ヒトの壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 1099
感想 : 92
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106109331

作品紹介・あらすじ

シリーズ累計660万部突破! 『バカの壁』に始まる「壁」シリーズの最新刊!!

感想・レビュー・書評

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  • 水+日+月 2021/12/28 #081 養老孟司『ヒトの壁』コロナ禍の2年間、84歳の知性が考え抜いた、究極の人間論。 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/mailmag/mikazuki/mkz081_211228.html

    養老孟司 『ヒトの壁』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/610933/

  • いつもの養老先生が歳とったせいか、そこまで小難しい話をしなくなった感じがしました。猫の「まる」との所だけ読んでも良いかも…と思います。猫好きな方にはそこだけでも!

  • この前に池上彰さんと佐藤優さんの『激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972』を読んで、東大紛争について学んだばかり。
    この本では、養老孟司さんがまさに東大紛争のときに教室助手として働いていて、ヘルメットにゲバ棒、覆面姿の学生たちが20人ほど押しかけてきた様子が描かれていて「たった数日の間に。なんと奇遇なことでしょう」と思った私。
    (もう少し読み進めていくと、さらに紛争について書かれているところがあります。)

    そしてもう一つ、一昨年東大病院に入院した時のことです。
    主治医として中川恵一さんにお願いしたそうです。
    あれ?聞いたことある、その名前。
    ブクログ本棚を見たら、昨夏この中川さんの本を「読みたい」で登録。(公開にしてあります。)
    『未成熟な日本人』どうなったのかしら?

    この本は全部とても面白かったけど、この入院のところは驚きました。
    養老孟司さんは医学部教授だったのに、病院が大嫌いだそうです。
    〈現代の社会状況ではいったん医師の手にかかったら、医療制度に完全に巻き込まれるからである。自分がいわば野良猫から家猫に変化させられることになる。そうなると甘いものがどうとか、タバコはやめろとか、日常食べるものから嗜好品まで、いいとか悪いとか、小さな行動にも点数が付く。
    委細構わず好きにすればいいかというと、周囲が医療制度というシステムに巻き込まれているから、あれこれ言われてしまう。コロナ自粛下におけるさらなる自粛の強制みたいなものである。
    そこで周囲と対立喧嘩しても大人気ないと思うから、衆寡敵せず少数派の私が折れることになる。そうすると私自身の人生なのか、医学が指定する人生なのか、よくわからなくなってしまう〉

    こんな感じで、養老孟司さんがひねくれているので面白かったです。

  • 本の紹介がいくつもされていて、
    もっと本を読みたくなる本であった

    養老孟司さんが
    コロナ禍に際して、ALS患者への嘱託殺人について、医療について
    綴っている

    愛猫まるの死は、猫好きの私にとっては、読んでて悲しくなりました

  • 心筋梗塞を患った著者をたまたまyoutubeで見かけたら、本書に書いてある通り瘦せてしまっていた。老いと病というものを目の当たりにした。病院に行ったときの状況が本書では書かれていて、著者が元気な頃に書いた文章と本書は少し趣が違うように感じた。

    「自分のやることなんだから、すべては自分で考えるしかないんだな。」(P18)「やろうと思うことをするだけである。」(P19)
    行動原理で尤もな事なので引用させてもらった。

    「人生は本来、不要不急ではないか。」(P22)
    人生は本来不要不急かもしれないが、諸所の事情で急になりがちで、不要ではないと思うが、本質的には不急かもしれない。サボったりすると急になるから、準備していない場合は急になることを覚悟する必要が生じる。

    「情報にもエントロピーの第二法則が該当するとすれば、現代の混迷がよくわかる。なにかがわかったということは、別なことが同じくらいに、わからなくなったということだからである。」(P30)
    というのは、わかることが増えるとわからないことも増えるということ。結局プラスマイナスゼロだから、あまり知ることに夢中になると、人類全体に当て嵌めても、個人に当て嵌めても、知らないことが増えるという、本当のようで確かめようのない説。

    「起きて半畳、寝て一畳」(P46)
    この慣用句にあるように生活するのに広い場所は本来必要ない。豪邸に住みたがる人達の欲への戒めになる。一人の生活に必要な空間は狭くて十分と気づく。狭い方が生活しやすいと思う。

    「なせばなる。そうはいっても、「人生成り行き」」(P151)
    なせばなる、と意気込んでも、なせる人もいるだろうし、なせない人もいる。多くの人が千の夢をもって成就させようと思っても、一も叶わないとよく言う。そういうことも含めて、人生はどんどん進んで行く。

  • 「壁」シリーズ。もういいかな…

  • コロナで「不要不急」という言葉が毎日のように聞かれ、ステイホームが推奨されて、これまでの日常の当たり前が当たり前じゃなくなったりして、いろいろなことを見直してみるきっかけにもなった昨今ですが、そんな中で、養老孟司さんの本でも読んでみようかと思って、読んでみました。

    戦争を経験した昭和の時代から、平成、令和と時代が進む中を生きてきた養老孟司さんの振り返りまとめ的な一冊。

    感想を書くのが難しい本です。

  • 人の機能を細分化すると社会の構図と同じになる。意識に無があるように都市機能に無秩序【欠陥】があるのは力学による負の自然作用らしい。

    シンギュラリティ到来により完全社会が実現した時、負の矛先はどこへ向けられるのか…

  • 自分には難しい言葉や内容が沢山あったので、果たして読んだと言えるのかはわからないのですが、

    人間の心の動き、養老孟司さんのまるが居なくなってしまった事への気持ちがすっと伝わってきて、
    なんといったらよいか、そういうことを大事にした方がいいんじゃないでしょうか、と言われてる気がした。
    養老孟司さんにというより本に。
    凄い勝手な解釈。


    お母さんが人を人として見ててカッコいい人だなと思いました。

  • 養老孟司さんの「ヒトの壁」を読んで特に印象的だったところを綴ります。
    AI の話「ヒトはAIに似てきている」ところで、「理解」と「解釈」の違いという話
    が出てくる。
    「理解」とは、「ああ、そうだったのか」と、どこからともなくやってくるもの。
    「理解」は感覚の延長。内なる認識で感覚として入力されるもの。
    「解釈」は自発的に意味付けするもの。ある意味こちらの都合で、勝手に解釈する。
    「解釈」は運動系、運動としてアウトプットするもの。
    AI は解釈はできない。
    理解というのは、外からやってきて、自分の中に入ってきたときに、あぁ、そうかと、感覚として入力されるもの。
    AI は、それを1か0かの信号(記号)として入力する。
    人間は内なる認識として感覚として入力するが、AI は信号して入力する違うもある。
    解釈というのは、内なる認識で、運動としてアウトプットするもの。
    AI には、内なる認識はない、など。

    『理解する』ことに努めようとすることも大事だけれど、理解に及ばない、無理なときもあると改めて思った。
    養老さんのいう『理解』には頭でなく、体感、感覚が伴うといった意味合いで言っているし、そのことがとても大切だと思う。
    よく、「親になってはじめて、親の苦労がわかる」とか、「今になって、あの人が言っていたことがかわる」といったことばを耳にしたこと、自分で感じたことがあるでしょ。
    それって、まさに養老さんがいう、感覚を通じて理解したことであり、まさにこのことが「自己統合」、アイデンティティに繋がることではないかと。
    「自分が変われば環境も変わる」ということばがあるが、多分に時間差が伴うことがあると思うね。何で、あの時に理解できなかったのだろう、理解してあげられなかったのだろう、どうして自分は・・・と後悔することもある。
    ふと、あれ?って感じで「分かる」時がある。あの人あの時こうだったのかな?と「理解」できるような時がある一方で、その都度、理解しよう努めても納得、腑に落ちないことがある。
    でも、できれば少しでも後悔しないような人生を送りたいですよね。
    そこで、特に若い人に伝えたいことがある。
    ある程度の年齢を重ねないと経験できないことがある。
    だから、若いうちに、あるべく外に向かって自分をさらした方がいい。
    様々な人と接し、自分を様々な環境に置いてみたり、様々な自然に触れたほうがいい。
    そして、合わせて、様々な本を読んで、自分が実際に経験したことがないこと、できれば経験したくないこと、自分が経験したことでも客体化することなど、少しでも想像できるようにした方がよい。
    つまり、自分の中に経験を増やし、実際に経験できないことは書物を通じて想像力を補っていくこと。
    自分で考え、行動し、自分の中で「理解」と「解釈」を繰り返すこと。
    理解というのは、意図的に「理解」するのでなく、外からやってきて、自分の中に入ってきたときに、そうか、なるほどねと、感覚として「理解」されるもの、と受けとめた方がいいいのでしょう。
    「感覚として理解できること」が増えれば、自分にも他者にとっても、「より開かれた解釈」ができるようになると思う。

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著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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