なのは、相手と自分の両方を守ること。
    相手を傷つける歩み寄りは迷惑でしかないし、自分を傷つけないと近づけない相手からは離れること。

  • これは読むのがしんどいけどついつい物語に憑依して感情が揺さぶられ抜けられなくなってしまいました。
    導入部から興味を引く展開と、はらわた煮えくり返るほどイラっとする元夫は、ハイエナのごとく骨の髄までしゃぶり取ろうと金を普請するゲス野郎。名も思いだしたくない程なのでゲス野郎でOKですね。
    おとなしそうで何も言わずついてきてくれるとかが魅力で結婚したとか身勝手なゲス野郎の理由が際立ちました。
    千鶴もDVで洗脳されるまま無抵抗に金を出す悪循環。なし崩しのネガティブ思考からどんどん沼に落ちてゆく。こんなゲス野郎には接近禁止命令を発動したいのに、被害をだせない程に自己否定を肯定している日常。千鶴、あんたって人はどうして保護を求めないのか、どこまで不幸を望んでいるのかってイラっとしてしまう。貪欲に幸せになること望めばいいのに、掬ってほしいってサインを見せてほしい。
    そんななか、小1のとき自分を捨てた母親の消息を知る女、恵真が現れ、母親を含む3人の女性とシェアハウスで暮らすことになる。母親は若年性認知症、介護施設で働く彩子は育児放棄で離婚経験あり、千鶴の母をママと慕う恵真は1歳のとき両親を事故で亡くしたとかの悲劇の三重奏がカルテッドになって不協和音が読者に襲ってきて、町田さん盛りすぎでしょって思うほどでした。
    そして、もう一人17歳で妊娠中の彩子の娘が訪ねてきてクインテッドの重厚な響きとなってそれは耳鳴りのように鳴りやまない。
    他の作品でもそうですがDV、貧困、性被害、育児放棄、アダルトチルドレン等々、不穏ワードがてんこ盛りなんで耐性ついてきちゃった。
    一般的には介護に認知症の問題が多いと思いますが自らの意思でグループホームへ入所を決めるとか信じられないくらいスマートな話でした。このお母さん気丈ですよね。千鶴に介護されたら共倒れになっちゃうし、親子でも独立した個人なんだから自分の足でしっかり立とうねってことですね。
    困ったちゃんの千鶴には共感できなかったけど、そんな彼女の感情を丁寧に拾い上げて形にした根気強さには感心しました。

    【追記】
    他人の不幸は蜜の味とゆう言葉がありますが、ドイツ語ではシャーデンフロイデなる感情らしいのですが、つまり「他人の不幸を目にしたとき感じる喜び」を表すらしい。
    例えば家族が病気になったときそれを感じないのですが、他人がミスしたり、成功してる人が失敗したりするときふとそれを感じてしまう。
    おそらく、生計を共にしてる者が不幸になれば自分にも少なからず害が及ぶから笑っていられないのじゃないかと思うのですが、他人なら影響ないから冷笑できるのだと自分の中に潜む邪悪な影の存在に呆れたりするんですが、そんな垣根を取りはらって、生きるのに不器用な人たちの立場も理解して喜びをわかちあうことに注目できたらいいなって感じました。

  • 自己肯定感を持たない千鶴は、元夫のDVに追い詰められて「(元夫を)殺すか、殺されるか、どちらにせよ人生を終わらそう」と決めて職場を辞めることにする。主任は、親戚を頼るという嘘の報告を聞いて良かったと言い、「何もできなくて、ごめんなさい」と謝る。その謝罪に千鶴は反応する。去り際に「謝るのって、許すことを強要してるんですよ」というのである。カチンときた。

    主人公は千鶴である。確かに元夫のDVはあまりにも酷い。でもこの主人公の最後の一言も酷い。昔なんか似たようなことを言われた事をふと思い出した。そう言われたら、黙るしかない。でも千鶴さん、何処か間違っているよ。

    昨年11月、好意的な書評をたくさん読んで、もしかして傑作かも、と思って図書館予約をしてから5ヶ月。やっと紐解いた。その間、本屋大賞にノミネートされ、2年連続の大賞は流石に厳しかったようで10位に終わっていた。町田そのこは初読み。私はこれでは連続本屋大賞は獲れないとは思った。

    主人公に共感できなかったからではない。
    主人公に対する根本的な批判は、物語の中盤で早々となされた。曰く。
    「言ったことは、弱者の暴力だ。傷ついていたら誰に何を言ってもいいわけじゃない」
    それをキッカケに千鶴は次第と変わってゆく。
    だから、序盤、中盤に複数回繰り出される主人公の「毒言葉」は、著者によって「わざと」仕掛けられたものなんだと私は思った。
    私が「本屋大賞は無理」と言ったのは面白くなかったからではなく、面白くするために、テーマを炙り出すのための「仕掛け」を作りすぎていると思ったから。その他、母親を若年性アルツハイマーにしたり、シェアハウス住人に同じような過去を被せたり、いろいろと仕掛けている。
    主人公の「毒言葉」は、1番大きなテーマのための伏線だった。あとはそれを展開するしかない。

    エンタメとしては素晴らしいし楽しかった。最後まで読み通したいとは思った。悪い作品ではない。けれども、先読みできる仕掛けをたくさん仕掛けてはダメだと思う(せめて一つにするべき)。要は期待し過ぎたのだ。「52ヘルツのクジラたち」がそんなものではありませんように。

  • ◇◆━━━━━━━━━━━━
    1.あらすじ 
    ━━━━━━━━━━━━◆
    ラジオをきっかけにして、かつて自分を捨てた母と出会い、一緒に生活するようになる。
    子育てを放棄した母と、不幸な人生を歩んできた娘千鶴の親子の物語。

    星を掬う。(すくう)
    不思議なタイトル。本編の中では記憶を掬うという表現が出てきます。その記憶は星のようにいろいろな輝きを放つものでした。


    ◇◆━━━━━━━━━━━━
    2.感想 
    ━━━━━━━━━━━━◆
    いや〜、とても良い作品でした。
    とても読み進めるのか辛い部分があり、もどかしさがあり、イライラする部分もあり、いろんな感情を引き出す作品でしたが、最後には自然と涙がでてしまう作品でした。
                 ◟( ᵒ̴̶̷̥́ ·̫ ᵒ̴̶̷̣̥̀ )

    ネグレクトやDVなど、昨今多く耳にすることが話の中心となっていて、とても考えさせられる部分が多いです。私は既に2人の子どもがおりますが、親になるということは、ほんと、大変なことだと思います。自分を大切にしていきたいけど、強い依存関係が生まれることもよくわかります。

    私も男ですが、男ってダメだよな〜、というのが、何度も頭に中にでてくる作品でした。現実にいるんだろうな〜、こういう人たちが、、、と思いました。ほんと、男ってダメだなと強く思ってしまいます。

    町田その子さん、5冊目でした。
    今までに読んだ作品はどれも素晴らしかったですが、今作品もとても素晴らしい作品でした。ストーリー、キャラクター、心に残る言葉たちが、どれもとてもよかったです!!


    ◇◆本編とは関係ないですが、、
    「身の丈、、、」という言葉が出てきます。
    いろんなことが学びで成長させることができる、ということを、最近何度も聞かされていますが、本当にそうなのか?ということを考えさせられます。長年、培ったものが、たった数ヶ月の学習や、1、2年の就業経験で変えられるものなのか?身の丈とは、何を持って測るものなのか、、、というのが、最近頭に何度もでてきます。

    それから、本作でも「傲慢」という言葉もでてきました。傲慢なんて、滅多に目にすることもなかったのに、、、
    本作では、「誰かを理解できるというのは傲慢。」なんて言葉がでてきます。自分自身の傲慢さは、意識していきたいです。


    ◇◆━━━━━━━━━━━━
    3.主な登場人物 
    ━━━━━━━━━━━━◆
    芳野千鶴
    内田聖子 千鶴母

    さざめきハイツ)
    九十九彩子 つくも
    芹沢恵真 美人、己の受けた痛みを決して誰かのせいにしない。
    美保 彩子の子ども

    結城

    野々原弥一 別れた夫、ダメ男、暴力的

    ラジオ番組)
    野瀬匡緒 まさお

    パン工場)
    川村主任
    岡崎

    デイサービス)
    百道智道 ともちん、おデブ、ぼうず頭


    ◇◆━━━━━━━━━━━━
    4.語彙
    ━━━━━━━━━━━━◆
    ・爪に火を灯す

    ろうそくや油の代わりに爪に火をともす。ひどくけちなこと、つましい暮らしをすることのたとえ。
    爪を火にくべることは禁忌であったから、そうでもしなければ暮らしていけないほどの極貧生活が強調されています。

  • とても、とても辛いお話だった。
    親子の関係って本当に難しいな、と思います。
    いつまでも親のせいにしているんじゃない!大人になってからの不運は自分が招いたものなんだ!という意味の言葉も出てきたけれど、やはり、育てられた環境や親の影響はとても、とても大きいものだろうし、自分が育てられたようにしか、我が子を育てることはできないんだろうなぁ、良くも悪くも‥‥と思います。
    だけど、受けた痛みを決して人のせいにしない人もいる。そんな人が眩しくて、「なんで、わたしはこうなんだろう。変わりたい、変わらなきゃと思うくせに、口からはいつだって、身勝手でひとを傷つける言葉が出る」。うん、うん、そうだよね、と主人公の千鶴に共感しきりでした。
    登場人物たちがそれぞれとても辛い経験をしていて、みんな、なかなかの荒療治をしている。決してほっこりできるようなお話ではありません。でも、読後は温かな気持ちになっていました。

  • 親でもあり子でもある自分にめちゃくちゃ刺さる物語でした
    10位じゃ足りない!(本屋大賞のこと言うてます)

    親の「義務」とはなんだろう?
    親が子にしてあげないといけないことってなんだろう?親が子にしてあげてはいけないことってなんだろう?
    残してあげられるものって?残していけないものって?
    そんなことを考えた物語でした

    そして親と子の絆の中で尊重されるべき「個」とは?

    主人公千鶴を二十二年前に捨てざるを得なかった(もちろん親側の勝手な視点)母聖子さんは若年性認知症と診断され自分に残された時間が僅かであることを知って、そんなことを文字通り必死に考えたのではないでしょうか

    もちろん病気になって初めて行動に移そうとしたことは、親の身勝手さの表れだと思います
    だけどそこは自分は許してあげたい

    人間とは「逃げる」生き物だと思うからです

    とにかく命を燃やして考えた結果、聖子さんなりの答えを得て行動に移したんだと思います

    そしてその想いは「二人の」娘にしっかり伝わったんだと思います

    消えていく記憶の中で星を掬い、伝えるべきその星の煌めきをしっかり伝えられたんだと思います

    • みんみんさん
      早く読みたいなぁ(¬_¬)
      うちは子供2人でまだまだ娘は家にいるからさぁ
      やっぱ親子の話はグッと刺さるよね…
      いくつになっても距離感難しい笑
      早く読みたいなぁ(¬_¬)
      うちは子供2人でまだまだ娘は家にいるからさぁ
      やっぱ親子の話はグッと刺さるよね…
      いくつになっても距離感難しい笑
      2022/10/12
    • ひまわりめろんさん
      四組の母と娘の物語なんよ
      父に刺さりまくったくらいだから
      母なんてもう出血多量注意報やで(なんだその注意報)
      四組の母と娘の物語なんよ
      父に刺さりまくったくらいだから
      母なんてもう出血多量注意報やで(なんだその注意報)
      2022/10/12
  • 本屋大賞受賞後初の長編ということで、期待して読んだ。しっかりと響く作品だ。痛々しいが救いがある。

    元夫からの暴力で心身ともにボロボロの千鶴は、かつて自分を捨てた母・聖子のもとに逃げる。しかし、母は52歳で若年性認知症を患っており、娘に捨てられた介護福祉士の彩子と、聖子を「母」と慕う美しい恵真と3人で暮らしていた。

    千鶴、聖子、彩子、恵真4人の「普通」の母娘の関係が築けない者たちの共同生活を描く。

    登場する男たちが圧倒的に醜い。町田そのこさんはは「クズ男って、書いていて楽しい(笑)」とインタビューでおっしゃっていたが、そうだろうなぁ。いきいきと描かれているもの(笑)
    こんな男ども、早く死んでほしい、と憎悪が募り、メチャメチャ腹立たしい思いさせられました。

    反面、母・聖子の認知症はこの小説の重要な要素(タイトルにも繋がる!)なのだけど、リアルさが少し足りない気がした。特に母の内面の描写は説得力がなく、感情移入を妨げた。少し残念。

    そして、生クリームの代わりにマヨネーズを使ったバナナサンド!母娘の関係を再構築するきっかけとなるような料理(?)として登場するが、僕はマヨネーズが大嫌いなんで。「あまじょっぱい」って…ゲテモノすぎ。背筋がぞ〜っとした。そんなもの世の中に存在してはいけない。
    この本の中で最も怖かったシーン。

    • naonaonao16gさん
      たけさん

      こんにちは!
      実は、町田そのこさん、まだ未読なんですよね。クズ男が気になりすぎて読みたくなってきました(笑)

      わたしもマヨネー...
      たけさん

      こんにちは!
      実は、町田そのこさん、まだ未読なんですよね。クズ男が気になりすぎて読みたくなってきました(笑)

      わたしもマヨネーズあまり食べないので、いつもちょっと使って賞味期限切らしてます…
      言われてみればブロッコリーくらいにしか使いません。嫌いではないんですけどね。

      いやほんとにしょーもないコメントで失礼しましたm(_ _)m
      2021/11/13
    • たけさん
      町田そのこさんはnaonao さんの好みに会いそうな気します。「52ヘルツのクジラたち」とか「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」なんかは特に。...
      町田そのこさんはnaonao さんの好みに会いそうな気します。「52ヘルツのクジラたち」とか「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」なんかは特に。
      ただ、「星を掬う」に関しては、認知症の描き方がいまいち共感できないので、トータルとしておすすめとまではいきません。
      ただ、クズ男の描き方は素晴らしいですが笑

      うちもマヨは賞味期限守れない!とかみさんに怒られます。だったら、買わなきゃいいのにと思います。
      ブロッコリーは…塩で食べましょうよ…
      2021/11/13
    • naonaonao16gさん
      こんばんは!

      そうなんですよね、たぶん好みに合う作家さんです。
      なかなか通勤中に大きな本を読むのが大変で、つい文庫待っちゃうんですよね…
      ...
      こんばんは!

      そうなんですよね、たぶん好みに合う作家さんです。
      なかなか通勤中に大きな本を読むのが大変で、つい文庫待っちゃうんですよね…
      町田そのこさんなら「52ヘルツの~」から読みたいのですが、文庫には時間がかかりそうです…
      「夜空に~」は文庫化されていた気がするので、それから読んでみようかなぁ…
      この作品はそれらに比べると…という感じなんですね。
      クズ男の描写のみに期待!ですね(笑)

      ブロッコリーはマヨネーズ一択です(笑)
      2021/11/14
  • 「星を掬う」
    タイトルがとてもいい。
    最後の章がとても良かった。

    だけどいくらなんでも千鶴が卑屈すぎる。
    どんな境遇でも自分の考え方次第で人生は良くも悪くもなるんだ。
    「あたしの人生は、あたしのものだ。誰かの悪意を引きずって人生を疎かにしちゃ、だめだ」
    やっと前を向けるようになった時はほっとした。

    本筋とは関係ないが、「52」と「クジラ」というワードが出てきてめちゃくちゃテンションあがってしまった。こういう登場のさせ方もあるのかー!と嬉しくなった。

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著者プロフィール

町田そのこ
一九八〇年生まれ。福岡県在住。
「カメルーンの青い魚」で、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。二〇一七年に同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。他の著作に「コンビニ兄弟―テンダネス門司港こがね村店―」シリーズ(新潮社)、『うつくしが丘の不幸の家』(東京創元社)などがある。本作で二〇二一年本屋大賞を受賞。
近著に『星を掬う』(中央公論新社)、『宙ごはん』 (小学館)、『あなたはここにいなくとも』(新潮社)。

「2023年 『52ヘルツのクジラたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

町田そのこの作品

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