バッシング論 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
3.43
  • (5)
  • (5)
  • (7)
  • (2)
  • (2)
本棚登録 : 130
感想 : 15
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106108167

作品紹介・あらすじ

知識人もメディアも、事の本質を見落としていないか。日本人はなぜかくも余裕を失ったのか。くり返されるバッシング、謝罪と反省のなかに潜む社会の構造変化をとらえ、「マジメ」で「美しい国」の病根をえぐりだす。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ずっと胸がざわついたままである。
    テレビも週刊誌も、SNS界隈も、いつも餌食を狙っている。炎上だ。

    対象は、権力の座にある首相であり、政治家であり、時に官僚。
    非難の矛先とバッシングの氾濫の同様の熱量は、お笑い芸人の不倫やアイドルのグループ脱退に及ぶ。

    社会全体が手ぐすね引いて、誰かをその座から引き摺り下ろすことに躍起になっている風潮がたまらなく息苦しい。

    不祥事の告発と、立場からの引き摺り下ろしの合唱が今日も、メディアで、SNSで繰り広げられている。

    ああ、いやだいやだ。攻撃、罵倒、排除、否定に満ちた日常。
    大衆メディアだけではなく、政治家や知識人にさえ、相手に敬意を欠いた言葉遣いや態度が満ちていることに辟易。

    若き哲学者である先崎先生の言葉は、特効薬や頓服となるものではないが、じわじわくる。根底に沁みてくる。

    日本人がイラつき、お互いそれぞれの「正義」にしがみつき、対立するのは何故なのか。
    明治以降の「近代社会」から戦争を経て、昭和の「現代社会」へ変容後、私たちは何を目指してきたのか。

    「お国の為」「ご先祖様の為」を殴り捨て、「個人」「自由」「民主化」等に舵を切ったものの、選択の自由と、おびただしい情報の氾濫によって、結局、私たち自身に善悪の軸が委ねられてしまった。

    とても豊かなことのようでいて、絶え間なく「新しさ」に身をさらされ、善悪の基準に振り回され、安定を欠いた状態が個々に起こっているということらしい。

    そのため、無理・無駄を省き、即応性がだれにも常に求められ、効率・生産性・利益の有無に馴染まない部分が削ぎ落されてしまっている。

    そもそも私自身、「生きる」とは、或いは「自分たる存在」とはなどを、深い呼吸をしながら、胸の内の深い処まで自問する時間も機会もなく、前へ前へ、上へ上へと急かされた時間を送っていたな。

    寄る辺なさは、効率や善悪、正義の極端な二元化に逃げ込み、自分とは異なる考えや存在に対して、攻撃性を以て、自分の存在を肯定しがちだ。

    本文181頁より:

    不安定な自己は、つねに他人との比較に心をかき乱されます。みずからを位置づける基準がなく、確固たる「ものさし」がない自己は、他人と比較しても評価が動揺を続けます。
    自分は非常に優れていると思うと、たちまち誰よりも自分が劣って見えてくる。全能感と劣等感に振り回される。善し悪しの最終根拠があいまいだから、どうとでも評価できるのです。

    結果、自分の現状に満足できず、苛立ちをつよめ、自己と他者いずれへも攻撃性を高める。自己否定による自己確認、或いは他人を引きずり下ろすことでしか自己確認ができないのです。「マジメ」で「美しい」社会を求める心情の背景には、自己正当化を過剰に追及する攻撃性があった。昨今のマスコミを支配する異様な「否定力」は、こうした背景によるものです。日本人の心は、焼けただれているのです。

    溜飲が下がる。
    何も今更ポリコレや道徳観のように「皆で話し合えば分かり合えます」やら「みんなで仲良くしましょう」というものではない。簡単な「美しく見えるもの」ではもう解決などできない。

    最後に先崎先生の言葉。165頁より:

    人は、周囲の人間関係の複雑な機微の中で、人生の糸を紡いでいる。日常性とは、呆れはてるような不断の調整の積み重ねなのです。生きることに絶対の解決法、万能薬などはありません。

    176頁より:人の数だけ、地域の数だけ、団体の数だけ、利益はある。政府は神様ではない以上、公平性を欠くこともあれば、順番を間違うこともある。

    そうそう、折り合いをつけながら、落としどころを見つけながら。

  • 「起きてはダメなことは考えないようにしてきた」
    このフレーズの重さ。

  • 現代社会の闇をパッシングの氾濫と辞書的基底の喪失だと定義し、時代分析を試み、病根を抉り出す

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/724410

  • 2022年においても、思わず同感してしまうような内容でした。

  • やっとまともな話を書く人が現れた、というのが率直な感想。
    囃し立てるのでもなく、騒ぎ立てるのでもなく、罵倒する訳でもなく、お説教をする訳でもなく、知識を見せびらかす訳でもない。
    ただ静かに現状を診察し、共に癒す方法を考えましょうと言う常識人。

  • テロルの条件。歴史=辞書的基底の喪失。戦前回帰。西郷隆盛。生前退位。LGBT休刊騒動。フクシマとオキナワ。憲法。

  • 主張は理解できるが、「自分だけが世の中を理解しているんだ、ほかの連中はみんなバカ。」って感じの語り口は好きになれませんでした。

  • 過剰な自由主義のもとで格差の拡大が深刻化して社会不安が増大した大正時代と現代は似ているという著者の見解はその通りだと思う。
    競争に勝ち残る人間が生み出す活力で下層民が潤うことはない。
    安倍政権は外交では対米追従一辺倒、内政は政官財の癒着による上級国民の上級国民による上級国民のための政治に終始している。後世の人たちからは安倍首相は平成の原敬と呼ばれることになるかもしれない。
    安倍政権下で深刻化する格差社会による社会の分断、溝を飛び越えようとする動き、競争に勝ち残れない人間にも生存権を保障しようする民主主義の原理の実現のため、令和の時代は荒々しい政治闘争が起こってもおかしくないのかもしれない。

  • 東2法経図・6F開架:304A/Se75b//K

全15件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1975年東京都生まれ。東京大学文学部倫理学科卒業。東北大学大学院文学研究科日本思想史専攻博士課程単位取得修了。フランス社会科学高等研究院に留学。文学博士。日本大学危機管理学部教授。専攻は近代日本思想史・日本倫理思想史。
主な著書に『高山樗牛――美とナショナリズム』(論創社)、『ナショナリズムの復権』(ちくま新書)、『違和感の正体』『バッシング論』(ともに新潮新書)、『未完の西郷隆盛――日本人はなぜ論じ続けるのか』(新潮選書)、『維新と敗戦――学びなおし近代日本思想史』(晶文社)、『吉本隆明「共同幻想論」』(NHK100分de名著)、現代語訳と解説に福澤諭吉『文明論之概略』(ビギナーズ日本の思想・角川ソフィア文庫)などがある。

「2020年 『鏡の中のアメリカ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

先崎彰容の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×